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日本生まれの「母子手帳」が世界に広がる!

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1.はじめに

HANDS(Health and Development Service)は、保健医療の仕組みづくりと人づくりを通して途上国を支援しているNGOです。現在、ケニアやパプア・ニューギニアなどで、コミュニティ住民への保健サービス向上を目的とする活動を行うほか、日本の母子手帳や母子保健制度を参考にして自国での母子手帳普及をめざす人々を支援するため、国際シンポジウムや研修を実施しています。

2.母子手帳は日本のオリジナル

妊娠したら母子手帳(法律上の正式名称は「母子健康手帳」。ここでは一般に広く使われている「母子手帳」を使う)を受け取り、妊婦健診の結果を記入してもらい、赤ちゃんが生まれたら、子どもの体重や身長、予防接種の記録を書いてもらいます。日本ではあたりまえの光景ですが、母親の妊娠中から生まれた子どもの幼児期までの健康記録をまとめた1冊の手帳をもっている国は世界でも数少ないのです。

世界的にみれば、様々な形式の家庭用記録媒体が存在します。米国や英国では、子どもの診察記録や成長曲線、予防接種歴を書き込む小児用冊子が小児科学会などから配付されていますが、母親の健康記録媒体はありません。フランスでは、女性健康手帳と、新生児・小児健康手帳は別々に配布されています。多くの途上国では、予防接種歴と子どもの成長曲線を合わせた小児健康カードが普及していますが、薄い1枚のカードなので紛失する場合も少なくありません。

妊娠・出産・子どもの健康の記録が一冊にまとめられていること、保護者が手元に保管できる形態であることを兼ね備えた母子手帳は、日本独自のシステムなのです。

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写真1:戦後の復興のさなかの1948年に印刷された母子手帳。当時は妊産婦や乳児のために毎月のように砂糖や粉ミルクが加配されていたため、配給記録のためのページが多くありました。
カラーのページはなく、手書きでガリ版刷り、紙質も悪くわずか20ページでした。
当時は、紙も配給制の時代。厚生省でも印刷用紙の確保に苦労したという逸話が残っています。
巷野悟郎先生(当時厚生省勤務)のご好意でいただいた写真。

3.母子手帳はミラクルだ!

母子手帳の特徴は、記載された健康記録を保護者が管理できる、医療機関を変更する際にも利用できる、保健医療サービス提供者と利用者のコミュニケーションの改善に役立つ、母親や父親の知識・態度・行動の変容を促す健康教育教材としての役割もあるなど、種々の側面をもっています。この日本独自の母子手帳システムが、途上国で注目されています。

日本の母子手帳に触発されて、各国において文化や社会経済状況を反映した様々な取り組みが、国際協力機構(JICA)、ユニセフ、NGOなどの協力を受けて行われてきました。

2015年9月には、アフリカのカメルーン共和国で「第9回母子手帳国際会議」が開催されました。主催はカメルーン保健省と国際母子手帳委員会。日本からは、外務省、内閣府、厚生労働省、JICA、日本医師会、民間企業などから後援や協賛をいただきました。海外参加者の旅費などを除く、会議開催の費用のほとんどをカメルーン保健省が負担しました。開会式には保健大臣を含めて8人の大臣や副大臣が参列し、会議の模様が連日テレビやラジオで放送され、カメルーン国内で大きな関心を集めました。3日間の会議は、英語・仏語の同時通訳で行われ、英語圏・フランス語圏のアフリカ諸国など、カメルーンを含めて20か国から約250人が参加しました。参加国は、すでに母子手帳の普及を行っている国もあれば、これから母子手帳の導入を計画している国もあり、それぞれの国の現状を踏まえた活動発表と活発な意見交換が行われました。4州で母子手帳を使っているカメルーンの専門家が、どのように全国展開すればいいのかというヒントをインドネシア保健省の人から教えてもらうといった、途上国同士の学びの場になっていました。

開会式に参列した女性閣僚によれば、「カメルーンでは農業や教育において女性のエンパワメントに力を注いでいるが、妊娠・出産時に命を落とす女性が多い。母子手帳を使うことにより母子保健が向上する結果として、女性が妊娠・出産後も元気に社会参加してくれることを切望している」とのことでした。国のおかれた社会経済状況によって母子手帳を導入する動機も異なり、それぞれの国の文化や家族の思いが母子手帳に込められていることを教えられました。

参加された公衆衛生省の高官や病院の院長が、母子手帳のことになると、不思議なくらいに熱をこめて語り続け、「母子手帳はミラクルだ」という言葉を発する方もいました(写真2)。なぜ、途上国の学識者たちが、母子手帳に対して過分とも思える賛辞を口にするのでしょうか?思えば、途上国だった戦後日本が世界最高水準の乳幼児死亡率や平均余命を誇るようになった背景には、優れたシステムを編み出した先人たちの努力がありました。とくに、母子保健分野では、日本の高度成長以前に開発された技術や知恵が凝縮しています。人材が少なく、予算が少ない中で先人たちが工夫した日本の知恵は、低コストで高度医療を必要としないため、途上国に応用可能な取り組みが少なくありません。母子手帳、国民皆保険、小中学校の保健室など、その貴重な経験と知恵を世界に発信することもまた、重要な国際協力だと思います。

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写真2:「母子手帳はミラクルである!」というミリアム・ウェレ博士。単なる健康記録の冊子ではなく、女性のエンパワメントにつながる媒体であると、母子手帳の魅力を語ってくれた。
ウェレ博士は第1回野口英世アフリカ賞を受賞。ナイロビ大学医学部長や国連人口基金エチオピア事務所所長を歴任。ウジマ財団を設立しコミュニティや若者を育成し、地域全体の向上を図り、 アフリカ大陸の人々にとって希望の源泉であり続けてきた。(写真は2009年:大阪、左がミリアム・ウェレ博士)

4.多くの国に母子手帳を広めるために

医療は文化です。日本の医療文化にマッチした母子手帳を、そのままの形で輸出しようとしても、他国に広がるはずはありません。相手国の医療システムや保健医療者に適合した母子手帳が必要とされるのです。まさに、郷に入っては郷に従え。相手国の医師や看護師が記入したいと思い、母親が健診や予防接種の際に携行したいと思わなければ、どんなにすばらしい内容の手帳でも活用されることはありません。

母子健康手帳の導入にあたって最も重要なことは、日本語の翻訳版を使用しないことでした。各国では妊婦健診記録、子どもの身長体重曲線、予防接種記録とともに、健康教育用のきれいなポスターやパンフレットがすでに製作されています。それらの既存の教材や記録を最大限に活用し、母親の教育レベルや識字率を考慮して、できるだけ文字を減らして、絵やイラストの多い母子手帳を開発するように心がけています。母子手帳の活用の場では、母親は非識字者であっても、家族内に誰か字が読める人がいれば、母子手帳の意義は十分に理解され、使用されています。

コスト面からの財政的な検討も、母子手帳の導入時には重要です。導入時に必要となるコストは、保健医療関係者の研修コストと、経常的に毎年必要な母子手帳の印刷費に大別することができます。導入時の研修や印刷費は、国際機関やドナー機関の支援を受けることもできますが、その後どのように経常的な印刷費を捻出するかは大きな課題です。経験的には、1冊あたりの印刷価格を1米ドル以下におさえておくと、印刷費の持続可能性が高まります。最近では、官民協働(Public Private Partnership:PPP)の掛け声のもとで、民間企業が啓発メッセージや広告の掲載を行い、印刷費の支援を行う国や地域も出てきました。

また、近年では、母子手帳のデジタル化が大きなテーマとなっています。アジアやアフリカの農村部においても携帯電話が普及するようになり、人々は単なる情報ツールとしてだけでなく、送金手段としても活用しています。急速に生活の中に溶け込んできたICTを駆使して、紙媒体の母子手帳とともにデジタル母子手帳も併用する試みが各地で始まっています。

母子手帳を世界に広めるために、私たちに求められているのは、温故知新。敗戦の厳しい状況のなかで生まれた母子手帳の伝統を大切にするだけではなく、デジタル母子手帳といった新しい挑戦をも視野に入れて、地域の実情やニーズに適合した進化形の母子手帳を発信することが求められています。それは、日本だけでなく、地球規模で未来を担う子どもたちへの最高の贈りものになるに違いありません。

2016年11月23~25日には、第10回母子手帳国際会議が東京で開催されます。メインテーマは"障がい者、難民・移民、少数民族、貧困者などを包摂し、「だれひとり取り残さない(Leave No One Behind)」母子保健サービスを提供する母子手帳"。次回はこの内容をレポートします。

筆者プロフィール
Yasuhide_Nakamura.jpg中村 安秀(なかむら やすひで)

大阪大学大学院 教授/NPO法人HANDS 代表理事/国際母子手帳委員会代表
和歌山県生まれ。東京大学医学部卒業。都立府中病院小児科、東京都三鷹保健所などを経て、86年からJICA母子保健専門家としてインドネシアに赴任。以後も、パキスタンでアフガン難民医療に従事するなど、途上国の保健医療活動に積極的に取り組む。99年10月より現職。 「国際協力」「保健医療」「ボランティア」をキーワードに、研究や教育に携わっている。日本国際保健医療学会理事長。どこの国にいっても子どもがいちばん好き。
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