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所長ブログ

Director's Blog
所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。

教養ってなに?

2016年4月15日掲載
以前、なぜ勉強することが必要か、子ども達に短いメッセージを書いてくれと頼まれたことがあります。私は「知識があれば、それだけ人生の選択肢が増える」といったようなメッセージを書いたことを覚えています。

現在盛んに、従来の一斉授業ではなく、アクティブラーニングだとか、反転学習といった学習の工夫がなされているのも、多くの子どもが勉強することへの動機付けがうまく行かないという背景があると思います。

幼少の子どもであれば、どうして勉強するの、という問いへの回答は比較的容易です。以前本ブログでも紹介した自尊感情(自己肯定感)に絡めて説明できるからです。「勉強してくれると、お母さん(お父さん)はうれしいな」とか、「一生懸命勉強して良い点を取ると、皆からすごいなあ、って言われるよ」といった説明で、多くの子どもは納得します。

しかし、子どもが大きくなって学校での授業が難しくなり、宿題やテストといった精神的ストレスが大きくなってくると、自尊感情を喚起する方法はあまり効果がありません。ましてや、義務教育だからとか、子どもの本分は勉強することだ、といった決まりきった説明では子ども自身が納得しなくなります。

そんな時に使われる「勉強して教養がつけば、きっと将来いろいろ役に立つことがあるよ」という常套句があります。少し機転のきく子どもなら「教養ってなに」とか「将来っていつ?」と聞いて、大人を困らせているところです。恥ずかしながら告白すると、私はどうやらずっとこの常套句を信じて勉強してきたのではないかと思います。正直、中学高校のころは、教養の高い人の代名詞であるイギリスの紳士(ジェントルマン)のようになりたいと、まじめに(?)思っていました。

でも基本的に地主階級であり、生活のために働く必要がないジェントルマン(在郷紳士)が、なぜ教養のある人の代名詞になっているのか、これまで分からず仕舞いでした。

ところが最近、1800年代初頭の有名な女流作家ジェイン・オースティンの「マンスフィールド・パーク」という小説を読んでいて、ジェントルマン(そしてレディー)には教養がなければならない理由の一端が分かったような気がしました。

オースティンの描く登場人物の会話は、彼女の実際にあった会話の膨大なメモに基づいて書かれているとされていますので、事実をかなり正確に反映しています。

さて、働く必要のない地主階級の人々は、領地の管理や議員などの名誉職の仕事以外は、お互いに屋敷を訪問したりして有り余る時間を過ごしていました。知人の屋敷を訪問すると、数週間から時には数ヶ月逗留するのが普通だったようです。男性は狩猟をし、女性は編み物をしながら世間話、そして一堂に会してダンスをしたり、楽器演奏を披露したりして過ごしました。

そのような有り余る時間の中では、豊富な話題を提供したり、相手の話にあわせるだけの様々な知識や、皆に披露できる歌や楽器演奏、詩の暗唱などが、ジェントルマンやレディーとして振る舞うために必要不可欠だったのです。

「マンスフィールド・パーク」の中に、当時のレディーの候補者である幼い姉妹の会話がでてきます。田舎から来た従姉妹の女の子(「マンスフィールド・パーク」の主人公のファニー)のことを母親にむかってこんな風に話しています。

「ねえママ、ちょっと考えてもみて、私の従姉妹のファニーは、ヨーロッパの地図を合わせることもできないのよ。それに、ロシアの大きな川の名前もいえないし、小アジアといってもどうだかわからないの。それにクレヨンと水溶性色鉛筆の区別もつかないのよ」「ほんとうにこんな馬鹿な子がいるなんて聞いたことがある?」

この田舎からでてきた従姉妹のファニーが、すばらしい女性に育ってゆく過程が「マンスフィールド・パーク」のストーリーです。

さて、ファニーのことは置いておくとして、このエピソードが語っていることはなんでしょうか。

私の勝手な解釈かもしれませんが、私がかつて憧れたジェントルマン(あるいはレディー)の教養とは、結局当時の地主層にとって現実生活で必要な知識だったということではないでしょうか。中学高校時代の私は、受験勉強などで暗記する知識の切れ端(世界の地図、川の名前、歴史事実など)は、「真の教養」とは全く違うものであると信じていました。でも、少なくとも私が憧れたイギリスのジェントルマンの「教養」は、私が受験勉強で覚えた詰め込み知識とそんなに変わらなかったのではないか、と今になって思います。社交界でうまく振る舞うことも、試験に合格することも現実生活に必要な業であるからです。


皆さんは、私のやや偏った「教養」論をどう思われるでしょうか。
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勇気の出る言葉

2016年1月15日掲載
私がまだ小学生だったころ、「若い日の一日一言」(青春出版社1961年、宇野一編、武者小路実篤監修)という本が家にありました。父が編者の旧制高校時代の友人だったのでもらったのだと思います。一年の365日それぞれの日に一言ずつ選んで、古今東西の著名な人とその人の言葉を説明した本です。多くはその人の誕生日や命日に当たる日にちなんで、半ページほどの簡単な説明がなされていました。「きけ わだつみのこえ」などについて初めて知ったのは、この本を通じてだと思います。内容はほとんど覚えていませんが、結構気に入った言葉をこの本の中で見つけたことを覚えています。

私は取り立てて、名言や 箴言 しんげん に関心があるわけではありませんが、折に触れて思い出す勇気や知恵を与えてくれた言葉があります。人それぞれ生き方は違いますから、他人が好きな言葉には別に関心ない、という方もいると思いますが、新年のブログということで御容赦いただき、紹介させてください。

私のような子どもでも、そのニュースを聞いて震撼したのが、1963年のケネディ大統領暗殺の事件です。以前にこのブログでも御紹介した大統領就任演説は、その当時から口ずさんでいた大好きな言葉です。個人の主体的な行動を呼びかけた「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country」は、後日私が国際学会の会長に選ばれた時の就任の挨拶で、country を association(学会)に置き換えて無断(?)使用してしまいました。もっとも、誰もケネディ大統領の言葉のもじりであることには気がついてくれませんでしたが。

アメリカ留学時代、実験がうまく行かずに落ち込んでいると、アメリカ人の同僚がよく「It's not the end of the world.(この世の終わりっていうわけじゃないんだから)」といって慰めてくれました。これも確かに元気の出る言葉ですが、先人にはすごい人がいるのだと感心させられ、今でも落ち込んだときのためにとってあるのが、宗教改革で有名なドイツのマルチン・ルターの以下の言葉です。「私はたとえ明日世界が滅びることが分かっていても、リンゴの木を植え続けるだろう」。リンゴの木を植えることを、彼の宗教運動にたとえたものです。リンゴの木に実がなるのは何年も先のことです。明日世界が終われば、努力は無駄になってしまいます。それでも、というルターの根性には正直頭が下がります。

最後に、勇気の出る言葉ではありませんが、科学的実証精神の鑑として最も尊敬している科学者であるチャールズ・ダーウィンの言葉を紹介したいと思います。それは「Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge」という英文和訳の試験にもなりそうな翻訳がやや難しい言葉です。「知識のない人は、知識のある人に比べて、より自信ありげに主張するものだ」という意味ですが、子どもについての事実に基づいた知見や考えを広く社会に紹介することをミッションとするCRN所長として、忘れずにおきたい言葉だと思います。
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「あなたは全く世間知らずなんだから」と言われたら、みなさんはどう思われますか?

まあ、目上の人や、年寄りから言われたら仕方ないけれど、同年輩の人から言われたら、ムッとする人が多いのではないでしょうか。ましてや、年下の人や、部下から言われたら、誰でも血圧が上がってしまいますね。

では、世間を知ることは、良いことなのでしょうか?世間をよく知っている子どもが周りにいたとしたら、きっと私たちは「生意気な子ども」と思ってしまうような気がします。つまり、子どもが世間を知ることは、手放しで良いことばかりではないようなニュアンスがあります。なぜなら、世間には子どもが知らない方がいいことがあるからです。

なぜこんな話を始めたのかは、最後までお読みいただければ分かりますが、最初に、本稿を書くことになった二つの別々のお話をいたします。

最初は、アメリカの文学作品の話です。前世紀初頭にアンダーソンという作家による「ワインズバーグ・オハイオ」という小説がアメリカで大ヒットしました。オハイオ州の小さな架空の街ワインズバーグの住民に起こる個人的な小さなエピソードを綴った作品です。その中に、「世間知」と邦訳された一章があります。ワインズバーグで育った若い幼馴染の男女が、次第に幼馴染の友達から、お互いを異性として意識しだし、男の子が大学に入学するために町を離れる直前に恋心を打ち明ける、というストーリーです。異性を意識するということを、アンダーソンは、世間知の一つとしているのは明らかですが、私がここで取り上げた理由は、世間知と翻訳された元の英語が「ソフィスティケーション(sophistication)」であるからです。現在ではアメリカでも「洗練されている」という意味に使われることが多いのですが、英語の辞書を見ると1920年頃までは「不純な、すれっからしの」という意味で使われていた言葉であると説明されています。アンダーソンは、異性を意識することを、そういう意味で捉えていたことが分かります。子どもは、大人になるに従って、ある意味で「すれっからし」になってゆくのだというやや 諧謔 かいぎゃく 的な意味が含まれていたのだと思います。

さて、もう一つのお話は、以前本ブログでも取り上げた子どもの自尊感情の話です。私は日本の子どもの自尊感情が、外国に比べて低いということが本当かどうか、アジアの数カ国と比較する研究をしていますが、そこで新たに明らかになった興味深い事実があります。この調査では、子ども自身(5歳)の自尊感情(自己肯定感)について全く同じことを子ども自身と、親に聞いています。その結果、一部の項目を除いて、子ども自身の自己評価が、親による評価よりも明らかに高いことがわかったのです。子ども自身は、親によるある意味で客観的な評価よりも、自分自身をずっと高く評価しているのです。世界中で行われた子どもの自尊感情に関する調査では、国によらず幼稚園あるいは保育園から小学校に入学すると、自尊感情ががくんと下がることが報告されています。親以上に、小学校教員は、子どものもつ能力を客観的に評価するのです。そういった環境の中で、子どもの自尊感情が低下するのです。世間知とは、世の中を知り、自分の相対的位置を知ることですので、子どもはよりソフィスティケートされることによって、自尊感情を下げてゆくのです。世の中を知る中で、子どもは幼い頃の有能感を失ってゆくのです。

どうですか、みなさん。ピーターパンの気持ちが、わかるような気がしませんか?
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私と本屋さん

2015年9月18日掲載
子どもや若者の活字離れや読書量の減少がいわれ、それを食い止める社会的な運動が盛んに行われています。本当に子どもの読書量が減ったのかと思って調べてみましたが、図書館団体による調査では、小学生の一ヶ月あたりの読書冊数はむしろ増えているという結果があることを知り驚きました(「第60回読書調査」全国学校図書館協議会)。

ではなぜ、社会全体に子どもたちの読書量が減ったという印象が広まっているのでしょうか。まず思いつくのは、出版業界の伸び悩みです。仕事上で私がお付き合いしている出版社の方もよく「最近は本は売れません」とこぼしています。

ではどのくらい出版業界が低迷しているのか、調べてみようと「出版年鑑 2014」を見てみたのですが、びっくりしました。なんと年間の新刊書籍は、毎年増加の一途をたどっているのです。戦後直後に20,000点であったものが、2012年には80,000点を超えているのです。

もちろん、新刊発行数がそのまま出版社の売り上げにはつながらないかもしれません。版を重ねることが少なくなれば、書籍の売上高は落ちてしまうからです。

ここまで書いてきてハタと思いついたことがあります。本屋さんが減ったことが、関係しているのではないかと。調べてみると、その通りでした。1979年には53,000軒あった本屋さん(文房具店と貸本店も含む)が2004年には34,000軒と約2/3になってしまっているのです(「商業統計調査」経済産業省)。

私が小学生から大学生になるまで過ごした実家のそばには、通学途中に立ち寄る本屋さんが3軒ありました。一つは湘◯堂という駅のそばの大型書店ですが、他の2軒は間口の小さなこじんまりした本屋さんです。湘◯堂は、よく日曜日に出かけていって、1時間も2時間もかけて、じっくり様々な分野の本を見て過ごしました。一方こじんまりした二◯堂は、いつも数十人のお客がいる湘◯堂とは異なり、多くて数人でいっぱいになってしまう狭さでしたが、一時期はほぼ毎日学校帰りに立ち寄っていました。長い時間かけて本を見ている(立ち読みしている)と、必ずあまり気の強そうではない店主が、そばの本棚にハタキをかけにくるのですが、今から思うと懐かしい思い出です。この二◯堂でハタキにめげず立ち読みもしましたが、文庫新書を中心にたくさんの本を買ったことを思い出します。

まだインターネットや、ネット上の書店のない時代だったのですが、街の本屋さんは、本を介しての世界の歴史や文化との接点だったのではないかと思います。10分もいれば、ぐるりと本棚に置いてある新旧雑多な本を眺める(スキャンする)ことができました。小さな書店でも、話題の新刊書や、文庫本、新書は揃えていましたから、新しい情報の発信基地の役割を果たしていたのです。たしかある有名な作家が「岩波文庫の揃っていない書店は、私は書店として認めない」と書いていましたが、妙に納得したことを覚えています。例えば岩波文庫の背表紙を一通り眺めるだけで、世界の主だった作家や、思想家、哲学者、科学者の代表的な著作を(少なくともタイトルだけは)知ることができるのです。インターネットをブラウズしても、これほど効率のよいスキャニングは難しいでしょう。

それからだいぶ経った30代後半のころ、ボストンに数ヶ月住んだことがあります。単身赴任でしたので、休日は特にすることもなく、時間潰しも兼ねて、アパートのそばのニューベリーストリートという通りにある本屋さんでのんびりと午前中いっぱいを過ごすのが常でした。当時日本の大型書店の代表ともいって良い紀伊國屋書店や、書泉グランデなどは日曜となるとお客さんでごったがえしていましたが、ボストンの書店は、広々とした絨毯を敷いた図書館のような作りで、ゆったりと時間を過ごすことができました。3階建てのレンガ作りの店の最上階には、大きな机と、ソファや座り心地の良い椅子があり、小音量でバロック音楽が流れていました。何人かのお客が机の上に数冊から十冊位の本を積み上げて、のんびりと読書をしていました。でも、そこは図書館ではなく、お客さんが読んでいる本は皆新品の売り物なのです。私も次第にそうした読書をするお客の一人になり、午前中を過ごすようになりました。もちろん店の人も決してハタキをかけに来たりしません。のんびりと読書をした後、気に入った本を買えば良いのです。

まさに本に親しむための空間が、本屋さんの中に実現していたのです。アメリカとは比較にならない環境ですが、ハタキをかけに来るだけで、決して私を追い出さなかった二◯堂のような小さな書店も、本に親しむための空間を提供してくれていたのです。

インターネットによる本の配信が普及し、小規模の書店は店を畳み、大型化した書店だけが、大勢の客を呼び込むことによって生き延びています。二◯堂も、湘◯堂も、今はもうありません。図書館を作るだけでなく、かつての二◯堂のような小さな街の本屋さんが、子どもが本と出会う場面を提供するような環境の復活を希望するのは、私のノスタルジアに過ぎないのでしょうか。
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前の2回のブログを読まれた方の中には、特別支援学級や特別支援学校の先生は一生懸命に努力されているのではないか、そうした努力に水をさすような内容なのではないか、という感想をおもちの方もおられると思います。また特別支援学級や学校がなくなったら、いまそこに通っている生徒はどうすればいいのか、という疑問をおもちの方もおられるでしょう。

専門家の中にも、イタリアのようにすべての子どもを一緒に教育する(トータルインクルーシブ)のは、現実的ではなく、部分的なインクルーシブ(パーシャルインクルーシブ)が日本の現状には適しているという意見もあります。

こうした意見が、1回目にご紹介した文科省の報告書の以下の文章に凝縮されています(下線部)。
インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して(中略)・・多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である
イタリアのように、すべての子どもを一緒の教室で教育したら、個別の教育的ニーズに対応できないではないか、という考えがその根底にあります。

では、個々の教育的ニーズに対して多様で柔軟な仕組みを整備する方法は、子どもを分離して行う以外にはないのでしょうか。同じ学校の中で、対応することは不可能なのでしょうか。

その答えはノーです。そう、不可能ではないことが世界の多くの国で実証されているのです。イタリアだけでなく、実際に世界中の多くの国や地域で、個々の教育的ニーズに応えながら、子どもたちを分離せず教育を行っているところが多数あるのです。

実際に多くの国々で行われているインクルーシブ教育では、その名の通り、子どもの通う学校を分離せず、地元の学校の中で、さまざまな工夫を行って、インクルーシブ教育を行っています。この様々な工夫とは、reasonable accommodationとよばれ、日本では「合理的配慮」と翻訳されています。accommodationとは、相手のニーズに合わせるという意味があり、辞書を引くと「便宜」という訳が載っています。つまり子どものニーズに合わせるということです。インクルーシブ教育という文脈で考えれば、それは障害のある子どもが、定型発達の子どもたちと一緒に学ぶことを可能にするための便宜を図るということです。パニックを起こしやすい子どもであれば、普通学級の中にパニックを起こさないような環境整備などの便宜を図ることになります。

私が、何か変だなと思う第2の点は、この「合理的な配慮」に、学校や教員に「過度の負担がかからない範囲で行えば良い」という但し書きが加えられていることです。どこからが過度の負担になるかは、何も書かれていませんので、普通学級の先生が「これは自分にはできない」と思ったら、特別支援学級や学校に子どもを紹介すれば良いことになります。いや、それどころか場合によってはそのような判断を「合理的配慮」と呼ぶことも、特別支援学級・学校がインクルーシブ教育の場であると認められている日本では可能なのです。

インクルーシブ教育では、そのゴールはあくまで、障害のある子どもとない子どもが一緒の学級で学ぶことです。日本では、障害者の権利に関する条約を批准したことによって、世界の多くの国と一緒に、インクルーシブ教育に向かうハイウェイに乗りました。ただ日本は、インクルーシブ教育に向かうハイウェイを逆走してしまっているのではないかというのが正直な感想です。

もちろん、特別支援学級や特別支援学校の現場で、多くの関係者が、子どものために大きな努力を払われていることを私はよく知っています。でも、前回のブログでご紹介したように、特別支援学校に通うお子さんがじわじわと増えている現状を見るにつけ、日本全体ではインクルーシブ教育から遠ざかっているという感を強くもってしまいます。そうした印象を裏付けるような、私が実際に経験した事例をあげて、ブログをおしまいにしたいと、思います。

その一つは、私が医師として実際に診ているお子さんです。多動行動があり、集団での行動が苦手なお子さんですが、通常学級をお勧めしたところ、就学前に見学に行った現地の小学校の校長先生から、次のようなことを言われびっくりした母親が私に報告してくれました。
「このようなお子さんがいると、他の子どもが迷惑するから、特別支援学校に行きなさい」
このような校長先生は例外と思いたいのですが、これがインクルーシブ教育における合理的配慮なのでしょうか?

もう一例は、特別支援教育推進のために、校舎新築の際に普通学級に特別支援学級を新規に併設した小学校の例です。この併設事業は地元の自治体でも、特別支援教育体制の充実の一環として、宣伝されていました。地元の障害のある子どもの親が、期待して新設された小学校の見学会に行って、落胆して次のことを私に話してくれました。

なんと特別支援学級が、普通学級から離れた別の建物の中に設置されていたのです。

これもインクルーシブと言えるのでしょうか?私の疑念は深まるばかりです。

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※「何か変だよ、日本のインクルーシブ教育」シリーズの続きは以下よりご覧ください。
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (4)
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (5) 大いなる誤解
何か変だよ、日本のインクルーシブ教育 (6) the general educationって何?
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