CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 小林登文庫 > 【10月】今こそ母乳哺育を取り戻そう - 第23回日本母乳哺育学会に出席して -

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

【10月】今こそ母乳哺育を取り戻そう - 第23回日本母乳哺育学会に出席して -

わが国に母乳哺育(育児)を研究する学会がある事を、CRNをご覧になっている皆さんは御存知だろうか。第23回日本母乳哺育学会学術集会が、この10月4~5日に岡山で開催された。学会長は、国立病院機構岡山医療センターの小児科医山内芳忠先生であった。小児科医、産科医ばかりでなく、看護師、助産師、保育士、心理学者など、母乳哺育に関心をもつ300人近くが集まって、特別講演・教育講演など9、シンポジウム1、口演発表28をめぐって討論が重ねられ、大変有意義な学会であった。

 

もう20余年以上も前、母乳育児の実施率が著しく低下する一方、狂信的なまでに母乳哺育を推進する人々が現れたりして、社会的にも混乱した事があった。その為に私が音頭をとって設立した研究会が、大きく発展して学会になったのである。母乳哺育学会としたのは、"breastfeeding" を「哺育」と訳し、母乳の生化学、栄養学、母親の母乳分泌や乳児の吸綴行動のメカニズムの生理学、更に母乳育児が乳児や母親に及ぼす影響の行動・心理学などの研究を目指そうと考えたからである。学会初日の午前には、母乳育児の指導などに関係する方々の再教育のコースも行われた。広く母乳育児のレベル向上も目指しているのである。

今回、特記すべきは、3人の外国人演者をお招きして講演が行われた事である。私の旧友、スウェーデンGoteborg大学の世界的免疫学者Prof. Lars A Hansonが「母乳哺育と乳児の感染防御」、西オーストラリア大学の生理学者Jacqueline C. Kent女史が「母乳分泌の最近の研究」、そして台湾の小児科医Chen Chao‐Huei 博士が「台湾の母乳育児事情」を発表した。

Hanson教授は、消化器や気道粘膜、特に母乳中に出てくる分泌型IgAという特殊な免疫抗体(グロブリン)の発見者である。生まれたばかりの赤ちゃんは、まず母親から常在細菌(病気の原因とはならず病原菌の侵入を防ぎ、皮膚・粘膜を守る細菌)をもらい、生まれて一両日のうちに全身の皮膚、そして鼻腔・口腔から始まって腸から肛門までに定着するという事から話を始めた。特に大腸菌は1010_11個もあり、感染防御ばかりでなく、消化吸収にも重要な役を果たしているのである。続いて、胎児は母親から胎盤を介してIgGという免疫抗体をもらい、生まれてからは母乳によってIgA抗体をもらうという、2つの感染防御の仕組みをもっている事を話された。

自分で免疫抗体を作り出すようになる生後1年までは、上に述べた常在細菌、IgG、分泌型IgA抗体で守られ、赤ちゃんは成長・発達しているのである。それ以外に母乳中のラクトフェリンという蛋白も殺菌作用、抗炎症作用を示し、色々なオリゴサッカライドも、気道や腸管の粘膜に付着し、細菌の侵入を阻止する役を果たしている。

母乳哺育をすると、上述の仕組みを介して子どもの感染防御に良い効果を与えるばかりでなく、母親にとっても、免疫力が高まり、癌の発病の機会を低下させるなど自らを守る事にもなるのである。

また最近、抗分泌因子(AF:anti-secretory factor)も話題になっている。そもそも抗分泌因子は、コレラ毒素が腸管に作用して起こす、コレラ患者の劇症水様便を止める効果があるとして1980年代に発見されたものである。その因子が、2000年代に入って先進国に見られる乳腺炎の治療にも有効である事がわかり、利用され始めるようになったというのは新しい知見であった。

更に、先進国において母乳育児をする事で、乳幼児突然死症候群、急性中耳炎、アトピー性皮膚炎、肥満、白血病、Ⅰ型糖尿病、高血圧などの頻度の減少も見られる事が報告された 。また、人工栄養児より母乳栄養児の方が、IQが高いという研究結果も多数ある。

Kent女史は、母乳哺育と母親の乳房との関係を細かく調べ、赤ちゃんが飲んだ母乳の量と乳房容積は関係するが、乳房容積は妊娠前の容積とは関係なく大きくなる事を報告した。母親がつくる母乳の量は、平均してみると、国や民族によっての差はあまりないが、個人差は大きく、450cc~1,150ccの幅で平均は約800ccであった。また、乳児の週齢によって母乳の生産量はあまり変化しない事もわかった。母乳摂取量は、赤ちゃんが大きくなってもあまり変わらないのである。しかし、それぞれの母親で哺乳回数などの哺乳行動のパターンには大きな差があり、最大で三倍であったと報告した。また、母乳中の脂肪の量は、乳房の実満度によって変化する。従って、母乳が排出され乳腺胞が空になるにつれ、脂肪量が増える。飲み始めより、あとの母乳の方が脂肪量が高いという事も報告された。

1970年代に、イギリスで母乳の飲み始めから終わるまでの脂肪やpHなどの変化を研究した結果、母乳の風味が変わる事が示され、母乳育児は食育の役も果たすとした。脂肪濃度は変化するが母乳の分泌量、哺育量の変化はあまりないというKent女史の研究成果も、母乳が食育の出発点であるという事を教えているのかもしれない。初めは薄く、次第にクリーミーになり、食事を楽しみ、しかし満腹になるまで飲まず腹八分でも良い、というように。乳児用のミルクでは、満腹になるまで飲み続ける傾向が強いのである。

Chen Chao‐Huei博士の報告した台湾の母乳育児事情は、わが国の1960年代、1970年代の頃のようであった。1980年代で実施率が低下し20%~30%になり、しかも母乳だけとなると5.4%だったと報告した。しかし、2000年に入って母乳復活運動が起こり、生後1ヶ月で54.2%に戻り、母乳だけというのも33.2%に改善したという。

今回の学会で報告されたわが国の母乳哺育率は、それぞれの施設で異なるが、母子共に健康な場合、お産をすませて退院する時で80~90%、1ヶ月時点で70~85%の間にあった。この10年間での改善は素晴らしいと思った。

20世紀は、多くの先進国で、科学技術の進歩により物質的な豊かさが享受出来るようになると共に、母乳より乳児用ミルクが重要視される不幸な傾向が強くなった。しかし、21世紀は、共生・共創の時代で、自然のものが大切にされる傾向が強くなっていくように思う。母乳でわが子を育てる行動は正にその象徴であって、これから尊重されていく事は間違いない。

1950年代、私がアメリカで勉強した小児病院では、母乳の話は皆無であり、ミルク会社のセールスマンが院内を闊歩していた。今、その小児病院でも母乳育児外来が行われているという。

現在、子ども虐待・不登校・犯罪など、「子ども問題」が社会で大きくなっている。その解決に必要な「育児力」ばかりでなく、「優しさ」を社会に取り戻すためにも、母乳育児を推進すべき時にある。子育て中の若い母親を助け、楽しく母乳育児出来る社会にしなければならないのである。

このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP