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親の親になるのを強いられた子ども達(後編)

要旨:

様々な事情から子どもの世話をしなくなった親をもつ子ども達は、捨てられたという気持ちを抱くことになり、その後の人生においても影響を及ぼすことになる。また、多くは、子どもたち自身が、親や兄弟の面倒をみることになる。子どもに一番身近な大人の態度は、子どものその後の態度や行動に影響していく。親に育児放棄されて育った子どもは、大人になった後も、何かしらの変化のときにその辛かった気持ちにとらわれるが、辛い結果になるのを最小限にする方法はある。

クレアとジェインのケースを紹介する。

クレアのケース

クレアが11歳の頃、父親が脳腫瘍に罹った。手術のため、母親は父親と一緒に遠く離れた町に行き、その間、クレアと3歳下の妹は祖母と一緒に過ごした。数ヵ月後両親が家に帰るまで、誰も母親が妊娠していたことをクレアに告げず、帰ってきたときには女の子の赤ちゃんの出産がもう間近となっていた。生まれてきた赤ちゃんはおとなしくて、あまり手がかからず、たくさんの喜びを一家にもたらしてくれることとなった。その時はまだ、クレアには赤ちゃんがダウン症であることはわかっていなかった。しかし、母親が家計のやりくりや、夫の腫瘍が再発性であったことから、その回復への不安で打ちのめされていて、さらに、新たに加わった赤ちゃんの世話で、疲れ果てていることは明らかだった。クレアは家族がこれからどうやって生活していくのか不安に感じ、家事を一所懸命手伝った。夜には、巨大な地滑りから父親と逃れる悪夢を頻繁に見ていた。

赤ん坊は生後18カ月で、脊髄膜炎に罹り、2日のうちに亡くなってしまった。このことは家族、とりわけ母親にとってもう一つの心痛となった。クレアはいっそう家族の世話を引き受け、母親が泣く時には一緒に傍に座った。

また、クレアは以前からアルビノ*の妹の世話を任されていた。妹はアルビノであるため、視力が弱かったが、身体的には丈夫で知的にも優れていた。しかし、全く目の見えない子どものように世話をされていたので、自分の靴の紐を結んだり、髪の毛をとかしたりすることもできずにいた。クレアはこの負担に怒りを感じ、妹に自分のことは自分でするように教えることでどうにかしようと決意した。自分の態度に後ろめたさを強く感じたが、妹に料理と自分のことは自分ですることを教えることに取り掛かった。妹に勉強や洋服の買い方を教えてあげ、教会や学校で同年代の人たちの活動に参加するように勧めた。妹がティーンエイジャーになると、クレアは、妹が特技を身につけ、自分に自信が持てるようになるように、歌とダンスのレッスン料を払うように母親を説得した。

クレアの父親はずっと家族の要だった。優しい父親で、クレアを連れて仕事の上で指導的な立場にあった地元の学校の学区内の農家をたびたび訪ねて回った。クレアがまだとても小さい頃、母親は身体的な障害のある妹の世話に忙しく、彼女の子どもらしい質問に答えてくれるのは、いつも父親だった。歴史と科学への興味を育て、読書の楽しみも教えてくれたのも父親だった。当初は、父親は脳腫瘍から回復したように見えたが、手術後4年の間に再発し、再び入院した後に亡くなってしまった。クレアは15歳だった。教会から家に呼び出され、家の玄関先で涙ぐんだ母親から父親が亡くなったと告げられたことを、鮮明に記憶している。クレアにとっては、自分が安全だと感じられ、力も発揮できる、そのよりどころを失ってしまったように思えた。自分がその瞬間から自分の足で立たなければと思ったこと、母親には自分や妹の世話や心配をする十分な強さがないと思ったことを覚えている。自分の人生を無駄にしないと固く決意した。父親のために泣くことは全くなかった。パパだって死にたくはなかったし、自分を置いて逝きたくはなかったのだ、強くならなければと常に自分に言い聞かせた。何年もの間、「パパに聞こう」と思うたびに、父親が亡くなっていることに気付かされた。

何でも一生懸命やって、頼もしいとコミュニティで評判となった。家のこともやりながら、2つのアルバイトもした。彼女の母親も立ち直り、工場に就職した後に郵便物の配達員となり、さらにその後には、不動産会社の保険部門の管理職に就いた。その仕事のため、平日は街に住み、週末のみ家に帰ることを余儀なくされ、クレアと妹は、ほとんどの時間、自分たちのことは自分たちでやらなければならなくなった。後にクレアは、自分はティーンエイジャーのすることに耐えられない、何故ならば自分はティーンエイジャーでいることが許されなかったから、と語っている。母親のことは大切に思っているし、母親にはできる限りのことをしたと信じている。

大学での成績は優秀で、動物学部でアルバイトもしていた。恥ずかしがりやで、社交的な学生たちのように出歩くことはあまりしなかった。最初のボーイフレンドは、クレアの責任感の強さと彼女がいままでしてきたことに対して賞賛してくれたが、誰も彼女の女性的な面には気付いてくれなかったことにクレアはイライラした。しかしながら、知り合った男の子が彼女のやってきたことに何の反応も示さない場合には、自分に対して自信を持てなくなり、その男の子がずっと自分と付き合い続けるか信頼できなくなった。何かしらの成果を出さないとしても、自分は愛される資格があるとは思えなかった。クレアは、ビジネスで成功することで頭がいっぱいの男と結婚した。その男はオーガナイザーを必要としていた。彼の叔母はかつてこう述べていた。「彼は、自分をマネージしてくれる人をずっと探していた。そこにあなたが現れたの。その役割なら大丈夫、私が引き受けるわと待ち構えてくれていたのよ。」クレアの結婚相手は、幅広い興味を持ち、外見上は非常に社交的だが、親密な関係を築いて愛情を注ぐタイプの男性ではなかった。

クレアはその後年を経て、ランドマーク・エデュケーションのコースを受講した。このコースではグループ心理療法のセッションで、約100名の人たちが自分の人間関係について話すよう導かれる。参加者たちは他の人達が話す問題や行動を自分の身に置き換えて考え、どのように現在の自分になったのかを知る。訓練を受けたリーダーやコーチがグループを指導する。クレアが自分の話を語った翌日、コーチはこう言った。「あなたには看護士か教師になるしか選択肢はなかった。まだ小さな女の子だった頃、あなたは、世話をする人になる他なかった。何故なら、そうすることでしか自尊心を保つことができなかったから。あなたはちゃんと妹を育て、お母さんの世話をしてあげた。あなたの世話を必要とする人たちが、あなたに引き寄せられ、あなたもまた彼らに引き寄せられるが、愛はいつもすり抜けていってしまう。自分が必要とするものを手に入れる方法を身に付けてこなかったからだ。自分のこと、自分が心の中で何を感じているかを人に見せることがない。人の世話をすることで手いっぱいだ。」

二度目のランドマークのコースでは、自分が一人の精神的に自立した人間になるために何が必要なのかを見出すという難しい課題に挑んだ。人との付き合い方、遊び方、楽しみ方、自分を「必要としなかった人」と友達になる方法など。彼女はジョン・ブラッドショー(John Bradshaw)が著書『Homecoming』で述べたように、自分自身を労わること、子ども時代に得られず逃していたものを手にすることを身に付け始めた。


ジェインのケース

ジェインは子どもの頃、いつもとても怒っていたのを覚えている。幼稚園の頃、母親は近寄り難く、ジェインより2歳年下の弟の世話に没頭していた。そのため、当時ジェインは通りの向こう側の友達の家で何時間も過ごし、その友達の父親が彼女たちのために作ってくれた砂場でよく遊んだ。許しをもらうたび、通りをスキップして父方の祖母の家にクッキーをもらいに行った。ジェインは、いつでも時間をつくって彼女を待っていてくれる祖母のことが大好きだった。貯金箱は祖母の家に置いてあり、父親に1ペニーをもらうと、すぐに許可をもらい祖母のところに預けに行った。ある日のこと、祖母が何ペニーか必要となり、ジェインに10セント硬貨一枚と10ペニーを交換してくれないかと頼んだ。ジェインは数を数えられたし、祖母を信じたいと思ったが、1枚のコインと10枚のコインを交換するのがどうしても理解できなかったし、祖母は自分が得になるようにしているのではと疑問に思った。

ジェインが一日学校に行くようになっても、昼食は家に帰って食べた。母親は、着替えもせずに大体はまだベッドにいて、すぐ隣では弟が遊んでいた。母親はジェインにお金を渡して、角の店に行って家族の昼食用にスープか豆の缶詰を買うように言う。ジェインは食品を温めて、まだベッドにいる弟と母親に持っていくのが常であった。向かい側の友達の家に行くのも止めた。学校から真っ直ぐに家に帰らないと、母親に叩かれるからだった。

