1.はじめに
第1回のレポートでもお伝えしたように、11月1日に四街道市内の全世帯(3万世帯、約9万人)に『四街道こども記者クラブ通信』が届けられました。この通信は、企画段階から子どもたちと一緒に皆で考えて制作したものです*1。
第2回となる今回は、活動の中で私たちが大事にしたい考え方についてご紹介したいと思います。特に、実際に活動をしていく中でたびたび直面した2つの課題「子どもの活動と地域づくりをつなげる際の葛藤」、「子どもと大人の関係性」は、自分たちの活動の根本に関わることでしたので、これらに焦点をあてたいと思います。
2.子どもの活動と地域づくりをつなげる~対象は子どもだけでなく地域のすべての人たち
四街道こども記者クラブ、という名前を聞いて皆さんはどのような活動を想像しますか?また、どのような意義を感じますか?この活動を始めると、様々な人から、様々な切り口でその価値が語られてきました。
まず、キャリア教育や職業体験として意義があるという意見がありました。記事の書き方を学び、実際に制作してみることで、子どもたちが記者や編集者といった職業の面白さを実感したり、ひいては仕事をするということ全般への面白さを実感して就労意識の向上にもつながったりするというわけです。次いで、子どもたちが地域や社会の多様な人々、活動、職業、場所と出会う機会をもたらす活動であるという意味付けをする人もいました。礼儀や社会性、コミュニケーション能力も身につくというわけです。さらに、文章を書く能力が向上するという、作文教室のような意義があるという意見もありましたし、子どもが主体的に取材活動を行い子どもの気持ちを発信するという子どもの権利の観点から意義が語られることもありました。
これらの意味付けは、どれかが正しくて、どれかが間違っているというわけではなく、関わっている人が様々な意義を感じているということは歓迎すべきことだと思っています。しかしながら、上記で挙げられた意味付けに対して、私はどこかで歯がゆさを感じていました。それは、この活動が"子どものためのもの"という認識の枠組みから出られていない、ということです。
この活動は、地域を取材して発信することで、子どもや地域の大人が生活を見つめ直し、時には批判的に捉えなおし、状況を変えるという地域づくりに発展させる意図があります。しかし、「キャリア教育」や「作文教室」といった意味付けをしてしまうと、この活動の対象が"子どもだけ"に狭められてしまいます。活動の対象の認識を"子どもだけ"に狭めてしまうことは、時に自分たちの生活の現状への批判的な視点を許容せず、何かを生み出す機会を奪ってしまうことにもなりうると思うのです。子どもが対象の子どものための活動、例えば青少年の健全育成の目的のもとに行われる活動を例にとってみます。「青少年の健全な育成」とは何でしょうか。"健全"という言葉には、もちろん普遍的な健全性もあるかもしれませんが、しばしば社会においてマジョリティ、すなわち社会的・経済的・文化的資源を相対的に多く有している人々による特定の価値の正当化と、それ以外の他者へその価値観を押しつける暴力性も内包していると思います。その価値観は、普段は認識されにくく、そこからの逸脱が生まれたときに自覚されます。しばしば、その特定の価値に反するもの、与しないものは、排除や批判の対象へと転化する可能性があるのです。"健全なもの"という正しさを基にして、自分たちの側に変化の可能性を開かずに、その"健全な"価値の枠組みから出たものを排除、抑圧する可能性があるのです。
「子どものための青少年健全育成の活動である」という認識の枠組みでこども記者クラブをとらえる限り、彼らがその地域なり社会なりが持っている正しさ、健全性をただ引き継ぐことが良しとされ、地域、社会での生活の現状を構造的に、時に批判的に捉えなおしたり、何か変化を生み出したりする可能性が失われてしまいかねない、と考えました。それは、この活動が目的としている地域づくり―地域を見つめ直し、変えようとすること―とは相反するものです。
個々人が生活を見つめなおし、課題やアイディアについて話し合う対話の場を地域に生み出していくこと。それが地域づくりにつながっていくと私は考えています。そのためには、こども記者クラブは子どもの学びと健全育成だけを対象とするのではなく、地域にいるすべての人々に気付きと話し合いの場を提供することも含む活動である、と認識することが大切だと考えています。
3.子ども中心か大人中心か~二項対立の枠組みからの脱却
四街道こども記者クラブの活動のコンセプトは、「こどもがつくるまちのメディア」であると同時に「こどもたちと共につくるメディア」となっています。ここには、大人も一緒になってつくるというメッセージを込めています。このようなコンセプトを作った背景には、これまで子どもが主体となっている活動を見てきた中で感じていた問題意識があります。それは次のようなものです。
「子どもの主体性」が重視されたり「子ども中心」と言われたりする際に、大人は子どもたちの主体性を尊重し、サポートをする立場になることが多いのですが、実際に活動する中で多くの大人のスタッフはある葛藤に直面します。その葛藤とは、「子どもの意見の尊重と大人(である自分)の意見の調整の困難さ」であり、結果として「どのように関わればいいのかわからなくなってしまう」というものです。
