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親子の遊び

要旨:

遊ぶことは就学前の子どもにとって支配的な活動であり、一番好きな学び方である。親は子どもと一緒にごっこ遊びをする努力をすべきである。ある親は、空想は子どもだけが行うものであって、重要な行為ではないと見なしている。しかし事実は、想像的な遊びは、どの年齢においても創造力や精神的な健康に貢献するのである。私たちは生活のあらゆる面で大人を手本とすることに慣れているが、遊び方を習うには子どもが最適の手本である。最後に、親に忠告したい。遊びに対する能力の無さを恥じてはいけない。遊びに加わることや遊びを習うことに対して、気が進まないことを恥じなさい。それよりも、ひざをついて子どもと遊ぼう。

 

13歳未満の子どもの親や保護者3600人を対象に子どもの一日の過ごし方を日記に記してもらったところ、一世代前よりも遊びに費やす時間が10%も減少しているという結果となった。この傾向に対して、ある観察者は親が仕事先にいる間の子どもの安全確保には,子どものスケジュールを過密にすることが唯一の実践的な方法であると解釈している。また遊びに対する一般的な価値観の変化とも見受けられる。親たちが言うには、娘や息子の遊びたいという気持ちを大切にしたいと思っている一方で、まねごと遊びの効果に半信半疑なうえ、想像力を養うことが子どもにとって実社会に適応していくための最良の方法であるのか疑問に思っている。そして、親は子供と一緒になって想像的な遊びに加わった方がいいのかということも知りたがっている。また、子どもの1人遊びの影響について、同様な心配を持つ親もいる。親子の遊びに関する本調査は、ロックフェラー財団(Rockefeller Foundation)、ダンフォース財団(Danforth Foundation)、アメリカおもちゃ製造業界(Toy Manufacturers of America)の支援を受け、多くの質問が親たちから寄せられた。以下では、調査結果をもとに親から多く出された質問に対する解決策を挙げるが、ほとんどの親はこの解決策を考慮に入れることで、3歳から6歳までの想像的な遊びに関してよりよい決断を下せるようになったと報告している。

 

◆ 子どもが一緒に遊んでほしいと言ったら、どう答えればいいだろうか?

男の子も女の子も、大人から余暇時間の使い方を学ぶことを期待されているが、大人は仕事のためになかなか子どもと遊ぶことができない。多くの子どもは、両親から、「今、忙しくて遊べないから、ちょと待ってて。」と言われる。このような回避の仕方は、思慮ある試みではない。それどころか、子どもと時間を持つことの困難さを示してしまう。もし、子どもが遊んでほしいと言ってきたら、最良の対応は一緒に遊ぶことである。遊びは子どもにとって一番楽しい活動であるにもかかわらず、大人は遊びの価値について疑問に思ったり、まねごとをする自分が馬鹿らしいと遊びに加わるのをためらってしまう。この恥ずかしいと躊躇する気持ちは、子ども時代だけが空想の世界に入ることを認められた唯一の時間であるという不当な信念を反映している。解決方法はあなたとあなたの子どもがパートナーであると考えることである。パートナーシップには競争はなく、お互いの長所が双方の強みとなる。あなたの子どもはあなたよりも想像力が豊かだろうし、あなたは子どもよりも言語能力や価値観が発達していて、成熟している。これらの長所が合わされば、双方にとって有益である。

◆ 子どもとの遊びに、どのくらい興味を持ち続けられるだろうか?

 

普通に観察していれば、幼い子どもにとって親と一緒に買い物に行くことはそれほど魅力的なことではないことがわかる。大抵、子どもは母親の用事が終わる前から早く家に帰りたいと言い出す。子どもが不平を言う、買い物に費やされる「長い時間」は、母親にとっては数分に感じられる。しかしながら、このような時間の感覚は空想の遊びの時は逆になる。具体的に説明することにしよう。文化的背景が異なる就学前の子どもがいる300家族を対象に実験を試みてみた。親子センター(Parent-Child Center)にそれぞれの家族が到着すると、私が面接できるまで、親子一緒におもちゃで遊んで待っていてもらうように助手から言われる。対象の家族は、この遊んでいる時間が測定されていることを知らない。私は面接を始めるとき、「待っていてもらう間、ずいぶん忙しそうでしたが、どのくらいの間、遊んでいましたか。」と質問する。ほとんどの親は20分ほど遊んでいたと推測したが、実際に経過した時間は6分であった。


以上から、もし誰かがあの人は集中力が短いと言った場合、それは行為によりけりなのだと考えた方がいい。このことは、多くの親にとっては、退屈をせず、あるいは著しく注意力を欠くことなく、子どもと遊ぶことができるのは、10分以内であることを意味している。興味を持てずに遊ぶことは賢明ではないので、子どもに、「あなたのように長い時間は遊べないから、もうここで遊ぶのは止める。」と言った方がいい。このような方法を用いると、親は、心理的に抑圧されることが少なくなり、より満足し、子どもと一緒にごっこ遊びをする注意力が長く持てるようになっていくだろう。

◆ 遊んでいる間の私の影響はどれほど重要なのだろうか?


親子の遊びによって得られる特有の利点がある。子どもは、同年代の友達と遊んだり、ひとりで遊ぶよりも、広い視野を持つことができる。どんなテーマの遊びを子どもが選ぼうと、親は遊びを通して、新しい言葉を紹介したり、その意味を説明することで、子どもの語彙を増やすことができる。子どもが遊びやテレビ視聴から多くの言葉を理解すればするほど、読書を始めたときの理解が深くなる。あなたが疲れていて余裕がない時ではなく、エネルギッシュで洞察力がある時に、遊ぶ計画を立ててみよう。時々、この努力が子どもの読み書きの能力のためになると、疲れた親は子どもに読書をしてあげることがあるが、単調な読み方はそれほど有益ではない。それとは対照的に、感情をこめて読めば、読書に時間を費やす熱意がそのまま結果に表れるであろう。


就学前の子どもは推測したり、質問したり、遊んだりすることによって、物事を習得する。これらの活動は創造的な過程である。子どもは想像力を使うことを好むため、私たちはこの重要な素質を維持することにもっとも配慮すべきである。私は、日本と台湾で創造力を優先しようとする動きがあることを喜ばしく思う。このことは両国を豊かにするであろう。家族の者が遊びに価値を置いて、子どもの遊び相手になることで、創造力は発達する。子どもは自分たちが好んで行うことに家族が関わってくれる、ということで自分に自信を持つ。遊びに喜んで参加する親が子どもと親しい関係を築くことは驚くべきことではない。

 

◆ 遊びを通して、どのように子どもの自尊心をサポートできるだろうか?


いくつかの調査実験から、親子の遊びが自尊心の芽生えにどのように役立っているか手がかりを得た。子どもは大人と優越感を共有する機会が必要であるということが調査から発見された。このことを理解するには、あなたが一番好きなゲームについて考えてみてほしい。大抵、大人は結果が終わりまで分からないような接戦したゲームが好きである。もし、フットボールゲームが40対0のスコアで終われば、「これは全然ゲームなんかじゃない。」と観客が言うのを聞くかもしれない。これは力の不均衡によって、どちらがゲームに勝つかという不確実性や楽しみが無くなったからである。アメリカのプロスポーツの運営手引書では、「リーグには1チームより多く強いチームがなければならない。さもなければ、競争がなく、ファンは観戦に来なくなってしまう。」と強調している。


親は子どもとゲームをする時、同じような気持ちになる。親は子どもが勝つには強すぎるのである。したがって、チェスのゲームをする時、子どもは文句を言い始めたり、止めようとだだをこねたり、今にも泣き出しそうになったりするが、その時大人は対処の方法を決めなければならない。大抵は大人はズルをして子どもが有利になるようにチェスの駒を動かしたりする。これは子どもに不正の仕方を教えようとしているのではなく、一時的に子どもに優越感を感じさせるための努力である。しかし、これは適切な方法ではない。子どもを尊重することができる、もっと良い方法がある。それは子どもの力の方が優れている創造的な遊びをすることである。

 

子どもの力の要求(自分に力があることを感じること)を満たすことは、親子遊びを通して可能であることを私達は理解すべきである。多くの大人は、長い時間支配されるのに耐えられないので、短時間しか子どもと遊ぶことができない。同様の理由で、子どものなかには授業に耐えられない子がいる。たとえどんなに優しい方法であっても、常に誰かの支配下にある子どもは、力の要求を表現できず、満たされないままでいるため、成長しなくなってしまう。アイデンティティは自己主張を必要とする。しかし、子どもが遊び友達に対して主張すれば、大抵、大人が子どもの間に介入し、叱責するので、子どもは罪悪感を覚えるのである。しかし、就学前の子どもが親と遊ぶ時は、主張することに罪悪感を覚えない。親子遊びの間、子どもが主張すれば、たいてい親は譲歩する。

 

4歳児を対象にして、同年代の友達と親とどちらと遊びたいかと質問したところ、ほとんどが親と答えた。その理由は、「自分がボスになれるから。」であった。修学前の児童はきょうだいと一緒ではなく、ひとりで親と遊ぶ方を好む。このことも、力関係によって説明できるであろう。兄や姉にとって、弟や妹の支配下に入るのは受け入れ難いことである。兄や姉は親よりも力に対する視野が狭い。つまり、就学前の児童が、競争相手としてよりふさわしい同年代の友達や兄・姉ではなく親を選ぶのは、親と一緒に遊びたいという欲求が、部分的に力関係の不均衡を是正していることを示しているのである。

◆ 遊んでいる間、子どもを誉めるべきだろうか?

