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【カナダBC州の子育てレポート】第24回 一学期の間、日本の学校を体験して

要旨:

春、夏と長期一時帰国をした際に、娘は日本の学校に体験入学をしました。学年相当の日本語力があるのかどうか、日本の授業と学校文化についていけるのかどうかという親の心配をよそに、娘は一学期間を大いに楽しみました。娘の体験を傍観した中で見えてきたカナダの学校との違い、その違いの根本にある日本文化について考えたことをレポートにまとめました。

キーワード:

一時帰国、学校体験、ウチとソト、コミュニティ

2022年春、新型コロナウイルスによるパンデミックの影響下、成田空港での検疫に数時間を要する中で3年3か月ぶりの一時帰国をしました。そもそも果たして入国前72時間の検査で陰性が出るのか、入国に必要な書類はすべてそろっているのか、空港での検査で陰性が再度出るのか、様々な不安を抱えての子連れ帰国となったことは前々回のレポートで述べた通りですが、それに加えて、子どもに日本の学校体験をさせられるのかどうかという不安も、一時帰国を確定させられない要素の一つでした。

娘はここカナダで生まれていますが、私とは日本語のみで会話をしています。週に一度日本語継承後学校に数時間通い、日本の学校の国語の教科書に沿って日本語を勉強していますが、現地の小学校に通うようになってからは毎日6時間ほどを過ごす学校環境では英語、家庭での父親との会話も英語と、英語の方が使用言語の割合としては圧倒的に大きくなりました。

日本人移民である私は、自分にとって外国語である英語で子育てをするイメージが全くなく、娘が生まれたときから日本語で接してきました。これには、本読みやテレビなども含まれます。娘が興味を示すようになってからは、自ら日本語の読み書きができるようになることへのサポートを行ってきました。1年に一度、一時帰国をする際には、ぜひ日本の学校へ毎年体験入学をさせてもらいたいと、私自身が希望を抱いていました。

ところが、新型コロナウイルスの蔓延により、当初に予定していた一時帰国は国境が閉鎖され、その後日本の地を踏めないままに数年が過ぎてしまいました。パンデミックの影響で学校閉鎖や、冬休みの延長、体調不良による欠席、自主的な欠席などを含めると、この数年は娘が家庭で過ごすことが増えたため、必然的に私との会話や日本語でのやりとりも増えましたが、今回の帰国では娘が日本で学校に通うために必要な学年相当の日本語能力があるのか、また、日本とカナダの小学校における文化や習慣の違いなどを考えると、私の中では不安要素の方が大きかったです。ですが、本人の希望もあり、今回4か月という長期一時帰国を利用して、私がかつて通った母校への娘の体験入学に踏み切りました。

まずは地元の町の教育委員会へ。娘と挨拶に行くと、教育長自ら気さくに対応してくださいました。地元ということで、顔見知りのスタッフの方には娘にやさしく話しかけてもらい、久しぶりの日本らしい丁寧な対応に親子で心が温まりました。

その後、お世話になる学校へ連絡。電話で先に必要なものなどの説明をいろいろとしていただいた後に、顔合わせの予定を組みました。実際に娘と学校訪問をすると、校長先生、教頭先生、担任の先生全員が出迎えてくれ、必要事項に関する事細かな説明だけでなく、「漢字は苦手だろうから心配しなくて大丈夫。勉強のことはさておき、たくさんのお友達を作って、たくさんの思い出を作っていってください」と娘の不安を一気にかき消してくれる声掛けがありました。児童目線での先生方からの声掛けに感心するとともに、親としてとてもありがたく思いました。

娘は多少の緊張をしていましたが、先生方の受け入れの姿勢に、今後の学校生活に対する不安が和らいだように見えました。必要なランドセルや体操着、水着、上履きなどに関しても、持ち合わせているものでかまわないという指示をいただき、ほっとしました。幸い、ランドセルも体操着も借りたりもらったりすることができたおかげで、娘は自分だけ一人違うことで悩んだりすることもなく、どっぷり日本の学校文化に浸ることができました。とにかく、娘を「そのままで受け入れます」という先生方と学校の体制にほっとしました。

担任の先生は、以前にも外国に暮らしている日本人児童を受け入れた経験があることを前もって伝えてくれました。また、娘が在籍した教室のクラスメイトは18人と少なく、アットホームな雰囲気であること、娘の席を最前列にして目が届きやすいようにしておくという配慮も先に知らせてくれた後、教室の見学、設備の説明、学校内の図工室や音楽室の様子なども全て見せてくれたため、親である自分の不安もだいぶ軽減されました。初日こそ娘は緊張しながら登校し、私も私の両親も娘が帰宅するのをドキドキしながら待ちましたが、こちらの心配をよそに娘は楽しそうに学校から戻りました。

BC州の公立の学校には教科書が存在しないことを以前に書きましたが、日本では教科書を使用する上、担任の先生が毎週作成してくださる丁寧な学級通信があるので、行事の予定や様子だけでなく、教室内で教科書のどの単元をいつ学習する予定なのかが保護者に伝わってきました。これにより、娘が苦手な漢字にルビをふったり、カナダの学校よりも1年分くらい進度の早い算数の予習などをすることで、次の週の準備を親子ですることができました。学校から届く便りは学級通信だけでなく、学校通信、保健だより、給食だよりとたくさんあり、保護者に学校内部の様子がよく分かることに驚きました。

「保健だより」には虫歯予防の話や熱中症対策、それらに関連する特別授業の様子について書かれてあったり、給食だよりには給食に使用する地元野菜について、栄養素について、そして毎月の給食の献立も掲載されていました。保護者に公開される情報がとても多く、毎日長時間子どもを通わせる学校環境について理解を深められる機会が多いことに、新鮮さを感じて驚くとともに、カナダの学校との比較をして、とてもうらやましく感じました。

BC州では12歳以下の子どもは公共の場では保護者同伴を求められます。12歳以下の子ども同士で通学したり、放課後に公園で待ち合わせて遊ぶなどということはありません。娘が通った日本の小学校は、児童がほぼ全員保護者の付き添いなしで登下校していました。しかし娘の希望に加え、私は慣れないことをさせているという思いから、登校は娘に付き添ってともに歩いて学校へ通い、下校は季節が夏になってからは、高温多湿に慣れていないカナダ生まれの娘を炎天下、重たいランドセルを背負って歩かせるわけにいかないと考え、車で迎えに行っていました。

一方で地域では、登校時には、横断歩道のある田舎道にもボランティアの保護者の方が日替わりで立ち、旗振りをして子どもたちが道路を横断するのを見守っていました。また、下校時には地域のお年寄りの方々が同じようにボランティアで横断のお手伝いをする姿が見られました。子どもたちは大きな声であいさつをしながら、また地域の方たちは自分の子どもだけでなく地域の子どもたち全員に「行ってらっしゃい。おかえりなさい」と声掛けをしていました。

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はとこと一緒に田んぼの中を通学する娘

BC州で娘が通う学校は8時半から2時半までですが、子どもを学校に連れていくのは8時15分以降にするように言われています。また、セキュリティ上の理由もあって、建物自体が8時半にならないと解錠されません。お昼休み後の外遊び時間にも、やはり同様に建物が施錠されてしまい、児童はトイレを使うにも教室に入ることができずに、その時間にだけ子どもたちの様子を見守るスーパーバイザーと呼ばれる大人に相談しなければなりません。

娘が日本で通った学校もまた8時半から始業でしたが、ほとんどの児童が8時までには登校していました。校門にはあいさつ運動をする高学年の児童がその他の児童を迎え、校舎も8時には鍵が開けられます。そこからホームルーム開始までの30分間、児童は教室内や校庭で自由に遊んでいる様子がうかがえました。また、下校時も児童たちのみで校庭で遊んでいました。共働き家庭では、特に朝の30分は貴重である上、下校時に迎えに来なくても子どもが自宅に戻ってこられるのは助かることでしょう。これは、学校が守られた場所であり、地域がボランティアの保護者によってやはり子どもたちを守る仕組みを作りあげていて、安全な環境が出来上がっているからこそ可能なのだろうかと考えました。給食制度によるメリットは子どもだけでなく、保護者側の手間が省けるという面もあります。栄養バランスの取れた食事を子どもたちに提供する取り組みは、食育や地産地消の知識を子どもたちに広げる機会にもなっています。

体験入学中には授業参観や自転車教室のボランティア、担任の先生との面談などもあり、一学期間だけではあったものの、日本の学校そのものや、娘の教室での様子などに非常に興味のあった私はいずれも遠慮なく参加させてもらいました。授業参観ののちに懇親会という名のもと、学年の先生と保護者が集まり、娘が在籍する3年生全体の様子や、今後の予定、学習全般について話をする機会がありました。

先生からの話に「3年生全体がとても正義感のある学年で、お互いを尊重したり、助け合ったりする様子がある」とあったり、保護者から「3年生は本格的な勉強が始まる学年で、でも生活面では時間を守れなかったり何を先にすればいいのかわからないという幼さが残る中で、親がどこまで手を出し声掛けをすべきなのか」という質問があったり、それに対してまた先生が「忘れ物をしそうになったら、声を掛けずに忘れさせてください。自宅に戻ってきて忘れ物を自分で見つけて、そこでどのような対処をするのかまずは見守ってみてください」というような返答があったりしました。

個人主義の文化であるカナダではこのような内容のやりとりが学年の先生複数と保護者全体との間でされることはまずありません。私自身、日本人であり、日本の学校制度の中に身を置いていたはずなのに、そのやりとりに衝撃を受けました。まず、個人の区切りでなく、3年生という全体像について話がされたこと、また、こちらの学校ではプライバシー保護のため家庭のことには一切触れないのですが、家庭内の子どもの生活の様子について保護者が先生にアドバイスを求め、それに対し、実際に先生から学年全体に対してアドバイスがあったことにも驚きました。

それは決して否定的な違和感ではなく、私にとっては久しぶりに感じる懐かしさと親しみさえ覚えるものでした。なぜそのような感情を抱いたのか、私なりに考えた末に行き着いたのが、同じ場所に属した人を助け合う、日本の文化でした。その根源には「ウチとソト」の概念があるのかもしれません。

日本の文化では、ウチとは家族や親せき、自分にとって身近な存在を指し、それ以外がソトと区別する概念が長きにわたって存在します。日本人は、他の大陸から海で隔たれた「日本」という土地で、かつ山と谷に土地を分断され、そこに米を作って暮らしてきました。それぞれの土地に割拠してきたことが、ウチとソトが生まれた由来だと柳田国男は言います(注1)。加えて、この境界線というのが一定の場所にとどまることなく、生き物のように状況や都合によって広がったり狭まったりするのではないでしょうか。中心にあるのは、自己というもっとも狭まったウチなのですが、たとえば家庭というウチがあり、学校というソトがあるのに対し、子どもが登校する際には、ウチの境界線は学区という地域に広がります。

担任の先生が、3年生全体に対してコメントを述べている際には、3年生の学年児童全員がウチになり、その他の学年はソトの存在となります。この境界を、日本人、特に地方の人たちは、状況に応じて上手に意識分けしているのではないかと感じました。そしてそれは私自身がかつて苦手意識をもち、実家を離れて暮らすのに至った理由でもあります。もちろんヨソモノを受け入れがたく柔軟性に欠けることも多い概念ではあり、今回に関しては私たち自身がそもそもこの地域出身のウチの存在であることは事実です。しかし今回、学校コミュニティに短期間とはいえ私たちが属してみて、目に見えないウチとソトの仕組みがポジティブに機能し、「何事もきちんと一生懸命取り組む」という文化と相まって、子育て家庭や高齢者家庭にとってその機能がとても助かるだけでなく、生活していく上で必要であり大切にすべきものなのかもしれないと感じ直したのです。

カナダの社会では家庭がもっとも大事だというスタンスがあります。新型コロナウイルスの影響で社会的なつながりがままならなくなった中では、特にそれが顕著にみられました。私たちのように親せきや家族がいない移民家庭では、人とのつながりがひどく希薄に感じられるようになってしまったことが否めません。3年3か月ぶりに日本に帰国し、学校という特殊で狭いコミュニティに属したこと、高齢となり近くに子ども家族のいない両親と周囲の友人やご近所さんとのつながりを目にしたことで、これまで否定的にとらえていた日本特有の小さなコミュニティにおける仲間意識を、全く異なる視点から見ることになりました。そしてそれは自分も親となり、高齢となった自分の親を海外から見守るしかない私にとっては、かつてと考えが180度異なり、頼もしく、心地よく、そしてとてもありがたく感じられたのです。

新型コロナウイルスによるパンデミックがあったことで、希望していた娘の毎年の日本学校体験入学は叶わぬものとなりました。ですが、今回1学期間という長期の体験入学をすることで、娘は日本語と日本の学校文化を大いに体験しました。「給食がおいしくて毎日メニューも変わって給食当番もできた(実際に給食のおかげで食わず嫌いが減りました)」、「大きなバスに乗って学年全員で遠くまで1日かけて遠足に出かけたことに感動した」、「カナダにはないのに、日本の学校には外にプールがあって、夏になると毎日のように体育が水泳になった」というような、喜びの感想がありました。反対に、「小学3年生からは6時間目まで授業のある日が増えて、日本では学校にいる時間が長すぎた。机に座って勉強することが多くて疲れた」、「カナダの学校の方が校庭がより広く芝生があって、遊具も多い」などと、カナダの学校の良さを感じる意見もありました。それでも集団の中に深く入っていくことで「お友だちをたくさん作る」ことが実現でき、同年代の子どもたちと生きた日本語をふんだんに使ってコミュニケーションをとり、大いに楽しめたたようです。私は日本のコミュニティの良さを再発見、再認識したことで、これまでのホームシックとは比較にならないくらい日本への恋しさが募ってしまったことも否めません。


  • 注1.柳田国男『日本人とはなにか』河出書房、2015年
筆者プロフィール

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高井マクレーン若菜

群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務める。スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど様々な国で自転車ツーリングやハイキングなどアクティブな旅をしてきた。2012年秋、それまで15年ほど住んでいた京都からカナダ国ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市へ、2018年には内陸オカナガン地方へと移住。現在、カナダ翻訳通訳者協会公認翻訳者(英日)[E-J Certified Translator, Society of Translators and Interpreters of British Columbia (STIBC), Canadian Translators, Terminologists and Interpreters Council (CTTIC)]として 細々と通訳、翻訳の仕事をしながら、子育ての楽しさと難しさに心動かされる毎日を過ごしている。

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