キナ臭いタイトルでびっくりされた方もいると思います。コロナ禍で暗い世相の中で、できるだけ明るい希望に満ちた話題をお伝えしたいと思うのに申し訳ない気持ちになります。でも、しっかりと事実はお伝えするしかありません。
こんなキナ臭いタイトルを持ち出すきっかけになった2つのエピソードについて触れてみたいと思います。2例とも私が実際に診療の中で経験した事実です(年齢等は少し変えてあります)。1人は小学2年生で、不注意や衝動性のある男児です。昨年から不登校傾向が見られ始め、親が心配して受診されました。行動の特徴から注意欠陥多動性障害の診断となり、薬による治療を続けています。母親の話では、昨年他の子どもとの喧嘩について、担任の教師から強く叱責されたことが原因で、登校しぶり が始まっていました。母親がさらに聞くと、「先生は僕のいうことを聞いてくれない。相手がからかってきたから喧嘩が始まったのに、先生は一方的に僕のことを怒鳴った」というのが本人の説明だったそうです。その後、母親からの「本人からも話を聞いてほしい」という要望が実現し、男児は「先生と話ができた」とすっかり明るくなって、登校しぶり は軽減しました。私がびっくりしたのは、この教師が母親に語った以下の言葉です。
「僕は児童が自分の言う通りにしないと、我慢ができないんです」
正直でよろしい、と言ってあげたいところですが、教室は教師(上官)の命令に絶対服従する軍隊組織や、教師の自己実現の場所ではないことを全く理解していないとしか言いようがありません。
以前のブログでも触れたように、これは逸話的な出来事であるように思っていましたが、つい最近、どうも逸話的ではないと思えるような別の事例に出会いました。
とても好き嫌いが激しく、個性的な小学校低学年の女児のケースです。理解力は高いのですが、自分で納得がいかないことはやろうとしません。ちょうど「窓際のトットちゃん」のような子だ、と診療中に母親に話をしたことがあります。不注意や過集中などの注意のコントロールに課題がある子であるというのが私の見立てです。
先日、担任が面談で母親に、この女児の問題点を指摘しました。それは算数の計算(足し算、引き算)を暗算でやってしまって、筆算をするように言ってもやろうとしない、と言うことです。結果は合っているようで、成績も悪くありません。確かに筆算に慣れないと、学年が進んで、より複雑な計算をするときに困る、という教育的配慮からの苦言だと思って聞いていました。しかし私が驚いたのは、母親が告げた担任の先生の以下の説明です。
「皆と同じようにしてくれないと困る」―。この担任の先生は、とてもよくしてくれている、というのが母親の感想ですので、前述の教師のように責める気持ちにはなりません。
しかし、そうした教師であっても「皆と同じようにしてくれること」を子どもに期待してしまうという日本の学校風土にため息が出てしまいます。「一人ひとりの個性を伸ばす教育を目指す」とは文科省の基本的教育方針だったのではないでしょうか。
ある大手生命保険会社が小学生女児に聞いた「将来なりたい職業」では、教師・教員はパティシエに次いで2位だということです。ということは、多くの小学生は自分の先生を憧れの人と思っている証左かもしれません。今回紹介した2人の教師が逸話的存在であることを願うだけです。
こんなキナ臭いタイトルを持ち出すきっかけになった2つのエピソードについて触れてみたいと思います。2例とも私が実際に診療の中で経験した事実です(年齢等は少し変えてあります)。1人は小学2年生で、不注意や衝動性のある男児です。昨年から不登校傾向が見られ始め、親が心配して受診されました。行動の特徴から注意欠陥多動性障害の診断となり、薬による治療を続けています。母親の話では、昨年他の子どもとの喧嘩について、担任の教師から強く叱責されたことが原因で、
「僕は児童が自分の言う通りにしないと、我慢ができないんです」
正直でよろしい、と言ってあげたいところですが、教室は教師(上官)の命令に絶対服従する軍隊組織や、教師の自己実現の場所ではないことを全く理解していないとしか言いようがありません。
以前のブログでも触れたように、これは逸話的な出来事であるように思っていましたが、つい最近、どうも逸話的ではないと思えるような別の事例に出会いました。
とても好き嫌いが激しく、個性的な小学校低学年の女児のケースです。理解力は高いのですが、自分で納得がいかないことはやろうとしません。ちょうど「窓際のトットちゃん」のような子だ、と診療中に母親に話をしたことがあります。不注意や過集中などの注意のコントロールに課題がある子であるというのが私の見立てです。
先日、担任が面談で母親に、この女児の問題点を指摘しました。それは算数の計算(足し算、引き算)を暗算でやってしまって、筆算をするように言ってもやろうとしない、と言うことです。結果は合っているようで、成績も悪くありません。確かに筆算に慣れないと、学年が進んで、より複雑な計算をするときに困る、という教育的配慮からの苦言だと思って聞いていました。しかし私が驚いたのは、母親が告げた担任の先生の以下の説明です。
「皆と同じようにしてくれないと困る」―。この担任の先生は、とてもよくしてくれている、というのが母親の感想ですので、前述の教師のように責める気持ちにはなりません。
しかし、そうした教師であっても「皆と同じようにしてくれること」を子どもに期待してしまうという日本の学校風土にため息が出てしまいます。「一人ひとりの個性を伸ばす教育を目指す」とは文科省の基本的教育方針だったのではないでしょうか。
ある大手生命保険会社が小学生女児に聞いた「将来なりたい職業」では、教師・教員はパティシエに次いで2位だということです。ということは、多くの小学生は自分の先生を憧れの人と思っている証左かもしれません。今回紹介した2人の教師が逸話的存在であることを願うだけです。