 

子どもは認めてほしいと思うが、それは誉めてもらいというよりも、受け入れてもらいたいという気持ちである。他人から受け入れられた人は、その人からの愛情を失う危険をおかすことなく自分らしくいられるので、尊重され続けるために態度を変える必要がない。したがって、受け入れることは、子どもに対する一番の褒美であって、子どもは想像力を維持しながら大人になることができる。たとえよく考えた上で誉めたとしても、それが子どもの正常な発達を歪めてしまうことがよくある。正常な発達は創造力の継続であって、衰退ではない。もし、誉めることで創造力を維持できるのならば、学校は多くの先生が生徒を誉めることに多大な努力をしているので、創造力の衰退には影響しないだろう。しかし、主導力と創造力と問題解決力を発達させたい時、誉めることではうまくいかないのである。これらの資質を解放させるためには、内的な動機付けが必要であり、人の圧力から自由であると感じることが必要である。

 

真剣に見ていると、子どもは遊び固有の満足感を経験するため、互いに誉めあったりしないことがわかる。確かに、子どもたちは遊び仲間や遊び道具をコントロールしようとするが、誉めるという手段は用いない。これに反して、誉める大人は遊びに満足感を感じず、審判としての役割を担って、子どもの良い行為に対して言葉で補強していると主張する。もし親が遊びを楽しく感じれば、集中力を持続することは難しくない。しかし、遊びをつまらなく感じれば、大抵、集中力は短くなり、誉め言葉が報酬機能として使われるのである。

 

誉める大人は遊びから簡単に気がそれてしまうため、誇張した表現を用いる傾向がある。4歳のダリンが大人のジルと潜水艦ごっこをしているとしよう。ダリンが怪獣が住む島に近づいていると言った時、ジルは「分かった。そのまま操縦桿を見張っていて」と答えた。即座にダリンは「あー、あー、もうガソリンがない」と叫んだ。すぐにジルは「いいぞ、そのまま行け」と言った。その時、自分だけが潜水艦ごっこに夢中だったダリンは、「『いいぞ』って、どういう意味?」と強い口調で尋ねた。ごっこ遊びをする子どもの多くは、注意を払っていない親がその言い訳に誉め言葉を用いれば、ダリンのような質問をするだろう。

 

大人は子どもと時間を過ごす代わりとして、よく誉め言葉を使う。しかし、子どもに直接注意を向ける方が、褒美の表現の仕方として良い。例えば、子どもが色ぬりをしている絵を持ってきたとしよう。あなたは忙しいので、「よくできているわ」とか、「すばらしいわ」とか、「夕食前に描いたのよりも好きよ」と言ったとする。すると、子どもはすぐに次の新しいことを始めて、またあなたに誉めるようにせがむだろう。しかし、暫くの間、あなたは子どもが色を塗っているのを座って見ていることにしよう。すると、子どもは自分がしていることは親のあなたに充分注意を向けてもらえるものだと分かり、もうあなたに誉めてもらおうとはしないのである。幼少期に重要なことは、子どもに耳を傾けることだけではない。観察することも、あなたが重要だと考えることを強調することになるので、幼少期に大きな影響を及ぼすのである。あなたが重要だと考えることに想像力の表現が含まれていることを願いたい。

 

誉められることに慣れてしまった人は、自信を持つために外に目を向けなければならず、自分の態度を自己判断できないままになる。過度の誉め言葉を必要とするのは、不適切な期待を強いる親がいる家族に頻繁に見られる。例えば、4歳児に読むことを強要する親はたいてい、子どもを頻繁に誉めなければならないことに気づく。意図せぬ結果として、子どもは我慢してやり通すために過度に誉め言葉を当てにする。私は息子のパリスが2年生の時、「お父さん、なぜ僕はすぐにフットボールが上手くなったの?」と聞かれた。「多分、4歳ではなく、6歳からキャッチボールをしたからだと思うよ。」と私は答えた。4歳ではフットボールや読書をするのには早過ぎるので、頻繁に誉めなければならない。過度の誉め言葉に依存するという、高い代償を払うことなく自尊心を支えるためには、やる気と長所を強調することが重要である。その長所は想像力であり、常に遊びを通して表現される。子どもが遊ぶのを見れば、子ども同士で誉め合わないことを確認できるであろう。誉められることは、常に他者の反応が気になり、独立心を失わせる。他者の反応は長期間で困難なことに対しては得ることはできないものである。

 

◆ どのようにして子どもの創造力を高めることができるのだろうか?

 

子どもの創造力にもっとも影響を与えるのは家族のサポートであることが調査によって明らかにされている。子どもが想像力を表現するのに最も好む手段は遊びである。そのため、親は子どもが遊ぶのを観察するのがよい。子どもが大人に見てもらいたいと思っていることは、「私を見て」、「これを見て」、「私がするのを見ていて」と頻繁に訴えることからも明らかである。子どもがごっこ遊びをするのを見ることにより、あなたは子どもがその種の行為をすることを承認して、子どもの創造力を認めているということを子どもに伝えているのである。このような環境では、子どもはあなたの注意を引くために自分がやっていることを変える必要はないことを実感している。子どもは創造的な遊びはあなたがわざわざ見てくれる価値のあるものだと感じ、創造力は大人になっても維持するほど重要なものであると気づくことができるだろう。もっと多くの人が、大人まで維持させたい子どもの特質を評価できるように学ぶ必要がある。

 

大人は4歳児が遊ぶのを見ているとすぐ飽きてしまう。それはなぜなら、何を見るのか、何が楽しいのか、何がうまくいったのか、が分からず、ルールもヒットも走ることも点数もない遊びの形式に対して、何を言えばいいのかを知らないからである。私と妻のシアリーは友達を招待して10歳の息子のスティーブのホッケーの試合を観戦してもらえるが、もし4歳のパリスの遊びを観察するように招けば、辞退されて、「なぜ?何か特別なトリックでもできるの?」と聞かれるのは、なぜだろうか。子どもの創造力を養いたいのならば、幼児のごっこ遊びを定期的に観察すべきであって、大人がそうすることを邪魔するようなものは跳ね返すことである。

 

創造的な遊びができないということと、誰かの創造的な遊びを拒否するということは全く別のことである。このことは親と遊んでいる4歳児と5歳児を対象にした観察調査によって明らかになっている。グレッグはおもちゃのトラックでアフリカを走って探検に加わりたいと思っていたが、彼のお父さんは興味を示さないだけでなく、グレッグにアフリカは海の向こうで、トラックは水上を走ることはできないから、トラックにボートでもつけない限り行けないと注意して、グレッグの冒険心を摘み取ってしまった。

 

創造力を無視する同様のことは、子どもが大人の分からないおもちゃ同士の関係を説明している時にも起こりやすい。スティーブンは何が起きているのかを説明するのにもっともらしいことを言わなければならないとは思わなかった。しかし、スティーブンが2つのおもちゃのトラックの間で衝突した男の人はレンガのコートを着ていたので怪我が無かったと説明し始めたところ、親はシートベルトの重要性を指摘する良い機会だと思い、スティーブンの創造力を中断してしまった。

 

親が現実的であり、異なる考えを受け入れたがらないと、次のマリアのような事が起きる。マリアのお母さんは、「適さない」という理由で、カウボーイの集団から警察官を除くようにマリアに言った。しかし、マリアはその事を違うように受け取って、そのまま警察官をカウボーイの集団の中に入れておいた。マリアは、インディアンによって砦がすでに包囲されているので、カウボーイはどんな助けも必要だから、警察官が自分たちとは異なる青い制服を着ているからといって彼を排除するようなことはしないと言った。

 

◆ 遊びのために自発的に時間を取っているだろうか?

 

親の中には遊びの時間が取れない親がいるようである。祖父母は、息子や娘がいつも疲れているようなので心配している。親は、疲れて、あるいは遅くに帰ってきて、「また別の時に」と言って、遊ばない言い訳をしている。しかし、子どもにとって、親と優越感を共有したいと思う時間はとぎれることはなく、子どもがそう思うのは土曜日や日曜日だけの現象ではない。より良い方法は、毎日の予定を調整して、10分間だけ子どもと一緒に遊ぶ時間を作ることである。また、予定外の遊びも必要になってくるかもしれないことを念頭に入れておく。ほとんどの子どもは、時折、少し余分に注意を向けてほしいと要求したり、暗示したりする。そのような場合、2,3分ほどの遊びによって、子どもはフラストレーションを持たないで済むだろう。親として成功している人は、共通して、家族をいつも一番に考えている。

 

◆ 余暇時間の過ごし方の手本となっているだろうか?

