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【元・学生パパがみたドイツ育児】 第2回 ドイツの出産現場での「立ち会い」

2008年1月15日、そして毎年1月15日は、私や家族にとって忘れられない記念日となりました。「(昔の)成人の日」だからというわけではありません。それは、わが息子がこの世に生まれ、私が彼にはじめて出会った日だからです。今回は、2008年にドイツで体験した出産の「立ち会い」について書いてみたいと思います。

私たちが住んでいたベルリン・プレンツラウアーベルク地区では、父親がベビーカーを押して買い物をする光景をよく見かけました。最近、日本でもお父さんが子どもと出かける機会が増えてきたと思いますが、ベルリンでは、父親が自分の友人と会うときにも赤ちゃんを連れてきたり、父親同士で子連れ散歩をしたりします。

ただし、こういう光景は、ドイツに昔から見られたわけではありません。日本と同じくドイツでも、父親が育児に参加する機会は少なかったのです。しかし、1968年頃に盛り上がった学生運動世代が前世代の旧弊を改めようと動きました。それによって、「男は職場、女は家」という既成概念が少しずつ変化してきたのです。

さらには2007年1月に施行された育児休暇法では、男性・女性が職場から離れても給与の約3分の2を政府が援助し、職場の側も彼ら・彼女らの職場での地位を確保せねばなりません。これも影響して、ドイツでは男性の育児休暇取得率が一気に伸びました。もちろん、政府主導の変化の背景には、社会的な要請があったわけで、「お上」が勝手に実施したわけではないということも重要でしょう。

さて、男性の育児参加と聞くと、私はまずベルリンで体験したわが子の出産現場のことを思い出します。ドイツでは、妊婦さんは、まず近所の開業医に通います。そこで検査や出産のためのアドバイスを担当医から受け、その後に出産病院(総合病院)を決めるのです。私たちは、家から一番近くにある旧東ベルリンの総合病院に決めました。ちなみに、ドイツでも自宅出産や助産院などもあって、病院以外で産むという選択肢も増えてきているようです。

2008年1月14日の夜、ベルリンのカレー屋で、妻が破水して救急車で総合病院へ(香辛料の刺激に赤ちゃんがびっくりしたのでしょうか...)。病院では、部屋にベッドがぽつんと置かれているだけで仕切りのカーテンもありません。想像していた出産現場とかなり違った雰囲気に戸惑いつつも、それどころではない妻を「応援」しようと、私は意気込んでいました。しかし、夫の方もそれどころではなかったのです。

この病院では、夫はまさに出産に主体的に「立ち会い」ます。日本の出産立ち会いは、単なる「立ち見」だという意見も聞かれますが、ベルリンのこの病院では夫は「一人の助手」としてカウントされます。

そんな心づもりのなかった私はビビってしまいましたが、妻も「夫の応援」など聞こえないくらいの激痛を味わっているわけで、そこで夫が背中をさすったり、酸素マスクみたいなものをつけたり、足を持ち上げたりと、補助員として立ち会った方が効率的なわけです。

このようにアシスタント業務に集中している間に出産は進行し、ついに赤ん坊が「オギャー」と、この世界に出てきました。息子の泣き声を聞いて数分間だけの感動タイムが過ぎれば、私はアシスタント職に戻ります。

最初の産着を着せるときに、「やったことないから、どうすればいいの?」と私が質問したのですが、体格のいい熟練の女性助産師に「最初は誰でもやったことないんだよ!」と、確かにごもっともな意見で怒られながらも、息子に最初の産着を着せたり、妻と息子のベッドを寝室まで転がしていったりと大忙しなわけです。

その助産師さん曰く、「役に立たないなら立ち会うな」、「失神したら邪魔にならないよう、端っこに転がしておく」ということでした...。

このように、出産現場で、私は、「立ち見」ではなく、まさに「立ち会った」のでした。妻は激痛に耐えて出産しました。息子も世に出る努力を小さい命で必死にやりきりました。そして、私は微力ながらもそのアシストをしたのです。これこそが、家族三人がそれぞれできることをするという意味で、家族三人の「はじめての共同作業」となりました。つまり、男性としてはできる範囲内で、しっかりと出産に参加したのです。特に、息子に初産着を着せた経験は今でも活きています。子どもを着替えさせるときに、その記憶が蘇り、子どもの着替えはパパの得意分野というような気持ちになります。これが、ある種の自信となり、パパとしてのスイッチが入るきっかけになっているのです。

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2008年1月にベルリンで生まれたわが子。もちろん、生まれた瞬間は喜びを味わう時間があった。
しかし、その後すぐにアシスタントに戻ることに。

父親は、母親と違って、胎内で子どもを感じることで、親の意識を作り上げることはできません。その分、パパとしての意識を持つのに苦労することがあります。だから、「わが子の初めて」を実践するなどして、少しずつ自信をつけるしかないのです。その意味で、ドイツでの「立ち会い」は、私に素晴らしい機会を与えてくれました。

さて、日本では経営競争の激化から、過度な出産サービスの事例を耳にしますが、ドイツでは保険の適応範囲が広い分、対応がいい意味で「適当」です。しかしその分、余計なストレスなく出産できるという利点もあるのです。

ドイツの事例から、出産とは一体誰のためのものかという「そもそも」論に立ち返って、日本の出産のあり方も考えなおしてみる必要があるのではないでしょうか。

後記:その後2012年2月5日に、第二子が、これまた旧東ベルリンの病院で産まれました。今度は怒鳴られることなく、立ち会うことができました。


参考資料:

「イクメン、独で急増」 YOMIURI ONLINE(2010年10月7日付)


本原稿は、ならの地域づくりマガジン『俚志(さとびごころ)』(第4号、2010年12月)に掲載された記事に加筆修正を加えたものです。

筆者プロフィール
Yanagihara_Nobuhiro.jpg 柳原 伸洋(東海大学文学部ヨーロッパ文明学科講師<ドイツ近現代史>)

1977年京都府生まれ。2006年7月から2009年11月、2011年8月から2012年3月まで、ドイツ・ベルリンに滞在。NPOファザーリング・ジャパン会員。著書に、歴史コミュニケーター及びライター・伸井太一として、東西ドイツの製品文化史を紹介した『ニセドイツ』(単著、社会評論社、全3巻)や『徹底解析!!最新鉄道ビジネス』(分担執筆、洋泉社、Vol.1、2)がある。
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