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【保育フィールドノートにみる気まぐれな子どもたち】第2回「人を変える」のか「その人の生きる場を変える」のか?

要旨:

私たちの中にある「この子はこんな子」という思い込みがその子の所属する集団の中で広がることで、その子の生きる場を狭くしていることがある。他の子どもたちが生活するリズムからワンテンポ遅れることの多いフミキくんもその1人のように見えた。しかし、フミキくんの持ち味に魅了された保育者が、鬼ごっこに誘い、日々の遊びと生活の中でかかわることによって、フミキくんもフミキくんの生きる場も変わっていった。その人の心身が生き生きとする瞬間の影響力で人と人のつながりが生まれることで、仲間意識、居場所感が子どもたちのなかに根づくのではないか。

キーワード:
遊び、鬼ごっこ、仲間意識、居場所感、インクルーシブ保育、保育
English

フミキくんは、いつも保育室にいない

フミキくんは、いつも走り回っている

フミキくんは、いつも他の子の遊びを邪魔している

知らず知らずのうちに、私たちは、「この子はこんな子」と思い、「この子は、いつも〜」と、その子の振る舞いの一部を、その子のすべてであるかのように見てしまうことがあります。私が保育現場で出会ったフミキくんは、私たちの中にある「この子はこんな子」という思い込みがその子の所属する集団の中で広がることで、その子の生きる場を狭くしていることを、身をもって教えてくれました。

フミキくんは、他の子が生活するリズムからワンテンポ遅れることが多く、朝も、クラスの子どもたちと先生が何かを始めようかというときに遅れてやってくる姿がよく見られました。子どもたちの輪のなかに自分の入るスペースがないのがわかると、自分の持っているカバンを、わざと人と人のあいだに置き、それに気づいた両脇の子どもたちがお尻をずらしてスペースを空けた場所に、すっと自分の腰を下ろしていました。

絵を描き終わった後は、先生の前に絵を見せに並ぶ子どもたちのあいだに、いつの間にかすっと割り込みます。いつも他の子どもたちの生活に遅れて参加するフミキくんの、フミキくんなりの処世術なのでしょう。割り込むこと自体は、決して褒められることではありませんが、自分には速すぎる他の人のペースについていくために、仕方なく身につけてしまった技のようにも見えました。

フミキくんの割り込みに気づいた子どもたちは、「あっ」と気づいた顔はするものの、フミキくんには何も言わず、そのまま並び続けます。そんな様子から、周りの子どもたちが「フミキくんは特別」、「フミキくんはいつも部屋にいない子」、「フミキくんには言っても言わなくてもいっしょ」と思っている様子が伝わってきます。フミキくんに対して抗議するのではなく、無関心という態度で接しているのです。

担任のダイゴ先生は、フミキくんに対する周りの子どもたちの態度に違和感を覚えたそうです。周りの子どもたちが、いつの間にか身につけてしまった無関心という名の処世術を悲しく感じたとのことでした。

一方で、フミキくんから出てくる言葉の面白さ、走るときのすばしっこさに、ダイゴ先生は魅了されたそうです。そこで、先生は、元々鬼ごっこが大好きだった子どもたちの中に入り、一緒に鬼ごっこを始めました。フミキくんは、他の遊びをしていて興味を示してはいなかったのですが、先生は、フミキくんに「友達と一緒にいる心地よさを感じてほしい」、周りの子どもたちには「フミキくんのよさや面白さを感じてほしい」という願いをもって、フミキくんを鬼ごっこに誘ってみました。走って、逃げて、追いかけられるのが楽しくて、子どもたちは鬼ごっこが大好きになりました。追いかけることと逃げることから生まれる単純な楽しさと、体を動かす楽しさを感じているようでした。でも、フミキくんは、しばしばルールを破りました。鬼ごっこを始める前に、ここまでと決めた範囲の外に逃げて、鬼役の子どもたちに「そこは無しだよ」と言われても知らんぷりでした。先生は、フミキくんに「ルール違反をしたら逃げる方は楽しいけど、鬼の方は全然楽しくないよ」と、ルールがなぜ大切かを根気強く伝えていました。そうしているうちに、フミキくんは少しずつルールを破らなくなりました。その方が自分も他の子も楽しいことを知ったようでした。

子どもたちの鬼ごっこへの熱は何ヶ月も続き、その種類はこおり鬼、ケイドロなどへと変わっていきました。鬼ごっこは、種類によって楽しみ方が変わります。もっともシンプルな鬼ごっこは、個人戦として楽しむものですが、こおり鬼は、鬼につかまって氷になってしまうと身動きがとれなくなり、仲間の助けが必要です。逃げている方は、自分一人ではなく、仲間をどう助けるかを意識します。ケイドロは、警察と泥棒という二つのチームに分かれ、勝ち負けの結果が出る遊びです。同じチームになった子どもたち同士で、勝つための作戦や工夫を一緒に考えることが必要になります。同じチームになった子ども同士で、言葉だけではない、身体でのコミュニケーションによるやりとりや作戦の伝え合いも生まれます。

ある日のケイドロの場面です。泥棒役の子どもたちの中でも、フミキくんだけが逃げ続けていました。捕まった子どもたちが、「フミキくん、フミキくん!」「頼む、フミキくんだけが頼りだ」とフミキくんに助けを求めます。子どもたちとフミキくんは、警官役の子どもたちに気づかれないように、身振り手振りやアイコンタクトで言いたいことを伝え合います。「(こっちから来れば大丈夫、警官に見えていないよ)」「(わかった、そこから行くから待ってて)」「(あっちあっち)」。そして、警官役の子どもたちのあいだをかいくぐり、見事、フミキくんは仲間を助けることに成功し、泥棒役の子どもたちの勝ちとなりました。助けられた子どもたちは、フミキくんの元に駆け寄り、「フミキくんのおかげだよ! 頼りになるなぁ。フミキくんが仲間でよかった」とフミキくんを讃えます。子どもたちのあいだにあった「自分たち」に、フミキくんも含まれた、仲間意識の広がりがはっきりと見えた一場面でした。

その日の保育の一場面です。フミキくんが一人で絵本を読んでいるとき、ふと別のことを思い出したのか、絵本をその場に置いたまま、どこかへ行ってしまいました。そこに、別の子どもがやって来て、フミキくんが読んでいたことを知らずに、開いている絵本を手に取り、読み始めました。そこに戻ってきたフミキくん、「それ、ぼくが読んでた...」と不満そうにつぶやき、絵本を読んでいる子どもをじっと見つめました。しかし、次の瞬間、「そっか、一緒に読めばいいか、ぼくたち仲間なんだから」とフミキくんは言い、隣に座って絵本を覗き込み、一緒に読み始めました。自分が読んでいたからと絵本を取り上げるのではなく、フミキくん自身が、仲間と同じものを共有することを選んだ瞬間でした。

フミキくんが、他の子どもたちを仲間だと思う過程には、他の子どもたちがフミキくんを仲間だと思う過程があったのだと感じます。先生と周りの子どもたちが、その子をその社会の一員と感じるかどうかが、その子自身の仲間意識、居場所感につながるのだと思います。先生は、その子がもっとも生き生きできる遊びのなかで、他の子どもと一緒に動き、その"生き生きしさ"を一緒に感じ、わかち合いました。そのなかで、子どもたちのなかに仲間意識、居場所感が生まれていたように見えました。フミキくんに限らず、遊びのなかで、生活のなかで、子どもたちそれぞれの存在が粒立っていくことで、結びつきが生まれ広がっていきました。

インクルーシブ保育・教育という考え方があります。今まで排除されてきた人たちの存在を認め、障害のあるなしに関わらず、すべての人を社会のなかで包み込んでいこうとする変革の意味が込められた考え方です(伊丹、2017)。そうは言っても、大人数の子どもたちを保育する先生方の中には、一人ひとりの子どもに配慮したいという思いと、クラス全体の動きも考えなければという思いで、体がいくつあっても足りない、心が張り裂けそうという状態になっている方もおられるかもしれません。

なかなか理想通りには行きませんが、「この子はこんな子」「この子は、いつも〜」と知らず知らずに思っている「この子」を変えようとする前に、その人のいる場や社会がその人をどう取り囲んでいるかをよく見て、そちらに変えられる余地がないかを探すことはできないか。フミキくんやその周りにいる子どもたちの姿は、そういう問いを私たちに投げかけているようでした。そして、その人の心身が生き生きとする瞬間の影響力で人と人のつながりが生まれること、また親や保育者といった大人が与える安心感だけでなく、他の子どもたちから仲間の一員と認められ、声援を受け、○○くんがいてよかったと思われることで満たされる承認感が、自分は社会の一員だという実感をもって生きていくには必要なのではないかということを、フミキくんをはじめとする子どもたちと保育者の先生から学びました。


引用文献

  • 伊丹昌一(2017)「インクルーシブ保育とは」名須川知子、大方美香(監修)伊丹昌一(編著)『インクルーシブ保育論』ミネルヴァ書房、p.11

付記
温かく迎えてくれた園の子どもたち、そして、子どもたちへの思いや願いを聞かせてくださったダイゴ先生に心から感謝をしています。なお、ここに出てくる名前は、すべて仮名です。

筆者プロフィール
佐川 早季子(さがわ・さきこ)

京都教育大学教育学部 准教授。
長崎市生まれ。一人目の子どもを生み育ててから、どうしても子どもに関わる研究がしたくなり、大学院に入り直し、今に至る。母親であり研究者であり大学教員。
著書に『他者との相互作用を通した幼児の造形表現プロセスの検討』(風間書房)、共訳書に『GIFTS FROM THE CHILDREN 子どもたちからの贈りもの−レッジョ・エミリアの哲学に基づく保育実践』(萌文書林)などがある。

※肩書は執筆時のものです

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