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子どものためのデス・エデュケーション:親、医療関係者、教育者は死について子どもにどう教えていったらいいのか(後篇)


終末期患者への対処方法を教育機関が専門家になろうとしている人々ににどのように教えているか
―カナダの教育専門学校でのデス・エデュケーション


職業訓練の課程に死への理解がどのように組み込まれているかに関しての調査が、キングス・カレッジ(ロンドン)・西オンタリオ大学(オンタリオ)両大学所属のジョン・D・モーガンによって1990年に行われた。

医科大学:
カナダの医科大学の100% が教育カリキュラム中で死をテーマとして取り上げているという報告があった。教育機関の28% ではデス・エデュケーションがカリキュラムに完全に組み込まれていると回答している。6.7%は正式課程、13.3%はセミナー形式で死に関する教育を行っていた。この調査によってわかったのは、死に関する教育は、医師の日常業務に影響を与えるような実務的な問題に重点を置いて行われているということである。テーマごとの授業時間についてリストを作成している学校はなかったが、次のような報告があった。

・ターミナルケアの様々なモデルが授業に含まれていた。
・死後の世界に対する様々な見解は扱われていなかった。
・多くの学校で近親者との死別について教えられていた。

医師の教育は、現状では病気や死を防ぐことに焦点を合わせているが、死や終末期患者のケアに関する教育がさらに必要であるというのがこの調査の結論だった。

カナダの看護学校:
看護学校の100% が死をテーマとして扱っていた。 91.3%が学部課程で、4.3%では大学院課程で死に関する教育が行われていると報告されている。ターミナルケアのモデルについては、34.8%の学校で教えられていた。子どもが抱く死の概念、自殺、文化の差異、人生観の発達の支援といった領域が授業で取り上げられていた。短期セミナー、ワークショップ、関連書籍の講読、臨床経験といったトレーニング手法が採られていた。しかしながら、死や終末期医療への対応について、看護師は十分な教育を受けていないと、この調査では結論づけられている。

神学校:
回答を寄せた学校のうち、35.7%だけが何らかの形でのデス・エデュケーションを行っていると答えた。そのうち80%では牧師学、20%では宗教学のテーマとして死を扱っていた。その他の学校では、危機管理を通して死を教えていた。死に関する教育を正規の課程としている学校はなかった。神学校のカリキュラムでは、死にまつわる言葉、北米で死者を弔う例、ターミナルケア、法律上の死の定義、死に関する文化的な差異などについては教えられていなかった。特に時間を割り当てているわけではないが、死への不安、子どもの持つ死の概念、死に対処する子どもへの支援、死後の世界観、身内との死別、自殺、個人の哲学の発達について教えているという5例の報告があった。

青少年に対する公教育と民間教育:
モーガンは、カナダと米国の教育者がつくった「死」を学校のカリキュラムに組み込んだ教育プログラムについても調査している。(Morgan - 1-281)


専門家がどのように死やデス・エデュケーションを扱っているか

医師:
アシュレイは医師の視点から執筆を行っており、「患者が自分の死を受け入れる手助けをすることは感動的な体験である」という信念を抱いている。医師は出産において一定の役割を担うことを期待されているが、死の過程においても、いわば助産師のような役割を担うべきである。しかし、時間が足りなかったり、その役割をためらうせいで、他者に自分のすべき役割を譲っている。医師は何を言ってよいかわからないのである。医師は、苦痛への対処と治療、薬物使用、不安を感じる親への対応などの役割を果たしてきた。「これから何が起こるのでしょうか」「私の子はいつ死ぬのでしょうか」といった親からの質問に答え、投薬依頼に対応する。そうした中で、親の多く (62%) は、子どもの症状に関するアドバイスを求めてインターネットを見ている。その懸念に対し答えを求めているのである。

子どもの聴力は最期までなくなったりせず、また、肌に触れることが死にゆく子どもの癒しになるとアシュレイは信じている。医師は、臨終の際に子どもが何を必要としているかを親に伝えることができる。末期症状の子どもに起こることについては、その子どもと親に教えるべきであり、子どもは大人が想像する以上に死について理解すると述べている。「子どもは自分の周囲の人間の心の動揺をとらえ、自分が今後、実際に体験するであろうことよりも恐ろしいことを空想しがちである。」子どもの死の過程には、両親と兄弟も関わるべきであるというのがアシュレイの意見である。両親と一緒に涙を流す医師もいるし、そうしない医師もいる。治療の人間的側面にかけられる時間が足りないと彼女は言う。

医師が患者の死を職業上の失敗であるとみなすならば、死に対応するのは難しくなる。医師は、死を失敗と考えるのではなく、死にゆく子どもとその家族に対して何ができるのかを考え、死がもたらす悲しみに集中すべきである (McKelvey - 54-64) 。 医師は、命が危険な状況にある子どもについて知るべきことを率直かつ思いやりをもって親に伝えるべきである。手順、チェックリスト、会話例、請求額の基準などを策定しておくべきである。また、管理上の決定を行う必要がある。例えば、さらなる検査を行うべきかどうか、あるいは末期症状の子どもに残された日々を病院から離れて過ごさせるべきかなどである。

病院チームは、死にゆく子どもと同じ病室にいる友人たちへの対応方針についても決める必要がある。その死について、どの子にはっきりと知らせるべきか、また、知らせる役割をどの病院スタッフが負うか。私は、友人たちに死については教えるべきだが、死んだ子どもと友人たちの健康状態の違いを説明すべきだと考える。治療結果が異なるだろうという希望を子どもたちが持てるようにすべきである。看護師やチャイルドライフ・ワーカーが死にゆく子どものそばにいるときに、同室の友人たちから質問されることもよくある。そういう場合には、悲しい知らせを伝えるのに彼らは最も適しているかもしれない。患者が医師に最も信頼を置いている場合は、医師が何が起こったか、その事実を告げるべきである。

看護師:
看護師であるカレンは、末期患者に対する看護の際の責任について以下のように記している。看護師は、患者ができる限り快適であるように、また、痛みから解放されるよう気を配るべきである。子どもは自分に起こっていることを知るべきである。そうでなければ、自分のせいでよくならないのだと感じてしまうだろう。カレンは恐れや夢について語ることを子どもに勧めている。それが葬儀に役立ったり、大切な最後の願いを伝えられる場合もある。看護師は、親の言うことにも耳を傾け、彼らの恐れを表わすそぶりや態度にも気を配るべきである。状況を親が理解していなければ、病気の子どもの面前で喧嘩をしたり、怒りを表してしまうかもしれず、そのことは子どもの心の平安に悪影響を及ぼしてしまうだろう。家族や病院チームのメンバーが十分に子どもに寄り添えている場合には、沈黙が重要であるとカレンは言う。ある子どもが臨終の際に、そうした際の自然な状況として、排泄にいたったときがあった。カレンはそのときの様子が忘れられない。看護師は、親が驚かないように、どういうことが起こっているかを伝えるべきだと勧めている。

チャイルドライフ・ワーカー:
遊びは死にゆく子どもにとってとても重要である。平常心を保つのに役立ち、遊ぶことで、自分の周りの環境をコントロールし、新しい発見をする。人形遊びで、痛みを伴う治療について理解することもできる。幼い子どもは、大人とは異なり、恐怖や夢を表現するための言葉を持っていないが、遊びが夢や記憶のアウトプットの手段となりうるのである。例えば、両親と離れて暮らしている場合、お皿洗いのごっこ遊びは、母親が台所でどんなふうに働いていたかを思い出させる心地よい想像の手段となるし、車の運転ごっこは、父親への親近感を抱かせる。遊びによって子どもが何を考えているかがはっきりするので、チャイルドライフ・ワーカーはそれを言葉にすることができる。思春期の子どもは怒りや恐れの後に悲しみを感じることが多く、絵や音楽、ダンスを通じて感情を表現することで、進行中の事態に対する気持ちを言葉に出さずとも周りの人にわかってもらえる。彼らの創作物は、別れを告げるための手段となる場合もある。子どもは何かを創ることで、人の記憶に刻まれるものを遺していくという感覚を得る。子どもにどれだけ愛していたかを伝えることによって、子どもが愛という遺産をこの世に遺すという感覚が得られるのと同様である。(Carter, 183 - 192; Plank - 1-86)

幼稚園:
デス・エデュケーションの取り組みへの質問に対し、メールで回答を寄せたくれたモーリーンはモンテッソーリ・プレスクール/幼稚園で教えている。死や悲嘆について教える決まったコースはないが、3~6歳児の24人から構成されるクラスで、これらのテーマが持ち上がったときに対応を行っている。彼女が言うには、「子どもが死んだ人(あるいは動物)について自由に話すことは有益だとわかりました。朝のサークルタイムのときに、5歳の園児のひとりが記念の品を入れておく箱から一枚の写真を取り出して見せてくれました。彼女の祖母が4週間前にがんで亡くなったばかりでした。その写真は、彼女が祖母の死の意味を理解しようとしている証拠でした。祖母がどんなところで暮らしていたか、アリゾナに祖母を訪ねて楽しかったことについて教えてくれました。彼女が祖母について教えてくれたときに、他の園児たちの何人かは、自分の身近な人も亡くなっていると率直に話してくれました。自分が生まれる前に亡くなった家族について語った園児もいました。このように相互に体験を共有することで、どう言ったらいいのか難しいのですが、私たち全員の慰めとなるような感情が生じます。話し合いが終わったあと、部屋は穏やかな静寂に包まれました。」

その後、モーリーンはプレスクールや幼稚園の園児たちに、愛する人が亡くなったときに人々が行うことについてもっと知りたいかどうかを尋ねました。彼女は次のように記しています。「園児たちはとても興味を抱いているように見えました。翌日、私はジュディス・ヴィオーストの本である『ぼくはねこのバーニーがだいすきだった』を園に持っていきました。 子どもたちはとても関心を抱いていましたよ。亡くなった知人のいいところを全部リストにしたがった園児もいました。人生の様々な季節に対するメッセージであるレオ・バスカーリアの『葉っぱのフレディー』もとてもいい本だと思います。何週間も後になって、亡くなった人の形見を持ってきた子ども達もいます。他人と話をして思い出を共有することで、私たちは孤独ではないのだとわかります。園内の共同体にも癒しが見い出されるのですね。」

小学校:
ニュージャージー州の南バーゲン・メモリアルヘルスセンターのバーバラ・キングが、7~9歳の生徒を教える教師向けのカリキュラムを作成している。教師とサポートスタッフが死に関する教育を授業に取り入れるテクニックを学ぶために、4時間のセッションを2回受けることになっている。また、児童の親のためのプログラムも作成されている。(Morgan)

初心者向けの書籍:
Vera and Bill Cleaver, Grover.
(フィクション。10歳のグローヴァーが母の死と立ち向かう)

Clifford, Eth. Remembering Box.
(フィクション。9歳のジョシュアがユダヤ教の安息日に祖母の家を訪れる。それが祖母の死を理解するための手助けとなる)

Holden, Sue. My Daddy Died and It's All God's Fault.
(幼いクリスが悲しみ、怒り、誤った罪悪感、混乱の物語を語る)

Krementz, Jill. How it Feels When a Parent Dies.
(7~16歳の若者18人が自分の物語を語る) 

Richter, Elizabeth. Losing Someone You Love: When a Brother or Sister Dies.
(16人の若者が自分の体験について執筆している)     (Wilken - 6)

