前回、公園の記事でも取り上げたパパ育児の盛んなベルリンのプレンツラウアーベルク地区。この地区のマリーエンブルガー通りのアパートの1階に、一面ガラス張りの空間があります。ここが「パパセンター・ベルリン Väterzentrum Berlin」です。
通りに面した部分がガラス張りになって可視化されているので、このセンターで開催されているパパと子どものイベントは、外からも簡単にのぞき見ることができます。そして、パパセンターのほとんどのイベントが「飛び入り参加」自由なのです。実はこれも、育児に対する不安を抱えやすい傾向のある父親への配慮だといえるでしょう。
火曜と木曜には毎週、ここで「パパ・カフェ」が開催されています。以前、私もこのパパ・カフェにお邪魔しました。冬の、とある火曜日の午前、パパ・カフェには、15名ほどのパパと赤ちゃんが集まっていました。
パパ・カフェは、基本的には0~2歳の幼児とそのパパを対象に開かれています。赤ん坊たちがフロアで遊べるようにおもちゃが置かれており、机の上にはコーヒーや紅茶と一緒にパンやハムといった軽食も用意されています。パパたちはフロアでわが子が遊ぶ姿を見ながら、飲み食いしつつ歓談します。ただ、それだけです。しかし、パパ・カフェにいるだけで、パパたちは他の父親の子育てスタイル(叱り方やあやし方)を知るきっかけになりますし、何気ないパパ同士の会話も子育ての不安やストレスを解消してくれることもあります。
パパ・カフェに来ているパパたちは平日の午前中ということもあり、ワークシェアリング等によって、予定がたまたま空いていたパパや専業主夫など様々でした。ここで一番印象的だったことは、パパたちがのんびりと、何よりもリラックスして、子どもと接していたことです。
パパ・カフェに来ていたパパと子どもたち
パパ・カフェのメニュー。とてもシンプル
ここで、パパセンター主催で開催されるイベントをご紹介します。
- 家族で参加できる朝御飯ビュッフェ
- パパ・キャンプとキャンプファイヤー(低学年向けから15才まで。12~15才向けのイベントは「子ども時代の終わり」と題されている)
- ゲーム大会
- ドイツ人家族とポーランド人家族の交流の取り組み(ベルリン市のイベント「家族の長い夜」内のプログラムとして実施)
このパパセンターは、日本円にして約1200万円の資金援助をベルリン市から受けています。これに他に集まった寄付金を加えて、3人分の職員の給与、イベント費、維持費などすべてをカバーしているということです。
パパセンターは、先ほどイベント例で紹介したような国際交流にも貢献していますが、「パパ」に関連した社会貢献も行っています。それが、刑務所に入っている若い父親と家族とのふれあいの場を提供する活動です。ベルリンのプレッツェンゼー刑務所には、軽犯罪や暴力事件の罪で収監された若者が入っています。ここでパパセンターは、定期的に若いお父さんとお母さん、そして子どもとが一緒に遊ぶことができる交流会を開いています。
ちなみに、パパセンターとは別に、この刑務所自体も、週に1回程度、家族との面会イベントを実施しているとのこと。ただし、その面会の会場は質素で味気なく、子どもと遊べるような和んだ場ではないことが問題だと考えたパパセンターは、飾り付けやケーキなどのお菓子を用意して、家族交流の場を和ませるような独自の交流会を行っています。
パパセンター代表のエバーハルト・シェーファーさんは、こう語ってくれました。
軽犯罪によって収監されたことがきっかけになって、家族との関係が悪くなることが多いのです。また、父親として子どもに嫌われることで、親が自信を失ってしまいがちです。定期的に家族と会うことで刑期後の家族内の結びつきを大切にし、犯罪の負のスパイラルに陥らないようにすることが重要です。それは本人、パートナー、子どものそれぞれにとっても重要だと思います。
これらの取り組みを実践しているパパセンターは、決して古くからあるものではありません。シェーファーさんも、彼が自分の子どもを育てはじめた30年前は状況が全然違ったと述べていました。さらに10年前のドイツ社会であっても、まだまだ「父は会社」「母は家庭」という見方がかなり強かったとのことです。しかし、ここ数年間の育児休暇取得政策の変化などによって、状況は変わってきたといいます。
事務所入り口上のピクトグラムでは、
手をつないでいる親が「スカート」を履いていない
現在、パパセンターは、ベルリン以外では北ドイツの港湾都市ハンブルクにも置かれています。しかし、まだまだ、こういった「パパの場」がドイツで浸透しているとは言えません。
シェーファーさんは、このセンターを訪れる父親はベルリン在住の父親のほんの数パーセントにも満たないし規模は小さいけれども、具体的な場としてのセンターが存在していることの意義を繰り返し強調していました。
本原稿は、ならの地域づくりマガジン『俚志(さとびごころ)』(第5号、2011年3月)に掲載された記事に加筆修正を加えたものです。