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【インドの育児と教育レポート~チェンナイ編】 第5回 新型コロナ終息の兆しと学校再開の様子

インドのローカルスクールの新年度は6月からスタートします。それと入れ替わるようにして、インターナショナルスクールは6月から夏休みに入り、新年度のスタートは8月となっています。子ども連れの家族や若い観光客でにぎわうリゾート地の近くに住む筆者の周りの街を見渡すと、海岸や公園を散歩している人や路面店やローカルマーケットに集う人々のほとんどがマスク無しで生活しています。一方、病院やホテルやショッピングモールでは検温と消毒とマスク着用は継続して行われています。州政府からはマスク無しの生活へ切り替えても良いという通達がありましたが、再び5月に罹患者が増加傾向にあるインドの現状を鑑みて、スーパーや屋内の小売店でも、従業員さん、お客さん共に、原則マスク着用を継続しています。今後はそれぞれの学校や会社などで、独自のルールを作りそれに合わせて生活をしていくことになりそうです。

我が家は3月から5月にかけて、チェンナイ市内の世界遺産のあるマハーパリプラムという地区や、タミール・ナドゥ州に隣接するカルナータカ州の州都ベンガル―ル(旧バンガロール)へ家族旅行に出掛けました。観光地では、多くのインド人がマスク無しで行列をなしている場面にも遭遇しましたが、新型コロナの感染には、もはや誰も興味も不安も無いという様子でした。人々は皆、大声で楽しそうにおしゃべりをしたり、肩を組んだりして観光地や街中を闊歩していました。未だに神経を使いながらマスクを着用し、アルコールティッシュで何度も手を拭いている我が家が滑稽に映るほど、インドの街は新型コロナの感染への警戒心は薄くなっているような印象を受けます。

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ベンガルールのサファリパーク前売店の様子

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世界遺産 マハーパリプラムの建造物群

インド政府は、外国人に対する1か月の観光ビザの発給を無料で行うキャンペーンを行っており、日本で一人暮らしをしている我が家の長女も、久しぶりにインドの土地を踏むことができました。インドでの引きこもり生活を余儀なくされた我が家の次女もやっと外出する機会を得て、姉妹そろって国内旅行を満喫していました。娘たちが空港での手続きを自力で済ませ、元気よく国内線の飛行機に乗り込む姿を目で追いかけながら、コロナ禍の孤独や苦悩から少し解放されたような気持ちになりました。

今回は、2022年2月に再開されたアメリカン・インターナショナル・スクールでの子どもたちの学校生活や再開された各行事についてレポートします。

1. 入校時の制限とマスク文化

2020年3月にインド全土がロックダウンして以来、2年近く閉ざされていた校舎に子どもたちの賑やかな声と笑顔が戻ってきました。タミール・ナドゥ州チェンナイ市内では、2022年2月より全ての学校が再開し、娘の通うアメリカンスクールでは、3月半ばより保護者の入校も可能となりました。入校の条件は、2回のワクチン接種証明を学校で指定されたアプリにアップロードすることと、入校当日の体温や体調の問診があるだけです。以前に子どもたちに課せられていた抗原検査の必要はなくなりました。入校時や授業中など、校舎の中ではマスクの着用が義務付けられていますが、校庭や中庭で集う際や休み時間などは、着用は自由となっているそうです。今や、インドにおいて成人女性が着用するマスクはファッションの一部とも考えられており、鮮やかなサリーの色に合わせて共布でマスクを手作りしたり、コットンのブロックプリントワンピースとおそろいの布マスクを身に着けたりしている女性が多くいます。眼鏡チェーンのように、着脱が便利なようマスクにインドのキラキラしたビジューをつなぎ合わせたチェーンをつけている人もいます。アメリカン・インターナショナル・スクールの先生の中にも、このようなファッション性の高いマスクやマスクチェーンを楽しんでいる人が見られます。コロナ禍に培われた一つの「マスク文化」といっても良いでしょう。

