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寡黙でおとなしい子は損する?~アメリカにおける中国系移民の子どもの研究より~

要旨:

「口は災いのもと」というように、日本社会では寡黙で多くを語らないことは好意的にみられ、逆に自己発言や主張はマイナスと考えられがちである。こうした言葉への価値観は、コミュニケーションや発言力がリーダーシップや能力の証とみられる社会では不利な評価や結果を招く可能性が高い。一般に欧米では、アジア人は、寡黙で受動的かつコミュニケーションが下手とみられている。では、幼少期の子どもはどうか?発言力は子どもの学校生活に影響するのだろうか?本研究は、米国の中国系移民と白人系の子どもの寡黙さと自己主張を比較し、また発言の程度と園生活との関連を調査した。
幼稚園・保育園に通う4歳児166名に対し、担任教員から評価記入に基づくデータを収集した。中国系移民の子どもは白人系アメリカ人の子どもに比べ、有意な差で寡黙で自己主張や発言が少ないという評価を受けた。また、白人系多数の園では、寡黙な子どもは寡黙でない子どもより園生活への適応、学習態度、交友関係全般にわたり否定的な傾向を示していた。一方、同じアメリカでもアジア系多数の園に通う寡黙な子どもは、寡黙でない子どもよりも園生活への適応が高く学習態度もよいという評価を受けた。これらの結果が日本の子どもや日本の学校に何を示唆するか考察した。
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口は災いのもと

論より証拠

能ある鷹は爪を隠す

不言実行

コミュニケーションのとり方が国によってさまざまであるように、言葉や沈黙が与えるイメージも社会によって多様である。日本社会では、発言を控えること、特に自己主張をせず謙虚で聞き手にまわることは、一般的に好印象を与える。言葉に関することわざや故事が示すように、多くを語らないことや寡黙であることは、しばしば美徳とされる。

日本社会では、個性の主張や個人の意見の交換より円滑な人間関係が重要で、人間関係や公の場では曖昧さが重宝される(Lebra, 1976)。そのため、相手との会話でも相反する発言は控える場合が多い。人間関係において葛藤が好まれない社会では、あいまいなコミュニケーションは潤滑油のようなものである。近年流行となったKYという言葉が示すように、日本では、まわりの空気や相手の気持ちを読むことは常識とされる。言葉そのものに対する不信感も強い。多弁で口が上手い人や口達者な人は信用できず、本心は言葉にはないという意識が根強いためである。また、口が動くと手が動かないとか、黙々と仕事をするというように、言葉と行動は別物と考えられている。一般に、多くを語らないこと、特に自己主張をしないことは、正直、謙虚、能力がある、忍耐強い、働き者といった好印象と結びつく。

ところが、このように発言を控えることやおとなしさが好まれる文化は、実はあまり多くはない。グローバル社会においては、多様な文化背景の人々が交流し、コミュニケーションをとるため、要求や欲求をはっきりと発言し提示することが必要不可欠となってくる。むしろ、意見の発言を控えることは、意図することやコミュニケーション上の誤解を招くことになりかねない。実際、欧米人と日本人間のミスコミュニケーションは、頻繁に報告されている。

それでは、発言や表現能力は子どもたちの学校生活全般にどのような影響を与えているのだろうか?おとなしい子は欧米の学校では得をするのか、損をするのか?本研究では、アメリカ在住の中国系移民の研究結果を例にとり、発言しないこと(寡黙さ)がいかに欧米の学校生活や社会関係で不利になりうるかを検証する1)。また、この研究結果が日本の学校や日本の児童へ示唆することをまとめてみた。


西欧における発言の意義

「きしむ音を立てる車輪には油が差される(主張をしてこそ聞き入れられる)」ということわざにあるように、欧米社会では要求を表現し、意見を主張する行為は、当然であるだけでなく尊敬に値する。欧米人は、雄弁で自己の意見や要求をはっきり主張する人、つまり黙ってはいない人に、好感を抱きがちである。アメリカでは、一般に発言が多く主張が強い人は、頭が良く決断力があるリーダー的存在としてみられる。個人は独立した存在で、異なる意見や経験をもつ人々を理解するためには、言葉によるコミュニケーションが不可欠であると考えられているからである。黙っている人やおとなしい人は、学校やビジネスのような公の場だけでなく、一般の社会関係においてもマイナスなイメージを与える(Ishii & Bruneau, 1994)。

