「日独勤労青年交流事業」と聞いてピンと来る人は、そうそう多くはないと思いますが、ドイツの労働文化やドイツ人を理解するのに非常に優れた事業です。今回、2015年度の日本団の団長を依頼されて、参加することになりました。団員の視点ではないですが、参加してみて感じたことやプログラムの魅力について少しでもお伝えできれば幸いです。
この事業は、さかのぼれば池田内閣時代、昭和29年の政府間交流協定に端を発する伝統ある交流事業の一つで、日本の文部科学省とドイツの連邦家庭・高齢者・女性・青少年省が担当省庁です。端的に言えば、「敗戦国同士で仲良くしよう」という趣旨から始まっており、費用の大部分は両国が負担しています。実施担当機関は、日本側が国立青少年教育振興機構、ドイツ側がベルリン日独センターです。18歳から35歳(ドイツ団は30歳)までの仕事に就いている青年20名前後ずつが応募者から選ばれ、それぞれ日本団とドイツ団を形成し、相手国に2週間滞在して独自のプログラムに参加します。今年度は、まず日本団17名(団長、副団長、15名の団員)がドイツのベルリンに1週間と、ベルリンから自動車で4時間ほど南下したチューリンゲン州エアフルトやワイマールに1週間、合計2週間(8月5日から19日まで)のプログラムに参加しました。そして11月下旬にはドイツ団23名が東京や長崎などに2週間滞在するプログラムに参加します。
日本団とドイツ団の青年たちは、2週間ずっと行動を共にするのではなく、2週間のうちの3日間をセミナーハウスで一緒に過ごし、ワークライフバランスなどのテーマについてディスカッションし、そのほかは講義を受けたり、企業等を訪問したり、2泊3日のホームステイをしたりします。
毎年メインテーマがあり、今年は「若者が輝く社会」というテーマの元に、①男女ともに輝く働き方(ワークライフバランス、キャリア形成)、②技能の継承(マイスター制度を含む)などについて、ディスカッションや企業訪問などを通じて学び、考えや見識を深めてきました。
仕事をもっている参加者にとって、2週間の休みを取って研修に参加するのは容易なことではありません。今回の参加者も、参加に対して理解のある企業(食品製造業、自動車部品製造業、IT関連企業、おもちゃ製造業など)の社員、社会保険労務士や、研修扱いにできる公務員、大学職員、高校教員などある程度限定された範囲ではありましたが、多くの優秀な参加希望者の中から、できるだけ多様性をもたせるようにして選ばれました。今回の日本の参加者の大部分は、年間20日間の有給休暇を、病気になったときなどのために温存しておいて、実際に消化するのは年間5日間くらいとのことでした。それに対して、ドイツの参加者は、病気のときの病気休暇が保障されていることと、休養のために最低2週間は連続して休みを取るように奨励されていることなどもあり、基本的には全員が20日間の有給休暇を消化することが当たり前になっているとのことです。こうした点にもそれぞれの国の労働文化が反映されていて、興味深かったところです。こうしてみると、日本人にとってドイツの労働環境はうらやましい限りですが、どのような文化にも、メリットがあればデメリットもあります。ドイツの場合は、休暇中の人の業務は完全に停止するリスクもあるのに対して、日本の場合は仕事に漏れが出にくい、したがって仕事上の信頼関係の高さが維持できるというメリットもあるのでしょう。
ドイツと日本には、それぞれ似た点や相違点がありますが、どれもメリットとデメリットの両方もっていますから、両面を理解することなく表面的に比較をするのは他文化理解にはつながらないと思います。
旧強制収容所でドイツ団と交流
プログラムでのドイツ団との交流場所は、ベルリンから北に車で1時間あまりの場所にある、「追憶の地」といわれるラーフェンスブリュックでした。なぜ「追憶の地」と言われるかというと、ここにナチス時代の強制収容所の一つがあったからです。強制収容所時代は、女性やその子どもが収容の主な対象となっており、生き残った被害者たちの願いによって、現在は青少年教育施設になっています。ここには強制収容所当時の建物がかなり残されており、セミナーハウスは元看守の宿泊施設などを使っています。また、収容所長の住んでいた家や、執務棟や、収容所もほぼそのまま残されているため、当時の様子を思い起こさせます。当時のナチスは、家庭で専業主婦として子育てにいそしむ女性を良しとして、職業人や知識人や共産主義者などの女性は「良くない」女性とされて強制収容されたのです。その一方で、看守は20代の女性が多く、彼女たちは看守という「仕事」を持ちながらも厚遇を受けているという矛盾が多々ありました。
当時の強制収容所の生存者が書いた手記を読むと、看守は被収容者に対して厳格であればあるほど認められるという側面も有り、死者がたくさん出るような残虐な仕打ちが無数に行われたことが分かります。戦争が進むと収容者数が増え、一つの狭い二段ベッドに8人くらいが押し込められていたそうです。衣類の洗濯ができないのはもちろん、トイレにも行けず、不衛生で、悪臭や赤痢などがひどく、看守すら近づけない状態であったということです。
こうした地において、ドイツ団の勤労青年たちと合宿セミナーをしたわけです。
ディスカッションと後半のエアフルトでの企業研修については、次回に説明したいと思います。
※このプログラムのダイジェスト版報告書はこちらからご覧いただけます。
https://www.blog.crn.or.jp/report/m/pdf/report_02_212.pdf