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日本の幼稚園における片付けの分担①:幼児は責任をどう分配するか

要旨:

日本の幼稚園・保育所等で日常的に子どもが行う「お片付け」は教育的な活動として捉えられるが、「誰が片付けるか」という公平性に関わる道徳的な問題について子どもが考えることにより、人と人との関わりについて学ぶ機会にもなる。本稿では日本の幼児が幼稚園での片付けをどのように分配するかを調査した研究結果を紹介し、園での集団生活を通して幼児が責任の共有と分配について学ぶことの意味について考える。
日本の幼児教育における「お片付け」の時間

日本の幼稚園や保育所等(以下、「園」と略す)では、子どもが遊んだ後に散らかったおもちゃや道具の「お片付け」をする姿を日常的に目にする。海外の学校や園では、子どもに片付けや掃除をさせないことも多いが、日本の学校や園では、子ども自らが片付けや掃除をすることも教育的な活動の一つとされており、毎日の園生活に取り入れられている。

園では遊びや活動をした後、自分が使ったものは自分で片付けることを教えられる。その一方で、「みんなのもの」であるおもちゃや道具はみんなで片付けるという指導も受ける。しかし、誰が何を片付けるのかについては、園や先生やその場の状況(たとえば、次の活動の時間が切迫しているかどうか)によって異なり、一律ではない。そのため、「誰が片付けるのか」という公平性に関わる道徳判断にズレが生じ、片付けの分担を巡って、子ども同士のいざこざに発展することも少なくない。このようないざこざは、園児が共有物を大切にすることを学び、責任をどのように分配するのかを考え、また、自分たちでルールを構成する契機にもなっているが、そもそも、そのいざこざをもたらす幼児の判断(のズレ)の実態については明らかになっていない。

子どもがどのように報酬(ごほうび等)を分配するかという研究はこれまで国内外で多く行われてきた(e.g., Damon, 1977; 渡辺, 1992; Fehr, 2008)。しかし、責任や負担をどのように分配することが公平だと子どもが考えているかについての研究は少ない。そこで筆者ら(Hashimoto, Ikemori, & Toda, 2012)は、日本の幼児が幼稚園での片付けをどのように分配するかについて探索的な調査を行った。本稿では、その研究結果を紹介し、園での集団生活を通して幼児が責任の共有と分配について学ぶことの意味について考える。


なぜ「お片付け」は道徳的な問題になるのか

園で子どもが片付けに取り組む時、ただ部屋がきれいになればよいのではない。片付けは、単に生活習慣のしつけのためだけではなく、子どもの知性や社会性を育てる活動として捉えられる(e.g., 箕輪ら, 2009; 大伴, 1990)。デヴリーズとザン(2002)は、教育的活動としての片付けの目的を、子どもが自分たちのものを片付ける必要性を感じ、その責任を共有し、自律的に片付けるようになることだとしている。そして、そのためには、片付ける実際的な理由と道徳的な理由を子どもが理解していくように指導することが求められるとしている。

実際的な理由とは、たとえば、机の上を片付けなければ昼食が食べられない、遊具を元の場所に戻さなければ次に使えなくなるというものである。それでは、片付けをする理由が道徳的な問題と関連しているとはどういうことだろうか。デヴリーズとザン(2002)は次の2つをあげている。
  • 1人の行為が集団の他のメンバーに迷惑をかける原因になり得る。
  • 片付けをする責任は共有され、公平に分配されるべきである。
これらの点は、園の遊具や道具が共有物であることと関わりがある。子どもは「自分のもの」と区別しながら、園やクラスに属する物が「みんなのもの」であることを学んでいく(橋本, 2010)。それらを粗末に扱うことは、次に自分が困るだけではなく、他の人の使用にも影響するため、道徳的な問題となる。たとえば、クラスの誰かがボードゲームで使うサイコロを片付けなかった結果、サイコロがなくなったとすると、クラスの他の人もそのゲームで遊べなくなる。また、「みんなのもの」を大切にする責任はクラス全員で担うべきであるが、誰かがその責任を果たさないと不公平になる。このように、園における日々の片付けにおいて責任の共有と分配といった問題に子どもが直面し、それらを解決していくことが、人と人との関わりについて学ぶ機会になるのである。


5歳児は「片付け」の分配をどう捉えているのか-調査結果より

片付けは遊んだ人の自己責任?
実際の幼稚園における片付け場面において、幼児は責任の分配をどのように捉えているのだろうか。筆者ら(Hashimoto, Ikemori, & Toda, 2012)は、幼稚園に通う5歳児34名に、自由遊びの時間とそれに続く片付けの時間を図版で見せ、質問に答えてもらうというインタビュー調査を行った。幼稚園では「使った人が片付ける」という原則で片付けが行われることがあるが、その一方で、みんなの物は「みんなで片付けよう」と指導されることもある。そこで調査では次の3つの状況を設定した。

 状況①:AとBの2人の子どもがおもちゃで遊ぶ。
      その後、AとBの2人とも片付け場面にいる。
 状況②:AとBの2人の子どもがおもちゃで遊ぶ。
      その後、Bはその場を去り、Aだけが片付け場面にいる。
 状況③:AとBのうちBだけがおもちゃで遊ぶ。
      その後、遊んでいないAも片付け場面にいる。