2. 学校行事の再開

3月半ばにアメリカン・インターナショナル・スクールでは「三者面談」がありました。校内に保護者が立ち入ることができたのは約2年ぶりのことです。我が家は、日本に一時帰国をしていた昨年の4月に入学手続きをしましたが、すべてオンラインで行われ、学校見学をすることすらできませんでした。その後チェンナイに引っ越しをしてきましたが、なかなか校舎の見学もかなわず、オンラインの授業になじむことができなかった娘は、家庭で引きこもりの生活を続けておりました。学校が再開され登校が可能となってからは、水を得た魚のようにみるみる元気を取り戻し、今や新しくできた友人とたちと楽しく学校生活を送っています。

さて、この「三者面談」はIB(インターナショナル・バカロレア)校で行われる恒例行事です。各教科の教師と子どもと保護者があらかじめ予約をした約10分の時間枠で、学習成果や悩みや課題や今後の展望について話し合い、三者間の信頼関係や交流を図る機会となっています。面談が始まると、広い校内を各教科の教師の部屋を目指して時間通りに親子でかけ廻り、まるで校内探検のゲームのようでした。

面談では、共通して現在どのような学習をしているかについて、教師からの説明がありました。娘の場合には出席日数も少なく、評価の判断材料も不足していたことから今回の面談では特に当たり障りのない会話をして簡単に終了しました。現在G7(中学1年生)の娘に対しては特に「数学」や「科学」などの理数系教科について、「G8(中学2年生)からは特に学習内容が難しくなりますから家庭での学習も習慣づけましょう」という話がありました。また、英語で小説やアーカイブなどを読むことを強く推奨されました。幅広い分野の語彙力が必要となることや文章の組み立てを自然に身に着けるのには「リーディング」の力が必要であることを教えていただきました。実際に英語の授業では、宿題として読書の課題が出ており、2日間で洋書のペーパーバックを70~100ページほど読まなくてはならない、と四苦八苦している姿もありました。家庭や学校の休み時間に読んだ本の内容については、グループごとに感想や意見を交換したりそれをまとめて進行する係を担当したりと、「読む・書く・話す」を基本に、個性を生かしながら協調性を養う授業構成であることがわかりました。

苦手な教科と得意な教科では、娘のモチベーションも異なるため、10分おきに予約をした9人の先生の部屋を訪問する足取りから、本人の意思も透けて見えました。日ごろ見ることができない、学校での娘の様子をうかがい知ることができた良い機会でした。

しかし、筆者の最大の難関は、言葉の壁でした。ムンバイで慣れ親しんだインド人教師の「ヒングリッシュ」といわれるヒンディー訛りの英語から一転し、ここではブリティッシュ・イングリッシュやアメリカン・イングリッシュの流暢な美しい発音の英語が飛び交っています。速すぎる会話についていくことができず、「お母さんから何か一言どうぞ」と声をかけて頂いても、おろおろするばかりです。娘からは、筆者の話す英語が「遅い、下手すぎ、かつインド人の訛りが強すぎ」と失笑される場面も多々ありました。娘が親の能力を超えていくと、こうも当たりが厳しいものなのかと少し引け目を感じましたが、このような環境で学ぶ子どもの成長は貴重です。これからも見守り、応援したいと思います。

それにしても、校舎の3階まで階段をのぼり、面談が終わると別の棟へ駆け足で移動し、途中すれ違う先生方や保護者とは、立ち止まって挨拶を交わし、広い校舎の中を目まぐるしく動くのは、重労働でした。とはいえ、同時にとても懐かしい感覚を覚えました。自身の学生時代、そして就職して時間に追われながら汗を垂らして精力的に動いていた日々の記憶が蘇ってきました。

コロナ禍で一歩も外に出ることなく悶々とした生活を送っていたことを思うと、この三者面談は我が家に「アメリカン・インターナショナル・スクールに入学したのだ」という実感を与えてくれ、閉塞気味だった心に風穴をあけてくれました。嬉しいことに、各階のピロティには「デザートワゴン」が用意されており、移動の途中や面談の待ち時間に自由に休憩ができました。レモネードやクッキーやバナナなどが置かれたワゴンは、インドでは最も有名なタージ・ホテルからのケータリングでした。それを見ただけでも心が癒され、行事の再開を学校のスタッフも保護者も皆が喜び、祝う気持ちが感じられたひと時でした。

