CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 普段着の小児科医 > 46. 「意識の意識」メタ意識の機能

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

46. 「意識の意識」メタ意識の機能

要旨:

今回は意識の存在する本質的な意義の一つとも言えるメタ意識について考える。メタ意識というのは「意識に対する意識」つまり自分は今こういう事を意識しているぞという意識のことである。筆者はヒトのメタ意識の役割と機能について例を挙げながらわかりやすく説明した。また、乳幼児の脳で意識の働きとメタ意識の働きはまだ十分に機能していないので、子どもたちがメタ意識を働かせて「何に注意を払うべきで、何を意識上で操作すべきで、どこでメタ意識による判断を行うべきか」を上手にコントロールできるようになるように学習環境を整えてあげることが重要であると述べている。
前回は意識が脳内でどのように生み出されているのかについて大胆で冒険的なモデルを提唱しました。今回はさらに意識の存在する本質的な意義の一つとも言えるメタ意識、つまり意識についてその内容を意識して理解・判断する脳の高次機能について話を進めたいと思います。

脳神経の高次機能を解明する実験に動物の学習を研究する方法があります。学習という事は、刺激を受けた脳神経回路がその刺激を有利か不利か判断して、以後の行動の参照基準として行動に影響を与えるものですが、反射的で自動的なものであれば生得的に規定された良い悪いの基準に照合して行動すればいいだけなので、学習は瞬時にあるいは数回の刺激で完了するはずです。恐怖の条件付けや摂食行動に関する学習ではこのような短時間の学習が成立しています。ではなぜ0.5秒、ニューロン発火に換算すれば500回分に相当する長い時間を費やしてまで意識という反射以外のシステムを作る必要があったのでしょうか?そもそも我々が意識を持つようになったのは、反射的・自動的に記憶したり、自動的に記憶から検索された情報で判断して瞬時に行動するよりも、多少時間がかかっても、有用な情報と有用でない情報を選別して記憶したり行動の指標にする方が生存にとって有利であったからだと推測されます。したがってこのようなレベルでの意識の機能は実際に多くの動物種で獲得・活用されているのだと推測されます。大胆な発言ですが、私は人類以外の多くの動物種が意識を使用していると考えているのです。もしそうでなければ時間をかけて行われる学習という現象がなぜヒト以外の動物でも起きるのかを説明する事ができません。そしてこれから述べるメタ意識についても、高等な知的回路を持つ動物の脳内では実際に機能している可能性が高い現象だと思われます。

メタ意識というのは「意識に対する意識」つまり自分は今こういう事を意識しているぞという意識のことです。もう少しわかりやすく例を挙げて説明すると、自分がいま感じている、あるいは考えている意識内容に対して、それが良いとか悪いとかを意識するような機能のことです。考えてみれば、私たち人類は目が覚めている間は四六時中このメタ意識を働かせて生活していることがわかると思います。私たちは目覚めて行動しているときには周囲の人や出来事に常に注意を払い、これは良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、脳内で予測した結果を吟味しながら生活しています。さらに本能的な範疇に入る行動、たとえば食事をするときにも生殖行為の相手を選ぶときにも、これが好きだとか嫌いだとかを反射的で自動的な遺伝子の決めた選択ではなく、意識的な判断や好き嫌いや周囲の社会的状況に適合するかどうかの照合を含めて選択して行動を決定しています。近年「自由意思の否定」が哲学者を称する脳科学者の間で流行しており、人の行動は全てあらかじめ決められた神経回路の計算結果として出現するだけで、人には自分の行動を決定する自由意思さえ存在しないのだとの決定論が叫ばれていますが、私はそうは思いません。ヒトと高等な知能を有するヒト以外の動物種にさえも、メタ意識という反射的行動や自動的選択を上位からコントロールする神経回路と機能的システムが稼働していることは過去の動物観察と実験から明白な事実だと思われます。ヒト以外の動物のメタ意識については本稿の主旨ではないのでこれ以上の論議は控えることにして、ヒトのメタ意識の役割と機能についてもう少しわかりやすい説明を加えようと思います。

前回からの続きになりますが、なぜ人類は意識を持つに至ったかという理由は、脳に伝えられる膨大な情報の中からニューロンが抑制的なオートレセプターの反回路によって0.5秒間以上の連続発火を行える刺激のみを選別し、それを有用な情報として意識上に姿を現させることで「考えた行動」をとることが可能になり、それが人類にとって生存に有利であり、またそのような社会を作って生活することで他の動物種より有利な繁殖環境を獲得・維持してきたからだと思われます。ただし進化の過程は必要なものは意識させますが、必要でないものは意識させないで自動的に処理する仕組みをきっちりと作り上げて来ました。その一例として視覚には事象の形状や色彩を認識する「意識できる」視覚以外に、運動をコントロールする「意識できない」視覚経路があることを第37回第40回に解説しました。ヒトが物をつかんだり動かしたりするときに働くこの「意識できない」背側経路は非意識的に作動しており、どんなに注意してもその働きを本人は意識することは出来ません。これはおそらく0.5秒の時間と判断を行う余裕のない緊急時に対応するために敢えて意識を発生させない仕組みになっているのだと思われます。その顕著な例としては後頭葉下部の障害で視覚能力を失った症例で自分に向かって飛んでくるボールを「何も見えなかった」と本人が主張する間に、無意識かつ自動的に身体が動いて避けることができる事実を「盲視現象」として解説した通りです。このように意識のシステムが何を意識して、何を意識しないで処理するかは長い動物進化の結果として現在に至っているのだと私には思われます。

report_04_59_1.jpgこの意識のシステムをもう少し詳しく推察する資料は、脳梁を手術で切断された「分離脳」の患者での実験から得られています。大脳半球の左右の機能分担については、基本的には上図のように身体の右側の情報は左脳で処理されて、身体の左側の情報は右脳で処理されています。脳梁離断手術等の結果、左右の大脳半球を完全に離断された患者では、視野の左半分、上図の左側に描かれたバナナの絵のように右脳にだけ入力するようにして写真や絵画を見せても、それが何であるか(バナナ)を意識することは出来ません。しかし描かれた事物が好きであるか嫌いであるかの判断は正確に出来るのです。逆に視野の右側、すなわち上図のリンゴのように左脳だけに入力するようにして写真や絵画を見せられた場合ではそれが何か(リンゴ)を意識して、かつ好き嫌いの判断も出来ます。このことはヒトの脳では内観的な意識はどうも大脳皮質の左半球にありそうだと強く示唆しています。

report_04_59_2.gifまた分離脳の患者でしばしば出現する「エイリアンハンド」(正確には拮抗失行)の現象も意識と無意識の違いを鮮明に表してくれます。エイリアンハンド現象の出現する患者さんでは、右手で意識的に行った行動に対して左手が無意識的に逆の行動をとるという症状が出現します。たとえば右手で洋服のボタンをはめると、左手が無意識かつ自動的にそのボタンをはずしてしまうのです。この現象は私たちの全ての運動が大脳の運動中枢からの運動指令とその抑制指令の絶妙なバランスに支えられて成り立っており、左大脳皮質からの意識的な指令が脳梁を通って右大脳皮質に届かないと、抑制指令の方が強くなって反対の運動が出現するのだと推測できます。

私たちの脳の働きを良く理解するためには、脳内の多くの処理は無意識的に実行されていて、意識することが重要な意味を持つ事象だけが0.5秒以上の連続した脱分極の結果として、左の大脳半球にある意識の領域で自覚されるのだと考えることと、神経細胞の興奮は常に上位中枢からの抑制的なフィードバックによってコントロールされていて、いかなる刺激もこのフィードバックの許可を得なければ意識上に姿を現すことは出来ない「意識のフィルター」が存在することを念頭に置いて脳神経の作用機序を考えることが大切だと思われます。自閉症の患者さんでは意識のフィルター機能が弱く、不必要な感覚刺激が大量に意識上に流れ込むために脳の機能が混乱を来しているとの考え方もあります。乳幼児の脳でも意識の働きとメタ意識の働きはまだ十分に機能していないと私は考えていますので、子どもたちが意識の働きを十分に使いこなせるようになるまでの期間は、周囲の大人たちは細心の注意を払って子どもたちの健やかな成長を見守らなければならないと思います。つまり、子どもたちがメタ意識を働かせて「何に注意を払うべきで、何を意識上で操作すべきで、どこでメタ意識による判断を行うべきか」を上手にコントロールできるようになるように学習環境を整えてあげることが重要です。その点で昨今の「早期教育」の在り方には脳神経の発育を無視した強引な大人の押しつけ教育が混入している場合も少なくないようで、子どもの脳を逆に痛めてしまうのではないかと心配なケースも少なくありません。「メタ意識を鍛える」人格重視の幼児教育の重要性に親たちはもっと真剣に目を向けなければ心の発育が脆弱で危険な子どもたちが増加するばかりだと私個人は危惧が絶えません。

図版の引用に御許可を頂いた岩田誠先生と日本評論社に心から謝意を表します。

筆者プロフィール
report_hayashi_takahiro.gif
林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP