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在シンガポール日本人の発達障害児への対応

元田 玲奈(ラッフルズジャパニーズクリニック副院長・小児科)

2015年1月30日掲載
1.はじめに

本サイトの所長・榊原洋一先生は私の恩師である。私が医学生の当時、東大小児科医局長であられた先生は、CPAP(Cooperative Program for Asian Pediatricians)という東南アジアの若手小児科医たちを日本に呼んで交流を深める活動に尽力されていた。学生の分際であったが、私はこの活動に魅了され、この経験が後に東南アジア放浪や離島医療体験へと繋がって行った。また、私自身が発達障害圏のどこかに入るような子どもだったので、この分野に進んで行くのも自然の成り行きであった。そして、これらの二つが自分の中で融合し、「シンガポールを拠点にアジア諸国で発達相談を担当したい」と思うようになったのは、恩師の一言がきっかけである。

榊原先生は既に10年以上にわたり、海外在住の日本人の発達相談を受けていらっしゃる。私がシンガポールで研究に従事していた時、当地にもいらしたことがあり、「ここで数年子どもの発達に関わる仕事をしたら?」と助言された。まさかその言葉通りにするとは思われなかったかもしれないが、私は学位取得後帰国し、2年後に、今度は医者として舞い戻って来ることになる。しかしながら、文字通り『身一つ』だったので、足りないモノだらけ。発達診療は、医者一人では何もできず、多種コメディカルや地域社会、教育現場との関わりがないと難しい。ないなら、自分で作っていくしかない。シンガポールに来てから既に6年以上が経ち、今は何とか『発達に問題のある子たちを支える体制』が出来つつある。この場を借りて紹介させて頂きたい。

2.シンガポールにおける療育事情

シンガポールには、約2万7千人の日本人が在住しており(在シンガポール日本人大使館への在留届数)、その多くは駐在員である。通常、駐在員は海外旅行傷害保険に加入しているが、発達障害関連の疾患については対象外になることが多い。その判断は保険会社によって異なり、たとえ保険対象と見なされても、適応期間を超えた後は当然自費になる。残念ながら"6ヶ月で完治する"という類いのものではないので、保険が切れると患者の足がクリニックから遠のいてしまうことは多々ある。また、シンガポールにおいては、医療はサービス産業と位置づけられ、社会福祉やボランティア精神だけでは成り立たない現実がある。そのような制約の中で長期のフォローを要する患者を診て行くストレスやジレンマは、日本で働いていた時より遥か手前で発生してくる。とは言え、「日本だったら」とぼやく前に、ここにある現実的問題に、やはり現実的に対応していくしかない。

私の勤務するクリニックの患者は、主に30歳から40歳台の日本人駐在員とその家族になり、子育ての悩みを相談する場所として小児科医の役割は大きい。特に乳幼児健診は、親が抱える異国での育児不安を解消するのみならず、その子どもの精神運動発達や食事・排泄・睡眠といった生理機能の発達をチェックし、スクリーニングできる絶好の機会でもある。運動発達に遅れの認められる子には、その重症度に応じて、私立の小児理学療法施設を紹介することもある。その施設では、英語が分からない母親でも療法士の見ぶり手振りの指導を理解し、通訳なしでプログラムをこなしている。より精査が必要だと思われる場合は、開業医または小児総合病院の小児神経専門医に紹介する。シンガポールの医師たちの多くは、言葉が通じない患者を相手にすることに慣れており、非常に根気よく説明してくれていて、戻って来る患者のほとんどは、内容を正確に理解している。もっとも、真面目な日本人のことなので、インターネットを駆使して相当の予習をして彼らの外来に臨んでいるのだとも思うが。そして、こうした運動発達に遅れのある子たちが、将来、精神発達にも問題を来さないかを、私は引き続き通常診療の中でも注意深く診て行く。

発達相談を目的に受診する患者の年齢も内容も様々であるが、主訴で一番多いのは、やはり『言葉の遅れ』である。この主要因を4つ挙げると、①聴覚の障害 ②知能の障害 ③社会性・人への関心の障害 ④環境要因 になる。シンガポールは7割が中華系、2割弱がマレー系、1割弱がインド系と多民族国家で、集団保育で話される言語もいろいろな組み合わせがある。多くは英語と中国語。日系であれば日本語が主にはなるが、英語がゼロになる所は少ない。また、国際結婚も多い。子どもの母語は「最終的には言語環境が決定する」と言われているので、シンガポールにいる日本人というだけで、既に④の多言語環境という負荷は存在する。しかしながら、これだけが要因という人は少なくて、実際には②や③が合併しているため、より困難性が高まっているケースがほとんどである。長い眼で見れば母語習得の終着点はあるであろうが、そこに行き着くまでに自信喪失や自己卑下に陥ることの方が問題であり、それを回避する為にも、気付いた時点で極力『言語環境の整備(例:家庭での言語を統一する、幼稚園を日系に変える、日本語を話す機会を増やすなど)』はアドバイスしている。

