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イギリスの小学校教育再考―ケンブリッジ初等教育調査の周辺―

要旨:

1967年にプラウデン報告書『子どもたちと小学校』(Children and their Primary Schools)が当時の小学校教育の実情に照らして大幅な改善提案をしてから、今年で43年目になる。その間、イギリスではナショナルカリキュラムが導入され、その改訂もあって、小学校の教育は大きく変わった。そこのどのような進歩があり、どのような問題が新たに生まれたのだろうか。政策の背景となる歴史的動きと、最近行われたケンブリッジ初等教育調査を手がかりに検討する。

1、小学校教育の評価-歴史からのレッスン

(1)小学校教育改革に潜在する二つの契機

第二次大戦後、中央政府教育政策の中心的課題は、義務化し中等教育と継続教育に置かれていて、小学校教育への関心度は必ずしも高くはなかった。イングランドの小学校教育には新教育や進歩主義教育運動と総括された教育の諸原理を実際にとりいれ定着させてきた歴史があり、1940年代、1950年代から1960年代の初めにかけて、イングランドの小学校教育は優れているという評価がヨーロッパ大陸にあり、高い関心が寄せられていた。
しかし、"良い初等教育"(good primary education)とは何であるか、また、良い初等教育が何であるかがわかっているとして、実際にその良い初等教育が行われているのはイングランドのどこにおいてで、誰に対してであるかという問いを立てると、この問いに十分に答える政策的資料は整えられていなかった。バトラー法に先立つ1931年と1933年の調査報告書以来、総合的な実態調査と分析評価は1960年代まで実施されていなかったのである。


ⅰ)二つの委員会報告書


普通、『ハドウ報告書』(Hadow Reports)(1)と呼ばれる調査委員会報告書は、1930年代に"賢明な親が子どもに期待することと、国がそのすべての子どもたちに求めなければならないこと"を機軸として、①教育機会の均等と②不平等の縮減を期待する内容を盛ったものであったが、バトラー法制定後この二つの課題は解決されなかった(2)

漸く1960年代に入って、小学校教育の実際と課題とを調査して改革案を提示するよう、中央教育諮問委員会(Central Advisory Council for Education)に対して教育大臣から諮問が行われた。1963年に設置された諮問委員会がそれで、同委員会は「小学校教育の全容を再検討し、中等教育への移行のありかた」について調査し提言することを求められた。イングランドの初等教育についてはプラウデン女史(Lady Plowden, J.P.)が議長となり、ウエールズについてはギッティンズ教授(Professor C. E. Gittins)が議長を勤め、両委員会の報告書は1967年に公刊された。

プラウデン報告書(Children and Their Primary Schools, Volume 1 & 2)は1960年代のイングランドの小学校についてその実情を詳しく報じている。小学校教育の構造と、主要な理念とを描き挙げ、子どもの育ち方を実際に観察し、家庭と生活する近隣の条件が子どもの成長にどのような影響をあたえるか考察した。同時に、小学校を教育の文脈だけではなく広く社会の一部としての小学校教育と国の経済との関連にも配慮し、傍ら、教師たちに従来型の理解や発想を越えて新しい状況と課題に応えるようその立ち位置(態度)を更新することを求めた。政策提言の主要テーマは次のようなものであった。
1)教育最優先分野(educational priority areas)、
2)移民の子ども(children of immigrants)、
3)親の参加(participation by parents)、
4)就学期以前(pre-schooling)、
5)教師補佐員(teachers' aides)、
6)学校(the schools)、
7)普通級の障碍をもつ子ども(handicapped children in ordinary schools)、
8)健康と社会サーヴィスと就学児童(health and social services and the school child)、
9)独立小学校(independent primary schools)、
10)教職員と研修(staffing and training)、
11)校舎と施設設備(building and equipment)、
12)地位と管理(status and governance)。

