私たちの心の機能が脳にあることを疑う人は科学者の中には少ないと思いますが、脳機能の局在性については脳を専門に扱う医学者や脳学者の間でも意見の統一には至っていない印象があります。このことの一つの理由は局在性という語の持つ意味を厳密にとりすぎると、脳の機能は完全にある場所だけでは成立しようがない、極端な例を挙げますと、身体から脳のある部分だけを切り離して生かし続けたとして、その脳が何かを感じたり思考を巡らせたりする事が出来るとは言えないだろうと異論を唱える事が出来るのです。これはコンピュータの部品を一つだけ取り出して電源を入れても機能しないのと同じで、この現象を基に特定の部品が特定な機能を持つこととは無いと主張しても意味をなさないのですが、脳の機能になると局在論と全体論とが妥協できないのは不思議で興味深くさえ思われます。人は心のどこかで人類の脳だけは特別だと考えたがっているのかも知れません。さて、話を脳の機能局在性に戻しましょう。私がここで局在性と話す場合は、その部分が主な活動場所になっている、喩えて言えばカーニバルのお祭り広場のように、町中が騒いで市民みんなが参加する祭典にも、中心的な活動場所があるようなものだと考えてください。このような厳格すぎない規定で脳の機能局在性を考えるならば、脳機能が局在性を有する事に異論が出る余地は少ないと思われます。たとえば心臓の動きや血圧の調整は神経的には脳幹部が担当して、内分泌的には視床下部が担当していることに異論はないでしょうし、小脳が運動の調節に重要な役割を果たしていることにも異論はないと思われます。同様に、大脳皮質のそれぞれの場所が或る特定の機能に分化されていること、つまり大脳皮質の機能局在性についても、まだわかっていない部分が多いことは認めたとしても、全体論的に頭から否定するのは頑固すぎると思います。
大脳皮質機能の局在性を如実に顕している例として、「もうひとつの視覚」のなかで紹介されている一酸化炭素中毒後の視覚障害を挙げることが出来ます。この症例では大脳皮質後頭葉下部の小さな部分が障害を受けたために、物体の形だけが認識できなくなったにも関わらず、物体の色やテクスチャ(表面のザラザラ感やツルツル感など)は見分けることが出来、また物に手を伸ばしたり、歩くときに意識せずに段差を難なく乗り越えたり出来る事実から、ヒトが物体の色や形を意識する視覚と、運動ガイドにのみ使われて意識されない視覚との2種類の視覚を別々に持つことが明らかにされたのです。下の図は大脳後頭葉下面に存在する、意識できる視覚の局在性を表しています。このようにヒトの視覚野のある後頭葉の下面には、場所を認識する部分、顔を認識する部分、物体の形を認識する部分など明らかに機能分化された皮質部位が存在して、成人後に障害を受けると他の脳の部分では機能代償され難い事がわかっています。
このような視覚の局在性解明と併行して、視覚野をはじめとする大脳皮質の神経細胞(ニューロン)には規則的に配列した小さな機能単位が存在し、機能的なモジュール形成が見られることも明らかにされてきています。サルを使った視覚野皮質の研究は脳神経の機能のうちで最も解明が進んでいます。網膜からの入力は経由地点を通った後に後頭葉の第一次視覚野に入力され、単純な要素の配列に分解されて認識されます。第一次視覚野皮質の第二層・三層では2mm四方の領域内にブロッブと呼ばれる色を感じるニューロンが16個と、方位円柱と呼ばれる180度全ての方向の傾きのうち一つだけに特異的に反応するニューロン群が多層構造で配列しています。視覚皮質の第四層には0.5mm幅に横縞状に配列する、右眼と左目どちらか一方だけの入力に反応して動きの分析に関与する眼優位円柱と呼ばれる構造があります。ここで強調しておきたいことは、それぞれのニューロンは決められた一定の入力だけに反応して活動電位を出力するということと、それらが厳格に規定されたモジュール構造を持っているということです。
このような視覚皮質のコラム構造を見ていると、チョムスキー派とフォワードが提唱したモジュール理論とどこか一致するような気がしますが、あくまで感覚処理段階での下位皮質では最小単位の入力処理モジュールが認められるということであって、これを脳の最も高次な機能である言語処理にまで拡大させて、言語までも生得的モジュールによる遺伝的に規定された処理であると考えるのは私には無理があると感じられます。言語を人間の脳が活動する結果として自然科学的に分析研究しようというチョムスキーの発想は立派だと思いますしヒトが言語獲得装置のように言語に特化した遺伝的な基盤を生得的に持っていることには強く蓋然性を感じますが、生成文法理論に関する現状を見ると自然科学的な手法からほど遠い哲学的ともいえる難解な理論モデルのるつぼに嵌っているように私には感じられてなりません。言語という高次脳機能の解析は今後はワーキングメモリの脳科学的な解明から、前頭葉・頭頂葉・側頭葉の3つの連合野の機能解明と並行して進んで行くものだと脳機能局在性解明の進展に個人的に大いなる期待を募らせております。
脳機能の局在性に対する強力な反証としましては、小林登先生も「脳の半分がない子どもの発達から学ぶ」のなかでご紹介されておられる重症てんかんの治療の為、3歳の時に脳の右半分を切除されたニコと、11歳の時に左半分を切除されたブルックスの二人の男児の実症例が挙げられるでしょう。大脳機能の局在性が遺伝的に規定されていて、その機能分担が確固たる物であれば、なぜ大脳半球を手術で除去された子どもたちが多くの正常な心と精神の機能を持つように育つことが出来たのかという疑問に答えなければなりません。私はこの疑問に対する答えは、視床を中心とする大脳皮質機能形成のメカニズムと大脳皮質再建と可塑性の過程として説明ができると考えています。成人後に大脳皮質の一部に出血や梗塞で障害を受けた人にとっても、リハビリテーションで失われた脳機能を再獲得することが限定的ですが可能であります。このような機能再建は視床からの刺激によって他の大脳皮質が必要とされる処理機能を獲得することでリハビリテーションが進むのだと私は考えています。脳の可塑性とリハビリテーションについては子育ての話題とは少し乖離しますので、また後ほど言及できる機会が有れば解説しようと思っています。
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