それぞれの状況について、「片付けの時間になった時にAとBはどうすればよいか」という質問をし、ア)Aが1人で片付ける、イ)AとBが2人で片付ける、ウ)Bが1人で片付ける、という選択肢から1つ選んだうえで、その理由を述べてもらった。(自己の関与が影響するかを見るために、参加児の半数はAが自分で、Bが仲のよい友だちという設定で行った。)

結果は次の通りである。状況①では参加児全員が、状況②においても9割以上が2人で片付けるべきだと答え、どちらの状況でも約4割の子どもがその理由について「おもちゃで遊んだ人が片付けるべきだ」からと説明した。つまり、この調査に参加した5歳児の判断の大勢は「(使っていない人はともかく、少なくとも)使った人は片付ける」というものであり、たとえ遊んだ人が別の場所に行ってしまったとしても、その責任は持続するという前提がほぼ共有されているようだ。

2人で片付ける他の理由としては、「2人で片付けた方がいっぺんにきれいになるから」、「1人で片付けて(い)たら夕方になるから」、「1人でやったらしんどいもん」(時間の節約、負担感の軽減)というものや、「一緒に片付け(ら)れるのが嬉しいから」、「1人でして(い)たら寂しいお片付けになるから」(協働の効果)といった説明をする子どもが見られた。

興味深いのは状況③の結果である。もしも「使った人は片付けるべき」という判断が、「使っていない人は片付けなくてよい」という判断を随伴するのであれば、遊んでいないAは片付けなくてよいとほとんどの子どもが判断するであろう。しかし実際には、5歳児のうち、約3~5割が2人で一緒に片付けるべきだと答え(数値に幅があるのは自己関与の有無や、自分の立場によって回答に違いがあったためである。それらの違いについては第2報で述べることとする)、その理由として「時間的に早い、楽だから」(約3割)という負担感の軽減等に加え、「手伝ってあげたい」(約4割)という援助動機を述べている。

きょうだい間での家事の分配についてオーストラリアの子どもたちに質問をした研究では、「使った人のみが片付ける」ルールへの支持が強く、使っていない人がほかの人のために片付けることは不公平だと判断する子どもが多いことが明らかになっている(Warton & Goodnow, 1991)。それに対して本調査では、日本の幼稚園において、自分が遊んでいない場合も含め、片付けにおいて友だちと協力することを選ぶ子どもが少なからずいることを示唆している。そしてそれらが、時間や労力の節約といった効率性、協働が楽しいという社会的な感情、同じクラスの友だちの手助けをしたいという向社会的な意思等によることが明らかになった。

さらに結果を見ると、「先生に怒られるから」と、大人の権威を片付け方の判断の理由に挙げた子どもはごく少数であった。これは本調査の5歳児が保育者の指示のもとに他律的に片付けの判断をしているわけではなく、「誰が片付けるべきか」について自ら考え、判断していることを示唆している。

次回は、5歳児の責任の分け方にいくつかのタイプがあることや、状況によって分配の仕方に変化があることなどを報告する。


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引用文献

Damon, W. (1977). The social world of the child. San Francisco: Jossey-Bass.
Fehr, E., Bernhard, H., & Rockenbach, B. (2008). Egalitarianism in young children. Nature, 454(7208), 1079-1083.
Hashimoto, Y., Ikemori, A., & Toda, Y. (2012). The distribution of clean-up jobs in Japanese kindergarten classrooms: An exploratory study of young children's views on sharing work responsibilities. Asia-Pacific Journal of Research in Early Childhood Education, 6(1), 141-159.
Warton, P. M., & Goodnow, J. J. (1991). The nature of responsibility: Children's understanding of "your job". Child Development, 62(1), 156-165.
大伴栄子 (1990). ピアジェシャン・スクールⅦ-幼稚園における片付け活動の検討. 日本保育学会第43回大会発表論文集, 104-105.
デヴリーズ, R.・ザン, B. (2002). 子どもたちとつくりだす道徳的なクラス:構成論による保育実践(橋本祐子・加藤泰彦・玉置哲淳 監訳)大学教育出版.
橋本祐子 (2010). 乳幼児の所有・占有・共有に関する理解の発達:研究動向と課題の展望. 教育学論究, 2, 117-124.
箕輪潤子・秋田喜代美・安見克夫・増田時枝・中坪史典・砂上史子 (2009). 幼稚園における片付けの実態と目標の関連性の検討. 乳幼児教育学研究, 18, 41-50.
渡辺弥生 (1992). 幼児・児童における分配の公正さに関する研究. 風間書房.
筆者プロフィール
橋本 祐子(関西学院大学准教授)

関西学院大学准教授。上智大学、ヒューストン大学大学院、ノーザンアイオワ大学大学院修了。聖和大学准教授を経て現職。著書に『ピアジェの構成論と幼児教育Ⅰ:物と関わる遊びを通して』(共著)、『子どもとつくりだす道徳的なクラス:構成論による保育実践』(監訳)などがある。ピアジェの構成論をもとに乳幼児期からの自律性を育てる保育実践の研究をしている。


戸田 有一(大阪教育大学教授)

大阪教育大学教授。長野県上田高校、東京大学及び同大学院、鳥取大学助教授を経て、現職。大阪の方々が、上田出身者をひいきにしてくださるのがうれしい。ロンドン大学客員研究員、ウィーン大学客員教授などとして、主に欧州の、いじめやピア・サポート実践の研究者との親交を深め、共同研究を行ってきた。
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