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43. ヒトはいつ人類に進化したのか?

要旨:

ヒトの心が生まれつきあるものなのか。もし生まれつきでなければ、いつそれがヒトの赤ちゃんの心の中で芽生えて来るのか。今回はこれについて推論を深めた。筆者は「ヒトがいつ人類に進化するのか?」という疑問を乳児期の人見知りと自他認識システムの起動とに関連づけて考え、乳児期の「人見知り」の時期に、私たちが人類としての「コミュニティや社会の知的資産」を受け継ぐと共に自由にそれを活用できる知的な能力、つまり他者の考え、すなわち知的経験を自分の脳内で自由に再現し活用できる能力を自他認識システムの発達とともに獲得するのだと提唱している。
前節ではヒトの発生と進化の系統樹からヒトの脳と心は他の動物を多くの共通基盤を持つことを解説すると共に、ヒト特有の脳の機能は他者の精神活動を自分自身の脳内に取り込んで追体験して共感や模倣学習を行う能力だと、私の人類の脳の特性についての持論を述べました。今回はこのことをさらに掘り下げて、ヒトの心が生まれつきあるものなのか?もし生まれつきでなければ、いつそれがヒトの赤ちゃんの心の中で芽生えて来るのかについての推論を深めたいと思います。

ヒトの知的能力の高さは個人によって生み出されるものではなく、外部からの学習によるものであることはヴィゴツキーを始め多くの教育心理学者によって繰り返し指摘されてきたとおりです。ピアジェが言うように私たちが全ての事象を感覚運動の循環による実体験を通して理解しているとすれば、私たちはどうやって地球が丸いことや、地球が太陽の周りを公転していることを自分自身で日常生活の中から気づくことが出来るでしょうか?それはほとんど不可能に近いと思われます。我々人類が文明を構築してその恩恵にあずかれるのは先人の知恵を蓄積して改良を重ねながら「コミュニティや社会の知的資産」を受け継ぐと共に、自由にそれを活用できる知的な能力を持っているからに他ありません。この他者の考えすなわち知的経験を活用できることの必要条件として、他者の精神活動を自分の中に取り込んで自分自身の精神活動のように再体験できる能力が要求されます。そして十分条件として、取り込んだ他者を自分自身と区別して理解・操作し、他に対して教え広める能力が求められます。この二つの能力、すなわち「教え・教えられる能力」こそが人類を他の動物群から大きく引き離すことが出来る、ほぼ私たち固有と言っても良い脳の学習機能だと思われます。

少し話が込み入ってきましたので理解しやすく解説してみましょう。私たちはコミュニケーション障害が無い場合は他者の考えをまるで自分自身の考えと同じように脳内で思い浮かべることが出来ます。しかも統合失調症や解離性障害が無ければ、決してそれは自分自身の考えではなく、他人の考え方だということも理解しています。これはよく考えると、とても大変な脳機能なのです。脳がニューロンと呼ばれる神経細胞の電位的変化によって情報を処理していることは第34回第35回の記事内で解説しました。ニューロンの電気的変化が他者の脳内で起こっている電位変化による「精神活動」を自分の脳内に取り込むことはどうやって可能なのでしょうか?またさらにその電位変化が自分自身の感覚とその操作の中から生まれた神経細胞の活動なのか、それとも他者の行動を見たり聞いたりして感じた「追体験」としての神経細胞活動なのかをどうやってニューロンは区別する事ができるのでしょうか?

もう少しわかりやすくするために具体例を挙げて解説してみます。私たちが健常な心を持つ場合、母親を見失って泣いている子どもの姿を見ると「あの子は母親とはぐれて泣いているのだろう」と想像して胸がキュンとなると共に、可能ならば迷子の手を引いて母親探しを手伝おうと考えたりします。この場合に自分が子どもの立場になったとして泣いている迷子の気持ちを推察しますが、決して自分自身が迷子になっているのではないことも知っています。この他者の気持ちが分かる能力は人類で特に発達した能力だと考えられます。類人猿でも他者の隠した餌を盗むときや他者が上手に餌を取るのを真似するときには、ある程度の精神的な再体験能力を示すことがあるようですが、基本的には他者の考え方を自分の中に取り入れたり、追体験したりする事はないと思われます。人類以外の動物の脳内世界は、個体個体の中で自己完結した精神世界を形成していて、それらが個体の間を越えて干渉することはわずかな場合に限られる、また仮に精神的世界が重なった場合にもそれは個体対個体のレベルにとどまり、コミュニティや社会全体の知的な活動として発展することは無いと思われます。頼まれたり必要に迫られたりする訳でもないのに他人の心を子細にわたって汲み取る能力は、彼らでは人類に比べるとかなり低いと私には思われます。

