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見る子ども、聴く子ども-児童文学における本質的子ども像-(前編)

川越 ゆり(東北文教大学短期大学部 准教授)

2012年8月31日掲載

要旨:

この試論は、時代や国や文化の異なる児童文学作品に描かれた、共通の子ども像を探ることを目的としている。前編では、アメリカの児童文学作家、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』とスリランカの絵本作家、シビル・ウェッタシンハの『わたしのなかの子ども』の比較を通して、二つの自伝的物語に、大人に対して目と耳が開かれた子ども、子どもの好奇心の対象としての大人という「子ども―大人」関係や、「見る子ども」「聴く子ども」のイメージが共通に見いだせることを述べる。
児童文学のなかには、作家自身の子ども時代を題材にしたものがある。アメリカ開拓民の家族の日常を描いた、ローラ・インガルス・ワイルダー*1の「インガルス一家」シリーズなどが典型だろう。このシリーズには、主人公、ローラ(作者)の幼少期から結婚後に新家庭を築くまでが全9巻にわたって描かれている。最近では、素朴な絵と文で自分の子ども時代を綴ったスリランカの絵本作家、シビル・ウェッタシンハ*2の『わたしのなかの子ども』が記憶に新しい。

この小論では、国や時代や文化の異なる児童文学作品における共通の子ども像を探ることを試みたい。具体的には、「インガルス一家」シリーズ第一巻の『大きな森の小さな家』(1932)と『わたしのなかの子ども』(1995)に描かれた共通の子ども像を読みとり(前編)、そこから現代日本の児童文学を照射したときに何が見えてくるのかについて考える(後編)。

自伝的な物語では、作家は自身の記憶をもとに、作品中で子ども時代を再構築することになる。記録とは異なり、記憶は均一ではない。よくもわるくも、子どもだった当時の自分の心に強く刻印されたことが記憶として残るからである。では、上記の二作品では、作家の子ども時代の鮮明な記憶としてどのような体験が語られ、そこからどのような子ども像を引き出せるだろうか。

report_02_151_2.gif『大きな森の小さな家』は1870年代のアメリカ西部、ウィスコンシン州が舞台である。大自然に囲まれた、父、母、姉の4人暮らしの中で、ローラは幼少期を過ごす。 当時は、衣食住の大部分を自分達の手で作りだす生活が営まれていた。驚かされるのは、作者が大人達の仕事のプロセスを鮮明に覚えていることである。たとえば、厳しい冬に備えて大人達が家畜のブタを殺す場面では、肉を切り分け、どの部位もあまさずにソーセージやチーズを作るまでの様子が、尻尾を焼いて食べたり、ブタの膀胱をボール代わりにして遊んだりといった楽しみも含めて、生き生きと語られている。

実際、衣食住にまつわることを中心にものを作り上げるプロセスを、ここまで詳細に語った物語はないだろう。そこには、大人のそばで彼らの手仕事を飽かずに見つめる子どもの視線が感じられる。母親がバターを型抜きするのを夢中でながめ、父親の作る弾丸の美しさに見入る姿などからもわかるように、大人の手仕事を見ることが、ローラにとっては楽しい遊びのひとつだった。

また、大人にさまざまな話を聴く場面も、作品の多くを占めている。父親が子ども達にその日の出来事や、自分が少年だった頃、祖父が若かった頃の話などを語る冬の夜は、ローラにとって一日でもっとも楽しい時間だった*3。長い話のみならず、手伝いなどをしながら交わした会話も、ひとつの小さな物語のように作者の心に刻印されている。これらの場面からは、大人の語りのことばに熱心に聞き入る子どものイメージが浮かび上がる。

report_02_151_1.gif一方、同じような子ども像は、1930年前後のスリランカ、ギントタ村を舞台に、「わたし」(作者)の子ども時代を描いた『わたしのなかの子ども』においても見られる。

お手伝いのキャロリンが唐辛子を挽き石でつぶして玉状にする様子や、叔母がココナッツの殻からこそげとった繊維で長いひもを作る様子、学校の休み時間に行った茶屋の主人が茶を入れる見事な手さばきなど、ローラと同様、「わたし」もまた、大人の手仕事を飽かずに観察する女の子である。

また、「まるで物語の本のよう」な母や「すばらしい語り手」だった父をはじめ、大人達に聴く話は子ども時代最大の楽しみとして作者の心に残った。

大人の仕事を見ながら語りを聴くことも多かった。叔母がござを編みながら昔話を語る場面で、作者は今でも「えび茶色とわらの色で模様織りにしたござを見ると、子どものころの記憶が昔話の登場人物とまじりあってどっとよみがえ」ってくると回想している。

語りのことばは、それが昔話であれ、一日の出来事であれ、思い出話であれ、話す者の肉声や動作、場の雰囲気などとともに記憶に残る。話す大人と聴く子どもが共有する親密な時間が、作品のそこかしこに流れている。

国や時代や文化こそ異なるが、二つの自伝的物語は、身近な大人の手仕事を観察し、彼らの語りのことばを吸収した経験が、作品中でくり返し再現される点で共通している。言い換えれば、子ども時代の原体験として作者の心に深く刻まれているということだろう。

両作品における、大人に対して目と耳が開かれた子ども、子どもの好奇心の対象としての大人という「子ども―大人」関係や、そこから引き出し得る「見る子ども」「聴く子ども」のイメージは、作家の子どもの頃の実体験に根ざしている点で興味深い。そこには感傷的に、あるいは観念的にとらえられた子どもでもなく、教育の対象としてとらえられた子どもでもない、ありのままの子どもの姿がある。

ところで、同じような子どもの姿は、現代日本児童文学作家である梨木香歩の作品に、示唆に富む形で表れている。それについては後編で考えたい。




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使用テキスト
  • Laura Ingalls Wilder (1971). Little House in the Big Woods, Harper Trophy. (『大きな森の小さな家―インガルス一家の物語<1>』恩地三保子訳 福音館書店)
  • Sybil Wettasinghe (1995). Child in Me, Thararanjee Prints.(『わたしのなかの子ども』松岡享子訳 福音館書店)

  • 1 アメリカの児童文学作家。1867年、ウィスコンシン州に生まれる。65歳のときにシリーズ第一作にあたる『大きな森の小さな家』を出版し、大きな評判を呼ぶ。シリーズ第3作は、『大草原の小さな家』のタイトルでテレビ放映された。1957年没。
  • 2 スリランカの絵本作家。1928年、ゴール郊外のギントタ村に生まれる。独学で絵を学び、子どもの本の挿絵画家や絵本作家として活躍する。邦訳出版されている絵本に、『きつねのホイティ』(福音館書店)、『かさどろぼう』(徳間書店)など。『かさどろぼう』で第三回野間国際絵本原画コンクール入賞。
  • 3 ローラの父親の語る冬の夜話は、「とうさんと森の声のはなし」「じいちゃんとヒョウの話」などの題名で作品中に収録されている。
筆者プロフィール
report_kawagoe_yuri.jpg川越 ゆり(東北文教大学短期大学部 准教授)

山形県生まれ。獨協大学大学院、白百合女子大学大学院修了。博士(文学)。専門は英米圏と日本の児童文学、子ども文化。著書に『エリナー・ファージョン―ファンタジー世界を読み解く―』(ラボ教育センター)、翻訳に『5人の語り手による北欧の昔話』(古今社)など。子ども、物語、ファンタジーのつながりや、ファンタジーに描かれた非日常世界の特性、秘密基地やジンクスなどの子ども間で伝承される文化に関心がある。
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