私はジェインに、家で本を読んだり何をして遊んでいたかを聞いてみた。彼女は遊ぶことなんてずっと知らなかったし、遊べなかったと答えた。

「ええと、一度だけ自分のために誕生パーティをやったことがあるわ。どこか忘れたけどケーキを買い、4、5人の友達を招いたの。母は一度も私の誕生日を覚えていたことはなかったわ。」
「お父さんはどうでしたか?」と私は聞いてみた。
「父は不動産を販売していました。でも、ご存じの通り、不景気な時代でした。遅くまで外回りで、ほとんど家にいなくて、母親と一緒の時はいつもケンカしていました。一度、私の洋服がきつくなっても母親が新しい服を何も買ってくれていなかったことに対して父親が怒りだしたことがありました。父は私を街に連れて行って、10着も新しい木綿製の洋服を買ってくれました。木綿の洋服は一番です、とても素敵でした。私にはもったいないと思いました。」
「お父さんはあなたの外見を気にかけていましたか?新しい洋服を着ているのを見て誇らしげでしたか?」
「そうは思いません。父は母にうんざりしていました。父は私にお金を稼ぐ方法を教えたがっていました。ある日大きなバッグいっぱいの帽子を買ってきて、看板を出して一つ10セントで売るように言いました。父はよく私に1セント硬貨をくれました。私はそのお金を使わずに、貯金することを覚えました。」

「家事を手伝ったりしましたか?」という私の問いには、彼女は覚えていないと答えたが、声をちょっと大きくして次のように続けた。
「ええと、私が14歳の頃、2番目の弟が生まれて、母は弟の世話を私に押し付けました。私は弟のおむつを替え、トイレトレーニングもしました。母は、家を荒れ放題にさせて、何もせずにゴロゴロしていて始終文句ばかり言っていました。私は赤ちゃんの世話をする時以外は、いつもとても苛立っていました。ずっと子どもたちは好きでした。」

「大学に行った時はどうでしたか?」
「私はいろんな組織に属して、特に公民権運動の活動で忙しくしていました。いつもそんな感じでした。私は大抵副会長で、会長にはなりたくなくて、でもまとめ役を務めました。」
「大学を出たらどんな仕事をしたかったのですか?」
「弁護士になろうと思いましたが、大学在学中にYWCA(キリスト教女子青年会)でパートタイムの仕事をしていたときに、その理事長が私にコミュニティセンターでの仕事を推薦してくれました。そこから海外で難民キャンプの世話をする仕事を得ました。その後、ソーシャルワーカーになる勉強をして、そして最終的にチャイルド・アナリストの仕事をするようになりました」

「弟さんたちとの関係はどうでしたか?」
「すぐ下のマークとは少しも親しくありませんでした。恐らく母親の愛情を奪い合っていたからだと思います。不幸なことに、彼は17歳の時溺死してしまいました。そのことは私たち全員、特に母親にはものすごい打撃でした。私は一番下の弟がとても好きで、今もいつも連絡を取り合っています。」
「あなたが彼の世話をしていたのですね?」と私は尋ねた。「あなたが歳をとった母親を引き取って、あなたの家族と一緒に暮らして面倒を見ていると聞き知りました。どのような感じでしたか?」
「ええ。サンルームだった場所を母の部屋に改造しました。母の健康状態はとても悪くて、母が感謝の気持ちを表す方法は、自分の世話をすることが私にとって負担になりすぎるとずっと愚痴をこぼすことでした。母は若い頃のことをたくさん話してくれました。私が小学生の頃、4回も流産してしまい、それ以来無力感を抱くようになってしまったそうです。母と父は産科医に相談しました。両親はもっとたくさんの子どもが欲しかったのだと思います。でもその産科医は何をアドバイスしたかと思います?『うつぶせに寝なさい』と。産科医は、何の役にも立たなかったのです。これが母をひどく落胆させてしまいました。母と一緒に住んでいた間に、私たちはようやく和解できました。母を理解できたように思います。」
「あなたは今や非常に成功したチャイルド・アナリストとなっていますものね。」私がそう言うと、
「自分の仕事がとても好きです。」とジェインは答えた。


子どもの頃の見捨てられたという思いにとらわれ続ける大人たち

大人になった後にも、何かを失った際に、親に捨てられたという苦しい思いが、再び湧き上がってくることがあるが、苦しみながらも、人生を良くするチャンスでもある。苦痛は侵襲的なものである。ビクトール・フランクルは、まさにガスが部屋全体に充満していくように、「苦しみは人の魂と体を埋め尽くす」と述べている(Frankl, 55)。苦しみは人生の一部なのである。人が運命を受け入れること、運命が引き起こす苦しみは、人生を意味あるものにする。苦しみは我々に変化の機会を与えてくれる。愛は人に我を忘れさせる救いとなる。幸せとは、一瞬一瞬を一生懸命生きているときに訪れる思わぬ結果のようなものだ(Frankl 140)。過去に生きることは無意味である。「今」は我々に精神的に成長するチャンスを与え、「未来」に目を向けるということは、何かポジティブなことを経験する機会を見逃さないということだ(Frankl, 76)。

行動をとるということは、1) 作品を作ることあるいは行為をするすること、2) 芸術や自然の中の美を経験すること、愛と出会うこと、3)避けられない苦しみに対する我々の考え方を挑戦へ転換させる(Frankl, 76)。苦しみ(見捨てられた心の痛み)から学んだことは、「今」を生きるのに役に立つ(Frankl, 115)。

ブラッドショーは子どもの頃に見捨てられた経験から抱いた感情を今も持ち続ける大人にこう助言する。他者との新しい関わり方をみつけ、古いルールを破り、新しいルールに従うことを自分に許すこと。良いルールとは、自分がありのままにより率直に生きられるものである。自分が感じたことを感じていい。正解、不正解はない。必要なものを欲しいと思っていいし、そう思うことは必要なことだ。たくさんの楽しみを持つこと、セックスも含めて楽しむことはいいことだし、必要なことである。どんな時も真実を語ることが大切である。自分の限界を知り、時には満足できないことも重要である。自分がしたことの結果と責任をバランスよく受け止めることは良いことである。失敗しても、そこから学べばいい。他人の気持ちや求めることを尊重する。他人と何か衝突があっても、解決できればそれでよい(Bradshaw, 191-204)。

深く悲しむことを自分に許されなければ、エネルギーは凍りついてしまう。悲しいときには、まず、じっくりと悲しもう(Bradshaw, 69)。いつか立ち直れると自分自身を信じる。自分自身に実際に起きたことに関して怒りを感じ、そしてそれを赦すこと、そうした感情に素直にしたがっていい。我々は傷つき、悲しみ、痛恨し、孤独を感じる。本当の自己とは、誰からも離れ一人である。本当の自己を感じ、向き合おう。グループで自分の悲しみに向き合うこと、あるいは自分の立ち直りの過程でだれかに語ることは一番いい効果をもたらす (Bradshaw 66-80)。男性には男性の、女性には女性の友人が必要である。自分の不安や失望を聞いてくれて、互いにその友人の前では弱い自分でいられる友人が必要である(Bradshaw, 66-80)(Bradshaw, 237, 238)。


結論

様々な原因で片親、あるいは両親から見捨てられたと感じる子どもは、人生の進路をも変えてしまうような心的外傷を経験する。大人の親類や友人は子どもに手を差し伸べ、これらの子どもたちが経験する辛い影響を最小限にすることができる。自分自身が子どもの頃に見捨てられたという思いから辛い経験をし、その経験を引きずって生きてきた大人は、これまでとは違った進路を決め、そうすることで、今までの苦しみに意味を与えることができる。


*メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損により、先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患。視力が弱い場合が多く、紫外線に対する注意が必要。


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参考文献

Bradshaw, John (1990). Home Coming, Reclaiming and Championing Your Inner Child. Bantam Books, New York.

Ginott, Haim G. (1965). Between Parent & Child. Avon Books, The Hearst Corporation, New York.

Granot,Tamar (2005). Without You. Children and Young People Growing Up with Loss and its Effects. Jessica Kingsley Publishers, London and Philadelphia.

Frankl, Viktor E. (1992). Man`s Search for Meaning. 4th edition. Beacon Press, Boston, Massachusetts.

Harris, Maxine Ph.D.(1995). The Loss That is Forever; the Lifelong Impact of the Early Death of a Mother or Father. Penguin Books, New York.

Segal, Julia and John Simkins (1993). My Mum Needs Me, Helping Children with Ill or Disabled Parents. Penguin Books, London, New York.

Winton, Chester A. (2003). Children as Caregivers, Parental & Parentified Children. Pearson Education Inc., Boston, New York.


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