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【ネットジェネレーションの教育】 第3回 アキハバラ ― レジリエンスの育成を!―

要旨:

雇用問題、年金の財政破綻、国家赤字、どれをとっても若い世代にとっては未来への希望がもてないことばかりだ。しかし、今が一番最低だと思えば、後は上昇するのみである。困難な状況にも関わらず、うまく適応する過程、能力、および結果のことをレジリエンス(resilience)という。逆境にあっても竹のようにしなやかに弾力性を持って生きることである。もちろん社会改革も必要ではあるが、逆境の世に育つ子どもたちや若者へ、学校教育や家庭教育において、レジリエンスの育成を期待する。

 

秋葉原のことを、ネットジェネレーション世代向けメディアでは「アキハバラ」あるいは「アキバ」と表現することが多い。ブログなどを見ても、圧倒的にカタカナ表現が多い。ネットだけに限ったことではない。 たとえば、「アキハバラ電脳組」というTVアニメがある。今からおよそ10年前になる1998年の作品であるが、今なおオタクの世界では人気があり、DVD、ゲーム、単行本、フィギアなどのグッズものがコレクションされている。ファンのページでは、掲示板や情報データベースの他5択クイズやアキハバラ電脳組汚染度チェックなど、ファンの間で自発的にアキハバラ電脳組ワールドを形成している。汚染度チェックを試すと「あなたは 88.45%アキハバラ電脳組に汚染されています。あなたと相性がいいのは花小金井ひばりです!!」などと、キャラクターとの相性が表示される。キャラクターの目は顔の3分の1ぐらいを占め、エナメルのような衣装をまとい、髪はカツラのように重量感がある。それぞれが、電脳育成ペット「パタPi」を育てていると、様々な難事件に直面するという設定である。パタPiは、危機一髪のところで飼い主の少女に救ってもらう場面が繰り返される。 このアニメに傾倒するオタクたちは、「テツロー」や「デンスケ」などのパタPiに、自己投影し、主人公の少女「ひばり」や「つぐみ」に救済されることを望んでいるのではないだろうか。作者の意図はわからないが、「テツロー」などペットの名前の方が人間の名前に近く、ペットの飼い主である少女の名前は、なぜか小鳥の名前が付けられている。秋葉原無差別殺人事件の加藤容疑者(被告?) は、ケータイの掲示板に犯行予告を書き込むことによって、誰かに止めてほしかったと答えていた。おそらく、アニメのように、危機一発のところで、「ひばり」や「つぐみ」が飛んできて、「掲示板見ていたよ」と、止めに来てくれる錯覚を持っていたのではないだろうか。

 

また、石田衣良の小説「アキハバラ@DEEP」(文藝春秋)では、あまり生きる望みを持たない若者たちが、ネットで、ユイという29歳の女性の掲示板で、仲間と出会い、生きる望みや進むべき方向性を見いだしていく。だが、多くの人の命を救ったユイ自身は、自らの命を救うことができなかった。葬儀の折にも、両親からは、「仕事もしない、結婚もしない、ずっと病院にかかりっぱなしで、家では寝ずにパソコンばかりして」という評価しか得ず、告別式の時の写真は現在のものではなく、親の思い通りに育っていた頃の写真を飾られている。自殺した後も尚、我が子に全く歩み寄ることのできない両親、我が子の良さを最後まで認識することができない、哀れさが描かれている。

前述の加藤容疑者も、高校生までは過剰看過な育てられ方をしていたが、契約社員として静岡へ転居してからは、見捨てられたかのように、家族と全く交流がなかったという。時代や世代が変われば、価値観は大きく異なることは、現代に始まったことではない。親が望むようには育たなかったとしても、遠く離れてしまっても、家庭が心の拠り所となることができていたならば、あのような事件は起きなかったのではないかと悔やまれてならない。


さらに、今野敏の小説「アキハバラ」(中央公論新社)では、アキハバラを舞台に、中近東のスパイまで登場し、爆破予告や銃撃戦が繰り広げられる。アキハバラオタクであった加藤容疑者も、この小説を読んでいて、爆破予告や銃撃戦が繰り広げられるアキハバラを思い描きつつ、ケータイで予告し、トラックで突入し、ナイフで暴挙に及んだのかもしれない。

森川 嘉一郎の小説「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」(幻冬舎)では、PCや家電の街と思われているが、もはやそれらは脇役に回り、趣都として変貌し続け、オタクの、オタクによる、オタクのための趣都としてのアキハバラを描いている。

このほか、「壮太君のアキハバラ奮闘記」(エニックス)、「アキハバLOVE」(扶桑社)「48現象」(ワニブックス) 「秋葉原メッセサンオー店長 金の魂 ~略して金タマ」(ソフトバンククリエイティブ) 「アキハバラ無法街 」(秋田書店) 「秋葉原いちまんちゃんねる」(角川書店) 「 秋葉原人(あきばげんじん)」(エール出版社) など、アキハバラを舞台としたコミックや小説がちまたに溢れている。


「アキハバラ」を舞台とした小説やアニメの多くは、オタク自身が登場したり、オタクが感情移入しやすいキャラクターがよく登場する。その一面をとらえて、残虐な無差別殺人の容疑者との関連づけを探そうとすれば、いくらでも見つかる。彼女ができなかったこと、派遣労働者であったことなども、絶望と悲嘆に追い込む要因だっただろう。実際に、事件が起きた直後に、容疑者の行動は許せないが加害者の気持ちに共感するという書き込みが多数見られ、何十件もの殺害予告未遂を生み出した。だからといって、オタクであったことや派遣労働者であったことが、無差別殺人を引き起こした要因だったと決めつけるのは、あまりに短絡的すぎる。


なぜなら、類似した境遇の若者、加藤容疑者よりも逼迫した状況におかれている若者はたくさんいる。だが、多くは無差別殺人など一生犯さない。


無差別殺人を引き起こした要因は、ケータイだ、ネットだ、ゲームだ、アキハバラオタクだ、派遣労働だ、等々、わかりやすい理由が見つかると安心するのが群集心理だ。だが、それほど簡単なことではないはずだ。ましてや、一時の感情で起こした犯行ではなく、むしろ、綿密な計画のもとで実行されている。詳細な予告をし、犯行を行う前には、部屋をきれいに片付け、オタクにとっての宝物である段ボール箱いっぱいに詰まったゲームなどを、まるで形見分けするかのように、アキハバラに一緒に行ったことのある同僚に譲っていた。段ボール箱の中には、ナイフが入れられていたという。これから大事件を起こす計画を、人生の絶望を、欺瞞に満ちた不条理なこの世の中への鬱積した気持ちを、やるせなさを、同僚に伝えたつもりだったのかもしれない。


確かに、雇用問題、年金の財政破綻、国家赤字、どれをとっても、若い世代にとって、未来への希望がもてないことばかりだ。戦後、親を失い焼け野原の中に生き残った子どもにとって、未来はバラ色に見えたであろうか。暗澹とした気持ちの中でも必死になって今の世の中を作り上げてきたはずだ。栄枯盛衰、良いときもあれば、悪いときもある、悪いことばかりが続くことはない。今が一番最低だと思えば、後は、上昇するのみである。困難な状況にも関わらず、うまく適応する過程、能力、および結果のことをレジリエンス (resilience)という。逆境にも竹のようにしなやかに弾力性を持った強さである。社会改革も、もちろん必要ではあるが、逆境の世に育つ子どもたちや若者へ、学校教育や家庭教育において、レジリエンスの育成を期待する。


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