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論文・レポート

【教育学者の父親子育て日記】 第29回 それでも子は育つ

北村 友人(東京大学大学院教育学研究科 准教授)

2018年6月27日掲載

長い長い開店休業状態だったこの子育て日記ですが、今回を最後に一度終了することに致しました。これまで、私の子育て日記を読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。

前回の日記(2013年7月26日掲載)から何と5年近い時間が経ってしまったのにもかかわらず、私の周りで日記を読んでくださっていた方々からは、「今度いつ新しい日記が掲載されますか?」といったご質問や、「次のエピソードを楽しみにしていますね」といったお言葉を頂戴してきました。「(私の娘の)さやかちゃんもきっと大きくなったでしょうね」と言ってくださる方もいて、皆さんに支えていただきながら子育て日記を書いていたのだなということを、改めて強く感じました。そういった、私の拙い日記や父親ぶりを読み、温かく見守ってきてくださったお一人お一人に、この場を借りて深く感謝申し上げます。

また、連載を続けていた2009年からの4年間、そして日記を書くことができずにいたこの5年間、私を見捨てずに、いつも辛抱強く原稿を待ってくださったチャイルド・リサーチ・ネットの編集スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。連載を始めた当初から原稿が滞りがちであった私に対して、編集スタッフの方々は「いつでも良いから書けるときに書いてください」と言ってくださり、仕事や生活の忙しさを言い訳にして筆を進めることができなかった私を励まし続けてくださったのです。

このように、日記を読んでくださった方々、そして、編集をサポートしてくださった方々への感謝の気持ちを込めて、最終回の日記を綴らせていただきます。

思い返してみますと、最後の日記を書いたのは、私が現在の職場へ移った直後のことでした。当時、娘のさやかは6歳でした。小学校に入学して3か月ほどが経ち、いろいろなことに慣れてきた時期だったと記憶しています。

小学校へ進むにあたって、共働きのわが家では、娘の放課後の過ごし方が大きな懸案でした。いわゆる「小1の壁」ですね。当初はどうしようかと心配していたのですが、保育園で保護者の皆さんと情報交換して、学校の近所に私立の学童保育所(以下、学童)があることがわかりました。娘は、1年生から4年生までその学童でお世話になったのですが、先生たちが目いっぱい子どもたちを楽しませようと一生懸命考えてくださり、とても素敵な時間を過ごすことができました。

夏のキャンプでは、他のお父さんや先生たちと一緒になりながら、私もキャンプ・ファイヤーを囲んで子どもたちと一緒に踊り回ったこともありました。また、学校と学童と習い事といった具合に、子どもたちは一日の間に何か所も移動することがあります。その際、交通事故や犯罪に巻き込まれないか、親としては心配が尽きません。そこで、子どもたちと一緒に街歩きをして、安全マップを作成したこともありました。さらに、私は途上国の教育について研究しているため、学童の子たちに途上国では子どもたちがどんな生活を送っているのかといったことを、映像を見せたりしながらお話しして、自分たちの生活を改めて見つめてもらう機会を作ったりもしました。

このように、私だけではなく、それぞれの保護者ができることをして、学童を支え、盛り上げていきたいと思うのも、先生たちが非常に熱心に子どもたちのことを考えてくださっているからでした。あるときには、地元の自治体からの補助金が削減されそうになり、先生たちと保護者たちが一緒になって区役所に嘆願に行ったこともありました。そうした活動を通じて、学童が置かれている厳しい状況について、あまり世の中に知られていないことに、改めて私自身も気づいたのです。

今日の日本の社会には、教育の課題がたくさんあります。この子育て日記でも待機児童の問題を取り上げたことがありますが、それ以外にも、幼稚園・保育所の先生方の待遇に関する問題や、学校の先生方の労働時間や労働量に関わる問題。子どもの貧困、いじめ、不登校、入試改革、英語教育、等々、さまざまな問題が山積しています。ただ、そうした多様な問題の山のなかに埋もれてしまい、マスメディアでも、また教育学研究においても、十分な注意を向けられてこなかった問題の一つが、学童保育だと思います。

学童保育は、教育だけの問題ではなく福祉の問題でもあり、実際、「放課後児童健全育成事業」という名称によって厚生労働省が所管しています。このように教育と福祉にまたがるという意味で、幼児教育が置かれている状況とよく似ています。近年、幼児教育への投資効率性の高さが経済学研究によって指摘されたり、小学校以降の学力に対する幼児期の就学準備の重要性が各種の学力調査によって示されるなど、幼児教育に対する関心は高まってきています。しかしながら、学童保育に関する調査研究はあまり活発に行われているとは言えません。そこで、今後、小学校段階の子どもたちの生活や学習を支える重要な柱として、学童保育のあり方が、研究においても、行政においても、さまざまな角度から検討されていくことを強く期待しています。

共働き家庭の強い味方である学童保育について、少々熱を込めて語ってしまいました。もちろん学童以外にも、娘の小学校生活は、学校でも、家庭でも、地域社会でも、多くの人との出会いやさまざまな体験を通して、彩られています。

学校公開をはじめ、学芸会や運動会といった学校行事などを通して、娘が生き生きと学校生活を送っている様子を垣間見たり、成長を実感したりするたびに、親としての喜びに包まれます。また、本好きの娘は、近所の図書館で抱えきれないほどの本を借りてきては、「早く寝なさい」と怒られながらも、布団のなかでいつまでも本にしがみついています。近所の商店街でも、魚屋さんやお米屋さん、お弁当屋さん、焼き鳥屋さんといった人たちが、娘の成長をいつも温かく見守ってくださっています。

