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16. モナリザの微笑

要旨:

モナリザの顔の左半分は笑っているが、右半分が泣いているようである。愛する子どもの病死を悲しむ表情と、楽隊の音楽に心を和ませる表情とを天才芸術家ダヴィンチが心の中で結合させ、一枚の絵として顔の右側と左側に描き分けているのだと推測する。目元の表情は意図的に左右で変えることは難しいが、赤ちゃんは、生後6ヶ月から8ヶ月頃の時期だけには、顔の右半分で泣きながら、顔の左半分で笑っている表情が、結構頻繁に出現する。それは顔面神経の発育がまだ大人のようにはっきりと左右で役割分担されて、両方の脳が統合されていない時期だからである。
前節「まばたきとウインク」では、ヒトの顔に喜怒哀楽の表情を生み出すのは、顔面神経が顔の筋肉を動かすことによると説明すると共に、顔面神経の走行経路について、左側の顔面の下半分を支配するのは左側の脳幹にある顔面神経節で、そこには右脳の大脳皮質から発せられる信号が入力し、反対に右側の顔面の下半分には左側の大脳皮質から発せられる信号が右側の顔面神経節に入って顔の筋肉に到達すること、またそれに対して、顔の上半分では左右の顔面神経節に左右の大脳皮質からの信号が同時に入るので、まばたきや眉毛の動きは左右同時に起こりやすいことを説明しました。顔面神経には側坐核という大脳基底核の一番古い部分からの入力信号が多く、これが喜怒哀楽の感情と密接に関係していると筆者は考えています。この節では、モナリザの微笑の秘密に脳科学的に迫りながら、人に笑いが起こる神経メカニズムを追跡してゆこうと思います。

レオナルド・ダヴィンチの傑作の一つである「モナ=リザ」の微笑には、今まで多くの芸術的な考察が展開されて来ています。私は絵画の研究家ではないので、一般的なニュース報道を基にモナリザの描かれた背景を引用するにとどめますが、ドイツのハイデルベルク大学図書館によってモナリザの制作初期のモデルは、伊フィレンツェの富豪、ジョコンドの妻だと結論付けられたそうです。ドイツ通信(DPA)などによれば、ダビンチの知人だったフィレンツェの役人、アゴスティノ・ベスプッチが1503年10月、当時の書籍の余白部分に、「ジョコンドの妻の肖像画など計3つの絵画をダビンチが作製中」などと書き込んでいるのを図書館が発見したそうです(2008.1.15 08:54 産経ニュース)。絵師でもあるジョルジョ・ ヴァザーリが、その著書「美術家列伝」の中で、ダ・ヴィンチはモデルをリラックスさせるため、そして微笑みを絶やさせないように、楽隊に音楽を奏でさせながら「モナ・リザ」を描いたと記述しています。また、絵が描かれた時期について、1504年頃モデルの婦人は25歳で、生まれて間もない子どもの病死という不幸に見舞われたと伝えられています。

私はモナリザの微笑を脳神経的に解明する目的で、絵の顔の部分を右半分と左半分とに切り離し、右側だけと左側だけのモナリザの顔を作成してみました。比較しやすいように、右側を反転させてどちらも左側に見せています。そして右側だけと左側だけをそれぞれ一枚の画像に再合成してみました。

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そうすると一目瞭然にわかることですが、彼女の表情は、顔の左半分は笑っているのですが、顔の右半分は泣いていることが明白です。モナリザの神秘的な微笑の秘密は、別々の高さの視点から左右の表情をアングルを変えて見ているとの見解もありますが、実は顔の右側と左側が別々の表情を示しているのだと私には思えます。前節で解説した顔面神経の支配から推論しますと、顔の下半分、すなわち口元の微笑に関しては意図的に自分の意志で、左右に泣き笑いの変化をつけることは比較的容易ですが、目元の微笑を左右で変えることは現実には難しく、一人のモデルが同時に顔の左側で笑いながら、顔の右側で泣くことは実際にはあり得ないと思えます。愛する子どもの病死を悲しむ表情と、楽隊の音楽に心を和ませる表情とを天才芸術家ダヴィンチが心の中で結合させ、一枚の絵として顔の右側と左側に描き分けているのだと考えた方が合理的であり、この超自然的な表情を、全く自然な微笑に感じさせてしまう点に、ダヴィンチの卓越した芸術手腕がうかがわれると思われます。レオナルド・ダ・ヴィンチはこの絵を臨終の時まで手元に置いたことから、肖像画ではなく自分自身の心象風景として、生涯描き続けたのだろうと推測される所以でもあります。

さて、この節で私が述べたい点は、人の泣き顔と笑い顔は実はよく似ていると言うことです。赤ちゃんの表情には『笑い泣き』あるいは『泣き笑い』と呼べる、泣いているのか笑っているのか判定できないような表情が頻繁に現れる時期があります。そのような観点で赤ちゃんの表情をよく見てください。赤ちゃんが人見知りを始める生後6ヶ月から8ヶ月頃の時期だけには、顔の右半分で泣きながら、顔の左半分で笑っている表情が、結構頻繁に出現するのです。それは顔面神経の発育がまだ大人のようにはっきりと左右で役割分担されて、両方の脳が統合されていない時期だからです。そう思ってからもう一度モナリザの微笑を見直すと、それは何と!実に6ヶ月から8ヶ月ぐらいの赤ちゃんの顔にも見えるではありませんか!ここで新説をでっち上げてみましょう。(私はモナリザの研究者ではないので、あくまで洒落程度で読み飛ばして下さい...)

『モナリザの真のモデルは、実は彼女が失った病気の赤ちゃんだった!』

今日はちょっとミステリー作家風に、モナリザの微笑を推理してみました。そして意図的な微笑は口元には現れるが、俗に「目が笑っていない」と言われるように、目元の表情は意図的に左右差を出すことは難しいと言うこと、しかし赤ちゃんが人見知りを始める時期に限っては、神経の成熟度の関係で、顔の右と左で泣き顔と笑い顔が同時に出現することがあり得ることを述べました。このことが今後の連載の中で解明される、「人はなぜ笑うのか」という永遠の謎に、著者が発達心理学の立場から迫る重要なポイントになってきます。

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※絵画「モナリザ」はルーブル美術館の所蔵品です

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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