3.療育における心強いネットワーク

当地には日本人専用の療育機関はないが、心強いネットワークがある。まず、日本人の臨床心理士Y先生。シンガポールで応用心理学を学ばれたシンガポール公認心理士。ご自身のオフィスを持つ傍ら、週に2回当院に非常勤として来て、患者である子どもの状態や年齢に応じた検査、親のメンタルケアやペアレントトレーニングなどを行ってくださっている。当院では発達検査や親子関係テスト、知能検査などができるが、全部一度にできるようになったわけではなく、必要性を確かめ、コストパフォーマンスを考えながら、院長を説得し、検査の種類を増やして来た。お恥ずかしいことに、ここに飛び込んで来るまで「心理発達の検査キットを買わないといけない」という発想すら、なかったのである。Y先生は毎回10枚前後のレポートを作成して下さり、私がチェックし、それをもとに二人で議論し、最終的に一緒に患者家族に報告する。更に、言語の面では、その子の遅れのレベルや原因に応じて言語療法を開始するように指示する。日本人の言語聴覚士が他の日系クリニックにいるのだが、これはシンガポールが他の外国と比べて、発達障害の診療をする上で恵まれている点の一つである。シンガポール人から作業療法を受けることはできても、さすがに言語療法は無理だからである。

また、特に焦りの強い母親には、実際に家庭訪問して相談に乗るボランティアのOさんを紹介する。この方は、日本で療育センターに勤めていた経験を活かして、悩める母親たちに関わりや指導の仕方を実践的に伝授して下さる、草の根的なサポーターである。

そして、『ぽこあぽこの会』。2005年に当地のN幼稚園に自閉症の兄弟がおり、その母親を支援しようと他の健常児の母親たちが集まったのが、会の始まりになる。弟がE幼稚園に転園してからは、園長はずっとそのサポートを続けている。メンバーが「いつかは本帰国する」というような流動性のあるコミュニティの中で、こういった社会的にはマイナーな集団が存続し続けることの難しさを思うとき、引き継ぎを受けながら会長となる母親とそれをサポートする園長の尽力は如何ほどか、と頭が下がる。今では所属や年齢を問わず、子どもの発達に不安がある母親が集まって情報交換や悩みを語り合える場となり、現時点で35名ほどのメンバーがいて、月に1回会合を開いている。日々子どもたちや彼らを取り巻く社会と対峙している母親たちの生の体験や知識があるので、診察室の中では出来ないことが、ここでは出来ている。先輩ママが後輩ママにアドバイスもできるし、「悩んでいるのは自分だけではない」という想いが、折れそうな心を支えもする。

4.おわりに

私の役割は、自分の所に来た『発達に不安のある親子』をこのネットワークの輪の中に入れて行く最初の窓口となり、検査や診断、投薬やカウンセリングをする傍ら、ネットワークがきちんと回っているかを時々確認し、上手く回っていない時は、どこまで戻り何を調節すれば良いかを専門的に判断し、仕切り直すことである。海外ならではの難しさや限界があるからこそ、多くの出会いに心から感謝している。だから尚更、このネットワークをより良いものにする為に、自分に足りないモノをどうやって補えば良いか、また、恩師に相談してみようかと思う、今日この頃である。

筆者プロフィール
Lena_Motoda.jpg元田 玲奈(ラッフルズジャパニーズクリニック副院長・小児科)

東京大学医学部卒業、東京大学大学院医学系研究科修了、医学博士。日本小児科学会認定小児科専門医、日本小児科医会認定「子どもの心」相談医。

医師免許取得後、約一年間世界を放浪。東大病院、千葉西総合病院、徳之島徳洲会病院で研修。大学院時代はシンガポールのInstitute of Molecular and Cell Biologyで研究に従事。第3回Stem Cells Young Investigator Award受賞。帰国後は虎の門病院にて、発達障害診療を手がけ始める。2008年からシンガポールのラッフルズジャパニーズクリニックに勤務。2011年からは上海の分院でも出張ベースで小児科専門外来担当。海外にいる日本人家族の育児不安の相談役となり、また、子どもたちの心と健康のサポーターとして日々奮闘中。
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