例えば、今回の通信づくりにおいても、大人スタッフは当初、「本当はこうしたらもっと良いのではないか」「自分だったらこうするのだが」という気持ちを内に秘めながらも、あまり口にすることができなかったそうです。それは「子どもの視点が大切」「子どもの意見を尊重すべきである」「子どもが主体」といった言葉が過度に意識されたためのようです。
しかし、「子どもが主体」といっても、そこには大人が、程度の違いはあっても関わっていることは事実です。それならば、その影響に対して自覚的であり、プラスの影響をつくるほうが建設的だと私は考えています。
大切なことは、子どもと大人で分けてしまうのではなく、個人間の差異を認めることだと思います。個々人は子どもや大人というように年齢で簡単に分けられるものではなく、育ってきた環境、持っている知識、技能によって大きく違います。結果的に傾向として年齢が高いほうが経験、知識、技能を持っている場合が多いだけです。しかし、子どものほうが知っていることもあるし、子どもからの鋭い指摘にはっとさせられた経験もあると思います。大人にも年齢に関係なく色々な人がいます。そうした個々人が、ゆるやかな対話を通して相互作用を起こすことが重要だと思います。その際には、相手の話に耳を傾けて聞き、その上で自分の考えを伝えていくことが大切だと思います。相手を一人の人として尊重をし、自分の意見も大切にしていくのです。子どもだからと過度に遠慮するのでもなく、大人だからという理由で躊躇したりせずに。こども記者クラブでは、そうした異年齢のコミュニティで起きる学習が重要だと思っています。
異年齢のコミュニティでの学習、という点で、私は2人の研究者の知見を参考にしています。心理学者のヴィゴツキーは、異なる能力を持つ子どもたちが協同で学習をおこなうことの大切さを述べています。例えばもしある子どもがひとりではその課題、問題を解決できなくても、他者、友人と共に協同でできることに関して、「子どもが今日、協同でできることは明日には一人でできるようになる」としています。そうだとすれば、学年、年齢、知識、能力、経験も異なる大人も含めた多様な人々が、コミュニティとなり協同で活動していくことで、自然と子どもたちも力を向上させていくことができます。人は模倣、真似ぶことを通して学習し習得していきます。
また、ジーン・レイヴは、『状況に埋め込まれた学習--正統的周辺参加』の中で、学習における徒弟制の価値の再発見と共に、学習者は、熟練者の実践活動にごく限られたレベルで参加し、実際の仕事の過程に参加することによって技能を修得していくことを述べています。新人に対して、講義等を行い説明するよりも、実践の活動に部分的に参加させるわけです。その中で新人は熟練者から技能を盗み真似ていきます。
こども記者クラブの活動においても、大人がプロセスを見せ、子どもたちは共につくる中で学んでいきます。大人が楽しんでまちのメディアづくりの活動をしていれば、その様子を見て、子どもたちも学んでいくのです。もちろん子ども同士も一緒につくる中で学びあいますし、何かの技能に卓越した方からは大人も子どもも学びます。誰も知らなかったことは、大人も子どもも一緒になって学んでいきます。大人スタッフにとっては、今の学校生活のことを子どもらから教えてもらったりして、驚いたり、大人同士で語りあったりもします。個々人が学びあっているのです。
必要以上に「子どもの主体性」や「子どもの意見の尊重」に縛られるのではなく、多様な人々が積極的に関わることで活動にプラスの影響を与える、ということに意識をもっていくこと。こども記者クラブでは、そのことを重視したいと思います。ですから、スタッフが自分の関わり方について悩んだときには、お互いに「君は一人の人としてどうしたい?」と尋ねて、大人や子どもといった区分をこえて、自分たち自身がコミュニティにどのようにプラスに働きかけられるのかを意識するようにしています。
4.不恰好な学びのプロジェクトとして
これまで述べてきたように、こども記者クラブの最大の醍醐味は、子どもと大人が、異年齢で能力も異なる学習コミュニティにおいて、まちのメディアをつくっていくことにあります。こども記者たちは、一緒にプロジェクトをつくりあげていくメンバーであり、彼らは単なる「子どものための活動の対象」ではないのです。
ですから、こども記者クラブの活動では、子どもも大人も活発に意見のやりとりをするときもあれば、葛藤や沈黙があるときもあったり、予想外の出来事や対立、そしてお互いに辛い思いをしたりする場面もあります。こども記者クラブは、地域の皆が参加するプロジェクトです。皆でときにウンウンと悩んだりもしながら、そんな一見"不恰好な学び"も大切にして活動しています。
もう後期は始まっており、こども記者たちが自発的に書いてきた記事が既にたくさん集まってきています。こども記者クラブを、これからもよろしくお願いいたします。
参考文献
- 柴田義松(2006)『ヴィゴツキー入門』子どもの未来社
- レイヴ,J.・ヴェンガー,E./佐伯胖訳(1993)『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』産業図書
<活動団体の情報>
四街道こども記者クラブ
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