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49. アセチルコリンと知的発達遅滞

要旨:

前回は、哺乳動物の大脳賦活系システムには大別して、モノアミン系神経伝達物質による大脳皮質から脊髄に至る覚醒系と、視床皮質ニューロンによる大脳皮質賦活系と、アセチルコリンによる大脳皮質賦活系の3経路が存在することを説明した。今回はその中のアセチルコリン作動神経系と視床皮質ニューロン系について詳しく説明する。アセチルコリン神経系は覚醒時の大脳皮質の賦活に重要な役割を果たしている。アセチルコリンの分泌量が不十分になると、記憶力の低下や認知力の障害、感情の平坦化等が起こされる。

私たちの脳が意識的な活動を行うためには目覚めている、つまり大脳皮質が覚醒状態にあることが必要条件であることと、ヒトを含む哺乳動物の大脳賦活系システムには大別するとモノアミン系神経伝達物質による大脳皮質から脊髄に至る覚醒系と、視床皮質ニューロンによる大脳皮質賦活系と、アセチルコリンによる大脳皮質賦活系の3経路が存在することを前節第48回で説明いたしました。今回はそのなかでアセチルコリン作動神経系(略してコリン作動神経系)と視床皮質ニューロン系についてより詳しく説明をいたします。コリン作動神経系の事を私は理解に便利なように「知性と情動の大脳賦活系」と勝手に名付けていますが、最初にその全体を表した図版を下図に示します。 

report_04_62_1.gifコリン作動性神経は脳幹部の背外側被蓋核と橋脚被蓋核から、上行性に視床に向かう背側経路と前脳マイネルト基底核に向かう腹側経路を伸ばしています。視床を経由する背側路の特徴は、視床に分布して、睡眠状態では視床のゲートを閉じて感覚入力をブロックしている、抑制性のギャバ作動性神経の抑制を解除して視床のゲートを開くとともに、視床皮質ニューロンで脳を目覚めさせ、さらに視床皮質ニューロンに対する大脳皮質ニューロンからの促通効果で一層覚醒度を上げるポジティブフィードバック機構を備えていることです。背側路からの賦活効果は視床皮質ニューロンに引き継がれ、大脳皮質のニューロンとの間で相乗的に賦活効果を発揮しているのです。腹側路は前脳基底核からさらにコリン作動性神経を伸ばし、広く大脳皮質全体に分布して大脳皮質のニューロンを直接的に賦活しています。アセチルコリン系は覚醒時の大脳皮質の賦活に重要な役割を果たす神経系ですが、その機能が低下すると、例えばアルツハイマー病で見られるように、前脳基底核の機能が低下してアセチルコリンの分泌量が不十分になると、記憶力の低下や認知力の障害、感情の平坦化等を引き起こします。ラットの脳に不慣れな方のために私が作製した、ヒトの脳でのアセチルコリン系神経の分布を下図に示します。

report_04_62_2.jpgアセチルコリン分泌不全と認知症の関係は広く知られた事実で、前脳基底核コリン作動性神経が、学習・記憶・注意・覚醒など大脳皮質の賦活に重要な役割を果たしていることがこれまで多くの実験で確認されてきています。さらに注目すべき事実は、前脳基底核コリン作動性神経が生後の発達段階で大脳皮質のニューロンネットワークが形成される過程でも不可欠であり、その障害が精神遅滞や発達障害をもたらす可能性が指摘されていることです。前脳基底核コリン作動性神経を生まれた直後に電気的に破壊した実験動物では、認知機能の障害、学習と記憶の障害等が成長後に認められ、精神発達遅滞の動物モデルとして研究されています。この実験動物では情緒面で多動症の傾向が認められますが、通常の神経反射や視覚機能等には異常が認められていません。マウスの場合、精神発達遅滞モデルが形成されるのは生後1日目に前脳基底核を破壊した場合であって、生後7日目に前脳基底核を破壊されたマウスでは受動的回避学習に障害が認められないことが報告されています。このように出生直後に前脳基底核アセチルコリン作動神経系に障害を受けた実験動物の大脳皮質の組織を調べると、神経細胞の分化・成熟が障害されている大脳皮質の病理所見と相関して、成長後に恒久的な認知行動異常を残すことが確認されています。さらに興味深いのはこの精神発達遅延モデルには性差が存在し、オスの方がメスに比べて障害を残しやすいという実験結果も得られていることです。女性ホルモンであるエストラジオールが神経突起やシナプスの増加に影響を持ち、海馬において記憶学習効果を修飾すること、またアルツハイマー病においては脳神経細胞を保護する事が報告されていますので大いに興味を引くところであります。

report_04_62_3.gif上図で示したようにアセチルコリン系は大脳皮質と視床に分布して覚醒状態で脳神経賦活作用を現すとともに、記憶の中枢である海馬と、情動的記憶と判断の中枢である扁桃体や辺縁系にも広く賦活作用を及ぼしています。コリン作動性神経の多くは覚醒時と夢を見ているレム睡眠期に高い活動レベルを呈していますが、乳幼児期にレム睡眠期が長いことが乳幼児の大脳皮質形成と知的発達に重要な役割を担っていることも推察されています。その一方で、成人後の夢について考えると、夢の不条理性が指摘できると思います。時として睡眠が浅くなったときには夢の不条理さに気づいて「これはきっと夢に違いない」と気がつくこともありますが、大抵の場合、私たちは通常の覚醒時には思いもよらないような不条理、あるいは不自然な夢を平気で受け入れて夢の中で真剣に怖がったりしています。フロイトはこのような夢の持つ特性に着目して夢と無意識の世界を結びつけようとしましたが、私が解釈するのは、睡眠中にはメタ意識の機能が低下して、コリン作動性神経系主導で大脳皮質と海馬・扁桃体・大脳辺縁系が活動しているために、夢は多分に喜怒哀楽等の情動的要素を多く含み、メタ意識の引き締めが緩んでいるために日常の覚醒時には自動的に排除されている不条理な内容が夢の中では真剣に受け止められているのだと思われます。その一方で、夢に見た内容を元にして日常では思いつかない優れた科学的考察が湯川秀樹の中性子理論やメンデレーエフの元素の周期律表の発見につながったという逸話もあり、その点でもメタ意識の縛りが適度に緩むことが創造的な精神活動に結びつく可能性は大いに有ると個人的には考えています。

内容が少し夢とメタ意識にまで拡大してしまいましたが、生後すぐに前脳基底核に障害を受けた実験動物で精神発達遅滞が生じることと、アセチルコリンの分泌が障害されるアルツハイマー病では初期は感情の安定が失われる一方で、病気の進行とともに次第に認知・記憶能力のみならず感情までも失われてゆく病態から、コリン作動性神経系が知性の発達と情動の賦活の両方に影響を及ぼしていることが推定されます。知性に関与する大脳皮質の神経細胞のネットワークが出生後にコリン作動性神経系の影響下で発達することは、実験動物のみならず我々ヒトの脳でも同様であると推測され、コリン作動性神経系が大脳辺縁系活動への賦活作用を有することと合わせて理解すれば、私がコリン作動性神経系を「知性と情動の大脳賦活系」と名付けたことの意味が納得できるかと思います。

本稿の作成には、有田秀穂著「脳内物質のシステム神経生理学」(中外医学社刊 2006年)より多くの図版と文章を引用させていただきました。転載に快諾をいただけた有田秀穂先生と中外医学社に感謝と敬意を表します。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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