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【産科医の海外留学・出産・子育て記】第2回 ドイツ・イギリス・日本の母子健康手帳

吉田 穂波(ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

2012年6月15日掲載

要旨:

私たちが妊娠すると当たり前のように交付される母子健康手帳。妊娠期から就学前まで一貫して記録できるスタイルは日本にしかないものだ、ということが海外に行ってわかりました。国ごとに胎児の推定体重、乳幼児の標準体重、成長曲線が違うため、海外在住の日本人は発育不良ではないかという不安を抱きがちです。ただでさえ子どもの発育・成長は個人差が多く、一時点で答えが出る問題ではありません。そのような時に気持ちを落ち着かせてくれるウェブサイトや母子健康手帳は、子育てのはじめの一歩を踏み出したばかりの新米にはとても有難いツールです。自分が海外で一人目の出産・育児を経験したことで、日本の母子健康手帳のありがたみがよくわかりました。
ドイツにおける母親手帳・子ども手帳

さて、ドイツで妊婦に手渡されるのはMutterpass(母親手帳)という、日本の母子健康手帳から比べれば大変事務的な手帳です。妊娠中に受けた検査結果が血液検査、超音波検査も含めすべて記録される点が面白いと思いました。しかし、子どもが生まれてからはKinderpass(子ども手帳)に移行するため、Mutterpassを紛失する人も多いと聞きます。また、母親手帳の前半部分が第一子、後半部分が第二子と、子ども二人分の妊娠経過を記録する母親手帳となっていますので、母親の持ち物ではあっても、子どもに託されることはない点が日本とは違っていました。

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ドイツの母親手帳(左)と子ども手帳(右)

海外で病気になる時のつらさ、不安、苦痛は想像を絶するものです。それがたとえ、妊娠というおめでたいものであっても、患者さんの立場になるというのは、とても心細いものです。その心細い気持を少しでも和らげて差し上げることができたらと、私は、勤務先の日本人通訳さんや手伝ってくださる方と一緒に、病院のカフェテリアで開く「妊婦さん会」で妊婦さんのご相談にのることにしました。また、日本の病院で使っていた両親学級のパンフレットをフランクフルト用に作り変えて「安産のしおり」を作ったり、自分が日本で患者さんの説明に使っていた母子健康手帳についての説明書を改編してお渡ししたりするなどの活動をしました。

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ドイツの臨床研修:手術風景

ドイツでも日本でも同じ超音波の機器を使いますが、おなかの中の赤ちゃんの推定体重を算出する計算式は国ごとに異なっています。人種的な差異として、ヨーロッパの赤ちゃんの頭はほぼ円に近い形なのに比べ、日本人の赤ちゃんは縦長(楕円形に近い)頭の形で、赤ちゃんの頭の横幅(児頭大横経)として測定される値が小さめに出るため、推定体重が低めに見積もられる可能性が高くなります。私自身、いつも赤ちゃんの頭の横幅の値と推定体重の値がドイツの成長曲線では下限ギリギリで、胎内発育遅延の疑いをもたれていましたが、生まれてみたら3110グラムの元気な子でした。同じように心配をされている日本人妊婦さんもたくさんいらっしゃったことから、日本人に合った妊娠経過観察というのは大切なのだと身にしみてわかりました。

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長女誕生後に毎日、古典的な体重計で体重を図りに来てくれた
助産師のレナーテさん 長女はこの時生後5日目

現在では、国の研究事業で「推定胎児体重と胎児発育曲線」 保健指導マニュアルというものが作られ、日本の赤ちゃんの標準体重の値が公開されています。


日本の母子健康手帳の意義

ドイツでの妊婦生活で改めて見直した日本の良さの一つに、日本の母子健康手帳があります。両親学級では、日本から母子健康手帳を取り寄せること、あるいは日英併記の母子健康手帳を購入するよう勧めました。なぜなら、自分の妊娠出産経過を記録し、把握しておかないと困るということは知っていましたが、いくら自分が医師であり、自分の最大関心事の妊娠に関することであっても、悲しいかな、あっという間に忘れてしまうということを、自分の身を持って体験したからです。

日本で出産を経験したことがない人、周産期医療に携わったことのない人からは、こんな声が聞こえてきました。
「母子健康手帳は必需品ではありません。自分の検診データは希望すればいつでももらえるし、病院間でのデータ管理がきちんとされているので、妊婦自身が持つ必要がないためです。」「ドクターに相談したとき、快く自分のこれまでの検診記録などを一式コピーしてくれて、何かあったときはそれを使えるように渡してくれました」と。

しかし、ほとんどの妊婦さんたちは妊婦検診の時に尿検査の結果がどうだったか、採血で何の検査をしたかすら覚えていないことがほとんどです。これは、妊婦さん自身のせいではなく、あまりにも当たり前に、機械的に行われている検査なので、医療従事者の方もあっさりとした説明しかしないからです。私自身は毎回検査結果をプリントアウトしてもらい、日英併記の母子健康手帳に検査結果を記入していましたが、プリントで毎回もらうものはきちんとファイルしておかないと一部だけ紛失してしまったり、どれが最新のものか分かりにくかったりしました。

私が日本で産婦人科医として働き始めた当時、産婦人科の診察室で妊婦検診を担当する際の母子健康手帳への記載は、半ば事務的な仕事、ルーチンワーク、という意味合いでした。母子健康手帳はあって当たり前のもの、とにかく抜け・漏れがないように外来の看護師さんや助産師さんたちと完璧に記録をするという対象でした。私たち産婦人科医の妊婦さんとのお付き合いは、産後一カ月検診の記録をつけるまでで終わりで、その後も母子健康手帳がどんなに重要な働きをするかは、当時の独身女性医師にはあまりイメージがわかなかったものです。今から思えば、ひとつひとつの「+」や「-」を書き、ハンコを押すことが大切なのではなく、妊娠とは女性にとって最大の負荷試験だ、という言葉通り、妊婦健診とは妊婦さんの一生を通じて最も身近な健康管理のチャンスで、生活習慣病予防と生活改善、ヘルスリテラシー向上、教育と啓蒙のチャンスととらえていればよかったと思います。母子健康手帳は、そのためのまたとないツールです。

妊婦さんが妊娠経過を通じて自分の状態を把握していなければ、主体的な出産とはなりません。また、妊娠中の記録はその母子だけでなく産婦人科医、小児科医にとって大切なものです。のちに子どもが小学校の授業に持って行き、親が出産を待ち望む様子を感じ、自分への愛情に感動するという話もよく聞きます。反抗期の子どもでさえ、自分が母親の胎内にいて慈しまれていたことに対しては無条件の喜びと甘えを感じるもので、このことが子どもの自己肯定感、親との愛着形成にどれだけプラスの影響を与えることでしょう。母となった今は、母子健康手帳の意義を、あらためて痛感するようになりました。


イギリスの母子健康手帳

産後すぐに移ったイギリスでは、無料で医療を提供するNHS(National Health Service:国民保健サービス、日本の皆保険システムのようなもの)というシステムのもとで総合医が妊婦検診を行います。予約は2ヶ月先、妊娠経過中エコーは3回まで、分娩の入院は2日間のみ、という妊婦管理スケジュールでした。妊娠中の手帳はなく、出産後に乳児健診を受ける際には子ども用の手帳を使って経過を見ていきます。この小児手帳の中の出産時の記録は身長・体重などの計測値程度で、妊娠中の異常や検査結果、妊娠中のトラブルが詳しくわからない場合も多いようでした。子どもが胎内で10か月を過ごした妊娠期間中の影響が後になって出てくることもあり、発見が遅れて困るという話も聞きました。

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ロンドンの家庭医診察室

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イギリスの小児健康手帳

産後に関して言えば、欧米人の幼児用成長曲線と日本のそれとは異なります。例えば3歳女児の身長が87センチ、体重が12キロの場合、日本の母子健康手帳上は中間よりやや下ですが、欧米の成長曲線では平均よりずっと下、となってしまいます。「自分の子は順調に発育しているのだろうか」「栄養が足りなくはないか」というのは、全ての母親の切ない気持ちでしょう。日本で食べ慣れた食材が手に入らない海外生活の中、子どもたちのために健康的な食事を作ろうと苦心している母親たちのそんな気持ちが分かるだけに、私は成長に対する母親の心配を軽く見過ごせませんでした。自分自身も、安心して自信を持って育児をしたいし、ほかの人にもしてほしい、そのような気持ちでサポートをするため、日本人の身長・体重成長曲線を示してある母子健康手帳を見せて標準範囲内にあるか確認し、安心してもらう、ということを幾度となく繰り返してきました。今後も、海外在住の日本人の親御さんには、このような方法で安心していただく方法をお伝えしたいと思っています。 現在では、新しくまとめられた子どもの成長曲線をもとに母子健康手帳が改訂され、身長・体重の標準値を誰でも確認できるようになっています。
http://www.niph.go.jp/soshiki/07shougai/hatsuiku/katsuyou120420.pdf (44.28MB)
※一部ブラウザーで見られないことがあります。


日本のお産の現場を振り返って

留学前は、日本より優れている欧米の知識や技術を学んで、日本に活かしていこうという考えでした。しかし、海外での経験を通じ、欧米の方法を日本に当てはめるのではなく、それこそ、赤ちゃんや子どもの成長が個別に違うように、日本という国に合う独自の方法を模索していくことが大切なのだと思うようになりました。批判の多い日本の医療体制ですが、GDPに占める医療費や患者あたりの医師数が少ないにもかかわらず、特に出産関連では非常に高いレベルの医療水準を誇っており、これは一次・二次医療を支える個人のレベルの高さと医療従事者のボランティア精神によるものが大きいと感じました。しかし、その一方で、今までの多くの人々の勤勉さや努力のおかげで「お産は安全なもの」「お産で死ぬことはありえない」「妊娠・出産・子育ては誰でも出来て当たり前」という意識が生まれています。安全な医療を受けられることで逆に私たちが日本の長所を軽視し、妊産婦さんが危険と隣り合わせでお産をしているということを忘れることにつながるのでは、本末転倒ではないでしょうか。

その後第二子、第三子を日本で、第四子を米国で出産し、妊婦として、患者として、また小児科に子どもを連れて行く母親として、医療の受け手側という立場を数多く経験しました。妊娠・出産はハイリスクで、命を賭して産み落とすものだという認識を新たにし、命がけで次世代を育む妊婦さんたちに、社会全体で最大限の配慮と感謝をしなければいけないと、数か国での出産経験を通じて実感しています。

胎児として母親の子宮内に授かった時から人間の生命が始まっているというのは万国共通です。子どもを、その生命の始まりである妊娠中から学童期まで経時的に、一番注意深く守り育てなければいけない時期を通じて、その成長発育を記録し、見守るという姿勢を、日本の母子健康手帳は先駆けとなって世界に示しています。出産で途切れることなく、胎内から就学前まで連続して記録を続けられるところが日本の母子健康手帳の良いところです。

産婦人科医として、4人の子どもを持つ母親として、地域の健康作りに携わる者として、自分自身が妊娠経過を大切に思い、出産を待ちわび、一つ一つの検診や予防接種に子どもの健やかな成長を願う気持ちが目に見える形で残されているこの母子健康手帳は、今も自分の宝物です。そして、多くの親と子どもの安心と結びつきをはぐくんでいってくれればと願っています。

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ロンドンで育児中の筆者と生後3か月の長女
筆者プロフィール
report_yoshida_honami.jpg 吉田 穂波(よしだ ほなみ・ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

1998年三重大医学部卒後、聖路加国際病院産婦人科レジデント。04年名古屋大学大学院にて博士号取得。ドイツ、英国、日本での医療機関勤務などを経て、10年ハーバード公衆衛生大学院を卒業後、同大学院のリサーチフェローとなり、少子化研究に従事。11年3月の東日本大震災では産婦人科医として不足していた妊産婦さんのケアを支援する活動に従事した。12年4月より、国立保健医療科学院生涯健康研究部母子保健担当主任研究官として公共政策の中で母子を守る仕事に就いている。はじめての人の妊娠・出産準備ノート『安心マタニティダイアリー』を監修。1歳から7歳までの4児の母。
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