1. バイリンガル教育を目的別に分析する(本稿)
2. バイリンガル教育をタイプ別に分析する
3. バイリンガル教育の事例を分析する
※3回のシリーズの今回は第1回目になります。
_______________________________________________この論文では、バイリンガル教育とその背後にある様々な目的を簡潔に紹介していく。これに続く論文では、日本における様々な学校教育システムと、日本以外の世界のバイリンガル教育をタイプ別に分析する予定である。
バイリンガル教育とは
バイリンガリズムとは、接触する言語、典型的には、違った言語や文化的背景をもつ人々が同じ空間を共有する際の言語の学習をいう。以前の論文で述べたが、バイリンガリズムは、4つのレベル―個人、家族、社会、学校のレベルに分けて分析できる(McCarty, 2010b)。バイリンガル教育は学校レベルのバイリンガリズムであり、バイリンガル子育てと混同してはならない(Pearson, 2008; McCarty, 2010a)。家庭で幼児にルールを決めて体系的に2言語で話しかけるバイリンガル子育ては、家庭レベルのバイリンガリズムである。バイリンガル教育は、学校で2言語あるいはそれ以上の多言語で授業をすること、つまり、通常の教科を教える言語が、2言語以上であることを言う。
しかしながら、学校のレベル以外のバイリンガリズムも、その文化的側面も含めて、バイリンガル教育に影響を及ぼす。すべての人々が文化的アイデンティティーや、ある程度使える言語の言語レパートリーをもつ。グロージャンは、「言語は単にコミュニケーションの道具ではなく、社会あるいは集団のアイデンティティーのシンボル、集団の帰属や連帯を表すエンブレムである」と述べている(1982, p. 117)。そのため、様々な言語に対して人が示す態度は、その言語を話す集団に属する人々に対してその人が抱く思いを反映する傾向がある。
さらに、言語は、社会の多数派によって作り出される相対的ステイタスあるいは相対的価値を有する。社会の主流派がその言語に対し、経済力あるいは文化的優位性を認めるか否かによって、魅力的な言語あるいは役に立たない言語と見なされる。こうしたことは、特定の国の言語や国際語に特権を与えることになりやすい。移民の子どもたちの母国語は、役に立たない言語と見なされ軽視されやすいのに対し、社会のメインストリーム(主流)が価値があると見なした言語は教育の場で用いられることになる。しかしながら、スウェーデンのように100もの言語に対して教育的支援をしている(Yukawa, 2000, p. 47)国もあるし、日本のように言語に対する支援がごく限られていて、そのほとんどすべてが日本語に向けられている国もある。このことはつまり、その国の経済力が問題なのではなく、大勢となる考え方の問題であるということを示している。マイノリティーの子どもの待遇に見られる明暗は、同化政策をとっているか多文化政策をとっているかの選択とそのまま重なると考えてよい。
バイリンガル教育の様々な目標
「バイリンガル教育の目標が多岐にわたる」のは、「授業で2言語をバランスよく使用することが必ずしも重要でないことに起因する。バイリンガル教育の背景は様々であり、教育とはいったい何のためのものか、その哲学や政治のせめぎ合いである。(Baker, 2001, p. 193)」このような目的の違いが、実際の、モノリンガルあるいはバイリンガル教育の学校制度の違いとなっていく。バイリンガル教育の典型的な目標の10項目が、ベーカーによって紹介されている。
バイリンガル教育の様々な目標 |
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上記のリストからわかるように、様々な文化の政策立案者の考え方を反映して、バイリンガル教育と呼ばれる教育プログラムの実施目的は数多くあり、しかも多様である。グロージャンは、暗黙の政策がどのようにして教育に使われる言語に影響を与えているかを以下のようにまとめている。すなわち、(国あるいは地方レベルの)政府の政治的意図により、マイノリティーの集団の子どもたちが自分達の言語で教育を受けられるか否かが決まる(1982, p. 207)。政府が国の一体化を望み、マイノリティーの同化を進める、あるいは国の言語(公用語)を広めることに重きを置くならば、マイノリティー集団の言語が教育の場で使われることはないだろう(p. 207)。これに対し、社会が民族的アイデンティティーを維持し、すべての言語や文化を同等に見なし、言語に活力を与え、外国語を効果的に教える、あるいは市民をバイリンガル・バイカルチュアルにしようとするならば、2言語を用い、2つの文化をベースにした教育プログラムを開発するだろう(p. 215)。
バイリンガル教育についての本稿の結論
グロージャンは、以上のようにバイリンガリズムの重要課題を挙げ、研究者と実践者がその認識を共有すべきであると述べている。マイノリティーの人々をどのように処遇するか、あるいは社会的に弱い立場にあるマイノリティーの人々の人権をどう守るかで、社会は評価を受けるだろう。教育の場で用いる言語を選択できるようにすることは、民族的及び教育的、双方の意味において、そうでない場合に比べて好ましいであろう。いずれの場合においても、学校という教育現場の言語の背後にある多様な目的を分析することは、世界における教育システムの現状に対する理解を深め、さらには、バイリンガル教育の観点で普通の外国語教育の向上に資することができるのではないだろうか。
参考資料
- Baker, C. (2001). Foundations of bilingual education and bilingualism (3rd ed.). Clevedon, UK: Multilingual Matters.
- Grosjean, F. (1982). Life with two languages. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press.
- McCarty, S. (2010a). Bilingual child-raising possibilities in Japan. Child Research Net: Research Papers.
- McCarty, S. (2010b). Bilingualism concepts and viewpoints. Child Research Net: Research Papers.
- Pearson, B.Z. (2008). Raising a Bilingual Child. New York: Living Language.
- Yukawa, E. (2000). Bilingual education in Sweden. In S. Ryan (Ed.), The best of Bilingual Japan, (pp. 45-47). Osaka: Japan Association for Language Teaching (JALT) Bilingualism SIG.
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