そんな娘が、小学校で最も力を入れている活動が、バレーボールです。近隣の複数の小学校の子どもたちが参加している地元のバレーボール・クラブで、娘は1年生のときから練習に明け暮れています。週4日、バレーボールの練習や試合に参加し、自分のクラブで練習がないときには、妻が参加しているPTAのバレーボール・チームの練習にも出たりするほどです。最近では、小学校の先生たちのバレーボール・チームが試合をするときに、審判(=線審)を頼まれることがあり、本人はとても誇らしく思っているようです。

そうした練習の甲斐があり、着実に上達して、5年生のいまでは強烈なスパイクを決めるまでになりました。一年に一度、娘のバレーボール・クラブの保護者たちが、娘たちとバレーボールの試合をする日があるのですが、私は娘のサーブやアタックに見事に翻弄され、父親の権威も形無しといったところです。(まあ、最近は娘の宿題を教えてあげたつもりが、間違った答えを出してしまい、後で娘に恨まれたりするなど、もともとあまり権威はありませんが・・・。)

娘がバレーボールに夢中になっている姿を見ていると、月並みですが「好きこそ物の上手なれ」っていうのは、本当なのだなと思います。それと同時に、自分が好きなスポーツを、純粋にいつまでも好きでいて欲しいなとも願います。

最近、大学スポーツの指導者による抑圧的な指導が社会問題になっていますが、日本の学校における部活動では、いまだに精神論が幅を利かせ、心からスポーツを楽しむことを妨げている状況が散見されます。そこには、「楽しむ」ということは、手を抜いていることや全力を出し切っていないことであるといった、誤った解釈があるのではないでしょうか。そうではなく、スポーツに全力で取り組むからこそ「楽しめる」瞬間があることを、とくに指導者の方々にはよく考えていただきたいと思うのです。そもそも、スポーツ(sports)の語源をたどると出てくる「desporter」や「disport」といった言葉には、気晴らしや楽しみ、遊ぶといった意味があったことを、もう一度思い出したいですね。

日々、娘の成長する姿をみながら、多くのことを感じています。いままで苦労していたことが、しばらくしたら当たり前のようにできるといったことが、子どもの日常には何と多いことでしょうか。靴のひもを結ぶ。お風呂に一人で入る。読んでいる本の文字がどんどん小さくなり、漢字が増えていく。そんな些細なことから、娘が確実に成長していることを実感するのです。

それと同時に、親の言ったことに対して反論したり、何かをしなさいと言っても頑固に拒絶したり。娘の自我がますます確固たるものになっていくなかで、どうしても娘と私がぶつかる場面も増えていきます。

ときに、娘に対して声を荒げたり、きつく叱ったりしてしまう私なのですが、そうした直後に激しく落ち込み、娘とギクシャクしながら接する羽目になって、後悔したりしています。そんな中、娘も自分の非を感じる面もあるのか、しばらくするとお互いに歩み寄って、許し合っている、といったことの繰り返しです。

この子育て日記を書き始めたとき、最初の目的は次のようなものでした。すなわち、教育学者という職業に就いてはいるものの、一人の父親としては子育ての素人である自分が、悩んだり、迷ったり、失敗したりする姿をお伝えすることによって、世の中で子育てに奮闘している多くの親に、「みんな親としては素人なんだから、悩み過ぎずにいきましょう」というメッセージを送りたいと思ったのです。

その目的が、どれだけ果たせたのかはわかりません。ただ、私自身は自分の子育てを見つめ直すことで、父親として、男として、大人として、教育学者として、そして人間として、いかに自分が未熟であるかを痛感してきました。しかし、それと同時に、11年間父親をしてきて、娘の成長のペースには到底及びませんが、それなりに成長してきているのかなとも感じています。その意味で、実は、この日記は、私自身のためにつけていたのだなと、改めて気づきました。

子育て中の皆さんも、こうして文章化するかどうかは別として、それぞれの子育て日記を心の中にまさにつけている真っ最中なのだと思います。子どもと接する中で感じるさまざまな想い。幸せだったり、楽しかったり、ときに苦しかったり、悩んだり。それでも、子育ての中で起こった出来事の一つ一つが、きっと大切な宝物なのだと思います。そして、すでに子育てを終えて、子育て日記をつけることを卒業した人たちも、きっとそれらの宝物を大切に心の中にしまっているのだと思います。

親として、まだまだ未熟な私です。この子育て日記の連載は終了しますが、これからも心の中で子育て日記をつけていこうと思っています。いまだに、子育てに関して、ほとんど何も理解できていないような気がします。ただ、何年間かにわたって日記を綴ることで、ひとつだけ気づいたことがあります。それは、次のようなことです。

親の心子知らず。子の心親知らず。それでも子は育つ。

子どもも、親も、それぞれ独自の人格をもった、一人の人間です。あまり気負い過ぎず、楽しみながら子育てをできれば良いなと思っています。親としての私にできることは、これからも娘の成長を見守っていくことだけなのだと思うので。

これまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました。子育て中の皆さんが、子育てを通してたくさんの幸せを感じられますように。

筆者プロフィール

lab_06_27_1.jpg 北村 友人(東京大学大学院教育学研究科 准教授)

カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。 慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。国連教育科学文化機関(ユネスコ)、名古屋大学、上智大学を経て、現在、東京大学大学院教育学研究科 准教授。
共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)、「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)、「激動するアジアの大学改革」(上智大学出版、2012年)等。
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