多様な主題を貫いていた理念は、子どもの生活を大切にすることである。こどもの暮らし方を根本から変えて、子どもの命を守り子どもの暮らしの質を高めることを目標とした。その目標達成に親も教師も行政官も保健衛生行政や社会事業関係者も共に参画することを求めた。「子ども」には移民の子どもたちも含まれている。提言のなかで際立ったものに積極的区別(positive discrimination)という評語で示した提言があった。社会的経済的文化的人種的な不平等に晒されている子どもたちに対して、その不利益を積極的に緩和しようと訴える政策的主張であった。補償教育(compensatory education)と呼ばれることもある政策的主張である。上記1)、2)、8)はその内容をなしている。また、就学前教育についても提言をしていて、そこでは①3歳から5歳(就学開始年齢)までの子どもたちに保育教育(nursery education)の機会をできる限り拡げること、②母親から長時間幼児を切り離すことは望ましくないので、決められた時間だけ保育学校へ子どもが預ける方式を基本とするが、③長時間の保育を要する場合には終日預けられる保育学校が必要なので、全施設の15%相当はその種の施設とするようにする、④4歳児の90%、3歳児の50%が保育学校に通えるように制度を整備する、⑤子どもは20人までを一つのグループとし、3グループを一纏めとして組織的単位とし、保育センター(nursery centre)と名づけ、⑥保育される幼児60名あたり一名の教員を配置し、子ども10名当りに2ヵ年訓練を受けた補佐員1人を、一日限り(日切り)の勤務形態で配置する、⑦3歳児以上の幼児の保育学校の教育については、その責任を保健省から教育科学省(Department of Education and Science: DES)に移管すること、⑧公的施設が十分に備えられるまで、民間非営利団体等が行う保育グループを地方教育当局は財政的に支援すること、⑨そのような民間グループは地方教育当局及び査察官の査察を受けいれること、などが掲げられていた(3)。「教育」について、従来から新教育的、児童中心的といわれてきた学校教育の諸原理を積極的に再評価し強調したところにプラウデン報告の大きな特色があった。

ⅱ)Black Papersとナショナルカリキュラム

1960年代の教育政策、取り分け中等学校を綜合制中等学校に編成することを決めた政策が、学校教育を主知主義の原理で行う事を指示する人々から批判される状況が生まれて、『黒書』(Black Paper)と題する冊子がその立場を支持する学者、政治家、ジャーナリスト、市民によって発行された(4)。児童中心主義と呼ばれる教育観を批判する人々の論争誌である。

1970年代になり、労働党の首班キャラハン(Callaghan, Leonard)が後に「大論争」(Great Debate)と呼ばれるようになった論争を国民に仕掛けた(5)。その内容は、簡略に言えば、イギリスの学校教育は社会の発展に役立っていないのではないかという問題提起で、やがて導入されることになったナショナルカリキュラムに通じる論点も含まれていた。キャラハンの講演を準備した政府部内で用いられた部内秘扱いの文書が教育省官僚の手で準備されていたことが今は知られている。そこには学校教育に関する批判的な見解が収録されていた(6)

このイングランドの人々を巻き込んだ論争を受けて、1979-1990年に成立した保守党サッチャー政権がナショナルカリキュラム導入の地ならしを進め、実際に1988年に導入した。そこで選択された方針はBlack Paperに盛られた主知主義的な教育原則による学校教育の再編成であった。それは中等教育における知的選抜を認め、学力評価による児童生徒の選別を強化する政策であったし、公立学校教育の私学化を図る政策でもあった。

ⅲ)ナショナルカリキュラム以降の保守党教育政策

1980年代は、政治的には政治的原理ないしイデオロギーとしての新自由主義が広く受け入れられた時代で、英国も例外ではなかった。保守党の政策プログラムは自由な経済と強い国家という旗印を掲げるもので、国内では国有事業を閉じ、公的サーヴィスを私企業化し、個人の選択の自由の幅を拡げて、市場原理による競争的社会に社会構造全体を組み替えようとした。国家経営のコスト削減と社会サーヴィスの私企業化を促す規制緩和は学校教育の分野にも導入され、地方自治体から公立学校理事会の手に教育財政・財務管理の相当の部分を委ねるというような方策をはじめ、"諸革新"が具体化した。その内容は学校教育管理、教員養成、学区制廃止と多様であったが、小学校教育に関わる政策を概観すると次のような政策が選択されたとされる(Docking, 1999)。

障碍をもつ子どもを障碍の種類によって区分し、区分された障碍教育を行ってきたことを廃して、単に障碍児と記述して普通の小学校で普通級に統合する方針を選択。平行して障碍をもつ子どもを除き、5歳以下の子どもたちに対する保育サーヴィスを地方自治体の責務から外した(1980年、1981年の教育法)。
親に学校を選択する自由を認めた(1980年教育法)。
性教育を中等学校では行うとしたが、小学校の性教育については学校理事会にその内容を決定する権限を付与して、積極的性教育を事実上阻止。同性の親について教えることを禁止(1986年、1988年の教育法)。
体罰を禁じた(1986年教育法)。
ナショナルカリキュラムとキーステージ毎の成績評価を行い、親に成績を開示することにした。
保育教育と補助金立学校に関する法が制定され、就学前教育にヴァウチャー制が導入された。

この一連の政策の中で、小学校教育の「質」を巡り、プラウデン報告書型の学校論、授業論を批判する主張が貫かれた。一般に、"三賢人"("Three Wise Men")の主張とされる内容を盛った政策討議資料(7)が1992年に公になったが、そこで強調されたことは、19世紀のイングランドの小学校で行われてきた"学級単位の一斉授業"と、"読み書き算"の強調で、また、"経費のかからない高質高水準の授業"が小学校教育のあり方を模索する際の指針となっていた。プラウデン報告的ではない。


(2)1990年代から2000年代の教育政策動向-改めてprimary educationとは何か


1997年に労働党政権が成立して2010年5月まではその政府が続く。労働党政権の教育政策は多面的だが、一面で地域社会の再建を掲げながら、他面では教育サーヴィスと福祉サーヴィスの融合を図っている。住民一人一人が職業について市民としての責任を果たし、英国民全体として国際社会に伍して一流となれるように教育を重要視している。その端的な現れが"0歳から19歳までの教育"を促進する提案である。義務教育を19歳まで延長する法案が2009年12月に成立し(8)、また、「確かな第一歩」(Sure Start)政策の一環として着手された"子どもセンター"(Children's Centre)は、2010年3月から新しい政府の財政措置を得て、3500センター設置を目差してサーヴィスをイングランド全域に拡張することになった。この政策選択の総合的目標は子どもの貧困問題と社会的排除(差別)問題を解決することにあるが、そのために"これから親になる人"(parents-to-be)、"親"(parents)、"介護者"(carers)、"子ども"が一緒になって、赤ちゃんと幼い子どもの体と心の発達を助け、子ども大人相互の人としてのつながりを確かなものにすることが謳われている。家庭でも学校に通い始めてからも、子どもたちがすくすく育つことを確かにすることで、子どもたちの成長に応じた学びと将来の社会参加を保証し、そのことを通じてやがては社会全体の問題解決を図ろうとしている。このような総合的教育政策のなかで、小学校教育はどのような成果をあげているのであろうか。 あるいはどのような新たな課題を負うようになっているだろうか。このような問いを立てることは、改めて初等教育とは何かを問い直すことでもある。

ⅰ)「ケンブリッジ初等教育調査」

ケンブリッジ初等教育調査グループは、(ⅰ)初等教育の目的、(ⅱ)来るべき数十年間においても保守すべき初等教育の原則、(ⅲ)子どもたちがそこに住み暮らすイギリスと世界とを視野に納めた場合、初等教育が一人一人への配慮と、社会、経済、文化等の状況に関して留意すべき基本事項の三点を研究主題として選び、それぞれへの回答を出した(9)。その作業は、初等教育に関わる教育政策の歴史的批判的反省と、現在イギリスの初等教育に関わりを持つ人々への意識調査を含むものであった。

