写真家の秋山亮二さんが回った中国の都市は、ハルビンや北京などの北部、上海や広州などの沿岸部、成都や昆明などの内陸部、さらに内モンゴル地区のフフホト、新疆ウイグル自治区のウルムチやトルファンなど、中国全土に及びます。協力してくれたのは全国的な写真団体である中国撮影家協会の人々で、町に着くと、支部の担当者が出迎えてくれて、そのまま撮影現場に行くと、依頼を受けた子どもたちが待っているという段取りだったそうです。

「お化粧して、きれいな服を着て、女の子はかならずリボンをつけていました。わざわざ準備してくれたので、当然その写真は撮りましたけど、あらかじめセッティングしてある状態で撮るだけではおもしろくないので、朝夕、ひとりで街を歩いて出会った子どもたちも撮るようにしました」(秋山さん)
CRNの劉愛萍研究員は、秋山さんが写真を撮っていた時代には小学生でした。劉によれば、当時は写真が珍しかったため、いざ撮るとなるとみんな身構えるので、残っているのは記念写真のような型にはまった表情ばかりだそうです。当時の大人たちは子どもに従順な姿を求めるので、顔をしかめたり、笑い転げたり、あくびをしているような、あるがままの姿にカメラを向けようという発想がありませんでした。だからこそ、子どもの自然な表情があふれている、秋山さんの写真集が貴重なのだと言います。


秋山さんの写真は、中国の子どもたちの日常風景をスナップした写真です。日常風景というのは、私たちが日々目にしているわけですから、取り立てて心ひかれるものではないはずです。それがなぜ魅力的に見えるのかと言えば、カメラがある一瞬をピン止めして、肉眼では見落としてしまう生き生きとした表情を可視化してくれるからです。
「ヤシの実の汁を飲む子」「飛行機を見に来た子どもたち」「夕方遅くまで歩道で勉強する少年」「赤いショールの女の子」など、写真集の中で見れば印象に残りますが、秋山さんの写真家としての心の目がなければ、どれも日々の営みの中に消え去ってしまっていたありきたりの光景に違いありません。
子どもには人間の良いところが表れる
もともと秋山さんは、報道カメラマンとして写真家のキャリアをスタートさせましたが、あることをきっかけに、自分は報道写真には向いていないと判断して、別の写真の道を歩むことにしたそうです。
「朝日新聞社を辞めて、北インドのビハール州の大飢饉の写真を撮りに行って、その写真が当時のアサヒグラフに掲載されたのです。その写真をたまたま見た女性が、朝日新聞の声欄に、"大感激した"と投書したのです。それが嫌だったのですね。インドから帰ってふと思ったのは、"俺は写真を撮るだけで、何もしなかったな"ということです。飢えに苦しむインドの人々の姿を撮っているのですが、私は安宿だけではなく、冷房があって、シャワーも浴びられて、コカ・コーラを飲むこともできるようなホテルにも泊まれたのです。そして撮った写真に名前を付けて発表する。罪悪感がありました。報道写真を撮るのは確かに必要なことで、ロバート・キャパやデビット・ダグラス・ダンカンのような偉大な先輩たちがいるのはわかるのですが、"俺はやらなくてもいいかな"と思ったんですね」(秋山さん)
秋山さんが、戦争や飢餓などの社会課題を追う報道写真や表現上の美を探求する芸術写真とは違う、自分にしか撮れない写真を探し求める途上に、この中国の子どもたちの写真集がありました。

「昔知人のリー・フリードランダ―というアメリカ人の写真家と京都を旅したことがありました。そのときに、ベトナム戦争では多くのカメラマンが現地に行ったが、サイゴン市民の生活を誰も撮っていない、米兵がベトコンの頭に銃を突き付けているような写真だけで、どんな暮らしをしていたのかを表している写真がないと言ったのです。私はその言葉がとても印象に残っています。私がサイゴンに行っていれば、そういう写真を撮ってきたはずです。私が撮りたいのは人間なのだと思います。その点で、子どもというのは、人間の良いところがすべて表れるので撮影しがいがあるのです」(秋山さん)
中国で開催された出版記念サイン会では、過去を懐かしむ中高年だけではなく、これから写真家になろうとする若者たちも多く詰めかけました。日本と違って、中国ではそのような場では、若者たちはさかんに質問をするそうです。どうすれば写真家になれるのか、写真を撮る上で注意すべき点は何なのかと。秋山さんは相手によって臨機応変に言うことを変えるので、決まった答えはないそうですが、「周りをよく見回すこと」と、簡単なアドバイスをしたこともあるそうです。

秋山さんの中国の写真集には「二度と戻らない日々が表されている」と、中国の人々は言いますが、実は、今の時代であっても、写真集にあるような子どもたちの日々は、雰囲気こそ違っていても、身の回りにあるはずです。今後は中国人の若い写真家たちが、そのような新たな子どもたちの表情にカメラを向けていくことになるのではないでしょうか。

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