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56. 睡眠の脳科学(1)睡眠中枢と睡眠のスイッチング

要旨:

今回は睡眠をテーマとしてヒトおよび哺乳類の脳を目覚めさせたり眠らせたりする、睡眠と覚醒の制御メカニズムについて、その関連神経伝達物質であるオレキシンとヒスタミンおよびモノアミン大脳賦活系の働きを『脳内物質のシステム神経生理学』(有田秀穂著 中外医学社刊 2006 年)と『精神の脳科学』(加藤忠史編 東京大学出版会刊 2008 年)を参考図書として解説する。
前回はドーパミン神経の前頭前野における役割と不安や薬物依存症との関連、さらには精神科医の岡田尊司先生が「脳内汚染」と名付けた子どもの脳がテレビゲームでドーパミン過剰状態に陥る危険性についても言及しました。今回は睡眠をテーマとしてヒトおよび哺乳類の脳を目覚めさせたり眠らせたりする、睡眠と覚醒の制御メカニズムについて、その関連神経伝達物質であるオレキシンとヒスタミンおよびモノアミン大脳賦活系の働きを『脳内物質のシステム神経生理学』(有田秀穂著 中外医学社刊 2006 年)と『精神の脳科学』(加藤忠史編 東京大学出版会刊 2008 年)を参考図書として解説しようと思います。

 

私たちヒトを含む哺乳動物の脳が、目覚めて思考や行動している覚醒状態と眠って脳を休める睡眠状態を適切に使い分けることによって、生きて長く活動を続けることが可能であることは第48回にも述べました。第48回から前回までの記事の中では主として脳を目覚めさせる覚醒系の神経生理を述べてきましたので、今回は脳を眠らせる「睡眠系の神経メカニズム」について解説していきます。

脳はヒスタミン神経系・ノルアドレナリン神経系・ドーパミン神経系・セロトニン神経系・さらにこれから解説するヒスタミン作動性神経系やオレキシン作動神経系などの幾種類もの覚醒系神経の働きによって目覚めさせられていて、その覚醒刺激がなくなると動物は覚醒レベルが低下し運動が鈍く不安定・不正確になります。しかしそこからさらに睡眠状態に入るためには単に覚醒刺激が無くなるだけでは不十分で、脳の睡眠中枢である腹外側視索前野からのGABA抑制性刺激が積極的に関与する必要があることが、視索前野を破壊された実験動物では徐波睡眠が減少し、逆に視索前野を刺激すると徐波睡眠が誘発され覚醒が抑制される動物実験から確かめられています。この視索前野腹外側部の活動は結節乳頭核にあるヒスタミン作動性神経系と双方向の結合関係を持ち、睡眠中枢である視索前野の活動が優性になると動物は結節乳頭核のヒスタミン作動性神経系が抑制されて、その下流に位置するアセチルコリン神経系の活動も弱められて、徐波睡眠を起こしやすくなります。一方で覚醒刺激によって青班核ノルアドレナリン神経の活動が上昇すると結節乳頭核のヒスタミン作動性神経系は刺激を受けて活動を上昇させ、この経路を介して視索前野の活動が抑制されて動物は徐波睡眠が解除されて覚醒する仕組みがあり、覚醒と睡眠の切り替えが行われています。その仕組みを集約したのが次の図です。


report_04_69_1.jpg上の図に示されたように、視索前野腹外側部の睡眠中枢は結節乳頭核のヒスタミン作動性神経系と密接に関連して睡眠と覚醒の調節を行っている機構が明らかになっていますが、この睡眠状態と覚醒状態はすみやかに切り替えが起こり中間の「寝ぼけた」状態が長くは続かないようなメカニズムが存在しています。この睡眠状態と覚醒状態の切り替えには視床下部の後部外側野と脳弓周囲核に分布するオレキシン作動神経系が関与しており、睡眠覚醒のスイッチング機構として働いています。このスイッチングモデルの概要は、覚醒状態は脳幹部のモノアミン3兄弟すなわちノルアドレナリン神経系・セロトニン神経系・ドーパミン神経系による大脳賦活作用と、後部視床下部にある結節乳頭核からのヒスタミン神経系と第49回で「知性と情動の大脳賦活系」と勝手に名付けたアセチルコリン神経系によって維持されています。これらの大脳賦活系路のいずれか一つでも機能が低下するとヒトの脳では明晰な思考を遂行することが困難になります。睡眠と覚醒の切り替えに関与する脳内の諸核の解剖学的位置関係を示したのが次の図です。


report_04_69_2.jpgこのように私たちの脳内には大脳皮質に対してその働きを賦活化させる幾種類もの刺激覚醒神経系が存在する一方で、それらの働きを抑制して睡眠状態を作るのが腹外側視索前野のGABA 神経系(睡眠中枢)の主な働きであります。この働きの概要は次の図のように示されています。

report_04_69_3.jpgすなわち覚醒状態では青班核ノルアドレナリン神経系と縫線核セロトニン神経系からの覚醒刺激が結節乳頭核ヒスタミン作動性神経系の働きを強めて、睡眠中枢である腹外側視索前野のGABA 作動性神経の活動を抑制しています。逆に睡眠状態になると腹外側視索前野のGABA 作動性神経が結節乳頭核ヒスタミン作動性神経系の働きを抑制して、覚醒状態を睡眠状態へと切り替えます。この一連の働きによって、ヒトの大脳皮質は目覚めると直ぐに明晰な思考判断が行える準備を整えることが出来るのです。幼少時には寝起きの悪い子どもが成人すると寝ぼけが無くなるのは、脳幹部を含むこれらの睡眠覚醒スイッチング機構が年齢と共に徐々に成長発達していくことを示しています。その一方で大人になっても寝起きの悪い人が存在するのも事実で、また病的に日中に睡眠発作を起こすナルコレプシーの病態では、このスイッチング機構の覚醒側に位置するオレキシン作動神経系に遺伝子関連の自己免疫的な異常が起こるために、睡眠と覚醒のスイッチングが障害されると考えられています。このように私たちの大脳皮質は睡眠と覚醒状態を交互に繰り返しながら良い活動状態を維持しているのですが、その周期はおよそ24時間ごとに繰り返されていて、日周リズムあるいはサーカディアンリズムと呼ばれています。この睡眠覚醒周期は体内のホルモン分泌の周期的変化を伴って視床下部を中心にコントロールされています。睡眠・覚醒の日周リズムについては次回また詳しく説明する予定です。

次の図はCRNが作成した視床下部の解剖図版を用いて睡眠と覚醒のスイッチングを解説したものです。

report_04_69_4.jpg視床下部の前部には睡眠中枢があり、後部にある覚醒中枢との相互抑制的な働きでいずれかの方向にすみやかに向かうようにコントロールされています。この覚醒系へのスイッチングに重要な物質であるヒスタミンは、末梢神経部位では痒みや鼻水の増加といった不愉快な症状の主役としてネガティブな印象を持たれている一方で、中枢部ではヒスタミン作動性神経は大脳皮質を覚醒させると共に、体温を上昇させ、食欲を制御するエネルギー代謝調節作用を持っています。ラットは夜行性で夜間には活動が高まり食欲も増しますが、日中は活動も食欲も弱まるのが正常です。このラットにヒスタミン産生阻害薬を投与しますと夜間のみならず日中も活発な食欲を発揮することが実験で確かめられています。朝起きが悪くて夜間に食欲が増す夜行性の子ども達の場合には、このヒスタミン作動神経系の働きが弱まっているのかも知れません。そう考えると総合感冒薬等に配合されている抗ヒスタミン薬の安易な使用にも小児科医としては警鐘を鳴らさなければいけないかと感じています。

 
本稿の作成には『脳内物質のシステム神経生理学』(有田秀穂著 中外医学社刊 2006 年)と『精神の脳科学』(加藤忠史編 東京大学出版会刊 2008 年)から多くの図版と文章を引用させていただきました。転載に快諾をいただけました著者の有田秀穂先生、本多真先生と出版社に敬意と謝意を表します。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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