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論文・レポート

58. セロトニンと学習集中力;海馬のθリズム

林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

2010年9月22日掲載

要旨:

長期記憶を形成するためには、海馬でθ波が出ることが必要である。θ波は内側中核対角帯にある細胞から出されるリズム性発射が脳弓を通り海馬歯状回に至る貫通線維まで伝達されて引き起こされる。θ波の出現は正中縫線核のセロトニン神経の働きで抑制されているので、その働きを止めることが、強い長期記憶を早く作る鍵となる。セロトニン神経の働きは集中力が高まったときと、夜間のレム睡眠中に停止するので、学習効果を高めるために必要なことは、集中力と十分な睡眠であると考えらる。しかしセロトニン不足は怒りや不安感情と攻撃性を増加させるネガティブな面も持ち合わせており、バランスの良い生活が望まれる。
有田秀穂先生の全面的なご協力と中外医学社のご厚意で、第48回「意識を生み脳を目覚めさせる大脳賦活系」から続けてきました、『脳内物質のシステム神経生理学』(有田秀穂著 中外医学社刊2006 年)を参考図書として、現時点で明らかだと思われる脳神経伝達システムの全貌を解説すると共に、そのデータの上に構築される行動選択モデルについての解説も今回で最終回になります。多くの先生方から頂いた折角のご厚意が、私の未熟さゆえに読者に十分理解可能で有益な情報として伝わらなかったのではないかと心配もいたしております。難解な脳神経システムを一般読者に分かり易く説明するという連載の目標は果たされてきたのでしょうか。読者の皆さまのお役に立てていれば幸甚であります。さて、今回はヒトを含む哺乳類の脳で最も発達した機能の一つである記憶力について、短期記憶を長期記憶に変える働きを持つ海馬のθ波とセロトニン神経系の相互作用、さらにはどうすれば「頭の良い子ども」が育つのかついても脳科学的に提言をしようと思います。

 

私たち人類が現在の文化的繁栄を享受することが出来るのは、一つには正確で応用可能な強い記憶力を持っているからだと考えられます。このことは脳機能障害で記憶能力が損なわれた患者さんたちが日常生活で対面する多種多様の困難からも容易に推定ができます。記憶の機能を完全に失った場合、ヒトは人間らしい生活を自力で行うことが不可能になり、他者に依存しなければ生命の維持さえ大変困難な状況に陥ってしまいます。私の考えている人類の脳機能の特徴では、ヒトの脳の高次機能を支えている要素の最も大きいものはエピソード記憶能力で、この能力の発達が言語を生み、社会的な知的資産の蓄積へとつながり、現在の地球上での人類文化繁栄を生み出した原動力であると考えていますが。今回はこのエピソード記憶形成の前提となる長期記憶(これは人類のみならず哺乳動物一般にみられる機能です)がどうすれば強くなるかについてセロトニン神経との関連を含めて解説いたします。

 

高等な記憶力を持つ哺乳類の脳では、海馬と乳頭体を含む記憶の第1回路と嗅周囲皮質を中心とした記憶の第2回路が、それぞれエピソード記憶と視覚的意味記憶を整理して活用することと、これらの2回路が記憶データの活用回路として重要であることを、第39回「学習と記憶;海馬の新生ニューロン」の中で詳しく解説いたしました。その中で、海馬の歯状回に至る貫通線維に学習時に発生するθ波刺激を与えるとGABAニューロンを通じてtype-2細胞からの新生ニューロン分化が促進されること、学習効果が海馬の新生ニューロン分化促進を通じて記憶・学習の脳機能を改善する、つまり勉強すれば勉強するほど成績が良くなることが神経学的にも確かめられたことも解説いたしました。またGABA作動薬を投与されたマウスにおいては通常の1.5倍以上の海馬新生ニューロンが存在することが観察されており、GABAを投与された実験動物では学習能力が向上し、不安などの神経症状が和らぐことも報告されていることから、GABAが記憶を含む脳機能に大きな影響力を持つ神経伝達物質であることも述べました。このように記憶においてはθ波の発生と海馬の新生細胞の活動がその鍵を握る重要な要素であることは間違いがないと考えられています。

 

ここから、いわゆる「頭の良い子どもを育てるにはどうしたら良いのでしょうか?」という極めて一般的な質問に対する答えの一つが浮かび上がってきます。それは「θ波を良く出させて、またGABA神経の働きを強くして、正確で長期にわたる記憶を作る脳を育てる」ということだと思います。今回は「どうすれば頭の良い子どもが育つのか」について脳科学の成果を基に解説しようと思います。

 

今回は簡単に答えが出そうだぞ!...と期待させておきながら、またいつもの『脳内物質のシステム神経生理学』(有田秀穂著 中外医学社刊 2006年)からの図版を引用して恐縮ですが、海馬の新生細胞の働きを活発にして記憶力を高めるθ波が脳のどこから出ているのかを説明しているのが次の図です。すなわちθ波は内側中核対角帯にある細胞からのリズム性発射が脳弓を通り海馬歯状回に至る貫通線維まで伝達されて引き起こされるということです。このθ波の出現を抑制しているのが正中縫線核のセロトニン神経の働きで、この正中縫線核を破壊してセロトニン神経の抑制が全く解除されるとθ波が出っぱなしになることが動物実験で確かめられています。セロトニン神経の働きは第48回の4枚目の図で示したように、覚醒中は活発で、徐波睡眠中は活動がまばらになり、夢を見ているレム睡眠中には完全に停止します。このことから睡眠中に夢を見ながら記憶の整理をして長期記憶を形成していることが定説となっています。また、それ以外にセロトニン神経の働きは哺乳類一般で、注意を集中して周囲から情報を収集する行動を行うときに活動が停止することがわかっています。逆にセロトニン神経の働きを強めるのは、咀嚼運動、歩行などのリズム運動時にその働きが強くなります。ですから食べながら勉強や、音楽を聴きながら身体を揺すっての勉強では記憶力は強くならないのです。 report_04_71_1.jpg セロトニン神経はうつ病との関連が注目されている神経系ですが、多くの大脳賦活系の中では「幸せ脳を作る神経系」とも呼ばれており、飲んだり食べたり散歩したり、明るい太陽の下でのびのびした生活を送っているときに活性化されます。逆にセロトニンの不足は不安を呼び起こし、抑うつ状態を生み出すと考えられています。このことは子どもの学習効果と相反する部分があることが今までのθ波発生に関する説明から理解できると思います。良い学習効果を得るためにはセロトニン神経系の作用を押さえて、θ波を沢山出さないと記憶力が強くならないのです。このことが勉強しすぎるとセロトニン神経の働きが弱められて、抑うつ状態が出やすいと言う知識人一般、知的労働に従事する人たち一般にみられる抑うつとの戦いになるわけなのです。やはり勉強することは子どもたちにとって必要である一方で、 抑うつ状態という困難に直面する大変な知的課題だったのです。ですから、学習効果を上げるためには何よりも集中力が大切で、その為には抑うつという副産物が付随してくることを理解して、学習時には思い切り集中して、学習が終わったらセロトニンを回復するために明るい太陽の光の下で散歩したり、リズム運動をしたり、食べたり飲んだりをすることが大切なことだと思います。俗な表現をするならば、学習するときは集中して学習して、気を抜くときは思い切りリラックスする、メリハリのある学習習慣が「頭の良い子ども」を育てるコツだと言えそうです。ただしこの事は一人で勉強する場合、個人の記憶に頼る学習について言えるだけで、人類の知的資産という社会的な恩恵を享受するには社会的な脳の発達がさらに必要となってきます。この事は第32回「脳は小宇宙」の中で述べたことの発展型ですが、これはまた後ほど詳しく解説する予定です。

 

このように、学習時に集中して一気に長期記憶を作るのが勉強などでは最も効率がいいのは確かですが、睡眠中の記憶の整理と長期記憶への変換も大切な要素であります。ですから徹夜勉強で無理に詰め込んだ記憶は失われやすく、十分にレム睡眠でθ波を出して記憶を長期固定することも忘れてはいけません。前回までの睡眠の脳科学の中でも述べたように、子どもたちには「早寝・早起き・朝ご飯」がとても大切な生活要素であって、夜更かしや徹夜勉強は決して有効な学習効果にはつながらないと理解することが必要であります。

 

このように書くとセロトニンには長期記憶形成を阻害するマイナスな面ばかりが強調されているようにも思えますが、セロトニンが長期記憶形成を阻害するのは、覚える必要のない日常の雑多な出来事を無意味に長期記憶化されないという大切な効果があります。実験動物でセロトニン不足のネズミでは攻撃性が増加することが確認されており、サルでもセロトニン不足では社会性協調性が低下して群れの中で不利な地位に落ちることが報告されています。さらにはヒトにおいてもセロトニン不足は不快な刺激に対する活動的反応が高まり、不安や怒りを感じやすくなり、攻撃性が高まることが報告されています。このようにセロトニンは些細なことに腹を立てたり、つまらない事をいつまでも気に掛けて悩んで後にまで引きずることから私たちを救っているのです。近年になってセロトニン不足が子どもの脳に与えるマイナスの影響が知られるようになってきています。不安や怒りという情動的な感情に支配されやすく攻撃的である、つまりセロトニン不足はキレやすい子どもの特徴とも言われています。

 

このように、子どもに集中力を付けて良い成績が取れるように強い学習記憶力を付けることは、θ波を出すためにセロトニン神経系の働きを押さえるという点で、伸び伸びと明るい子どもに育てるということと相反する状況となる可能性があります。実にこの事が親として子どもの将来を考えるときに子育ての方向性について悩む大きな原因となり、夫婦の意見相違の原因の一つである子どもの教育方針の不一致の理由ともなっている可能性があります。その意味で脳科学のデータを参考に子育ての方向性を考えることには、前向きで進歩的な意味があると私は考えています。脳のなだめ役であるセロトニン神経の働きも長期間の子育ての中で規定されてくる重要な機能ですから、学習能力を伸ばすことと、のびのびと大らかな人格を作ることのバランス良い子育てが大切だと思います。

 

本稿の制作には『脳内物質のシステム神経生理学』(有田秀穂著 中外医学社刊 2006年)から貴重な図版と文章の引用をさせていただきました。心から感謝と敬意を表します。




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筆者プロフィール

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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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