偶然が重なった写真集の復刻

中国の人たちが、「ここに写っているのは私です」と思い入れる写真集が、いま中国で評判になっています。タイトルは『你好小朋友―中国の子供達』。1983年に出版された写真集で、現在のコニカミノルタ、かつての小西六がカラーフィルムの海外宣伝のために作ったものです。当時の中国で2千部だけ配られたその写真集を保管していた中国人の誰かが、2013年頃、SNS上に写真数点を紹介文とともにアップしました。すると、瞬く間に拡散され、噂が中国全土に広まり、やがて2019年に復刻版が出版されると、被写体となった人たちを探し出すプロジェクトが始まるほど評判になっていきました。
約40年前にその写真を撮影したのは、東京都世田谷区在住の写真家の秋山亮二さんです。戦後を代表する写真家の一人で、大学卒業後はAP通信社や朝日新聞社に報道カメラマンとして所属していましたが、その後ジャーナリズムを離れて、フリーの写真家として活躍するようになりました。中国で撮影を行ったのは、1981年10月から1982年6月にかけて。1977年に文化大革命の終結宣言が出され、鄧小平が改革開放へと経済政策を転換して、日中の交流がさかんになり始めた頃でした。

「当初はカレンダーを作るのが目的だったのです。しかし、カレンダーに使用する写真はせいぜい13枚ぐらい。でも、実際には中国全土を回って12枚撮りのフィルムでおよそ650本、カット数にして7800点ほどを撮影してきました。自分で言うのもなんなのですが、その写真の出来がとても良かったので、もったいないからカレンダーではなく、写真集を作ろうということになったのではないでしょうか。真相はわかりませんが(笑)」(秋山さん)
評判を聞きつけて、中国の複数の出版社から復刻版を作ろうという話が、数年前から秋山さんの元に寄せられました。しかし、秋山さんは当初それらの話にあまり乗り気ではありませんでした。というのも、40年近い昔のことで、元のネガフィルムがどこにあるのかもわからなかったからです。ネガフィルムもないのに、復刻版を作っても質のいい印刷物にするのは難しいと思われましたし、秋山さんはもともと過去の仕事にはあまり固執しないタイプだと言います。
しかし、たまたま復刻版の制作を申し出た出版社の女性編集者が、フリーの編集者である秋山さんの娘、都さんの友人だったことから話を聞くことになりました。すると、その打ち合わせの30分前に、自宅の階段下の納戸から奇跡的にネガフィルムの束が出てきたのです。
「気が進まなかったので、それまではいい加減に探していたんでしょうね。その気になればもっと早く見つかったのだと思います。写真集に使ったネガがきちんと袋に分けられていて、その他の使わなかった大量のネガも段ボールに入って、すべて保管してありました」(秋山さん)
天の声を聞いたような気がして、一気に話は前に進んだと言います。復刻版は初版の5千部が発売日に完売し、すでに1万部が増刷されています。

二度と戻らない子ども時代を想う
中国の人々は、なぜひとりの日本人の写真家が40年近く前に撮影した写真にそれほど夢中になっているのでしょうか。理由はいくつか考えられます。まず、その当時、中国ではカメラもフィルムも大変貴重で、一般の人々が日常的に写真を撮り合うことなどなく、たとえあったとしてもモノクロ写真で、カラー写真はとても珍しかったということがあります。

しかし、珍しさだけでは、人々が感動を覚えることはありません。今回はCRNの劉愛萍研究員も秋山さんのご自宅への取材に同行しましたが、劉は、「この写真集のような情景は、今の中国にはもうどこを探しても残っていない」と言います。中国はこの40年間に激しく社会が変貌しました。経済発展にともなう都市化は、町の景観だけではなく、生活そのものをも変えていきました。子どもたちの遊ぶ様子や表情も、かつてとは違っています。写真集の中の情景は、中国の人々にとって、もう心の中にしか存在しないものになっていて、それが強い郷愁を呼び起こすのかもしれません。
この写真集に写っている人を探し出す出版社のプロジェクトでは、すでに10人が見つかっていて、そのうちの一人の北京出身の女性は、わざわざ秋山さんの日本の自宅まで夫とともに訪ねてきたそうです。「イギリスの大学への留学経験があるという立派な女性でしたが、写真に写っている幼い顔のまま大人になっていました」と、秋山さんは笑います。

中国での出版記念サイン会では、他にも「ここに写っているのは絶対私です。着ているものも同じです」と名乗りを上げてきた人がいたそうです。しかし、出身地や当時在籍した学校の名前などを細かく照合していくと、残念ながら当人ではありませんでした。この写真集に魅せられた中国人の中には、自分もこの写真集に写っているかもしれない、できれば写っていてほしいと願う気持ちがあるようです。
劉研究員も、この写真集を手にしたときに、自分が写っていないか、すぐに探したそうです。劉によれば、その頃には生まれていないはずの若い中国人でも、「これは私の童年(幼い時代)です」と言って、涙を流す知り合いもいたと言います。

多くの人が写真集に心が奪われるのは、カメラが普及していなかったせいで、あの時代の写真が残っていないというだけではなく、いまの中国人が失ってしまった大切な何かを、秋山さんのカメラがとらえているからかもしれません。いま中国のメディアは、「私たちの子ども時代を記録してくれたことを感謝する」と好意的な報道をしているそうです。
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