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プレーパーク(1) 地域住民による子どもの冒険遊び場

天野 秀昭 (NPO法人日本冒険遊び場づくり協会/プレーパークせたがや 理事、大正大学 特命教授)

2011年2月18日掲載

要旨:

長野県に、A村という人口5000人の小さな村がある。そこの教育長(当時)が、「この村の風景は、自分が子どもの時と全く替わっていない。川や神社、空き地で、みんなで日が暮れるまで遊んでいた。風景は変わっていないのに、そこで群れて遊ぶ子どもの姿だけが消えた」。子どもが外で遊ぶ姿は、もはや自然のあるなしに関わらず全国各地から消えうせている。何がそうさせてしまったのか。 『冒険遊び場』では、遊ばないといわれる現代の子どもが目を見張るほど元気に遊んでいる。その秘密は何か。いかにしてこの遊び場は始まったのか。そして、なぜ子どもは遊ばないといわれるようになったのか。冒険遊び場と子どもの遊び、今回から連載開始です。
≪冒険遊び場って?≫

『冒険遊び場』、あるいは『プレーパーク』と呼ばれる子どもの遊び場がある。『自分の責任で自由に遊ぶ』のモットーを掲げ、禁止や制約を書いた看板をなくした、子どもがさまざまなことに挑戦、冒険することができる遊び場だ。

火をたく、穴を掘る、木に登る、基地を建てる、ダムを築く、水掛けをする、料理を作る、工作をするなどの遊びが子ども自身の手で日常的に行なわれている。当然、ナイフやのこぎり、かなづち、スコップなどの道工具類が遊び道具として常備されている。ベーゴマ、釘刺し、鬼ごっこ...昔ながらの遊びもここではいまだに大はやりだ。その子が「やりたい」と思うことは極力その子の手で実現できること、それを目的につくられた遊び場である。日本では1979年、東京世田谷区の羽根木公園内に初めての常設のプレーパークができ、すでに30年以上の時が経過している。当時毎日のように遊びに来ていた子で最年長の子は16歳だったから、その子はもう50歳近い。

世田谷のプレーパークには、いくつかの特徴がある。①世田谷区が区の事業として場所の確保と最低限の運営資金を予算化している。②日常の運営には地域住民による「世話人」が責任を持って当たっている。③プレーリーダーと呼ばれる大人が開園中には常駐している。これら運営上に見られる特徴は、子どもの自由な遊び場を日常的に保障する上で編み出された智恵ともいうことができる。そして私は、この『プレーリーダー』という日本では聞きなれないポジションを仕事とした、日本で初めての人間である。

現在世田谷区内には、4箇所の冒険遊び場が常設されている。「羽根木」「世田谷」「駒沢はらっぱ」「烏山」の各プレーパークがそれだ。世田谷の取り組みを知り「わが地域にもほしい」と願う人々が動き、現在は全国各地に冒険遊び場づくりの輪が広がっている。そんな仲間に呼びかけて3年に1度「冒険遊び場づくり全国研究集会」を開催しているが、5回を迎えた2010年11月の集会時には、およそ270団体が活動中であることが把握できた。

report_02_116.jpg 全国各地で活動する団体にはそれぞれの特徴があり、運営形態は同じではない。しかしほとんどの活動団体が、住民を主体として運営に当たっている。その大きな理由は、①遊びにまつわる事故等の責任追及に行政では耐えられず、自由な遊び場の保障ができない。②子どもが育つのは地域の中であり、どのような地域環境をつくるかは地域の課題である。以上の2点に集約される。子どもに豊かな遊び環境をと願うのも地域の人なら、苦情を言うのも地域の人なのだ。

地域が子どもの遊びとどのように関わっているか、以下に、地域から子どもの遊びが消えていった実例を紹介したい。

≪嫌われる子どもの遊び≫

<事例①>
広い空間に人工芝、その公園では子どもがサッカーに野球など普段できないボールを使った遊びでいつもにぎわっていた。この公園を日々の犬の散歩に使っている近所の70代の男性は、日ごろから公園担当者に「ボール遊びを禁じてくれ」という苦情を言っていた。公園の担当者は、子どもがボール遊びをできる場所が少ないことから、この人工芝の公園でのボール遊びを禁止したくないと考えていたのだが、ある日の犬の散歩のとき、子どもが蹴ったボールがその男性の愛犬を直撃するという事件が起きた。とはいえ、ボール自体は半分転がるようにあたったのでもちろん犬には何の被害もなかったのだが、男性は激怒し、大きな事故につながってからでは手遅れだと公園担当者に詰め寄った。そして1週間。禁止の看板が何もなかったその公園に「ボール遊び禁止」の大きな文字が書かれた看板が立ち、子どもの姿は次第に消えていってしまった。

<事例②>
いつも人気のない団地の児童公園。ここを活性化させようと、団地の自治会に掛け合って子どもが存分に遊べるようなイベントを打った。ジャングルジムの真ん中に丸太を立て、滑車ロープの発射台とした。ブランコは巻き上げ、ブルーシートを掛けテントにした。奪ってしまったブランコは木の枝からロープを吊るし、別にいくつかしつらえた。滑り台にはぐるりと竹を立てかけ、そこにもブルーシートを巻いてインディアンティピのようにした。すべり面だけは表に残したので、駆け上がるとそこは見晴台のようになった。砂場に大きな穴を掘り、その分大きな山ができ、穴に水をためたらその砂山から池に飛び込む子が続出した。軽トラック1台分のダンボールを撒きカッターとクラフトテープを置いておいたら、子どもは勝手に工作を始めた。気がついたら、300人以上の子どもたちが1日中遊んでいた。きれいに片付けて改めて次のイベントの相談に出かけたら、「もう2度と貸さない」といわれた。その理由は、「うるさい」だった。

≪冒険遊び場の始まり≫

1975年、二人の幼子を育てていた一組のご夫妻が、わが子の遊ぶ様子を見て「自分が子どもの頃と全然違う」ことに疑問を感じた。そんな時、英国での冒険遊び場の取り組みを知ることになる。「日本の子どもに必要なのはこうした環境だ」、そう感じたご夫妻は自ら英国に発ち、いくつかの国を巡って遊び場の写真を収め帰国。わが子が通う幼稚園の保護者たちやマンションの住民、町会などの人に積極的に紹介した。それに触発された親たちが中心になって『遊ぼう会』を結成、手づくりの遊び場に挑戦した。

この取り組みは、子どもから大きな支持を受けた。借りていた土地の返還を機に遊び場を終了しようとしていた親たちを、「やめないで」と子どもたちが説得した。後に引けなくなった親たちの踏ん張りが、後の『羽根木プレーパーク』誕生へと結びついていった。地域の住民が動いたから、この遊び場は実現することができたのだった。

≪「子どもが遊べない」のではない≫

「最近の子どもは遊べない」。こんな言説が言われだして、一体どのくらいになるのだろう。NHKのアーカイブに収録されているドキュメントに、『都会っ子』というタイトルの番組がある。今の団塊の世代が小学生だった時のものだから、昭和30年代を撮ったドキュメントだ。驚くことに、そこにもうすでに「最近の子どもは遊べない」という表現が使われている。なので、少なくとも今の60歳代前半の人が子どもの頃には、そう言われていたことになる。しかし、それは本当なのだろうか。

冒険遊び場を日本に紹介したご夫妻の着眼点で特筆すべきは、「子どもが遊べない」と思わず「子どもが育つ環境こそ問題」と考えたことにある。子どもが遊べないと考えると、遊ぶ力を子どもに付けさせようと子どもをいじくることになる。しかし、環境が問題だと考えれば、変えなければならないのは環境の方であって子どもではない。そうなのだ。子どもが自ら「もっと遊びたい!」と思えるような環境をつくること、そして遊びきることができること。冒険遊び場の願いはとてもシンプルだと言える。

私は子どもの遊びを表わす3大形容詞として「あぶない」「きたない」「うるさい」をあげてきた。この頭文字をとると「AKU」、そう、悪となる。大人はどうやら、子どもの「あぶない」「きたない」「うるさい」を悪だと思っているようだ。「危ないからやめなさい」「汚いからやめなさい」「うるさいから静かにしなさい」。子どもは昔からAKUの存在だった。自分だってそうだったはずの現代の大人はしかし、子どもが子どもであることを許容してはくれない。子どもが遊べなくなったわけでは決してない。大人の不寛容さが子どもから遊びを奪ってきたのだと、我々はまず肝に銘ずる必要がある。


筆者プロフィール
report_amano_hideaki.jpg 東京都葛飾区生まれ。20歳のころ、自閉症児との出会いをきっかけに「遊びの世界」の奥深さを実感する。1979年に開設された、日本初の民官協働による冒険遊び場『羽根木プレーパーク』で初めての有給プレーリーダーを務め、その後、地域住民と共に世田谷・駒沢・烏山の3プレーパークの開設に携わる。子どもが遊ぶことの価値を社会的に高め、普及し、実践するための2つのNPO法人『日本冒険遊び場づくり協会』『プレーパークせたがや』立ち上げの一員。両法人の理事を務めている。09年4月からは、大正大学特命教授として、遊びに関わる大人、ことにプレーリーダーの育成を目的として教鞭をとっている。
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