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面談のため校内を移動
 
レモネード・クッキー・バナナのデザートワゴン

3.キャバレーとコンサート

チェンナイはタミール・ナドゥ州に位置しています。4月14日はタミール・ナドゥ州の新年で、学校は4連休となりました。その前夜祭というべき大きなイベントが放課後から夜間にかけて開催されました。学校の中の講堂では、日ごろ練習をしてきたバンドやダンスや歌やピアノなどのパフォーマンスが行われ、客席から子どもたちが大きな歓声を上げて応援しました。いわゆる「文化祭」のようなイベントです。日本ではあまり聞き慣れない言葉ですが、この行事は「キャバレー」と呼ばれています。上級生がテレビの司会者さながらに、上手なMCで会場を盛り上げ大盛況だった様子は、学校から保護者にニュースレターで届けられました。

また、4月21日には、授業でコーラスやバンドなどのパフォーミングアートの授業を選択している中等部(ミドルスクール)・高等部(ハイスクール)の子どもたちによるコンサートが開かれました。コンサートのテーマは「Give Us Hope(希望を与えて)」で、コロナ禍の子どもたちの様々な思いを託したコンサートとなりました。

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コロナ禍の子どもたちの様々な思いを託したコンサート

ミドルスクール及びハイスクールのコーラスの中で唯一の日本人だった娘は、英語の早口の歌詞には苦労していましたが、以前から親しんできた音楽の勘はコロナ禍を経ても健在だったようです。オブリガートの高音のソロパートを見事に歌いあげ、小学校の頃から培った舞台度胸は衰えることなく、存分に発揮されたように思いました。

新型コロナのロックダウン以降、筆者は子育てや仕事において、後ろ向きの気持ちでふさぎ込むことも多かったのですが、このコンサートですっかり元気を取り戻すことができました。

オープニングの挨拶で、音楽の教員が「みなさん、聞いてください。およそ400日ぶりに子どもたちがステージに戻ってきました!」という歓喜の叫びを聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ち、一気に涙が溢れました。そして、舞台上の子どもたちの演奏や指揮を執る先生方の熱意あふれる指導や鳴りやまない観客の拍手と大きな声援に心が震えました。

子どもたちや先生方の突き上げるパワーは、コーラスだけでなくスクールバンドの演奏にも顕著に表れていました。オンライン授業では、楽器の演奏をしたりみんなで合奏したりすることはできません。今年の2月に初めて楽器を手にして、練習を始めたという初心者たちのバンドは、わずか2か月半で大舞台に挑みました。木管・金管・パーカッションという構成で、初心者が集まってどれだけのことができるのだろうかと半信半疑で、舞台を見つめました。

筆者は、小学校の金管バンドから大学時代まで17年間、吹奏楽部でトランペットを吹いていました。その後も音楽教育を専門とし、吹奏楽や金管バンドの指導に携わることもありましたので、初心者の集団が、わずか2か月で4曲も観客の前で演奏することについては、正直、信じがたい思いでした。「どのような編曲を用いて子どもたちをリードしていくのか」と指導者である教員への興味が最も大きかったように思います。

いよいよ演奏が始まりました。シーンと静まり返ったホールに静かに響くスネアドラムのロールが、先生の指揮に合わせて、徐々に大きくなっていきます。子どもたちのすべての視線が指揮者に注がれて、高く振りかざした指揮棒の先に待ち構えていたものは、大きな「銅鑼(どら)」です。「ドワーン」と共鳴する大音量の銅鑼の音が少しずつ遠ざかると、再びスネアドラムのロールと、加えてシンバルの小刻みなロールが表れます。こうしていくつかのパーカッションがクレシェンドとディミヌエンドを繰り返し、次第に楽器の数を増やしながら大きな波を形成していきます。その波の合間に、緊張した面持ちの子どもたちが、そろりそろりと楽器のマウスピースを口元に近づけ、いよいよ吹奏楽器の演奏が始まりました。

演奏曲目はベートーヴェンの交響曲第九番から「歓びの歌」です。金管楽器も木管楽器も、かろうじて音が出ているという心もとない様子でした。息漏れもしており1音1音に肩で息を吹き込みながら演奏しているので、まるでタンギングの練習をしているかのようです。それは、初心者なら当然のことです。チューニングの不揃いも手伝って、さらに不協和音となって響きます。しかし、指揮をする先生の姿を注視しながらカウントをしているこどもたちの音は、リズムが一切ぶれることなく、正しく拍を刻んでいます。同じメロディーを何度もリピートしながら、演奏楽器が次々と交代し、最後はパーカッションも加わり壮大なフィナーレを迎えます。全身を使って指揮棒を振る先生のパフォーマンスも素晴らしく、演奏している子どもたちだけでなく観客をも惹きつけて魅了します。それは見事なステージでした。指揮者の手が「ぐー」の形に握られ、曲の結びを迎えた瞬間、会場からは割れるような拍手が沸き起こり、筆者も涙が止まりませんでした。大きな、大きな拍手を送りました。それは筆者にとって「コロナが明けた」瞬間でした。

お世辞にも決して上手とは言えない演奏なのに、どうしてこんなにも心を揺さぶられるのか、先生の指揮棒の先端を見つめる子どもたちの真剣な眼差しに心臓がきゅっと締め付けられそうになりました。時間がたち、冷静に今回の演奏会を振り返りました。

このベートーヴェンの「歓びのうた」は、楽器の初心者の学習教材として、とてもよく知られた教材です。「ド・レ・ミ・ファ・ソ」の5つの音だけで演奏できることや同じリズムパターンの繰り返しで構成されていることなど、学習者にとって覚えやすいことが人気の理由です。みなさんもご存知の通り、ベートーヴェンの第九といえば世界中に知られているクラシックの名曲です。子どもたちが取り組みやすい教材の選曲やパートの振り分け、そして編曲や楽曲構成の柔軟さは、おそらくどこの学校でも音楽教員の使命であると思われます。コロナ禍の過酷な学習環境で頑張りぬいた子どもたちへの賞賛であったことも大きな理由の一つですが、今回、感動のステージを生み出した最大の理由は、指導者が子どもたちに「パフォーマーとしての高い意識」をもたせたことであったと思います。ここに至るまでに、教師が子どもたちにどれほど素敵な言葉がけをして導いてきたのかを想像すると、その巧みな教育スキルや豊かな音楽性あふれる教師の「人」としての魅力に驚愕しました。同じ音楽教育に携わる身としては、とうてい真似のできない所業でしたが、襟を正す良い機会を得ました。終演後、校長先生から出演した子どもたちにラッピングされたバラの花が一輪ずつ手渡しで配られました。その光景を見ながら「子どもたちが主役」のステージを支えてくださる多くの先生方の思いを強く感じました。

日本の部活やクラブ活動では、子どもたちにある一定のレベルでの完成度を求めることが多いと思います。それを達成すると舞台で演奏したりコンクールに出場したりすることができます。一方、インド現地のインターナショナル・スクールのクラブ活動では、楽しむことを第一としており、仮に音をミスしようが他の人とリズムや拍子がずれていようが、ステージ上の我が子が誇りであるという楽天的で、完成度は度外視しているステージが数多くありました。今回、チェンナイのアメリカン・インターナショナル・スクールの演奏会では、子どもたちと共演する一流のピアニストやチェリストをはじめ、指導者のスキルの高さをまざまざと見せつけられ、感動とともに心地よい余韻を与えてもらいました。

こうして、インドの学校は少しずつ日常を取り戻しています。コロナ禍にはとても懸念されていた水泳学習も学校内のプールで始まりました。スクールバスのひしめく朝の光景は、インドの日常です。また、100名近くのガバメントスクールの子どもたちが徒歩での登下校時に、集団で道路を横切るときは、車やバイクが両方向とも停止して、子どもたちが通り過ぎるのを待ちます。子どもたちを半分に分けて、分散登校をしていた頃には見られなかった光景です。子どもたちに紛れて、牛たちものんびりと道路を渡っていきます。やわらかで緩やかな時間の中で、潮風とともに過ごすチェンナイの暮らしが少しずつ馴染んできたところです。

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家の近くのビーチをインストラクターのガイドでバギードライブする娘たち

筆者プロフィール
sumiko_fukamachi.jpg 深町 澄子 静岡大学大学院修士(音楽教育学)。お茶の水女子大学大学院(児童・保育学)にて南インドの教育研究及びインド舞踊の研究中。 約30年間、子どものピアノ教育及び音楽教育に携わり、ダウン症、自閉症、発達障害の子どもたちの支援を行っている。2016年12月より2020年4月までムンバイ在住。2020年9月よりチェンナイ在住。
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