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【1月】私達にとっての科学・技術、それによる災害対策の在り方を考える

明けましておめでとうございます。2012年、平成24年の年頭に当り、まずお祝詞を申し上げると共に、現在考えている事を述べたいと思います。

年頭に当り考えるということは、過去、少なくともこの一年間を振り返って未来を思考するということになります。昨年をふり返りますと、当然のことながら、どなたも東日本大震災とそれによる福島原子力発電所事故がまず頭に浮ぶことと思います。それに関しては、2011年の6月に行ったある全国調査で、東日本大震災で起きた「地震」、「津波」、「原発災害」のうち、もっとも深刻なものは何かという問いに、約55%の人が「原発災害」と答えたという報告からも明らかです。「地震」は約19%、「津波」は約24%で、その倍以上の人が「原発災害」と答えたのです。

東日本大震災の中で、「津波」「地震」そのものも当然関係しますが、原子力発電所事故は、私達市民に科学、そしてそれによって作られた技術に関係するいろいろな学問の在り方を考えさせたと言えます。しかし、科学・技術が進んで豊かになった社会では、特に物質的な豊かさに溺れている現状のわれわれは、感覚的に考える事は出来ても、科学的にはなかなか考えられない現実もあると思うのです。

現在、「何故、あの大地震を予測出来なかったのか」、「何故、津波の高さを低く予測してしまったのか」、「何故、原子炉事故は阻止出来なかったのか」、「原子炉の設計には問題はなかったのか」、「現在の放射能レベルの中に住んでいても問題はないのか」などの科学的に答えなければならない疑問が社会を走り回っていることは、御存知の通りです。

そんな中で、科学者のあり方、企業人のあり方が問題になってきています。お金で企業に心を売った科学者、更にはエセ科学者、金もうけに専念し安全を守れなかった企業人など、真偽の程は不明ですが、いろいろと言われています。それは、社会に対する責任の問題でもあり、さらに社会にリスクを伝える時のコミュニケーションの在り方の問題でもあると思うのです。

1970年代頃だったと思いますが、我々のいた医療の現場に、アメリカから「インフォームド・コンセント」という考え方が入ってきました。平たく言えば、医師は治療を始める前に、患者に病気の治療法を充分説明して、納得してもらわなければならないということです。少なくとも、それにより医師から患者という一方通行ではなく、患者と医師の関係が平等になり、ある意味で医療の質を高めることが出来たのです。そう考えると、今回の東日本大震災後の科学・技術を巡るごたごたを見ても、現在社会ではリスクを伝える時のコミュニケーションのあり方も考えなければならない時にあると思うのです。

「インフォームド・コンセント」と同じように、アメリカでは1989年にアメリカ研究評議会が「リスク・コミュニケーション」という考えを提唱したそうです。それは、個人、機関、集団などの間でリスクの情報や意見のやりとりを行う場に現れる、「送り手」と「受け手」の間の相互作用的な過程と定義されています。問題が多いのは、送り手が科学者であり、受け手が市民の場合です。勿論、原子力発電所の計画の段階や、設計によって建設工事をすることになれば、科学者と企業人との間のリスク・コミュニケーションも当然のことながら問題になるでしょう。リスク・コミュニケーションの詳細は別誌にゆずりますが、わが国にもそれなしには生活出来ない社会が来ていると言えます。

それぞれの科学者、企業人、社会人が充分倫理的であり、充分道徳的な心をもっているならば、何もリスク・コミュニケーションを云々する必要はないと思いますが、医療の進歩とともにインフォームド・コンセントが現われたように、科学・技術の進歩した社会であれば、リスクを話し合うにも、それなりの約束事を決めなければならない時にあると思うのです。現代の社会では、余りにも多くのリスクがコンピューターによって確率として割り出されており、社会人は大きく迷うものなのです。どんな社会人にとっても、わかり易く、正確な情報がなければ、リスクを考えてどうするか行動を選択する決心はつかないものです。その上、わが国は地震という自然災害の起こる確率の高い国でもあるのです。

1960年代初めに、3年程イギリス・ロンドンの小児病院で勉強したことがあります。その生活のなかで、最も強く感じたのは、ニュートンやダーウィンのような科学者が街を歩いているような雰囲気の社会であるということでした。勿論、それはイギリスの科学・技術の歴史と伝統によるもので、市民がものごとを科学的、技術的に考えることが出来る国なのです。そんな社会の中で、わが国で起った3・11のような大災害が起こったとすれば、イギリスの市民達はどう反応するでしょうか。わが国の科学・技術は、ヨーロッパやアメリカから来たものである以上、それに支えられているわれわれの社会も、科学・技術に対する考え方をそれなりに新しいものにしなければならない時にあることには間違いありません。それには、子ども達の科学・技術のレベル・アップと共に、わが国の文化に合ったリスク・コミュニケーションのあり方を考えなければならないと思うのです。

(文献:吉川肇子「リスク・コミュニケーションのあり方」 科学Vol.82, No.1, p48-55, Jan. 2012
広瀬弘忠「複合災害の時代に欠くことのできない災害対策と災害弾力性」 同, p93-99)

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