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ITを活用した質の高い体育教育の実現

要旨:

学校では多くの主要教科の学習や指導にインフォメーションテクノロジー(IT)が広く取り入れられているが、体育教育ではその活用が進んでいない。学校の体育教育におけるテクノロジー活用を促進するため、筆者らはFun to Move@JCプロジェクトの下、運動の質と量を測定する「基礎運動能力(FMS) 測定ツール」と「スポーツバンド」を開発した。これらはビッグデータを収集し、子どもたちの身体活動に関する即時的なフィードバックをすることで、体育教育担当教師の指導および評価方法を改善するためのシステムである。研究者や現場の担当者は活動データの詳細な分析によって、子どもたちの身体活動や健康の改善を目的とした、一人ひとりに合ったより効果的な指導方法を策定することができる。これらの取り組みを通じて、ITが身体教育の質の向上に大きな役割を果たし、研究・教育活動によい影響をもたらすことが明らかになった。

キーワード:

インフォメーションテクノロジー(IT)、基礎運動能力、ウェアラブル、身体活動と健康、モバイルアプリ、評価方法
English

適切な負荷をかけた身体活動は、体力の育成や骨の健康、ウェルビーイングなど、子どもたちに多くの有益な効果をもたらします。また、身体活動は子どもたちの認知能力の発達にも役立ち、学業成績との正の相関関係があるとの研究結果も報告されています。保健活動の国際的権威である世界保健機関(WHO)は、身体活動に充てることが望ましい時間のガイドラインを公表しており、例えば3歳以上の子どもは、1日最低60分以上の中強度から高強度の運動(主要な筋肉を使うことで心拍数が上がり、汗をかくような運動)をすることが推奨されています。残念ながら各国の調査では、ほとんどの子どもたちがこの推奨値を達成できていないことが明らかになっています。例えば筆者らの研究室における過去10年以上の調査では、WHOのガイドラインを満たすことができた香港の子どもたち(6~12歳)は20%未満でした。さらにこの数字は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる休校の影響で5%にまで落ち込んでいます。

WHOの「身体活動に関する世界行動計画 2018~2030」によると、質の高い身体教育の提供とそれを支える教育環境および政策が、子どもたちの身体活動量を増加させるうえで重要です。これは身体教育の授業が子どもたちの活動的かつ健康的な行動を促す重要な場であることを示していますが、学校での体育教育における指導や評価方法は、過去20~30年間それほど変わっていません。多くの主要教科において授業に新しいテクノロジーが導入されてきたのに対し、体育の授業には大きな変革が見られませんでした。そこで香港中文大学の筆者らのチームは、質の高い身体教育を促進するための一連のツールを開発しました。これらは基本的に身体活動の質と量を評価するツールで、身体教育の授業で使われている既存の手法の欠点を修正し、子どもたちの行動をより深く探求するためのビッグデータを生成するために特別に設計されたものです。

Fun to Move@JCプロジェクト

前述のシステムは、香港ジョッキークラブチャリティ基金からの寛大な寄付金を財源とした大規模プロジェクトであるFun to Move@JCプロジェクト(以下「プロジェクト」。詳しくはwww.funtomove-jc.hk/en/をご参照ください。)の下で開発されました。このプロジェクトの主な目的のひとつは、家庭と学校の協力関係を促進し、革新的なITを活用することによって身体教育の質を向上させることです。本プロジェクトでは、児童や保護者、教師が参加するさまざまな活動がなされ、全学的な協力の下で推進しました。本稿ではテクノロジーに関連する開発に焦点を当てています。

基礎運動能力(FMS)測定ツール

これまでの研究から、子どもたちが運動能力を効果的に発揮できるかどうかが彼らの体力や現在および将来の身体活動への参加を予測するのに重要であることが明らかになっています。スポーツや運動で必要とされる運動能力のすべてではないものの、それらのほとんどは「基礎運動能力(FMS)」と呼ばれる一連の運動能力を基礎にしているか、あるいはそこから発展したものです。これらの運動能力は、走・跳動作(例:走る、跳ぶ)、球技(例:投げる、捕る)、安定性(例:バランス)に分類されます。これらの能力は、より複雑でスポーツ特有の動きに必要な「構成単位」であると考えられています。香港のカリキュラムガイドでは、小学校1年生から3年生までの体育ではFMSを教えることに重点を置くべきである、と定めています。しかし、多くの教師は児童のFMSを評価する技術や知識を持ち合わせておらず、そのため児童のFMSの発達や進歩は定期的に、あるいは正確に評価されていません。

この問題を解決するために、我々は児童のFMSの習熟度を記録、評価するシステム「FMS 測定ツール」を開発しました。「FMS 測定ツール」は児童の動きを赤外線カメラで撮影し、パフォーマンスの3次元モデルを作成することができます。その後、研究で使われている「粗大運動発達テスト」のような確立された評価ツールを用いて、一連の基準に則り児童たちの運動能力を採点します。結果として、運動を終えたすぐ後に客観的な評価を得ることができ、教師も子どもたちも得意な分野と改善すべき分野を把握することができます。また、評価の対象となったすべての動画は自動的にクラウドサーバーにアップロードされるため、教師はウェブポータルを通じて全てのスコアや実際の動作を確認することができます。