高校でのカリキュラム:
カラファット、ジャクビク、アンダーウッドは8年生(日本での中学2年生)以上が対象の「LIFELINES」というプログラムを作成している。「LIFELINES」は、思春期の学生が自身の発達と欲求不満をコントロールする力を理解し、人生の問題を含む選択と決定を行うのに役立つもので、自殺についても扱っている。(Morgan - 35,36)

ニュージャージー州オラデルのロバート・G・スティーブンソンは、愛する人を亡くした子どもに対応するためのカリキュラムをつくっている。20人に1人の子どもが、高校生になるまでに親を亡くしている。そのような子どもの学業成績は比較的低く、友人関係にトラブルを抱えていると述べている。彼らは自殺予備軍である。持続的な白昼夢や友人とのつきあいからの逃避、学業成績の低下、目立った残忍性と暴力性などが多くの例で見られる。スティーブンソンはそうした子どもたちが参加できるサポートグループを紹介し、亡くなった人の代わりとなる人を子どもが見つける手助けをすることによって、悲しみを癒していく方法について提案している。このような生徒たちの書く文章や描く絵から、彼らが難しい悲嘆のプロセスにいるということが明らかになる場合が多い。コースには、話し合いや美術、音楽が組み込まれていて、なぜ私たちは死ぬのか、安楽死、死を超えるもの(信仰体系)、近親者との死別と悲嘆、臨終儀式、自殺とその予防などのテーマについても含んでいる。 (Morgan - 45-47)

大学でのカリキュラム:
モーガンの報告によると、選定図書の読書課題およびレポート作成も含め60時間の学習が充てられているコースがあるという。(Morgan - 162-166)

結論

医療関係者や教育者は死に関する教育を行い、死にまつわるタブーを取り除くための対話を進めることができる。迫りくる死や緩和ケアに関して、子どもと親に対して率直かつ誠実に情報提供を行えば、未知への不安によるストレスの多くをなくすことができる。自分が愛されており、何かを遺すことができると信じたとき、患者は死を受け入れることができる。このような実践によって安らかな死がもたらされる。

医療関係者や教育者は死に関する教育を行い、死にまつわるタブーを取り除くための対話を進めることができる。迫りくる死や緩和ケアに関して、子どもと親に対して率直かつ誠実に情報提供を行えば、未知への不安によるストレスの多くをなくすことができる。自分が愛されており、何かを遺すことができると信じたとき、患者は死を受け入れることができる。このような実践によって安らかな死がもたらされる。

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参考文献:

Carter, Brian S. M.D., F.A.A.P. and Marcia Lavetown, M.D. (2004). Palliative Care for Infants, Children & Adolescents, A Practical Handbook. The John Hopkins University Press, Baltimore, London.

Feifel, Herman (1959, paper-back 1965). The Meaning of Death. McGraw Hill Book Company. Hospice. "talking to children about death." (http.www.hospice talking to children about death)

Kubler-Ross, Elizabeth (1969). On Death and Dying. Collier-Macmillan Ltd., London. McKelvey, Robert S., M.D. (2006). When a Child Dies. University of Washington Press, Seattle and London.

Morgan, John D., PhD., General Editor (1990). Death Education in Canada. King's College, Ontario, 266 Epworth Avenue, London, Ontario M6A 2M3, Canada.

Plank, Emma N. and Marlene A. Ritchie (1962). Working with Children in Hospitals. The Press of Western Reserve University, Cleveland, Ohio and reprint by MetroHealth Center, Cleveland, Ohio.

Wilken, Carolyn S., PhD. and Joyce Powell (1991). Learning to Live Through Loss: Helping Children Understand Death. national network for child care. Portions: "with permission of the National Network for Child Care - NNCC, Wilken, C.S. & J. Powell (1991). Learning to Live Through Loss: Helping Children Understand Death. Manhattan, KS, Kansas State University Cooperative Extension Service."


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