
所長ブログ
Director's Blog所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。 | ![]() |
子どもを含めて私たちが、言葉や人間関係のルールだけでなく、学校で教科を学ぶために必要な能力は何でしょうか?すぐに思いつくのは、知能です。文字を読んだり計算したり、あるいは記憶したりする能力の中枢は、大脳皮質と呼ばれる脳の表面にあります。皆さんも、側頭葉に聴覚性言語中枢があるとか、前頭葉には運動性言語中枢がある、といった記述を見たり聞いたりしたことがあると思います。また、記憶には海馬という脳の奥にある部位が関連していることもご存知かもしれません。海馬は脳の奥にありますが、これも大脳皮質の一部なのです。
こうした脳の部位(大脳皮質)が、言語学習や記憶など知能の大事な働きに関連していることは間違いありません。こうした能力は、心理学では「認知能力」と呼ばれており、これまで脳科学者や心理学者が、学習や教育との関連で関心をもって研究してきました。
ところが、近年の研究や調査によって、認知能力が発達するだけでは、効果的な学習はできないことが分かってきたのです。
そうした研究の嚆矢は、ウォルター・ミシェルという心理学者が行った、俗に「マシュマロテスト」と呼ばれる実験です。
5歳くらいの子どもの前にマシュマロをおいて、「すぐに食べていいよ。でも、5分間我慢したら、もう一個マシュマロをあげるね」と言って、子どもを一人きりにします。すぐに食べてしまう子どもと、我慢して待ってもう一個もらう子どもに分かれますが、ミシェルはこの実験の10年後に、実験に参加した子どもたちの詳細な心理テストを行いました。5歳時点での子どもたちの知能(IQ)は、すぐに食べてしまった子どもも、待てた子どもも同じですが、10年後に調べると、学業成績だけでなく、社会性や共感能力など、すべて「待てた」子どもの方がよい成績を納めたのです。
この「我慢できる」能力こそ、社会情動的スキルの一つであり、「学びに向かう力」の一部なのです。学びに向かう力は、教室で教師が黒板に書いた内容を一生懸命写し、記憶することでは身に付きません。では、どうやって、身につけることができるのでしょうか?
実は、まだよくわかっていないのです。世界中の教育や心理学、脳科学の研究者が、その回答を必死に追い求めているところです。
さて、昨年の秋に、日本子ども学会の学術集会が、浜松で開催されました。その基調講演で、安西祐一郎さんが話されたことをご紹介します。安西さんは、中教審の委員長をつとめ、また今は日本学術振興会の理事長をされています。いわば、日本の教育や研究の大方針を決定する重要な位置におられる方です。
講演のタイトルは「未来に生きる子どもたちのために―おとなは何がしたいのか?」でした。
皆さんは、このタイトルをみて、おやっと思いませんか?私も、サブタイトルは「おとなは何をすべきか?」ではないのか、と思いました。しかし、実際にお話を伺って、安西さんはこの「何をしたいのか?」に大きな気持ちをこめていたことが分かりました。
何をすべきか、と何をしたいか、の差はなんでしょうか?些細な差のように見えます。しかし、この2つの疑問には心理学的にも、脳科学的にも大きな差があります。
「何をすべきか?」という問いに応えるためには、自分が置かれている状況を分析し、その結果から「自分には何が求められているのか」を導きだす必要があります。この分析的な頭の働きは、まさに認知的な過程です。
翻って、「何をしたいのか?」という問いに応えるためには、自分に何が求められているのか、分析する必要はありません。自分の内面からわき上がってくる気持ちに従って、決定すれば良いのです。内面からわき上がって来るのは、単純な知識ではなく、情動そのもの、あるいは情動で色濃く染められた知識です。
安西さんの詳しい話の内容は忘れましたが、瀬戸内海の小豆島に住む子どもたちの実話を使って、子どもたちも「するべきことをする」のではなく、「やりたいことをする」方がいいのだ、というメッセージが込められていました。
まさに、学びに向かう力についてのお話だったのです。
私たちは、常に新しいものを求めながら、一方で急激な変化の前には尻込みしてしまいます。イノベーションを唱える一方で、自然破壊を嫌い、絶滅危惧種の保存に力を入れています。
社会や自然といった私たちの棲む環境だけでなく、私たち自身も経験によって変わっていきます。日本では毎年虐待が増えてきています。また増え続けるいじめや不登校なども、育児や教育に関わる人々にとって悩ましい事態です。このまま行くと子どもはどうなってしまうのだろう。そしてその子どもたちが大人になる未来はどうなってしまうのだろう、という危惧を感じるのは、私だけではないと思います。
しかし、世の中に心配の種がいかに増えて行こうとも、何百年何千年と変わらない人々がいます。それはどんな人々で、どこに住んでいるのでしょう。
それは皆さんの周りにいる、小さな子どもたちです。
世界中のどの国、どのような境遇の家庭に生まれようとも、ヒトの赤ちゃんは、全て初めて経験する世界に旺盛な好奇心で関わっていきます。どのような家族の元に生まれようとも、自分の世話をしてくれる人との間に強い愛着関係を築いていきます。
不幸な経験を記憶として溜め込んで行く大人が増え続ける世の中であっても、新たにこの世に生を受けた赤ちゃんは、新鮮な気持ちでこの世の中に生まれ出てくるのです。いわばこの世界は赤ちゃんの誕生によって、ミクロレベルでリセットされ続けているのです。
変化の多い2016年でしたが、新しい2017年を迎え、赤ちゃんのもつ世の中を浄化する力を改めて思い出すとともに、CRNの原点にある「子どもは未来である」という言葉をかみしめたいと思います。
大森貝塚の発見で有名なモースは、1877年に来日し、海洋生物の研究をしています。彼の日本での生活を書いた「日本その日その日」(東洋文庫)では、当時の日本人の生活の様子の生き生きとしたスケッチを残しています。彼のおんぶに関わる文章を紹介しましょう。
「この子どもを背負うということは、至る処で見られる。婦人が5人いれば4人まで、子どもが6人いれば5人までが、必ず赤坊を背負っていることは誠に著しく目につく。(中略)赤坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、又私は今迄の所、お母さんが赤坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見たことはない。私は世界中に日本ほど赤坊のために尽くす国はなく、また日本の赤坊ほどよい赤坊は世界中にないと確信する」(同書11ページ)
「いろいろな事柄の中で外国人の筆者たちが一人残らず一致することがある。それは日本が子供たちの天国であるということである。」(同37ページ)
「小さな子供を一人家に置いて行くようなことは決してない、彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見学する。日本人は確かに児童問題を解決している」(同69ページ)
このようにモースは、こちらが恥ずかしくなるくらい、日本のおんぶを称賛しています。
モースだけでなくほかの外国人も、おんぶに大きな感動を覚えたようです。イギリスのジャーナリスト、アーノルドは "Seas and Lands" の中で、おんぶによって「あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで起こるあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間智を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ」と述べています。
子どもの社会性の発達のなかで重要な役割を果たしている行動に「共同注視」(ジョイントアテンション)があり、発達心理学の重要な研究対象になっています。アーノルドの指摘は、まさにおんぶによる共同注視が、子どもの社会性の発達を助けていることの描写に異なりません。
私は、単なる郷愁としてだけなく、子どもの社会性発達の大切な場を提供する子育て方法としておんぶがあるのではないか、とひそかに思っています。
私はいじめや、いじめによって追い詰められた子どもたちに想いを馳せる時に、いつも心に浮かぶことがあります。それは発達障害のことです。
発達障害といじめ、と聞くと読者の皆さんは、どのように思われるでしょうか?
いじめというと、真っ先に思いつくのは、注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもです。診断基準(DSM-5)の多動・衝動性の項目には、「しばしば他人を妨害し、邪魔をする」と書かれていますし、陥りやすい二次障害である反抗挑戦性障害の診断基準にも、「しばしば故意に他人を苛立たせる」「しばしば意地悪で執念深い」と書かれています。これだけ読むと、注意欠陥多動性障害の子どもには、いじめっ子が多いのかな、と思いたくなります。
もう一つ思いつくのは、自閉症スペクトラムの子どもです。皮肉やお世辞の理解に困難があるので、ぎこちない人間関係の中でいじめのターゲットになりやすいような気がします。
発達障害の子どもといじめと仲間はずれについての興味深い研究をアメリカのトウィマン(Twyman)さんという研究者が行っています。
そこで明らかになったのは、発達障害といじめの間には極めて密接な関連があるという事実です。以下の表をみてください。アメリカでは、定型発達の子どもの中で、いじめっ子、いじめられっ子、そして仲間はずれにされた経験のある子どもは、それぞれ全体の約7-9%であることがわかります。

私の第2の想像は、その通りで当たっていました。自閉症の子どもは注意欠陥多動性障害の子どもと同じく、定型発達児と比べていじめられっ子の割合が3倍近く多いことがわかったのです。
発達障害の子どもは、同年代の子どもたちからいじめられたり仲間はずれにされるという経験の中で、人格を形成していくのです。二次障害が起こりやすい素地がここにもあると言えます。
想像をたくましくすると、いじめで自殺に追い込まれてしまった子どもの中に、発達障害の特徴のある子がいたのではないでしょうか?
もしそうだとすれば、周囲の大人は発達障害の特徴のある子どもが、いじめの対象になっていないか、注意深く見守ることで、いじめで追い詰められる子どもを、最悪の帰結から守ることができるかもしれないのです。
参考文献 Twyman KA et al. Bullying and Ostracism Experiences in Children with Special Health Care Needs. J Dev Behav Pediatr 2010
それでも私の心のどこかに、本当は増えていないのではないか、というささやきが聞こえるのです。
ささやきは気まぐれではなく、それなりの根拠から生じています。
第一に、発達障害はまだ十分にその原因は分かっていないのですが、世界中の研究者が、遺伝子が関連していることをほぼ認めているという事実があります。自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害では、ゲノムワイドアソシエーションスタディ(genome-wide association study: GWAS)、という大掛かりな遺伝子研究が行われています。1,000人近い、診断が確実な自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害の人から遺伝子サンプル(血液、頬粘膜など)を提供してもらい、そのゲノム(遺伝子)配列を、多数の定型発達の方と比較するのです。その結果複数の候補遺伝子が見つかってきています。
人の遺伝子配列は、数十年で変化するものではありません。発達障害が遺伝子によるものだとすれば、最近になって増えるということはありえないのです。
もっとも、最近は遺伝子を構成する高分子化合物であるデオキシリボ核酸(DNA)に化学的な結合が起こることで、遺伝子自体は変化しなくても、遺伝子情報の発現(たんぱく質の合成)が変化することがわかってきており、それが発達障害増加の原因だ、といっている研究者もいるのは事実ですが・・・。
最近肥満が増えている、あるいはがんが増えているという場合には、多くは国や大きな研究機関が長年行っている疫学調査がその根拠となります。しかし発達障害については、経年的な疫学調査はまだないのです。
もう一つの根拠は、発達障害という診断名が、過剰につけられているという現状です。私の外来に、幼少時に自閉症スペクトラムという診断をうけた子どもがよく受診されます。多くは親御さんが診断に疑問をもって来られるのですが、私の外来に自閉症スペクトラムという診断に関する「セカンドオピニオン」を求めて受診される子どもの数割は、自閉症スペクトラムではなく、気質で説明できたり、発達の個人差の中に含まれる子どもたちなのです。
私の診断が甘いのかもしれませんが、言葉の遅れや集団に入りにくい、あるいはちょっとしたこだわりがあると、すぐに自閉症スペクトラムと診断名をつけてしまう専門家が、自閉症スペクトラムを含む発達障害を「増やしている」のではないかというささやきが聞こえてくるのです。
発達障害の外来受診者の増加の真の原因は、発達障害の社会的認識が増えたことと、一部は過剰診断なのではないか、というのが私の偽らざる感想です。
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