このシステムは、現場の教育関係者だけではなく研究者にも大きなメリットがあります。研究におけるFMSの評価としてこれまで使われてきた手法は、子どもたちの動作をビデオ撮影し、熟練した専門家がビデオを採点するものでした。この方法は評価がでるまでに時間がかかるだけではなく、評価者によって採点に違いがでる可能性もあります。しかし研究用に「FMS 測定ツール」を用いることで、即時的かつ客観的な評価が可能となり、既存の手法の欠点を克服できます。もっともこのツールによって得られたスコアに妥当性があるという保証が非常に重要です。そこで専門家による採点という従来の方法と我々が開発したシステムによる採点の比較調査を行いました(国際学術誌BMJ Open*1に掲載)。その結果、全体的にふたつの評価方法によるスコアは86%一致していることが実証されました。この値は筆者らが専門家育成のために用いてきた閾値(85%)を超えるものです。これらの結果は、研究目的でも「FMS 測定ツール」が運動能力を評価するための有効なツールであることを示しています。

Fun to Move@JC スポーツバンド

テクノロジーを使って身体活動量を測定することは、目新しいことでも革新的なことでもありません。以前からユーザーの活動量を測定するための多くの研究ツールや市販のウェアラブル端末が開発されています。例えば研究用の加速度センサーは、当研究室が扱ったものも含めてユーザーに負担をかけず、かつ正確に身体活動量を計測するツールとして広く採用されています。しかし、ユーザーインターフェース(ほとんどの場合、省かれていますが...)、付随するソフトウェア、データ転送プロトコルは主に研究用として設計されており、デバイスやソフトウェアはほとんど日常的な使用を想定していないため、長期的な調査には適していません。一方、市販のウェアラブル端末は、エンドユーザー向けに設計されており、ファッション性を兼ね備えているものもありますが、活動データを抽出するためのアルゴリズムはブランドやまたおそらくはモデルによっても異なるため、違ったデバイスを使うユーザー間では、同一尺度での比較が難しいのが課題です。その上、より細かいデータを取得することも難しく、適用可能な分析深度に限界があります。また、ほとんどのウェアラブルデバイスは、モバイル機器を通じてデータを同期させますが、大多数の児童はそれを利用することができません。

これらの課題を解決するために開発されたのが、児童用に特化したウェアラブル端末「Fun to Move@JC スポーツバンド」とその周辺機器です。本プロジェクトでは、参加者の同意を得たうえで全員に本人用と保護者用の2種類のデバイスを配布しました。このデバイスの主な機能は活動データの収集ですが、他にもユニークな機能があります。まず、デバイスが収集する活動データは15秒間隔で保存されるため、研究者は参加者がいつ活動したのかを特定することができ、結果として詳細な分析が可能となります。また、モバイル機器を使ったデータの同期だけでなく、データ収集のためのゲートウェイをマイクロコンピュータにプログラミングして教室に設置し、児童のデバイスに保存されたデータを自動的にクラウドサーバーにアップロードさせるようにしました。この革新的なアプローチと技術の導入によって、授業中に児童の活動データを取得することが可能となりました。このプロジェクトでは参加者全員が同じデバイスを使用するため、得られた時刻歴の全活動データは児童間やユーザー間で比較が可能です。

また、これらのデバイスを通じて生成されるビッグデータによって、ユーザーへの個別フィードバックが可能です。これによって、過去の活動記録をもとにした各ユーザーの毎日の達成目標が作成されます。チャレンジするための目標ですが、達成可能なように設計されています。個人に合った目標を達成し続けることで、徐々に全体的な活動量を増やしていくことができます。また、表彰制度やクラス対抗で行うチャレンジやコンペティションによって、楽しく身体活動に取り組む環境づくりができます。さらに性別や学年を超えた活動データの比較など、ビッグデータを分析することによって子どもたちの活動の傾向や習慣をより深く理解することができるようになります。これらを通じ、研究者が児童と保護者の身体活動や健康を向上させるために、より適切な手法を設計できるようになることが重要です。

おわりに

新しい技術を導入することによって、教育だけではなく一般的な日常生活においても多くの事柄が改善されています。筆者らは体育の授業においてもそれは同じだと考えます。本稿では質の高い体育教育を実現するため、すなわち身体活動の質的、量的な評価の方法を向上させるために、筆者らが行った技術開発について紹介しました。これらのツールは第一線の教育関係者や研究者を念頭に置いて開発したものですが、我々が最初に受け取ったフィードバックは非常に肯定的なものでした。筆者らはこれらのシステムを現在も改良し続けています。我々の取り組みが、世界中の学校の身体教育でテクノロジーが活用されるきっかけとなることを願っています。


References:
    参考文献:
  • *1 Ha AS, Cheng J, Chan CHS, et al. Examining the criterion validity of two scalable, information technology-based systems designed to measure the quantity and quality of movement behaviours of children from Hong Kong primary schools: a cross-sectional validation study BMJ Open 2022;12:e060448. doi: 10.1136/bmjopen-2021-060448
筆者プロフィール
Amy_Ha.jpg エイミー・ハー

2015年~現在まで、香港中文大学教育学部の研究担当副学部長。前職はスポーツ科学・体育学科の学科長(2009年~2015年)。スポーツ教育学および身体活動評価研究室を率い、個人の身体活動や健康、QOLの観点から質の高い研究成果や社会に影響を与えることを目指している。研究テーマは身体教育におけるITの適用、家族を中心とした身体活動、動作スキルの基盤、身体的リテラシー、教師の専門性開発など。世界中の研究者との共同プロジェクト(SUNRISEなど)や出版(Lancet Physical Activity Seriesなど)にも取り組んでいる。
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