私たち人類と遺伝子が98.8%相同性を持つチンパンジーは遺伝子時計で推計すると500億年から600億年前までは同じ動物種であったことが知られています。ですから人類で特に発達した他者の考えを取り込む能力と、他者の考えを自分自身の考えと区別して取り扱う能力とが、過去500億年から600億年の間に私たちの脳内で起こった新しい変化だったに違いありません。この他者の精神活動を自分自身の精神活動として脳内で再体験(シミュレーション体験)して、相手の心を読みとる能力と、そうしながらも自分自身の精神活動と他者の精神活動とが混乱してしまわないように自己と他者の区別を維持できる能力こそがヒトの心の独創的な部分だと私には思えます。そしてこの機能の失調がヒトの心の病、精神障害の中で大きなウエイトを占めているのは、この能力が人類の脳の発達史上は比較的最近になって獲得された能力で整備が行き届かない脆弱な部分を残しているからだと私は考えています。

新生児模倣がチンパンジーにも観察されることを明和政子先生のご著書から引用して前節で示しました。ヒトとチンパンジーは新生児期の行動には本当に大きな差は見られないようです。ですから、人類特有の模倣学習を含む他者の精神活動を取り込む能力は、神経解剖学的な基盤は出生時に既に持っているとしても、機能的には出生後数ヶ月してから獲得されてゆくのだと推測されます。ヒトはいつ人類になるのでしょうか?このような考え方を持つ小児神経科医や発達心理学者はあまりいないように思われます。私は20年あまりをアレルギーの第1次予防という臨床の仕事で過ごしてきました。私にとって幸せだったのは神経的に通常発達する乳幼児を、生後2~3ヶ月以降、ほぼ1週間ごとに定期的な経時変化として数千人にわたって詳細に観察し続けることが出来たことだと思います。それは乳児の心の発達を観察する事が目的ではなかったので、カルテのデータとして資料が組織的に残っているわけではありませんが、標準的な乳幼児期の心の発達像として私の脳内で形を顕わしています。

この20年余りのあいだ私が持ち続けていた疑問は、「ヒトの赤ちゃんはなぜ人見知りをするのか?」というありきたりな現象に対する謎でした。今までどこの論文や小児科の教科書を見ても、この問いに満足に答えている説明が見あたらなかったのです。最近になって他者の精神活動を取り入れることが人類の特質だと気がついて、ようやく乳児期の人見知りの意味もわかった気がしています。赤ちゃんは他者の心を自分の中に受け入れる準備を進める中で、自己と他者の区別が上手く出来ないとき、他者の心が自分の中に入り込んで混乱するとき、心の機能が破綻してしまうので、恐怖を感じて心を閉ざしたように相手を避けるか、大声で泣いて他者を受け入れることを一時的に中止するのではないかと自分なりに納得のゆく回答が出せたのです。つまり人見知りの時期は赤ちゃんが他者の精神活動を受け入れる準備中の期間、すなわちヒトが人類へと成長する時期に相当すると私は確信できるようになったのです。

そしてこのプロセスにはミラーニューロンシステムを含む他者と自分を意識するシステムが関与していると想定されています。ミラーニューロンシステムの発見は生物学におけるDNAの発見に匹敵すると強調する意見もあるようですが、個人的にはそれは極端な比喩で、ホメオティック遺伝子と同レベルの発見ではないかと思っています。その理由は「ヒトの脳の個体レベルの発達は進化の歴史を繰り返すのか?」という問に対する回答に、ミラーニューロンシステムが答えてくれるように期待できるからです。ヒトの新生児は生まれてすぐの状態では空腹になると泣き声で母親を呼び、哺乳に満足すると眠りに落ちるという哺乳類の新生児としての生物学的特徴が目に付きますが、生後数日目から高等霊長類に特徴的な新生児微笑をあらわしはじめ、その後急速に精神的な発達を遂げて育ちます。この過程の中で、ミラーニューロンシステムを含む自他認識のシステムが乳幼児期の早い時期から人見知りの時期に発達し起動し始め、その発育を通じて人類は他者を自分の心の中に取り入れて育っていく事が実験的に確かめられれば、これもまた貴重な研究になるものと思われます。今回は私の考える「ヒトがいつ人類に進化するのか?」を乳児期の人見知りと自他認識システムの起動とに関連づけて考えることを提案いたしました。

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(画像は本文とは関係がありません)
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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