(1)政策経緯の分析
前節で触れた事項を省くと、初等教育政策の分析には次のような指摘がある。

プラウデン報告書はハドウ委員会の主張を受け継ぐ報告書であるが、イギリス社会が寛容に満ち、誠実で、活力に満ちた社会になることを期待し、物質的な富だけを求め、小数派に敵対し、過度に大衆の意見のみに支配されたり、価値観が不安定になる環境を回避しなければならないとも警告していた。
個人的なものとナショナルなものとの調和について、1981年から政策は「子ども」(child)から「生徒」(pupil)へ梃子の支点を移した。この変更は、小学校の目的を小学校が個別に選定する方針から、共通な観点から方針を定めることへの転換を意図したもので、制度的にその意図が明確になった時点は教育改革法が成立した1988年である。
1988年教育改革法が規定した教育目的に関して条文の文言が厳密に検討されたとは言えず、教育目的よりも教育内容(curriculum)のほうに視線が注がれた(10)
1990年代に入り、ナショナルカリキュラムの目的に関して教師から疑問と批判の声が聞かれるようになった。1997-8年に"教育と地域社会の価値に関する全国フォーラム"(National Forum for Values in Education and Community)が行ったカリキュラム再検討の成果は、1990年代末の政府と資格カリキュラム当局(QCA)(11)の公的文書には十分反映されず、1988年教育法の規定を簡略化する程度に留まった(12)
2005年に、QCAはイングランドの公立学校の教育目的について大幅な再検討に着手し、中等教育の目的を次の三項目に集約した(13)

QCAはこの目標を小学校についても法定することを求めたが政府は容認せず。しかし、小学校の教育目的もこの目標に準ずることとした。

(2)インタヴューから明らかになった課題
ケンブリッジ初等教育調査グループは関係者の意見を聞きとっているが、そこから重みのある小学校教育の課題が浮き彫りになった。

個人の要求と社会の要求のバランス(balancing individual and societal needs):
親の要望のなかで顕著であったことは、いろいろなことを大事に(respect)することであった。自分(self)を大事にする、仲間と大人(peers and adults)、他の世代(other generations)、言葉遣い(use of language)、礼儀作法(courtesy and good manners)、環境(environment)を大事にすること。
地域社会と市民生活:
ユダヤ民族に相応しい教育を要望する団体からは、respectと共に、集団(collective)としての社会的道徳的責任と地域への参加と政治的識字が強調された。他方、価値と価値観が流動的な世界で、地域社会の安定性と恒常性を守るような教育を小学校教育に期待するとする意見もある。この両様の課題にこたえるためには、種々の問題ごとに、子どもたちが積極的に対話に加わり、やがて公的な対話でもそれを組み立て促し、成果を出すことが出来るような力(skills)を身につけることができるように小学校教育の教育内容を工夫する必要がある。
不利益の克服:
子どもたちの間に学力格差が広がり、貧困と社会的悪条件から教育の機会と施設にも格差が広がっている。学校は格差打開ですべてのことを行えるわけではないが、就学以前に対応策が適切にとられていれば、小学校での可能性が広がる。
グロ-バル社会の要求:
「物」だけを有り難がる風潮に対しては、それが小学校教育に及ぼす否定的な意味や影響を懸念する声が大きい。他方、変化の早い世界で生きていく子どもたちに、変化に対応できる基礎的な力を育てる必要があるという点では、現在の職業的準備教育が20年後の課題に耐えられるか否か見解が分かれる場合でも、意見が一致する。

ⅱ)「ケンブリッジ初等教育調査」が呼びかけること

初等教育に関する多様な意見と評価を綜合する視座や視点は果たして可能か、可能であれるとすればそれはどのような視座、視点だろうか。

ケンブリッジ初等教育調査グループは、小学校教育の目的と目標について、ナショナル対ローカル、学校対グローバルという座標系をセットしながら、その各座標次元で課題とされる小学校教育目標を整序して、1)小学校教育の原理と2)12の目標を導いた。それは次のように語られている(9)

A:小学校教育の原理(Principles)

B:小学校教育の12目標(Twelve Aims for Primary Education)

B-1)個人について(The individuals)

B-2)自分(self)、他人(others)、広い世界について

Encouraging respect and reciprocity:人間の諸関係を理解するうえで本質的な相互性(関係性)を自他の尊重、多様性の尊重、言語と文化及び習慣を尊重することを介して子どもたちが学び取ること。
Promoting interdependence and sustainability:人の暮らしの平安と福利が人々との相互依存関係と、自然との相互関係によることを子どもたちが理解すること。
Empowering local, national and global citizenship:学校と学級で意思決定に子どもたちに参加を促しながら、人権、民主的管理、多様性、問題解決について学ぶようにすること。
Celebrating culture and community:学校を一つの文化的サイトし、地域社会と学識・思慮分別の中核にすること。

