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脳科学と科学的根拠

要旨:

科学的根拠に参考にしながら、上手く生きたいと考える文化が広まりつつある。脳科学は、その望みにつながる知見を提供しているが、それは心理学などの豊富な知見があってこそ成立しているのである。脳科学=生き方のバイブルと考えるのではなく、様々な側面から自分の知りたいことにアプローチし、その中で自分なりの判断をしていくことが、情報が氾濫する時代に必要なことである。

初めに

脳科学は、子育て、暗記のような教育に関わる話から、意思決定などのビジネスに直結するような話まで、生きている人すべてに興味深く有用な話題を提供しています。このように現在は、脳科学ブームと言える状況ですので、脳科学であれば最新で重要な話だと普通は思うことになります。しかし、どんな所が最新で重要なのでしょうか?ここで私の言う"どんな所"というのは、"ミラーニューロンの発見"という個別の話ではありません。そうではなくて、そもそも学問としてどういう側面が新しく、それを見る時にどんな姿勢を持っていれば、自分たちにとって役に立つのかということです。今回のレポートでは、世間の喧騒から少し離れ、脳科学がそもそも何をする学問であるのかというところから考え、よりよい生活のために、
1、脳科学だけでなく、その背後にある豊富な心理学などの知見に目を配ること
2、1つの科学的根拠を盲信せず、様々な意見を聞いて、自分で判断すること
の大事さについて述べたいと思います。

心理学あっての脳科学

脳科学が何をしている学問なのかを考える上で、同じように心の問題を扱い、昔からある心理学との関係を考え直すと分かりやすい。その関係の捉え方は、研究者によって様々だと思いますが、今回は、大学生や研究を志す学生が使用するヒルガードの心理学(1)をひも解き、その定義にしたがって見ていきたいと思います。まずは、心理学から。

-心理学とは、行動と心的過程についての科学的学問である

この定義によれば、どんな方法にせよ、人の行動や心の働き方について科学的に検討していれば、心理学の範囲に入ることになります。さらにヒルガードの心理学では、その調べ方(研究方法)で心理学を分類しており、生物学的枠組み、行動学的枠組み、認知的枠組み、精神分析的枠組み、主観主義的枠組みの5つをあげています。この分類の中で、生物学的枠組みだけが大きく異なります。というのは、

-生物学的研究は心理学的原理を生物学的に説明しようとする

からです。その他の枠組みは、どのような形であろうと心理的な概念(記憶、知覚、無意識)だけで行動や心の働きを説明し、ドーパミン、海馬のような、脳を構成する生物学的な概念を加えて説明をすることはありません。この生物学的枠組みを用いた心理学的な研究を、脳科学と呼んでいるのは自明だろうと思います。しかし、先の文章の中で重要なのは、"心理学的原理を"のところです。つまり生物学的研究は、それ以外の枠組みによる心理学的な研究が先あるいは同時脳内でどのように実行されるのかについて提案することが、脳科学の役割なのです。

脳科学の重要さはどこにあるのか?

私達が、普段の生活をするために知りたいことは、どのように行動したり考えたりすれば良いのかという点であって、その裏側で動いている脳の仕組みではありません(時間のある人は、もちろん知っておいた方が良いと思いますよ)。このヒトの行動や思考についての研究は、ヴィルヘルム・ヴントが19世紀後半ライプチヒ大学で研究室を開いてから、生物学的枠組みを使わない心理学が綿々と主要な貢献をしてきています。脳科学が急激な発展を開始したのは、脳活動の観察と遺伝子操作についての技術的なブレークスルーが起こった80年代後半~90年代初頭からのことです。現在、脳科学が取り組んでいる主な仕事は、心理学が山のように見出した現象の再検証と、実際の脳による情報処理メカニズムの解明です。"再検証"と言っても、ほとんどの心理学の知見は科学的検証を行って見出されていますので、結果としては変わらなかったということも多くなります。しかし、同じ結果であったとしても脳科学による生物学的な制約のもとでの再検証を行う必要があります。

この生物学的な制約は、その意味と価値が分かりにくいと思います。たとえば、"人は飛ぶことができます"というフレーズがあったとします。これは文法的には適切ですが、意味としては不適切です。それは人には羽が生えていないからであって、このような生物の構造としての限界を適用することを生物学的な制約と言います。文系の学問の場合、言葉によって物事を切り分けて分類することが多いのですが、その分類が本当に正しいのかどうかを1、0で判断することが難しいという特色があります。ですので、すでに確定しているように見える心理学の知見も、脳科学で再検証することは必要だと思います。

このように脳科学には人文系の知見をより確かなものにするという1つの意義があるのですが、その真価を発揮するには、これまでの心理学の知見が網羅的に検証され、本質的な誤りがどこにあるのかが発見され(もしかしたら、あまり見つからないかもしれません)、それをもとに別の対処の仕方が見出される必要があると思います。最近では、新しい心理学的な現象も見つけながら脳科学もするという研究が少しずつ増えていますが、現状としては再検証やメカニズムを知る研究が大半を占めていると思います。

自分の生活に役に立つ科学的根拠はどこにあるのか?

このようにして見てくると、一般に流布する"最新の脳科学"という言葉の中に幾つかの意味があることが分かってきます。1つ目は、既知の心理学的現象が、脳の中でどのように処理されているのかが分かった。2つ目は、従来の心理学にはない新しい現象が分かり、その脳内メカニズムも分かった。脳科学にも心理学にも膨大な量の知見がありますので、この2つの新しさを区別することは困難です。その構図を理解して使っているのか分かりませんが、脳科学という言葉で味付けをして、最新で有意味なように見せかけているものもあります。

いずれにしても脳科学は、主に、ある心理学的な現象の脳内メカニズムを調べるという役割を担っており、個々の知見は生きるために役立つ"小さな部品"です。そのような知見は、自分の脳で起こっていることと行動や思考を結びつけるために有用で、納得感が高いと思います。しかし"小さな部品"を最高のものにすることが、最も良い生き方になるのではないことも合わせて考えておく必要があります。エンジンを最高のものにして、ジェットエンジンを車に載せたらどうなるでしょうか?砂漠であることを祈るのみです。1つの研究の中で扱える範囲は、脳科学<心理学<社会学<哲学の順番に広がり、それぞれに有効な適用範囲を持ちあわせています。すべての脳科学の知見=新しい生き方のバイブルだと飛びつくと、逆に偏った知見にもとづいたバランスの悪い考え方を取り入れてしまうことになるかもしれません。

このような学術的な関係が背景にあることを考えると、社会技術開発センターが主催する研究開発活動「脳科学と社会」の領域統括である小泉英明先生(2)が提唱される多分野の架橋・融合(Trans-disciplinarity)研究が重要であることが分かります。現代は、科学の進歩により研究分野が細分化されているので、専門家であったとしても、少し違う領域で何が行われているのかを把握することが困難になっています。そのような時に必要なのは、ある問題に対して、様々な角度からの意見を集約し、それをもとに解決策を見出して行く事です。

現時点での私見を述べさせてもらうと、
1、脳科学の背後には、心理学などの豊富な知見が潜んでいる
2、様々な分野の専門家の意見が織り込まれた話が重要だ
ということになります。そして最後に付け加えるとすれば、科学的な根拠だけが重要なのではないということです。あくまで研究者が検討出来ているのは、現時点で科学的に計測出来るものです。経験と勘によって積み上げられた知恵の中で、科学的に否定されたものは取り除くべきですが、科学的根拠があるものだけで無理やり組み立てるのは適切ではないと思います。専門家は正しい意見を述べられる可能性が高い人であり、科学はベストを示すのではなくモアベターを提案するものではないでしょうか。私たちが科学的知見を見ていく時に、忘れてならないのは次の言葉だと思います。

-自然は決して我々を欺かない。我々自身を歎くのは、つねに我々である。

ジャン=ジャック・ルソー「エミール」(3)


脳科学を初めとした科学的根拠があふれても、相変わらず世界が複雑で曖昧なことに変わりはありません。曖昧なことを受け止め、その中で自分なりの基準で判断し、責任を持つことが重要なのは、昔から同じだと思います。今回は脳科学の立ち位置と科学的根拠への接し方について書きました。簡略して言えば、脳科学だから重要なのではなく、総合的な視点に立った考え方が重要で、その中から自分にあったものを選ぶということです。今回の私の話が、さまざまな脳科学に関する研究結果を見るための1つの視点になれば幸いです。

(1)Smith, E.E., Nolen-Hoeksema, S., Fredrickson, B. L. (Eds.) ヒルガードの心理学 第14版(pp.13~16)、東京、ブレーン出版
(2)右記サイト参照http://www.ristex.jp/examin/brain/index.html
(3)Jean-Jacques Roussea、エミール、東京、岩波文庫

筆者プロフィール
片岡 宏隆 (ベネッセ教育研究開発センター 研究員)

京都大学大学院工学研究科分子工学専攻(修士)、東京大学大学院医学研究科機能生物学専攻(博士)、同大学院特任助教などを経て、ベネッセコーポレーション 教育研究開発センター 研究員として勤務。
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