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日本の幼稚園における片付けの分担②:集団における責任の共有と分配

要旨:

第1報では、幼稚園・保育所等で日常的に行う「片付け」がなぜ道徳的な問題になるのかを論じたうえで、日本の幼稚園の5歳児が片付けの分配についてどのように考えているかについて調査した結果を紹介した。第2報では調査結果から明らかになった片付けの分配のとらえ方のタイプや、状況による分配の差異、さらには時間を越えた公平性の可能性などを報告し、幼児が日々の経験を通して集団における責任の共有と分担について学んでいくことの意味を考える。

第1報 では、筆者ら(Hashimoto, Ikemori, & Toda, 2012)の5歳児へのインタビュー調査から、大半が幼稚園において「おもちゃを使った人は片付けるべきだ」と判断している一方で、「使っていない人も片付けを一緒にするべきだ」と考える子どもも少なからずいたという結果を紹介した。なぜ、使っていない人も片付けをしないといけないのだろうか。第2報では、この問いについて、幼児の回答から考える。

5歳児の責任の分け方は自己中心的か

まず考えられるのは、幼児が道徳発達の水準として自己中心的に考え、そのために使っていない他者に片付けを求めているのではないか、ということである。このことを確かめるために、以下のような設定を加えて調査を行った。

この調査は、2人の子どもが登場する自由遊びの時間の後、その2人がどのように片付けを分担すればよいかを日本の幼稚園の5歳児に質問したものである。報酬(ごほうび等)の分配に関する研究においては、自分が第三者として分配する場合(自分はごほうびをもらわない)と、自分が被分配者である場合(自分もごほうびをもらう)とで分配の仕方が異なることが明らかになっている(cf. 橋本, 2011)。そこでこの調査においても、自分の立場によって片付けの分配が異なるかどうかを見るために、36名中半数の5歳児には不特定の2人の間で分配する設定(自己関与なし、すなわち自分は遊び・片付けに関与していない)で、残り半数には自分と仲のよい友だちの間で分配するという設定(自己関与あり、すなわち自分も遊び・片付けに関与している)で質問をした。

また、自己関与がある設定で、2人のうち1人だけがおもちゃで遊んだという状況③においては(状況①、②の内容については第1報参照)、(a)友だちだけが遊んだ場合と、(b)自分だけが遊んだ場合のそれぞれの状況で「片付けの時間になった時に自分とその友だちはどうすればよいか」を質問した(質問の順番による影響をなくすために、その他の状況と合わせて質問をする順序を子どもによって変えている)。

<状況の設定>

状況③:AとBのうちBだけがおもちゃで遊ぶ。
その後、遊んでいないAも片付け場面にいる。

  • 自己関与なし(AとBは不特定の子どもであるという設定)
  • 自己関与あり(AとBが自分と友だちであるという設定)
    (a)友だちだけが遊んだ場合
    (b)自分だけが遊んだ場合

結果を見ると、自己関与の有無による違いはほとんどなかったが、片付けをする責任が自分にあったかなかったかという立場によって回答に違いがあることがわかった。つまり、自分だけが遊んだ(b)においては約3割が2人で片付けるという選択をした(自己関与なしの設定とほぼ同じ)のに対して、(a)では自分は遊んでいないのに、遊んだ友だちの片付けを一緒にすると答えた子どもが5割いたのである。ただし、状況が違っても「2人で片付ける」という原則を主張する子が同等の割合でいたということではないので、もう少し詳しく見てみることにした。

自己関与がある設定において、「(a)友だちだけが遊んだ」場合の回答と、「(b)自分だけが遊んだ」場合の回答をクロス集計した。すると、いずれのセルもゼロではなく、4つのタイプの回答パターンがあることがわかった。

  • 自己責任タイプ:どのような状況においても、片付けは「使った人のみの責任」というルールを支持する。
  • 協働タイプ:どのような状況においても、一緒に片付けることを支持する。

この2つのタイプは、自分の立場に関係なく、原則を適用するものである。そしてやはり、道徳的に自己中心的な回答もあった。

  • 利己的タイプ:自分が遊んでいない時は手伝わないが、自分が遊んだ時は援助を期待する。

しかし、意外なことに、それとは正反対の回答もあった。

  • 利他的(援助)タイプ:自分が遊んでなくても片付けを手伝い、自分だけが遊んだ時は相手の援助を期待しない。

園生活において、子どもはまず自分が使ったものは自分で片付けることを教えられ、その一方で、みんなの共有物はみんなで片付けるという指導も受ける。園における片付けを少なくとも1年以上経験している5歳児の中に、このようなとらえ方の差異があることは、公平性を考慮しながら責任の共有と分配をするよう子どもに促す教育実践を考える上での示唆となろう。

この結果の中では、誰が遊んだかにかかわらず、片付けという仕事はみんなで共有するべきものだという回答と、片務的に友だちの片付けを援助したいという回答が、特に興味深い。集団保育における片付けという活動は、次の活動に移行するためにはなるべく早く終わる方が望ましく、そのために子どもと保育者が一斉に取り組むことが多い。そのような点から、クラス集団においては、片付けという活動を協同して行うよう子どもは強く動機付けられるのかもしれない。あるいは、園生活においても、いわゆる集団主義と呼ばれる文化や日本文化において優勢とされる相互協調的自己観(他者との協調性や結びつきが重視される自己観)(Markus & Kitayama, 1991)による影響があるのかもしれない。しかし、集団における責任を共有しようとする子どもの態度や行動傾向が育つのは、集団主義という文化によるものなのか、あるいはそのように動機付けられる状況設定によるものなのか(Oyserman, Coon, & Kemmelmeier, 2002)については、今後、文化を超えた比較研究を含め、さらに詳細で多角的な検討が必要であろう。

幼児の状況要因への配慮

筆者らの調査結果からは、誰が片付けるべきかについての5歳児の判断が、状況要因によって微妙に異なることがわかっている。それは、下記のような状況を提示し、片付けの時間になった時に2人はどうすればよいかと質問した結果である。

  • 状況④(個人のニーズ):AとBの2人の子どもがおもちゃで遊ぶ。片付けの時間にAが腹痛になる。
  • 状況⑤(使用度):AとBの2人の子どもがおもちゃで遊ぶ。AよりもBの方がよりたくさんのおもちゃを使って遊ぶ。
  • 状況⑥(年齢):AとBの2人の子どもがおもちゃで遊ぶ。Aが年少でBが年長である。

結果として、これらの3つの状況において、1~2名を除いて全員が「2人で片付ける」を選択した。これは、たとえお腹が痛くても、少ししか遊んでいなくても、年少児であっても、使った人が片付けるという責任を免れる理由にはならないと5歳児が判断していると受け取れる。しかし同時に、状況④と⑤において2人で片付けると答えた子どもの中に、片付けの分配に傾斜をもたせる子どもがいた。例えば、「Aちゃんはお腹が痛いからちょっとだけ(片付けを)して、Bちゃんがいっぱいしたらいい」。また、「少なく遊んだ子がちょっと少なめに片付けて、多く遊んだ子がちょっと多めに片付ける」などである(状況④では約3割、状況⑤では約4.5割)。

このことは、遊んだ人は片付ける責任を免除されることはないものの、理由によってはその責任を軽減してもよいという寛容さが見られたり、利益を享受したものはより責任を負うべきと考えたりする5歳児の判断を示している。しかし、状況⑥においては、片付けをする子どもの年齢の違いは分配に影響しておらず、幼稚園における片付けはどの年齢の子どもにも同じ責任が課せられると考えていることが示唆される。

これまでの報酬(ごほうび等)の分配に関する研究では、幼児は利己的に分配するか、あるいは厳密な平等分配を支持するとされ、状況要因を考慮した衡平な分配をするようになるのは児童期以降であるとされてきた(e.g., Keil & McClintock, 1983)。しかし本調査では、状況によって責任の分配に傾斜をもたせようとする5歳児がいることを明らかにしている。(なお、きょうだい間の家事の分配について8歳、11歳、15歳に質問した米国の研究では、理由のいかんにかかわらず責任を免れることはできず、平等な分配をするべきだと答えたことが示されている(Thomson, 2007)。)

日本の幼稚園等では、日々の片付けにおいて「誰が片付けるか」に関するいざこざが頻繁に起こる。幼児はそのような場面で自ら交渉し解決するよう促されることを通して、自分と他者の状況に敏感に目を向け、時には相手に配慮しながら、分配のバランスを考えるのだと推測される(ちなみに、Hashimoto & Toda(印刷中)は、幼児が理由によって共有されるべき責任を免除するのかどうかを調査し、個人のニーズ、ほかの場所の片付け、ほかの仕事の分担、利己的な理由によって、幼児が見せる寛容さが異なり、その4つの状況への寛容さに順序性がある可能性を示唆している)。

責任の分担は相殺される?:時間を越えた公平性とは

第1報から見てきたように、本調査の5歳児の多くは「(遊具を)使った人が片付ける」という自己責任として片付けの分配をとらえている。これを純粋な自己責任論で見ると、使っていない人は片付ける義務を負わないことになるが、本調査では、遊具で遊んでいない人も協働や援助として片付けの負担を引き受けると答えた5歳児が少なからずいた。

また、こちらの質問枠組みとは異なる興味深い回答をする子どももいた。それは、遊んだ人が1人で片付ければよいが、「もう1人はその間に2人のために昼食の席を取りに行けばよい」というものである。これはこの5歳児が、使った人が片付ければよいという自己責任を片付け場面だけで完結させるのではなく、幼稚園における<他の場面も考慮に入れた上で>、友だち同士の責任や負担の共有と分配のバランスを考えていたと解釈できる。ここには、公平研究のあり方を考える際の、重要な視点が提示されている。

そもそも、人と人との間で責任を共有・分担するとき、常に公平な分配をするのは至難である。だからといって、責任のないはずの人が負担を引き受けさせられることが一方的に長期的に固定されてしまうと、搾取や「ただ乗り(free rider)」につながる危険性さえある。そのような状況で公平性を保つためには、あらゆる場面の積み重ねでの交替や交換によって負担が相殺されるという時間的な展望と期待をもつこと、つまりどちらもが「お互いさま」あるいは「持ちつ持たれつ」と思えることが重要になってくる。Yuki & Yamaguchi(1996)は人間関係における互恵性(reciprocity)が即時的に確立しなくても、時間を越えて公平性が保たれることを、長期的衡平(long-term equity)という概念を用いて説明している。

報酬分配に関する研究では、子どもはそのような互恵性が期待できる同じ集団(内集団)のメンバーに対しては、そうでない集団(外集団)の相手より多く報酬を分配することが明らかになっている(e.g., Olson & Spelke, 2008)。Fehr, Bernhard & Rockenbach (2008)は、自分と相手との間でお菓子を平等に分けるか不平等に分けるかを選択する課題において、自分の園の友だちが相手の場合は、ほかの園の子どもが相手の場合と比べて、平等に分配することが多いことを明らかにしている。自分と相手の間で責任を分配する場合においてはどうだろうか。オーストラリアにおけるきょうだい間の家事の分配に関する研究では、8歳、11歳、14歳のうち、このような長期的衡平を考慮し、ある場面において1人だけに家事の分担が集中しても長い目で見れば不公平とはいえないと回答したのは最年長の子どもだけであった(Warton & Goodnow, 1991)。しかし、今回の調査では、少なくとも5歳児の中にも、自分のクラスの友だちとの間で時間を越えた互恵性に基づいて責任の分配を考えている幼児がいた可能性がある。つまり、一時的な特定場面に限定して公平かどうかを問いかける研究枠組みが、実態を反映していない可能性があり、さらに、そこに大きな文化差あるいは状況差がある可能性もある。

長期的な互恵関係に基づいての公平な責任の分担は、様々な個人間や小さな集団間においてだけではなく、環境問題などにおける地域間や国家間の負担等の公平性にも関わる重要なテーマである。園や家庭という集団における日常の様々な経験を通して、時間的な展望と期待に基づく子どもの判断や理解がどのように変化するのかについては、年齢による違いについても、文化差あるいは状況差についても、さらに詳細な研究が求められる。そして、そのような根拠に基づいた教育実践の意識化が期待される。少なくとも、片付けは、ただ単に早く終わればいいものでもないし、いつもする子に任せておけばいいものでもない。幼児の道徳性の発達のあらわれを観察し、発達を促しうる絶好の機会なのである。

おわりに

園における片付けにおいて責任の共有とその公平な分配について学んでいくことは、自分たちを取り巻く環境を整備するという公共心につながる問題である。また、環境整備の問題だけでなく、集団で負うべき責任をどのようにメンバー間で分配するかについては、様々な道徳的な問題と関連してくる。

今回の探索的調査は5歳児のみに行ったものであり、調査に参加した子どもも36人と少なかった。今後、より多くの人数での調査や、縦断的な調査、文化差と状況差を考慮した調査を行うことで、幼児期からの発達がさらに明らかにされるだろう。また、片付けに限っていえば、日本の幼稚園における調査研究では、その目標や実態が園によって様々であることが明らかになっている(箕輪ら, 2009)。園や保育者の教育方針や教育観が幼児の公平な分配に関する理解の発達とどのように関連しているかについても、今後の研究が必要な課題である。


引用文献

  • Fehr, E., Bernhard, H., & Rockenbach, B. (2008). Egalitarianism in young children. Nature, 454(7208), 1079-1083.
  • Hashimoto, Y., Ikemori, A., & Toda, Y. (2012). The distribution of clean-up jobs in Japanese kindergarten classrooms: An exploratory study of young children's views on sharing work responsibilities. Asia-Pacific Journal of Research in Early Childhood Education, 6(1), 141-159.
  • Hashimoto, Y., & Toda, Y. (印刷中). Young children's views on the fair distributions of clean-up jobs in kindergarten classrooms: Focusing on the order of situational factors and judgments of pre/post distributions. 道徳性発達研究, 7.
  • Keil, L. J., & McClintock, C. G. (1983). A developmental perspective on distributive justice. In D. M. Messick & K. S. Cook (Eds.), Equity theory: Psychological and sociological perspectives (pp. 13-46). New York: Praeger.
  • Markus, H. R., & Kitayama, S. (1991). Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation. Psychological Review, 98(2), 224-253.
  • Olson, K. R., & Spelke, E. S. (2008). Foundations of cooperation in young children. Cognition, 108(1), 222-231.
  • Oyserman, D., Coon, H. M., & Kemmelmeier, M. (2002). Rethinking individualism and collectivism: Evaluation of theoretical assumptions and meta-analyses. Psychological Bulletin, 128(1), 3-72.
  • Thomson, N. R. (2007). Justice in the home: Children's and adolescents' perceptions of the fair distribution of household chores. Journal of Moral Education, 36(1), 19-36.
  • Warton, P. M., & Goodnow, J. J. (1991). The nature of responsibility: Children's understanding of `your job'. Child Development, 62(1), 156-165.
  • Yuki, M., & Yamaguchi, S. (1996). Long-term equity within a group: An application of the seniority norm in Japan. In H. Grad, A. Blanco, & J. Georgas (Eds.), Key issues in cross-cultural psychology: Selected papers from the Twelfth International Congress of the International Association for Cross-Cultural Psychology (pp. 288-297). Lisse, The Netherlands: Swets and Zeitlinger.
  • 橋本祐子 (2011). 幼児の報酬分配に関する研究動向と課題-3歳から6歳の分配行動を中心に. エデュケア, 32, 1-9.
  • 箕輪潤子・秋田喜代美・安見克夫・増田時枝・中坪史典・砂上史子 (2009). 幼稚園における片付けの実態と目標の関連性の検討. 乳幼児教育学研究, 18, 41-50.
筆者プロフィール
橋本 祐子(関西学院大学准教授)

関西学院大学准教授。上智大学、ヒューストン大学大学院、ノーザンアイオワ大学大学院修了。聖和大学准教授を経て現職。著書に『ピアジェの構成論と幼児教育Ⅰ:物と関わる遊びを通して』(共著)、『子どもとつくりだす道徳的なクラス:構成論による保育実践』(監訳)などがある。ピアジェの構成論をもとに乳幼児期からの自律性を育てる保育実践の研究をしている。

戸田 有一(大阪教育大学教授)

大阪教育大学教授。長野県上田高校、東京大学及び同大学院、鳥取大学助教授を経て、現職。大阪の方々が、上田出身者をひいきにしてくださるのがうれしい。ロンドン大学客員研究員、ウィーン大学客員教授などとして、主に欧州の、いじめやピア・サポート実践の研究者との親交を深め、共同研究を行ってきた。
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