B-3)学び、知り、行うことについて
Exploring, knowing, understanding and making sense:科目その他の人間の活動分野へ導いて、子どもたちを人間の経験という資源に出会わせること。
Fostering skills:子どもたちが人生を選びその選択から相応の見返りを得ることができるように、語る力、富み書き能力、教科を学ぶ力、創造的な芸術を生む力、人と交流し合う力、問題解決能力、生活を管理する力など、人間関係を合理的批判的につくる力などを子どもが身につけるようにすること。
Exciting the imagination:考えや思いつきを越え、こどもの想像を羽ばたかせて、現実の暮らしの境界を越える想像力を手がかりにしながら、他人への共感や因果関係について考える力を養い、自分の行動を規律すること、個々の活動と思考のなかでアイデアと言葉を拓き、かつ、検証することができるように育てること。
Enacting dialogue:子どもたちに学習が相互作用的な過程であることを理解させ、学ぶこと、学び方に責任を持って臨むことを理解させること。

C:教育目標・内容の管理
ケンブリッジ小学校教育調査委員会は、初等教育の目的や目標が法定について、多くの教育目的は制定法に記載することが可能で必要でもあるが、具体的な教育課程の編成や教育方法、教育活動の計画立案は地域と学校に委ねられるべきであるとしている。
私は、"小学校のない地域社会は、基本的に死んだ社会である"という判断がケンブリッジ初等教育調査グループの成員に分かちもたれていることに留意したい。

むすび

イギリスは1930年代から5歳以下の子どもたちの養育と保護と教育について高い関心を持っていた。福祉政策と合体した義務教育政策がながらく取られていたことが広く知られている。プラウデン報告書もそのような政策の流れを継ぎ、1997年以降労働党政権の下でも0歳から5歳までの「教育」が基礎ステージ(foundation stage)として論議され政策化されている。子どもの健康を管理した中央省庁と学校教育を管理した中央教育当局の制度的合体が、「子ども・学校・家庭」省の誕生に連なった(2007年)。現在は19歳までを義務教育期間とする法の成立を機に、0~19歳の子どもたちの教育が、子どもの自立と社会参加を保証する視点から、過不足なく公的サーヴィスとして提供されるような努力が払われ、民間と公的機関の協調体制(partnership)ネットワークの広がりの下でさまざまな工夫が行われている。

その状況のなかで、小学校の教育が改めて課題視されるのは、乳幼児期から保護され教育された子どもたちが、やがて中等教育を経て社会に参画するようになる教育と訓練の過程へ進む上で、小学校期の教育が子どもたちの教育と訓練の基礎を形作るものだからである。イングランドの小学校教育は、(ⅰ)児童中心的進歩主義教育と(ⅱ)識字力と数量操作能力を重要視し高度化し続ける知識重視・社会中心的コンヴェンショナリズムとの二項対立的文脈でしばしば語られてきたが、ケンブリッジ初等教育調査団の提案は一つの見識である。しかし、この調査団の仕事が、学校で取り扱われる知識の本質について、道徳教育の小学校教育内容と宗教教育との関連について、調査委員会がどのように語っているか、検討することが必要である。英国政府の0~5歳の幼児教育政策の動向と課題について精査することと合わせて、子ども期(childhood)そのもののイメージと意味とが変わりつつある状況に即してイングランドの初等教育政策を吟味することも忘れることができない。


(1)Sir Henry Hadow(1859-1937)が調査委員会の議長を務めたところから、この名がある。1920年から1934年まで教育院(Board of Education)諮問委員会議長を務め、三つの調査委員会報告書を纏めた。
   「青年の教育」(The Education of the Adolescent)、1926年
   「小学校」(The Primary School)、1931年
   「幼児学校」(The Infant School)、1933年
(2)Rogers, Rick, 1980, Crowther to Warnock--how fourteen reports tried to change children's lives, Heinemann Educational Books, p.83. バトラー教育法は1944年教育法のことである。
(3)Children and their Primary Schools, A Report of the Central Advisory Council for
Education (England), Volume 1, HMSO, 1967, chapter 9, pp. 291-343.
(4)Black Papers, No.1 ~ No. 3。1969年に第一巻が出版された。学校教育の水準が落ち
たのは綜合制中学校の導入とプラウデン報告に盛られた教育哲学のせいであると強調
した。保守党政権に大きな影響を与えた。
(5)1976年10月18日に、ジェームズ・キャラハン首相(労働党)がオックスフォード
大学ラスキンカレッジで教育について議論を呼びかけた。翌年の2月と3月に計八回
の一日討論会が地方で開かれた。討論と討議資料は同年7月に緑書『学校教育:参考
資料』(Education in Schools: A Consultative Document)として公刊された。
(6)部内秘扱いの政策関連文書は、黄書(yellow book)と一般に呼ばれる。キャラハン
演説も黄書に基づいて行われ、その後の一連の討論にその内容が反映したと評される。
(7)DES, Curriculum Organization and Classroom Practice in Primary Schools: A
discussion paper, 1992, HMSO. 執筆者は、Robin Alexander(リーズ大学、教育学
教授)、Jim Rose(主席視学官)、Chris Woodhead(ナショナルカリキュラムカウンシ
ル、主席執行官)の三名であった。
(8)Education and Skills Act 2009
(9)Alexander, Robin (ed.), Children, their World, their Education--final report and
recommendations of the Cambridge Primary Review, Routledge, 2010, pp.174-202.
(10)教育改革法の教育目的規定は以下の通りである。
「学校で生徒と社会(society)の精神的(spiritual)、道徳的(moral)、文化的(cultural)、
知的(mental)、身体的(physical)発達を促進すること」
「学校では生徒を成人の生活の機会(opportunities)と責任(responsibilities)と経
験(experiences)に対して準備させること」
この規定を1944年教育法の規定と比較すると、1944年法では社会は地域社会(community)と規定されており、文化的という用字は用いられていなかった。また、
下段の規定は無かった。この差は教育目的の法的規定として重要な意味を持つ。
(11)Qualification and Curriculum Authority (QCA)。1997年教育法で設置された公共機関。既存の学校教育課程・査察当局(School Curriculum and Assessment Authority: SCAA )とイングランド職業資格審議会(National Council for Vocational Qualifications: NCVQ)の双方を合体した機関で、5歳以下の幼児の教育内容から中等教育修了資格試験までを扱う機関である。ウエールズ、北アイルランドとスコットランドには別途独立した機関が置かれ、現在も機能している。
(12)小学校のカリキュラムを開発する目的が二つ挙げられた。
目的1(aim 1)
「学校教育課程は、生徒に、学習し目標を達する機会を提供しなければならない」
目的2(aim 2)
「学校教育課程は、生徒の、精神的、道徳的、社会的、文化的発達を促進し、生活の機会と責任と経験に備えることを目標としなければならない。」
(13)スコットランドは、この三項目にeffective contributorを加えた。 


参考文献:Jim Docking, (ed.) 1999, National School Policy, David Fulton


 

筆者プロフィール
lab_suzuki_shinichi.jpg 鈴木 慎一 (早稲田大学 名誉教授)

1933年1月、中国東北部長春市(旧満州国新京市)に生まれる。1946年11月日本へ帰国。福島県立保原高等学校卒業。早稲田大学教育学部教育学科卒業後、同大学大学院文学研究科教育学専攻へ進学。1960年修士課程修了、1964年同博士課程退学、その後、ロンドン大学へ留学。教育学博士。専門分野は比較教育学・教師教育論、イギリス教育史・制度・政策研究。教育学部教授、大学院教育学研究科教授、早稲田大学British Studies研究所所長、教師教育研究所副所長、教職課程主任を歴任。他に、日英教育研究フォーラム代表、日本国際教育学会会長を務めた。 2003年6月より早稲田大学名誉教授。2008年からヨーロッパ比較教育学会名誉会員。
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