 

現代の人は昔の人よりも余暇時間がある。祝日は多く、休暇も長く、退職後の時間もたくさんある。子どもは、大人が仕事をしなくていい時間、何を楽しんでやっているのかを知りたいと思っている。しかし、大人は仕事を過剰にしていて、子どもは親の姿を「自由時間を犠牲にして、子どもに特別なものを与えられるように働いている」ととらえている。親は子どもと一緒に時間を過ごすことの方が、子どもに与える物よりも価値があるということを見落としている。確かに、幸せというのは、もっとも分かりにくい目標である。親が手本となって満足を得る方法を子どもに示せば、子どもは金銭的に裕福でなくても豊かになれる。しかし、親が子どもの前で楽しみを追求しなければ、親は満足感や幸せを得る方法を子どもに伝えることはできない。親が、子どもにとって、一生懸命働くことの良い例となりながらも、人生の楽しみ方の手本にはならないということは充分にあり得る。

 

◆ 一緒に時間を過ごすことは、どれほど重要なのだろうか。

 

うまくいっている家族は共通した長所として、一緒に時間を過ごしている。時間が重要である理由は、健康的な家族がもつ他の全ての特徴に影響を与えるからである。家族が時間を一緒に過ごさないと、コミュニケーションを習得することや感情的なサポートが必ず低下する。そのため、アメリカ人の70%が子どもともっと一緒にいたいと思うのである。子どもを育てるうえで、もっとも難しいことは何かと聞いたところ、83%の親が忙しすぎて子供と一緒にいられないことだと答えた。このことについては、父親の方が母親よりも、その困難さを抱えていることを認めている。昔のように親として取るべき態度に選択肢が少なくて共通理解があった時代とは異なり、現代は不確かな社会であるため、子どもの発達には家族が一緒にもっと時間を過ごす必要があると、親は考えている。

 

長時間働くことは、一般に家族がより裕福に暮らすためである。しかし、そのことにより、親は親としての役割を低下させている。そのことと関連した結果として、ある親はいつも疲れていて、子どもと一緒にいる時間でも親の役割を果たせないでいる。このような親は、エネルギッシュで洞察力がある一番良い時間ではなく、疲れている時間に子どもと接しているのである。また、ある親は子どもと一緒にいる時間が質の高い時間であると合理化するが、質の高い時間というのは、子どもが親を必要としている時間であって、親が忙しい予定の合間に作る時間ではない。ほとんどの親は、優先すべき順序を正確に反映している時間配分を身に付ける必要がある。

 

親の適正を研究する調査者は一般に、親の社会経済的な地位や学歴の影響を強調する。子どもを育てるうえでの長所が、親の社会経済的な地位と学歴に関連があると推測するからである。私の意見では、このアプローチの仕方は視野が狭すぎるため、改定が必要である。私が調査責任者となって、アメリカ、中国、日本を対象に実施している共同調査では、様々な文化的背景を持つ親に対して、社会経済的な特徴という、狭い意味でのものよりも直接的に影響する要因について明らかにしている。そこから私たちが発見したことによれば、子どもと親の双方が認める成功している親の要因としては、収入や学歴よりも、子どもと過ごす時間が影響している。子どもと時間を多く過ごしている親は、子どものことをより理解しているために適切なアドバイスができるうえ、子どもからアドバイスを求められる傾向にある。ある大人は過度の仕事のスケジュールがあることが地位や存在の重要性を示していると思っているようだが、子どもと時間が取れないほど忙しい親は、仕事場でもその影響力や成功は限られている。

 

要約すれば、遊ぶことは就学前の子どもにとって支配的な活動であり、一番好きな学び方である。親は子どもと一緒にごっこ遊びをする努力をすべきである。ある親は、空想は子どもだけが行うものであって、重要な行為ではないと見なしている。しかし事実は、想像的な遊びは、どの年齢においても創造力や精神的な健康に貢献するのである。私たちは生活のあらゆる面で大人を手本とすることに慣れているが、遊び方を習うには子どもが最適の手本である。最後に、親に忠告したい。遊びに対する能力の無さを恥じてはいけない。遊びに加わることや遊びを習うことに対して、気が進まないことを恥じなさい。それよりも、ひざをついて...さあ、遊ぼう。

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