したがって、欧米の子どもは小さな頃から自己主張や発言力を培うよう教育される。子どもであっても自分の意見を発言するし、大人も子どもに対して要求や希望を尋ねる。アメリカの中流家庭の小学生が発言・交渉能力を磨いていく様子はLareau(2003)のエスノグラフィーに詳細に描かれている。Lareauが指摘するように、アメリカでは、発言・表現能力は、学校生活や社会生活を円滑にする重要な「文化資本」である。中流家庭の親は、子どもに意見や要求を控えたり内容を要約するのではなく、言葉を使って明確に詳細に伝えるよう教える。小さな頃からアメリカの子どもは欲求を表現したり自己の意見や要求を提示し、自己の見解を大人に伝え、大人と議論したり理由を説明することを学んでいく。そうすることで、Lareauが指摘するように、子どもはアメリカという国で「大人も含む社会関係に効果的に関わっていく」能力を養っていく。


アメリカにおけるアジア人・中国系移民の子どもたち

しかしながら、アメリカに住む子どもがみな発言能力を身につけていくわけではない。欧米ではアジア系の子どもたちは、全体的に、「静か」「おとなしい」「受動的」「主張をしない」、そして「コミュニケーションが下手」とみられている(Kim, 2002; Liu, 2002)。グローバル化に伴い、欧米諸国のアジア人人口は増加している。たとえば、アメリカに住むアジア人は過去10年間で最も増加率の高い人種であった。アジア系アメリカ人の人口は、2010年にはおよそ1,470万人に達し、アジア系の学生数はアメリカの全学生人口の約4.2%を占めている。欧米では、アジア系アメリカ人生徒は、「モデル・マイノリティー(白人でない人種のよい見本)」という評判を得ている。他の人種の学生に比べ、平均的に学力も高く学習態度も熱心なためである。同時に、口数が少なく学習に受け身でリーダーシップに欠けるというイメージも強い。

アジア系移民の中でも、中国系移民は全体の25%を占め、最も増加率が高いグループである。アメリカの国勢調査によれば中国系移民とは、中国、台湾、香港その他の東アジアや東南アジアから移住した中国系の人々を指す。沈黙、口数の少なさ、曖昧なコミュニケーションのスタイルを日本独特のものとする論は多いが、寡黙で多くを語らないことは、中国文化においても美徳とされている。中国では、寡黙でおとなしい学生は授業を熱心に聴いているか熟考しているとみられる。また、人に頼らず自分で問題解決する能力がある学生は人にあれこれ尋ねないと考えられている。授業中の質問や授業中に教師に対して反論する意見を提示することは授業の進行を妨げると考えられる。かといって、学生はいつも黙っているわけではない。授業中でも教師が質問をすれば受け答えしなければならないし、質問がある学生は授業が終わった後、個人的に教師に質問をしにいく (Liu, 2002)。

中国系の親はアメリカに渡った後も、母国中国の文化を子どもに教えながら育てていくため、中国系移民の子どもは家庭から学校に移行する際に学校生活への適応が困難となる可能性が高い。アメリカの学校文化が、欧米文化を強く反映したものだからである。一般に寡黙でおとなしい子どもは、欧米の学校では知識や意見をもっていないか、意欲がないとみられがちである。自分の意見をもち、思考し、学習意欲があり、学力が高い生徒は発言すると考えられているためである(McCroskey & Daly, 1976)。

それでは、幼稚園や保育園のような幼少期はどうだろうか?アメリカの幼稚園教員や保育師は中国系移民の子どもの言語表現力をどのようにみているのか?また、おとなしく自己主張をしない子どもは、アメリカの幼稚園や保育園ではどのような経験をしているのか?本研究では、子どもの家庭から学校への移行期にあたる就学以前の時期に焦点を絞った。また、寡黙な子やおとなしい子でも周囲の見方によって違う待遇を受けるという仮説に基づき、米国において人種構成が異なる幼稚園・保育園を調査した。白人系アメリカ人の教師と生徒が大多数の幼稚園と、アジア系の教師と生徒が大多数を占める幼稚園である。


研究方法

本調査は、ブラウン大学の「白人系アメリカ人と中国系移民の子どもの学習感と家庭での社会化」プロジェクトのデータを利用した。同じ家族と子どもを4~6歳の3年にわたって追った長期データの中から、166人の4歳児のデータを用いて分析した。166人中、中流家庭の中国系移民の子どもが49人、低所得・低学歴の親を持つ中国系移民の子どもが59人、中流白人系アメリカ人の子どもが58人であった。166名のうち、男児は82名、女児が84名であった。米国の東海岸に位置するマサチューセッツ州とロードアイランド州の幼稚園や保育園などで、研究への参加を応募する用紙を配布した。中国系移民の家族のほとんどは、中国出身で米国での平均居住年数は9.7年。中国系移民の子どもは、9名を除いた全員がアメリカで生まれ育っている。白人系家族は、全員親子ともアメリカで生まれ育っている。


調査結果

中国系移民の子どもはアメリカ人よりおとなしく自己表現が乏しい?

まず、幼稚園教員や保育師が中国系移民と白人系アメリカ人の子どもの言語表現力をどう評価しているかみてみよう。データは幼稚園教員への質問調査により収集した。担任教員あるいは保育士が、子どもの寡黙さと自己主張・発言に関する項目(これより自己主張と呼ぶ)を5段階で評価した。自己主張に関する項目では、言葉を使って自己の気持ちを表現しているか、また自己の要求を主張しているかなどについて尋ねた。

教師の人種に関係なく、中国系移民の子どもは白人系アメリカ人の子どもより寡黙で自己主張や発言が乏しいという評価を受け、統計的に有意な差がみられた(図1参照)。中国人児童の発言行動に階層差はみられなかった。また、幼稚園のタイプによっても差はなかった。中流・低所得や園の環境に関係なく、中国系の児童は白人系アメリカ人の子どもより寡黙で自己表現をしないということになる。

図1 中国系と白人系園児の発言に関する幼稚園教師の評価
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「おとなしい子」はアメリカの学校では不利?

寡黙でおとなしい子は、アメリカの学校では有利か不利か?日本の学校では、おとなしい子は否定的にはみられない。教師はおとなしく他人の話をよく聞く生徒に対してよいイメージを抱くであろう。逆に、人の話をさえぎったり自己の欲求や要求を強く主張する態度はあまり好まれない。米国ではどうか?寡黙さが子どもの学校生活に与える影響を、学校生活適応、学習態度、友人関係という3点に絞り、調査・分析した。子どもの学校生活に関する質問を、同じ教員に質問用紙にて尋ねて調査した。質問項目は、子どもの適応(こどもが心理的・行動的にどのくらい学校生活に適応しているか)、学習態度(子どもがどのくらい学ぶことに意欲的で熱心か)、子どもの交友関係を含み、教員はそれぞれ5段階で評価した。


白人系幼稚園・保育園に通う中国系移民の子ども

寡黙さや自己主張は、子どもの通う園のタイプによって有利になったり不利になったりする可能性がある。同じ国でも幼稚園教員や生徒の人種や文化が違えば、同じコミュニケーション方法でも異なった視点で評価される可能性があるからである。白人系が大多数を占める園とアジア系が大多数の幼稚園では、おとなしさや自己主張に対する価値観や評価が異なる可能性が高い。まず、白人系が大多数の幼稚園に通う中国系移民の園生活をみてみよう。本調査の白人系幼稚園・保育園のほとんどは郊外に位置し、このタイプの園に通う中国系移民の子どもの75%は中流家庭出身であった。

図2が示すように、このタイプの園では、寡黙であることはマイナス結果と関連していた。分析にあたり、まず子どもたちを2グループに分けた。寡黙グループ(通常またはいつも寡黙と評価された子どもたち)と寡黙でないグループ(あまり、あるいはほとんど寡黙でないと評価されたこどもたち)である。次に、この2つのグループの学校生活に関する項目の平均値を比較した。寡黙グループは寡黙でないグループに比べ、学校適応、学習態度、交友関係値すべてが低いという評価を受けていた。つまり、寡黙な子どもたちは寡黙でない子どもに比べ、平均的に学校生活にうまく適応できず、学習態度もあまり意欲的でなく、交友関係もよくないということになる。白人系の園では、寡黙な子どもは学校生活全般にわたってマイナスな評価を受けていることが明らかである。

図2 白人系幼稚園・保育園に通う中国系の園児:寡黙な子と寡黙でない子の学校生活適応・学習態度・交友関係
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同じアメリカでも寡黙さはプラス?アジア系多数の幼稚園

人種や文化が多様なアメリカでは、幼稚園(Preschool)や保育園(Day Care)の教育方針や環境も多様である。アジア人の教員や生徒が大多数の幼稚園や保育園では、アジアの文化や価値観を高く評価する可能性が高い。ここで、教員と生徒の大多数がアジア人の幼稚園・保育園での結果をみてみよう。アジア人が大多数の幼稚園や保育園は、主に中華街やアジア人が密集する地域にあり、そのほとんどはアジア人の園長やスタッフにより運営されていた。また、このタイプの幼稚園・保育園に通う子どもの大多数(82%)は低所得家庭出身の子どもであった。

図3のグラフをみてみよう。図2とは対照的に、寡黙グループは寡黙でないグループより肯定的な評価を受けていた。寡黙な子どもは、学校生活への適応が高く学習態度もよりよいという傾向にある。寡黙さが学校適応と学習態度に有利という結果は、階層差をコントロールした後も同じであった。つまり、階層に関係なく、寡黙な子どもはアジア系幼稚園・保育園に通った場合、ポジティブな学校生活を送る傾向にある。交友関係に対しては、寡黙グループがやや高い平均値を示しているものの、寡黙でないグループとの平均値に統計的に有意な差はみられなかった。

図3 アジア系幼稚園に通う中国系の園児:寡黙な子と寡黙でない子の学校生活適応・学習態度・交友関係
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まとめと考察

日本社会では、おとなしく恥ずかしがり屋の子どもは繊細でかわいいと肯定的な印象を与えがちである。小さい子どもが恥ずかしがることや口数が少ないことは自然なことで、大人は温かい目で見守ったり励ましたりするケースが多い。しかし、こうした見解が国を超えて共有されているわけではない。小学生のデータを分析した過去の調査においても、中国の学校では恥ずかしがりやでおとなしい子どもに対して教師や他の児童が優しく言葉かけをするのに対し、カナダの学校では恥ずかしがりやでおとなしい子どもは、他の子どもに好かれず放っておかれるという結果が出ている (Chen, Chen, Li, & Wang, 2009)。

本調査では、同じ国でも家庭の文化背景によって子どもの言語表現力の発達過程が異なる可能性を調べた。すでに4歳児の段階で、中国系移民の子どもは白人系アメリカ人の子どもに比べおとなしく寡黙で発言に乏しいとみられている。本調査の中国系の子どもの母親は平均約10年米国に居住し、ほとんどの子どもが米国で生まれ育っているにもかかわらず、白人系の子どもに比べると感情や要求を言葉で表現することが少ない。特に重要なのは、そうした言語コミュニケーションがアメリカの学校では子どもの学校生活や学習全般にわたり、不利な影響を与える可能性が高いということである。おとなしいことはアメリカ社会ではあまりよい印象を与えない。寡黙な子どもは受け身で非社交的とみられがちだからである。結果として、教員や他の子どもたちは寡黙な子どもにわざわざ声をかけたり親切に接することが少ない。逆に、アジア系が多い幼稚園では、寡黙さは不利であるばかりか有利となる可能性が高い。おそらく教員も生徒もアジアの文化に慣れた環境では、おとなしい子どもはいたって普通で繊細かつ優しいばかりか、横柄でないとみられているからかもしれない。こうした環境におかれると、おとなしい子どもも友達を作りやすく、学校生活にも適応しやすくなる。


