CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 普段着の小児科医 > 20. 随意運動と神経反射〔2〕

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

20. 随意運動と神経反射〔2〕

要旨:

人類および動物の脳の働きについて考え、小児科医として子どもの成長発達を観察し続けてきた経験の中から、無意識の神経反射と、内観的に意識されている随意運動についてまとめて考えてみた。結論として、随意運動とは内観的に自分自身が何らかの目的や価値に基づいて思考した結果として引き起こされた行為であり、そのような内観的な精神活動を伴わない行為を不随意の神経反射と規定することができる。自由意志に基づく随意的行為と、無意識の神経反射の区別は行為の本人にしか分からず、その両方の責任は行為者自身の脳にある。
以前「笑わない子どもたち」の中で、『生まれたばかりの赤ちゃんは、おっぱいを飲んで満腹の時と、まどろんで眠り掛けているときに一人でニャーっと笑います。ただし正確には顔の筋肉を無意識に引きつらせているだけで「楽しいから笑う」とか「満足したから笑う」と言った感情の伴った笑いではありません。この微笑みを私たちは新生児の生理的あるいは反射的な微笑と呼んでいます。-(中略)-新生児微笑は人類でも類人猿でも特別な感情を伴わずに神経反射として起きている一種の痙攣のような現象なのです』と書きました。おそらく多くの読者には大きな疑問と、一種の反感を持って読まれたのではないでしょうか?でも、ここまでの記事の中で脳と神経の働きの基礎が理解できるにつれて、赤ちゃんの笑顔もその根底には脳幹にある顔面神経核の強い興奮があるだけで、特に人見知り初期の「泣き笑い」の表情では、赤ちゃん自らも楽しいのも悲しいのも判断できない状況にいると言うことが、分かってきたのではないでしょうか。

モナリザの微笑」の中で書いたように、赤ちゃんの表情には「笑い泣き」あるいは「泣き笑い」と呼べる、泣いているのか笑っているのか判定できないような表情が頻繁に現れる時期があり、そのような観点で赤ちゃんの表情をよく見ると、赤ちゃんが人見知りを始める生後6ヶ月頃から8ヶ月頃の時期には、顔の左半分で泣きながら、顔の右半分で笑っている表情が、結構頻繁に出現しています。このことからも、乳児期の初期の顔面表情は、乳児が何らかの意図を持って笑顔を作ったり、しかめっ面を作ったりするのではなく、自分自身でも泣いて良いのか、笑って良いのかが分からないで迷っている状況にいるのだと、20年間の小児科医としての経験から私は強く感じています。

そこで次の疑問が生じてきます。「乳児を含む動物の脳は、いったいどこまで自分の意志で行動を決定したり制御しているのだろうか?我々の脳は本当に自分の行動を全部事前に認識して、今笑うべきか、あるいは泣くべきかを決定してから行動していると言えるのだろうか?もしも乳児期にできないとすれば、その意思決定と行動の制御をいつどこでどのように獲得するのだろうか?」

この問題は現代の哲学者と脳科学者がかかえている最大の論点でありますので、ここで私がすぐに答えを出せるようなことではありませんが、小児科医として子どもの成長発達を観察し続けてきた経験の中から、この人間の意思の問題についても新しい意見を提示したいと思っています。その前に人類および動物の脳について、脳はいったい何の仕事をしているのかを考えてみようと思います。下に私が考えている脳の働きを簡略化したシェーマ(図式)を載せました。

report_04_33_1.gif
report_04_33_2.jpg

原始的な脳は、脊髄に近い方から後脳・中脳・間脳・終脳と呼ばれる4つの部分に分かれて発生・進化してきます。初期の原始的な神経システムは、動物が単細胞動物から多細胞動物へと進化したときに、細胞同士が情報を伝達して反射して身を守るための器官として発達してきたと考えられます。脊髄反射は最も原始的な動物の神経の役割を現在も保持しています。脊髄反射の例は、以前も「天使のほほえみ」のなかで説明しましたが、少し高めの椅子に太股の力を抜いて、足をブラブラさせて腰掛けて下さい。そしたら膝のお皿のすぐ下を、直径2から3センチの丸い棒で軽くたたいてみましょう。うまくツボにはまると勢いよく足がピョンと跳ね上がると思います。このように意識せずに神経が勝手に刺激に反応して動くことを不随意の神経反射と呼びます。膝のお皿の下をたたいて足が不随意に伸びる現象は膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)と呼ばれる脊髄反射(せきずいはんしゃ)です。

私たちが何も考える必要が無く、原始的な脊髄反射だけで生きる動物だったなら、私たちにこの大きくて重たい脳味噌は必要なかったでしょう。私たちが数分間の酸素不足やブドウ糖の不足でダウンしてしまう、ひ弱な大脳皮質を大切に保持して遺伝的に進化させてきたのは、私たち人類がこの器官を使って考えて行動することを生存に有利な方向に行使してきたからに他なりません。脳は私たちにとって間違いなく、行動をコントロールして神経反射以上の生活を送るために有利な器官なのです。

もういちど上記のシェーマを見ながら脳の働きを考えてみましょう。神経システムは脊髄の神経反射に対して、視覚、聴覚などの情報を付加してより正確な状況を察知し、正しい生体反応を起こすために脊髄の上にさらに後脳と中脳を増設しました。しかし身体のあちこちから伝えられる情報と、さらには視覚や聴覚の情報を全体として統合して反応する方がより有利であったので、感覚入力を総括する視床を間脳に設置して、それらの記録を記憶するための海馬と、記憶と現状を比較して思考判断する大脳皮質(鳥類では外套)を終脳として設置しました。これが現在の私たちの脳を含む神経システムの全貌です。

そして私たち人間は、自分自身で認識して自由意志で起こす行為を随意運動、自分の認識ではなく無意識に起こる運動を不随意運動あるいは神経反射と分類して考えていますが、神経システムのどの部分を使っているかだけの問題であって、不随意運動といえども本人自身の神経システムが起こした運動であることに変わりはありません。赤ちゃんがおっぱいを飲んでお腹がいっぱいの時に、夢見心地で微睡みながらニターッと微笑むのを、一般の人は、赤ちゃんが幸せを感じているから笑うのだと考えますが、私はこのような新生児の生理的微笑とか生得的微笑反射は、赤ちゃんが特別な感情に動かされずに、単に神経の反射として顔の筋肉を引きつらせているだけだと考えています。しかし本当のところは本人にしか分からないことで、このように本人だけにしか分からない精神活動を内観的な精神活動と呼んでいます。

すると結論はこうです。随意運動とは内観的に自分自身が何らかの目的や価値に基づいて思考を行った結果として引き起こされた行為であり、そのような内観的な精神活動を伴わない行為を不随意(あるいは無意識)の神経反射と規定することができます。ならば、自由意志に基づく随意的行為と、無意識の神経反射の区別は行為の本人にしか分からないことになり、その両方の責任は行為者自身の脳にあると言わなければなりません。すこし問題がこみ入ってきましたが、自由意志と神経反射について、哲学的な考察と脳神経科学的な事象とを整合させるための準備として、今回は脳の根本的な働きである無意識の神経反射と、内観的に意識されている随意運動についてまとめて考えておきます。

筆者プロフィール
report_hayashi_takahiro.gif
林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP