CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 子ども未来紀行~学際的な研究・レポート・エッセイ~ > 「子どもを育てるには、村がかりで」~「村」としてのコーポラティブ住宅~

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

「子どもを育てるには、村がかりで」~「村」としてのコーポラティブ住宅~

要旨:

コーポラティブ住宅 *は、1820年にスコットランドで発祥して以来、現在まで存続している(Leslie Cole, 2000)。とは言え、この住居システムのメリットや、どのように機能しているかについては、まだ多くの人が理解していないようである。コーポラティブ住宅は、住人たちによって運営される小さく密なコミュニティであり、そこに住む人々や子どもたちに、手ごろな賃料、安全な環境、そして快適な近所づきあいを実現させることに注力している。

コーポラティブ住宅にはさまざまな形態があるが、今回はカナダのオンタリオ州、トロントにあるウィンドワード・コーポラティブ・ホームズを例として紹介する。その成り立ちに始まり、現在の形態、また、そこに住む子どもたちにとってのメリットや、このような住宅システムの欠点について、住民たちがどう思っているのかを紹介する。



キーワード:コーポラティブ住宅、政府、住宅ローン、賃貸、補助金、投票、堅実なビジネス、資本経費、安全、義務、ボランティア、敬意、障害
English
共同住宅の始まり

イングランドのグレーター・マンチェスターにある都市ロッチデールは、協同組合運動が始まった場所として知られている。

1844年、まず日々の食料(小麦粉・バター・砂糖・オートミール)を売るための店舗が開設され、組合員のための住居の建設計画も立てられた (1) (2)。その後、次第に世界中の多くの国で共同住宅計画が始まった (3) (4)

日本における協同組合

日本の農村地域において、小売市場として農業協同組合が機能していたのは、1880年代にさかのぼる。第二次世界大戦の間に一旦は廃れてしまうが、その後GHQの占領下で、マッカーサーが組合運動を推し進める。1948年には新しく消費生活協同組合法が制定され、消費者協同組合運動が再燃することとなる。そのような背景の中、1951年には、プリンストン神学校の卒業生である賀川豊彦が日本生活協同組合連合会を設立した。今日ではほとんど全ての農業、漁業、林業の従事者が協同組合に加入しており、この組合の金融の円滑化を図る目的で設立された農林中央金庫は、総資産5,300億ドルにのぼる、世界で31番目に大きな金融機関である(Thompson, 2008)。さらに、日本の生活協同組合としては、医師の雇用を創出する医療生協や、労働者とその家族に住居を提供する労働者住宅生協が労働組合や労働金庫などと深く連携しながら設立された。また、大学生協は学生の住居、生活必需品、食、保険や旅行業務を取り扱っている。経済情勢や、地震・津波の被害などにより、きびしい状況を強いられている中でも、日本の「助け合いの精神」は大きな力となっている (3a)

カナダにおけるコーポラティブ住宅の歴史

カナダにコーポラティブ住宅が入ってきたのは、1913年にオンタリオ州のゲルフ大学の学生向け住宅が建てられたのが最初であり (1)、その後次第にその概念がカナダ各地に広がっていった (4) (5)。ノヴァ・スコシア州の住宅担当であるジョアン・バーナード大臣は、2015年1月23日のプレスリリース内で以下のように述べた。「手ごろな賃料の住宅群の中で、共同住宅は重要な存在です。(中略)住人は安定した長期的な居住が可能であり、共同住宅がどのように運営されるかについても発言権があります」。 (6)

1970年代には、カナダの連邦政府と州政府とで、国際協同組合同盟の原理に基づき共同住宅組合を設立するための法律を作った (7)。これらの組合は、住人によって管理され、大家は存在しない。共同住宅は通常マンションのような建物か、タウンハウスのような形態である。住人は、新たな入居者を選定することになっているが、バックグラウンドが異なる人や所得差がある人、またしばしば特別な支援を必要としている人も受け入れることとしている。共同住宅は非営利であるため、より手ごろな賃料で居住できる。連邦政府の出資を受けているコーポラティブ住宅の組合は、政府機関に働きかけて住宅ローンと補助金を確保し、低所得者の居住費の不足分を補っている。ほとんどの住人は、正規の賃料(実際の家賃)を支払っている。

コーポラティブ住宅の設立と今日における仕組み:
ウィンドワード・コーポラティブ・ホームズ法人

歴史:
1981年、連邦政府が第三セクターのハーバーフロント開発会社 (the Harbourfront Development Corporation) を通じて、バサースト通りの南端の土地(メイプル・リーフ・スタジアムの移設により空き地になっていた場所)に共同住宅を建てることを提案したことから、ウィンドワード共同住宅の計画は始まった。

カナダ住宅金融公社(CMHC)と契約を結び、建設費用の貸付と、60年の借地権が、集まった組合員に与えられた。この契約(1986年からの連邦政府共同住宅計画による)には、どのようにこの共同住宅が運営され、政府から住民への補助金として政府からどのような経済的援助があるかについて明記されている。建設業者により提出された建築計画は徐々に承認され、建設が開始された。1986年12月には、黄色いレンガ造りの連なったタウンハウスとタワーが完成間近となり、1ベッドルームから3ベッドルームまである計101戸の新居への入居も徐々に始まった。

連邦政府が負担する年間経費:
1) 政府は、コーポラティブ住宅公社(the Agency for Co-operative Housing)に、契約が完全に履行されているか確認し、運営や建物の修繕に関するアドバイスをするよう業務を委託している。

2) コーポラティブ住宅の組合は、契約に基づき、低所得により住居費の満額支払いが難しい住人を支援するため、公的補助を年間費用として政府から受け取る。政府から支払われる金額は、ローンの支払い状況により算出され、組合員の支払いにより借入額が減っていくと、補助も減額していく。ウィンドワードの組合の補助金基金が資金不足となったことから、住人たちは、基金に補てんできるよう全ての居住区分から追加徴収することを決議した。補助を受けている住人は、正規の賃料を支払っている住人と助け合って生活をしている。(正規の賃料は、建物のローンやその他経費、維持費などに基づいて理事会で決められる。)

組合員のメリット:
現在、ウィンドワードには大人130名、16歳以下の子ども25名が居住している。組合員たちは、以下のようなメリットを享受している。

1) 住人は「借主」ではなく、共同住宅の組合員として、そこに住んでいる限りはその区分を利用することができ、退去した後はまた他の組合員がその区分を利用する。したがって、組合員は共同住宅の規約や連邦政府との協定に違反しない限りは長期の入居が保証されている。

2) 1人1つの議決権を持ち、毎年組合員の中から理事を選出する。理事は、すべての出費や投資の承認や、3人のスタッフの雇用や監督、また組合の規則や方針などの決定、施行などを含む運営を行っている。家主はいない。

3) 組合員は、年間運営や投資計画の予算を承認し、資金の使い道を理事会に委任する。また年度末には、監査人からの報告を受け、実際にどのように支出されたかを評価する。

4) 住人たちは、組合内の各種委員会にボランティアで参加することによって、どのように運営がなされているか意見を求められる。委員会は、例えば財政委員会、メンバーシップ委員会、景観委員会、雪委員会、交流委員会、投資計画委員会、火災安全委員会、園芸委員会、ニュースレター委員会、規約委員会、地域委員会などがある。電気代などのサービス料や、冷蔵庫などの家電・家具も、共同購入することでコストが下がる。また、非営利であるため、住居費はより手頃におさえることができる。

組合員の義務:
共同住宅に入居する際、審査をされ、組合規約や連邦政府との協定に書かれている取り決めに従うこと、賃料を滞納せずに支払うこと、組合の総会に参加すること、ボランティア活動を行うこと、他の住民の権利を尊重すること、などを約束する。

障害をもつ組合員への支援:
ウィンドワードは、障害をもつ組合員も多く住んでいる、数少ないコーポラティブ住宅のうちの一つである。全ての共有スペースと、いくつかの居住区分はバリアフリーとなっている。日々の生活に支援を必要とするメンバーは、仲介業者を通して介護者や清掃員を派遣してもらっている。その仲介業者、PACEはウィンドワードの入居者10人に、24時間体制でケアを提供している。オンタリオ州政府は、PACEのスタッフ25人の給与と、ウィンドワード内に借りている事務所の費用を負担している。このサービスは、ウィンドワード内の子育て中のメンバーの中にも利用者がいる。

子育てにおけるメリットについて、入居者の声

「子育てをする上で、この家のメリットは何ですか?」――ウィンドワード・コーポラティブ・ホームズに住む人々に尋ねてみた。

<ジュリアンのケース>
映画やテレビのプロデューサー・放送作家として多忙の日々を送るジュリアンはこう言う。「こんなことわざがある。『子どもを育てるには、村がかりである』。ウィンドワード・コーポラティブ・ホームズは、まさにそんな、小さくて結びつきの強い『村』だ」。妻と、2歳と4歳の二人の息子と共にここに住んでいる。

<アーロンのケース>
作家・編集者であるアーロンは、コミュニティに積極的に関わるメンバーになりたいと考え、この共同住宅に引っ越してきたと言う。「ここに引っ越してきていくらも経たないうちに、ここに住むことで、12歳の娘ジュリアにとって、思いがけないたくさんのメリットがありそうだとピンときました。ジュリアは、同じ階の数軒先に住む二人の女の子と知り合いました。その子たちの母親はジュリアを見てすぐに、年の割には大人だと思ったようで、ベビーシッターとして雇ってくれました。ジュリアはその責任ある役目を本当に楽しんでいました。ベビーシッティング中に何か助けが必要なことがあっても、わたしがすぐ廊下の先にいるわけだから、お互いにそれも安心でした。ジュリアは程なく、他の住人たちからもベビーシッターを頼まれました。このベビーシッターとしての経験で娘は、アルバイト代が得られただけでなく、安全なコミュニティの中で、ひとりで他の大人や子どもたちと良い関係性を作りあげていくことができました。私はシングルマザーだったから、彼女が自分自身で他の大人との関係を築くことを学んでいっているのは本当に大事なことだと思うし、本や映画、政治、その他ジュリアが興味のあることについて大人たちから教えてもらえたのも、本人は良かったと思っているようです」。

<ティナとリックのケース>
ティナとリックは結婚してからずっとこの共同住宅で過ごしており、21歳になる息子と17歳になる娘をこのコミュニティで育てあげた。彼らは、この共同住宅のメリットを以下のように語った。

自分たちが共働き家庭であることをご近所さんが知っているので、不在中に子どもに何かあったとしても、面倒を見てもらえると分かっている。彼らの子どもたちが、年齢やバックグラウンドが違う人たちとも難なく交われる。子どもたちが、おつかいやベビーシッティング、犬の散歩などのアルバイトにしばしばありつける。親同士で、子どもが着られなくなった服をまわすことができる。運営委員会の委員となったり、人助けを行ったりすることで、大人たちがいかにコミュニティの中で責任を果たしているのかを、子どもたちが目の当たりにすることができる。「ボランティア活動のおかげで、ご近所さんたちと親しくなることでき、子どもたちに責任というものを教えることができるのです」とティナは言う。

<アッシュのケース>
アッシュはこう答えてくれた。「まず、父親としての視点から見ると、通常のマンション住まいとは違って、皆の子どもたちへの姿勢は特別なものがあります。実際、子どもたちは、家族付き合いの盛んなこの住宅内のすべての活動やイベントに歓迎されています。彼らは、隣にある緑が広がる公園や、遊んだり学びを探求したりするためにうまくデザインされた中庭が大好きです。そして何よりも、クリスマスの持ち寄りディナーパーティーや、春のパンケーキの朝食会、そしてボランティアの方たちが用意してくれる毎週金曜日のディナー(子どもは無料)が大好きです。私は、このボランティアの方々が見せてくれる社会的な責任感がいいことだと思いますし、みんな自分のコミュニティの中で、求められる役割を果たす責任がある、ということへの理解を促してくれると思います。また、ご近所さんと親しく話したりする中で、かしこまった会議の場などでは見られない、違った側面をみる機会が得られるし、彼らを本当に理解し、考え方を知ることができます」。

report_02_213_01.jpg
金曜日の料理担当デイヴが見守る中、トランプをする少女たち


report_02_213_02.jpg
"コック"のデイヴとナンシー(中央)とお友達。ウィンドワードのキッチンにて。


<ベバのケース>
25年前の戦時中に旧ユーゴスロバキアを離れたベバは、近所の人が自分の子どもに善悪を教えてくれたことを、有り難く思っていると話してくれた。「わたしも他の家の子どもたちが悪さをしていたら、『ママとパパはあなたがそんなこと(例えば壁の落書き)をしているなんて知りたくないでしょうね』と声をかけています」とも言っていた。子どもたちはしばしば、自分の親は古臭くて、時代遅れな価値観をもっていると思っているため、何が好ましいふるまいなのか、近所の人から言われて再認識するのでしょう。

<Kのケース>
「私の娘は、ご近所さんに助けてもらいました。」ガイアナから来た、元モデルのKは言う。Kは、自分が家にいない間に十代の二人の娘がボーイフレンドを自宅に連れてくることを禁止していた。ところがKの知らないうちに、娘たちはそのボーイフレンドと玄関前の廊下でたむろするようになっていた。集まってはジュースを飲み、ジャンクフードを食べ、ベタベタしたごみをカーペットにそのまま放置したりしていた。男子たちは、男らしさを見せたかったのか、悪態をついたり、乱暴な言葉遣いでKの娘たちを喜ばせたりした。「私が家にいる時に遊びに来ると、同じようなことをしようとするけど、私はそれを許さないからね。そういう子たちだと分かっていたわ」とKは言った。近所の人たちは、彼らのふるまいにうんざりしていた。あるとき、いつもと同じように廊下で大騒ぎしていると、ご近所の一人が長女のSだけを家に呼び入れた。その人の家の中まで、下品なおしゃべりは全部聞こえていた。そして、「このまま友達のこんなふるまいを許していたら、あなたのお母さんは理事会の前に引っ張りだされるわよ」、とその隣人はSに言ったのだそうだ。「幸い、Sがそのことを私に話してくれました。私はニ人の娘を1カ月外出禁止にしました。男の子たちのことは知っていたから、彼らが来た時は、なるべく自分がそばにいようと思っていたけれど、結局その後すぐに疎遠になりました」。

また、別の良い点もあったとKは教えてくれた。彼女がガンを患って、障害年金で生活し娘たちを育てなければならなくなった時、家賃の補助をもらえることになった。そのおかげで、娘たちが生活環境に不安を感じるような新しい土地に引っ越す必要がなかったという。

<ゴピカのケース>
育児休暇中のゴピカが、10カ月の息子ロシと一緒に私の部屋を訪れた。彼女は床にどっかりと腰をおろし、部屋着を着たロシはつかまり立ちをして、戸棚の扉を開けたり閉めたりして楽しんでいる。そしてロシは私のペンに目をつけて、それに手を伸ばそうとハイハイをした。「彼の名前は、放たれる光という意味なんです」とゴピカが教えてくれた。ロシはまさに好奇心旺盛な赤ちゃんだ。大学在学時、ニューヨークのアパートに住んでいた頃、ゴピカは寂しい思いをしていた。誰も挨拶もしてくれなかった、と彼女は言う。当時、共同住宅についてはあまり知らなかったというが、今はそのメリットを理解している。ゴピカが育ったカルカッタでは、家族は三世代で隣接した部屋で同居している。いつもまわりに誰かがいるということに慣れていた彼女は、ここカナダでコミュニケーションが取れる大人は夫だけ、という状況には孤独を感じていた。そこで彼女はいろいろな活動に参加するようになり、他の家に招待されたりするようになった。ここのミーティングルームで開催される親子で遊ぶ会がまた再開されることを期待している。ゴピカは、ロシがこの共同住宅に住む他の赤ちゃんたちと幼馴染のような関係に育ってほしいと思っている。

report_02_213_03.jpg
ゴピカとロシ


<Mのケース>
Mはメンターになった。Mが、前の共同住宅に入居する時、8、9歳くらいの少年Dが、彼女の荷物を運ぶのを手伝うと申し出た。その後、Mがお礼を言おうと彼の家に立ち寄った時、母はソファで大の字になって眠っていて、父親はいないことを知った。もし彼が何か食べたいと思ったら、まだ小さいのにも関わらず、自分で料理をしなければならないことは明白だった。Dは百科事典「ワールドブックス」をMに貸してほしいと頼んだ。そしてMは、Dにおつかいを頼み続けた。Dが高校を卒業した時、トロントビジネス開発センターから2,000ドルの助成金を受け、そのお金でトラックを購入し、便利屋としてのビジネスを始めた。ところがある日、トラックが故障してしまった。彼はためていたお金で、ホメロスの「イーリアス」を購入した。この少年は明らかに、更なる高等教育を受けるべき存在であった。Mの元に引越し、奨学金を受けてトロント大学で政治史を学んだ。彼は大学を卒業し、メディア関係の仕事に就いた。車いすで生活をする女性として、Mは生涯にわたって続くであろうこの友情は、とても価値のあるものだと思っている。

<マヤとセーラのケース>
二人姉妹のマヤとセーラは、玄関ホールで立ち止まって、ここでの暮らしについて話してくれた。「ウィンドワード新聞をつくるお手伝いをしたんだって?」と私が聞くと、8歳のセーラは「そうよ」と答えた。「何か物を落としたら、そのままにせずに立ち止まって拾いましょうって書いたわ」と、10歳のマヤはハキハキと話してくれた。「わたしはこのご近所さんが好きよ」と、一緒にサッカーをしてくれる何人かの友人の名を挙げた。

「上手とは言えないけれど、3年続けているし、サッカーが大好きなの!」すでに時刻は7:30で、彼女はちょうど公園の向かい側にあるソーシャルセンターでの夜の練習から帰ってきたところだった。そして側転をして、機敏さをみせてくれた。母親も近くにいて、おそらく娘たちを連れ帰り、宿題をさせようか、もう寝床につかせようかとしているのだろう。スクールバスはいつも朝早く彼女らを迎えにきている。私が彼女たちにお礼を言うと、ハイタッチをしてくれて、インタビューを締めた。

report_02_213_04.jpg
マヤとセーラ


<ブリタニーのケース>
ブリタニーは、買い物に行こうとしていたところで立ち寄ってくれた。5カ月の娘、サヴァンナは抱っこひもにすっぽりおさまっていた。おびえる様子もなく、大きな青い目で周りの見慣れない景色を捉えながら、抱っこひもからソファにおろされた。22歳の母親が、やさしく頭をなでるとサヴァンナはにっこり笑い、その髪の毛はビロードのようになった。「この子は赤毛になるかもしれないのよ」ブリタニーは言った。「この子のパパみたいにね」。ブリタニーは、自分がどんな風にこのウィンドワードで育ったかを話してくれた。「私たち家族は、公園に面している部屋に住んでいました。公園で遊んでいて、ママが私を呼びたいときは笛を吹くの。そして、私はママのいる窓に向かって、自分がどこにいるか叫ぶの。他の場所で育てられるなんて想像できません。」ブリタニーはまた、ここウィンドワードで共に育った友達4~5人も、今はそれぞれ自分の新しい家庭をここで作っていることを話してくれた。「私自身はひとりっ子だったけれど、子どもはもう一人産むつもりです。サヴァンナにはひとりっ子になってほしくないです」。ブリタニーは、自分の寝室で出産した様子も話してくれた。助産師がお産の進み具合を見守るなか、16時間も自分の部屋の中を行ったり来たり歩いたのだと言う。「ここで出産した人は、ほかにも何人かいますよ。病院よりずっといいです」。

私たちはまた、ブリタニーがどんな風に日々を過ごしているかについても話した。彼女はアンティーク家具に興味があるという。また、ネイティブカナディアンが魔よけとして使っていたドリームキャッチャーをビーズで作ったり、物を作ることが好きだそうだ。

「サヴァンナは夜中におっぱいを飲みたがるから、なるべく午後は起こしておくようにしているんです」ブリタニーはそう言ったが、今日はそれは上手くいかなそうだ。サヴァンナのまぶたはだんだんと重くなってきたようで、カメラに向かって笑うのもやっとのところ。それを見て、私もブリタニーも微笑んだ。「ここ以外のところに住むことは、考えられないわ」と言っていた。

report_02_213_05.jpg
ブリタニーとサヴァンナ

他の考察

共同住宅システムには、いくつか問題もある。それぞれの共同住宅は、法人組織の数百万ドル規模のビジネスである。組合全体の金銭的利害にはあまりならないにもかかわらず、役員たちがある住人に社会的な支援を提供したい、と思うことが時々あるが、そういったことが組合の財政難につながるケースもある。

また住人たちも、短期的な視点から住居経費が上がるのを避けるためにインフラなどの改善を怠ったりする傾向がある。そのため、現在多くの共同住宅では修理が行き届いていない状況である。住人の会合への参加や委員会への出席率は、だいたい50%にとどまる。一方で、住人たちが、近所の人のために買い物袋を運んであげたり、病気の時に料理をしてあげたり、車で病院まで送迎したり、子守りをしてあげたり、他にもいろいろな形で、どの程度手伝ってあげたかという記録は残っていない。住人同士のトラブルは、解決のために理事会に持ち出されることもあるが、結局好き嫌いやえこひいきで解決されてしまうこともある。

このような問題の助けになるものもある。カナダ共同住宅連合会(Co-operative Housing Federation of Canada: CHF Canada)は、地域の支部を通して、住人に良いマネジメントや、問題解決の実践について教える講座を提供している。

まとめ

カナダに広がる共同住宅は、入居者たちが施設の運営に直接参加することで手ごろな住宅を提供することができることを体現しており、バックグラウンドや経済状況、身体的能力も異なる人々が助け合って共に暮らしている環境である。このコンセプトは、最初に資金提供者を必要とする(政府や州、町などの自治体であることが好ましい)。そして、その後も施設の補修のための資金や補助金の形での財政的な援助が必要だろう。ノヴァ・スコシア州の例は、こういった共同住宅への行政支援のひとつである。2015年1月23日に発表された「連邦・州政府が共同住宅に資金提供」では、連邦政府からノヴァ・スコシア州への給付が延期されていた助成金を使い、州内の共同住宅の補修と改善を行う計画について詳細が述べられていた。この事業で、4,300世帯が利益を得ることになる。ピーター・マッケイ前司法相は、この取り組みについて「安全で安定した住居を手に入れやすくするものだ」と述べた。同州ハリファックスにある共同住宅の入居者である23歳のオパール・ブリトンは「これは共同住宅のコミュニティにとって喜ばしいニュースです」と言った (6)。共同住宅に住むことは、さながら、住人同士が助け合うことが約束される中、さまざまなバックグラウンドをもつメンバーで構成された「村」全体で子どもたちを育てることになっている、小さなコミュニティに住むようである。日本でも、この共同住宅のシステムが花開き始めているようであるが、日本の事例の体験談も、きっと興味深いものだろう。



筆者プロフィール
Marlene_Ritchie.jpgマレーネ・リッチー(旧姓アーチャー)

アメリカ、日本、中国で教壇に立つ。看護師として働く一方、入院中の子どもたちの医療以外のニーズに応えるEmma N. Plank of the Child Life and Education Programを立ち上げた副設立者。トロントの競売会社Ritchiesの共同設立者でもある。多岐にわたる以上の経験と、オハイオ州の小さな町で育った経験、母としての経験をもとに執筆活動をしている。現在、フリーランスライター兼チューター。カナダ、トロント在住。過去10年間CRNに寄稿。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP