
所長ブログ
Director's Blog所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。 | ![]() |
日本も2007年に国連の「障害者の権利に関する条約」に署名しました(その後2014年に批准)。署名したからにはそこに書かれていることを着実に実行しなくてはなりません。文科省に、日本のインクルーシブ教育体制を推し進めるための特別委員会が設置され、そこでの議論をもとに現在の日本のインクルーシブ教育の基本方針が策定されました。
そのインクルーシブ教育体制こそが、私が「何か変だよ」と思っているものなのです。「変だ」と思う2つの点について説明します。
(1) 特別支援学校を「一般的な教育体制」内であるとしたこと
インクルーシブ教育の源流がノーマライゼーションであると考えれば、さらにノーマライゼーションがこれまでの「教育における分離」を排除することを目的とするのであれば、特別支援学校は一般的な教育体制ではなく、特殊な教育制度であると考えるべきです。世界中で条約批准時にこの条項を完全に満たしている国はイタリアのみでしたので、イギリスなどは批准を一旦保留し、慎重な議論を重ねた上で、「障害のある子どものニーズに応ずることのできるメインストリームの学校や職員へのアクセスがより多くできるようなインクルーシブなシステムの開発を継続する」という宣言を加えて批准しています(メインストリームの学校とは、普通学校のこと)。まだインクルーシブは完成していないが、アクセスを多くしてゆく努力を続けることを宣言したのです。
さて日本でも、特別委員会の中でこの一般的な教育制度に特別支援学校は入らないのではないかという議論が起こりました。特別委員会の議事録を見ると第一回目から、特別支援学校関係者はこれに対し声を大きくして「インクルーシブ教育といったときに、特別支援学校はそのシステムの中で機能している」「 (特別支援学級も) インクルーシブ教育の制度のシステムの枠内で、今まで教育が行われてきたと自負しております」あるいは「 (特別支援学校が) なくなってしまうという恐怖感さえ思い浮かべるという親御さんの切実な声が届いております」と特別支援学校の存続を訴えています。特別支援学校が、これまでの日本の特別支援教育体制の中で重要な役割を果たして来たことと、きたるべきインクルーシブ教育体制の中でも同様にその役割を果たして行くかということは、全く別のことではないか、と私は考えますが、こうした委員の強い訴えと、一部の委員の、分離教育は障害の種類によっては必要である、という意見に押されて、文科省は、特別支援学校は一般的な教育制度内にあると宣言します。ただし文科省の自らの見解としてではなく、以下のように外務省の条約批准の担当者の意見を引用してその根拠としています。
障害者の権利に関する条約第24条にある「general education system (教育制度一般 (ママ) ) 」について、外務省に照会したところ、以下の回答があった。外務省の見解によって、特別支援学校はインクルーシブ教育の中にあると認められ、障害のある子どもを特別支援学校や学級で「分離」して教育することも「インクルーシブ教育」であるといって良いことになったのです。
条約第24条に規定する「general education system (教育制度一般) 」の内容については、各国の教育行政により提供される公教育であること、また、特別支援学校等での教育も含まれるとの認識が条約の交渉過程において共有されていると理解している。したがって、「general education system」には特別支援学校が含まれると解される。 (第5回特別委員会資料2)
障害のある子どもを5歳児検診などで早期に発見し、特別支援学級や特別支援学校に送ることは、インクルーシブ教育といって良いのですから、インクルーシブ教育を推進することによって年々特別支援学校に通う子どもが増加することにつながります。
ここに最近発表された日本の特別支援学校に通学する生徒数のデータ *がありますが、2015年には約14万人と過去最高になり、この10年間で36%増加しています。この間、義務教育を受けている子どもの数は少子化によって減少を続けていますので、相対的には特別支援学校に通う生徒数はもっと増えているのです。
インクルーシブ教育体制といいながら、普通学級から分離されて教育を受けている子どもが増えているという不思議なことが日本では起こっているのです。インクルーシブではなく、その逆(エクスクルーシブ)になっているのではないか、と皮肉を言いたくなります。
さてこの辺でブログの紙数がつきました。本テーマについて2回に分けて書くと前回書きましたが、2回では収まらなそうです。次回に、もう一つの「何か変だよ」について書いておしまいにしようと思います。
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※「何か変だよ、日本のインクルーシブ教育」シリーズの続きは以下よりご覧ください。
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (4)
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (5) 大いなる誤解
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (6) the general educationって何?
* 文部科学省 学校基本調査(速報版)2015
カナダのNPOであるInclusionBCという団体のホームページにはこのように書いてあります。(以下、筆者訳)
インクルーシブ教育とは、すべての生徒が、その住んでいる地域の年齢相当の普通学級 (regular classes) に迎え入れられて通学し、学校生活の活動全てを学習し、参加貢献する、ということですさらにそのホームページのQ&Aには、次のように書かれています。
質問:インクルーシブ教育は全ての子どもにあてはまるのですか?もう一つアメリカの「PBS parents」というホームページを見てみましょう。そこにはこのように端的に書かれています。
回答:答えは簡単です。イエスです。しかし個別のニーズによって、一部の生徒は普通学級以外でも目的に従った授業を受けることがあります。しかしそれは例外的なことです。
インクルーシブ教育は、障害のない子どもと障害のある子どもが、同一のクラスに出席し学ぶ所に成立します。インクルーシブ教育についてのこれらの定義から明らかなように、端的に言ってしまえば、インクルーシブ教育とは、地域の全ての子どもが同じ教室で勉強することです。
では日本の特別支援教育はインクルーシブなのでしょうか?そもそも、特別支援学級や特別支援学校に通うことはインクルーシブ教育と言っていいのでしょうか?
日本の文部科学省の「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進 (報告) 概要」というホームページ上の記載を見てみましょう。報告書の冒頭にある「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育とシステムの構築」には次のように書かれています。
障害者の権利に関する条約24条によれば、「インクルーシブ教育システム」とは (中略) ...障害のある者が「general education system」 (仮訳 教育制度一般) から排除されないこと (後略) 。とあり、引き続いての記述には
インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して (中略) ...多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である。小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要である。と書かれています。
どうでしょうか?あくまで例外的に通常学級以外の場での教育を認めるアメリカやカナダのインクルーシブ教育と、「多様な場を用意することが必要である」として特別支援学校などを重要視する日本とは明らかに大きな相違があります。
アメリカのホームページの定義に従えば、通常学級と特別支援学校に「別れて」教育を受けるところにはそもそもインクルーシブ教育は成立しないことになります。
次回は、なぜそのようなことになったのか、考えてみたいと思います。
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※「何か変だよ、日本のインクルーシブ教育」シリーズの続きは以下よりご覧ください。
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (4)
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (5) 大いなる誤解
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (6) the general educationって何?
<参照URL>
InclusionBC - What is Inclusive Education?
http://www.inclusionbc.org/our-priority-areas/inclusive-education/what-inclusive-education
PBS parents - Inclusive Education
http://www.pbs.org/parents/education/learning-disabilities/inclusive-education/
文部科学省「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)概要」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321668.htm
「遅くなるまで外で遊んでいないで、家で勉強しなさい」
「体を動かしてばかりいて頭を使わないと、お勉強ができなくなりますよ」
しばらくして、中学校に入り、ちょうど東京オリンピックの女子バレーの活躍で人気がでてきたバレーボール部に入りました。毎日毎日泥まみれになって帰ってくる私を見て、母は勉強がおろそかにならないか心配していました。
私の母に限らず、体を動かしている暇があったら、勉強をしてほしいと思っている親は多いのではないでしょうか。
そんな親にとっては耳を疑うような研究データが最近次々と発表されています。
そのデータとは、表題にあるように「身体を動かすと頭が良くなる」ことを示したデータなのです。
カナダのシェパード(Shephard, 1996)は、546人の小学1年生の子どもに、心拍数が157~178/分まで上昇する強さの身体運動を1日1時間行ってもらい、6年間にわたって認知機能を対照児と比較するという実験を行いました。実験後に知能テスト(Goodenough test, WISC)を行ったところ、身体運動を行った子どもの方が有意に高得点が得られることを報告しました。
2009年にはアメリカのドネリー(Donnelly, 2009)が3年間にわたって、117人の6歳~9歳までの子どもに1週間に45分以上の比較的強い身体運動を行ってもらい、3年後に対照児と知能テストで比較したところ、有意のスコアの上昇を認めています。
近年の研究では、上記のような経験的なものではなく、脳波を用いた脳機能の測定により、頭の働きが良くなることが発表されています。ドロレット(Drollette, 2014)は、9歳の対象児に、前頭葉機能を測定するテストを行い、その得点の高いグループと低いグループに分け、それぞれに20分間トレッドミルで身体運動をしてもらいました。運動の後に脳波測定を行い、脳の活動と関連のある脳波の成分をしらべたところ、得点の低いグループでは、その脳波成分の反応が大きくなることが分かったのです。
ドロレットの研究では、運動をした直後の脳の働きがよくなることが証明されたのですが、ヒルマン(Hillman, 2014)らは長期間身体運動をすることで、脳の機能の向上状態が長い間続くことを示しています。7歳から9歳の子ども221人を対象に、その半数に9か月にわたる放課後の有酸素運動(トレッドミル運動、身体活動を伴うゲームなどで構成)を行ってもらい、残りの半数の対照群とともに、脳の認知機能テストとテスト施行時の脳波による脳機能を測定したのです。そして9か月後に、有酸素運動群と対照群に、有酸素運動開始時と同じ認知機能テストと脳波による脳機能検査を再び行いました。その結果、9か月間の有酸素運動への参加率と、認知機能テスト成績ならびに脳波による脳機能向上の間に有意な相関があることが明らかにされたのです。
有酸素運動を行うと、その直後に実行機能の向上が一時的にみられるだけではなく、継続して行った場合に、持続する実行機能向上がみられることが証明されたのです。
これらの実験に共通して言えることは、そのメカニズムはまだ明らかになっていませんが、確かに身体運動は、知能指数や脳の実行機能を向上させるということです。
身体を動かすと筋肉はつくけれど、脳の働きは良くならない、頭を良くするためには静かに座って勉強しなくてはならない、という「常識」が覆されたのです。このブログをお読みのお母さん、お父さん、わが子が外で遊んでばかりいることで心配する必要はありませんよ。
運動すると頭が良くなるのですから。
参考文献
Donnelly JE et al. Physical activity across the curriculum (PAAC): a randomized controlled trail to promote physical activity and diminish overweight and obesity in elementary school children. Prev Med 49:336-341, 2009.
Drollette ES et al. Acute exercise facilitates brain function and cognition in children who need it most: An ERP study of individual differences in inhibitory control capacity. Dev Cog Neurosci. 7:53-64, 2014.
Hillman CH et al. Effects of the FITKids randomized controlled trail on executive control and brain function. 134: e1063-1071, 2014.
Shephard RJ. Habitual physical activity and academic performance. Nutr Rev. 54: 32-36, 1996.
でも、なぜ仮親といった制度が成立してきたのでしょうか。そして現在は廃れてしまったのでしょうか。実は最近私が読んだ有名な伝記小説の中にそのヒントがあるように思いました。有名な伝記小説とは、森鴎外の「渋江抽斎」です。
渋江抽斎は江戸末期に実在した、弘前藩の御殿医でした。医師であると同時に、古書を読み解いて歴史を研究する「考証学者」でした。弘前藩に属していましたが、江戸にいることの多かった藩主に従って、54歳でなくなるまで江戸住まいでした。鴎外の晩年の作として名高い「渋江抽斎」ですが、鴎外が小説というより正確な伝記といったほうが良いこの作品を書いた理由は、作品の中で鴎外自身が語っています。鴎外は江戸時代の歴史に大きな関心をもっており、武鑑とよばれる大名や将軍の家系や年代記を記録した古文書を買いあさっていました。しかし古文書を収集するうちに、多くの古文書がかつて渋江抽斎という医師の蒐集物であっただけでなく、そこに抽斎自身による細かな注釈が施されていることを知ったのです。決して歴史に名を残したわけでもないこの江戸時代末期の考証学者に関心をもった鴎外が、生存していた抽斎の息子さんなどから収集した情報が、鴎外の晩年の名作のもとになっています。
「渋江抽斎」を読むと、江戸末期の人の生き方や考え方が伝わってきますが、私の印象に残ったのが、人々が年齢に関係なくいとも簡単に死んでしまうことでした。抽斎は4人の女性を妻としましたが、そのうち2人は結婚してすぐの死別、4人の妻との間に生まれた10人の子どものうち3人は生まれてすぐに亡くなり、さらに2人は若くして亡くなっています。抽斎の生涯にもった家族14人のうち、抽斎がなくなる54歳時点で生き残っていたのは、6人のみでした。
現在の日本の乳児死亡率あるいは5歳以下死亡率は、1,000人につきそれぞれ2と3です。これは1000人生まれた子どものうち1歳の誕生日あるいは5歳の誕生日までに亡くなる子どもの数です。世界全体では、乳児死亡率の平均は35、5歳以下死亡率は48ですから、世界の中でも、日本は子どもの生命の安全性が高いところなのです。
抽斎の生きた江戸末期の統計はありませんが、親も子もいつでも死別してしまう可能性が高い時代だったのです。親と死別すれば、誰かが子どもの世話をしなくてはならない、また跡継ぎの子どもが早世すれば、誰かを跡継ぎにしないと家が断絶してしまうのです。そんな時代に、お互いに複数の子どもの仮親を子どもの成長のさまざまな折に決めておけば、家族や一族が離散したり、子どもが路頭に迷うことを防ぐことができます。
仮親は、そうした時代の人々の知恵の結実であり、現在ではその実質的な利点が薄れてしまい、仮親制度が次第に消え去っていったのではないでしょうか。
子どもの命の危険がなくなり、江戸時代の仮親が多分もっていた役割はなくなりましたが、同時に一人の子どもに多くの大人が親身になって関わるという人のネットワークがなくなってしまったのです。子どもの心や人間関係の問題が社会の大きな懸念として浮上している今、もう一度仮親制度のようなネットワークの意味を考えてみる必要があるのではないでしょうか。
自分のことを無条件に認めてくれている人のことを作文に書いて思い出す、という心理的作業をすると、3週間後であっても、子どもの自分自身の評価に対するネガティブな影響を緩和する効果があったのです。思い出すだけでこれだけ効果があるのですから、実際に自分のことを無条件に認めてくれるという体験があれば、その効果はさらに大きいことが予想されます。
自分の行いによらず、いつでも無条件に受け容れてくれる人がいるというだけで、子どものストレスへの抵抗力がおおいに増すということを実証した貴重な研究であると思います。
この論文を読みながら、注意欠陥多動性障害のために、幼稚園で失敗ばかりしていたTさんという女性のことを思い出しました。彼女は、その後自分の障害を乗り越え立派な大人になっていますが、ある講演会で「私はどんなにつらいときでも、幼稚園のある先生が図画工作の活動時間に言ってくれた、『○○ちゃん、あなたは本当に上手にできるじゃない』という言葉を思い出すと、元気が出てきて乗り越えることができました」と話しておられました。たった一言の励まし言葉が、50年以上経過してもまだその人を元気づけているという感動的な話でした。
また、アメリカで行われた、子ども期における生育環境が子どもの発達に及ぼす影響を長期にわたって追跡調査した研究(NICHD)では、子どもの発達に良い影響を与える因子として、保育者の感受性とならんで、「肯定的な働きかけ」が明らかになりました。
子どもが良い成績をとったり、我慢したりした時に、子どもを褒めることは比較的容易です。でも、逆に成績が悪かったり、期待した行動をしないと、どうしても注意したり叱ったりしがちです。もちろん、叱咤激励という言葉にもあるように、叱るという行為の裏には、「子どものため」という気持ちがあることも多いのだと思います。しかし、ご紹介した論文が明らかにしたように、子どものストレス抵抗力をつけるのにもっとも良い「栄養」は、無条件の受容なのです。
注:出典 Unconditional Regard Buffers Children's Negative Self-Feelings Pediatrics 134巻 1119-1126, 2014
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