日本が学べること

この調査結果は、日本社会や日本の子どもの発達に対して何を意味しているか?中国系移民を対象とした本調査では、アメリカの学校に通う日系や駐在員の子どもがどのようにみられているかは明らかでない。しかし、アジア人をひとくくりにみがちな欧米でのメディアのイメージやステレオタイプを考えると、日本人もまた静かで受動的、発言力やコミュニケーションが乏しいと見られている可能性が高い。日本では、時代の変化に伴いはっきりと物を言い、自己欲求が強い人が増えたという意見もある。しかし、外国人から見るとあいまいではっきりとしないコミュニケーションのスタイルは、今なお日本社会に健在である。日本の大学で講演をしたアメリカ人社会学者が、大学生からの質問の少なさに驚いた様子も最近の著書で示されている (Yamagishi & Brinton, 2010)。アジア以外の社会では、自己発言をしないことや要求を提示しないことは、知識や意見がないか決断力に欠けるとみなされがちである。

両親の仕事の都合などにより、欧米の学校に通う日本人は決して少なくない。海外の学校に子どもを通わせる日本人の親が、多様なコミュニケーションの価値観を認識し、また自己の考えを説明したり言葉で表現するよう子どもに励ますことが、海外、特に欧米での子どもの学校生活の助けになるかもしれない。また、日本の学校に通う外国人児童の数や帰国子女が増加している。多様な文化背景をもつ子どもを受け入れるにあたって、教師や地域の住人が多様なコミュニケーション方法を認識しておくことは重要である。

たとえば海外の学校文化に慣れた帰国子女は、自己の意見をはっきり主張しがちなため、自己主張が強く横柄で非協力的だとみられることが多い(Nukaga & Tsuneyoshi, 2010)。日本とは相反するコミュニケーション文化を持つ国から来た子どもたちは、日本の学校に馴染めず人間関係で誤解を招いたり苦労をする可能性が高い。日本の教師は、無意識のうちに自己主張が強い子どもや教師に反論意見を述べる子どもに対して、マイナス評価を下したり否定的なイメージを抱いているかもしれないことを常に心に留めておくことが必要だろう。最後に、グローバル化に伴い、日本の子どもが将来他国の人々とコミュニケーションをとる機会はさらに増えていくだろう。英語という第二外国語だけでなく、子どもの自己表現の能力を育てていくことも、今後の日本の学校にとって重要な課題である。


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1)本調査の詳しい分析や結果は以下の論文に掲載されている。
Yamamoto, Y., & Li, J. (in press). Quiet in the eye of the beholder: Teacher perceptions of Asian immigrant children. In C. Garcia Coll (Ed.),
Contributions to human development: The impact of immigration on children's development. Karger.


引用・参考文献

Chen, X., Chen, H., Li, D., & Wang, L. (2009). Early childhood behavioral inhibition and social and school adjustment in Chinese children: A 5-year longitudinal study. Child Development, 80(6), 1692-1704.

Holloway, S. D. (2010). Women and family in contemporary Japan. New York, NY: Cambridge University Press.

Ishii, S., & Bruneau, T. (1994). Silence and silences in cross-cultural perspective: Japan and the United States. In L. A. Samovar & R. E. Porter (Eds.), Intercultural communication: A reader (7th ed.) (pp.246-251). Belmont, CA: Wadsworth.

Kim, H. S. (2002). We talk, therefore, we think? A cultural analysis of the effect of talking on thinking. Journal of Personality and Social Psychology, 83, 828-842.

Lareau, A. (2003). Unequal childhoods: Class, race and family life. Berkeley, CA: University of California Press.

Lebra, T. S. (1976). Japanese patterns of behavior. Honolulu, HI: The University Press of Hawaii.

Liu, J. (2002). Negotiating silence in American classrooms: Three Chinese cases. Language and intercultural communication, 2(1), 37-54.

McCroskey, J. C., & Daly, J. (1976). Teachers' expectations of the communication apprehensive child in the elementary school. Human Communication Research, 3(1), 67-72.

Minami, M. (1994). English and Japanese: A cross-cultural comparison of parental styles of narrative elicitation. Issues in Applies Linguistics, 5, 383-407.

Nukaga, M., & Tsuneyoshi, R. (2010). The kikokushijo: negotiating boundaries within and without. In R. Tsuneyoshi, K. H. Okano, & S. S. Boocock (Eds.), Minorities and education in multicultural Japan (pp. 213-241). New York, NY: Routledge.

Yamagishi, T., & Brinton, M. C. (2010). Risuku ni se wo mukeru nihonjin. Tokyo: Koudansha.
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