CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 子育て応援団 > 【双子のいる生活】 第4回 帝王切開での出産

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

【双子のいる生活】 第4回 帝王切開での出産

要旨:

いよいよ双子を出産!帝王切開で一卵性双生児の女児を出産した筆者の帝王切開手術の具体的な流れ、術後の経過や生活の様子についてレポートする。胎盤を共有している一卵性双生児出産にはリスクが伴う為、病院によって双子出産は全て帝王切開で出産する所もある。筆者の場合も胎児の命を最優先して帝王切開を選択。帝王切開で出産した人の中には「自然分娩で産むことができなかった」と劣等感を感じる人、赤ちゃんに対して申し訳なく感じる人、帝王切開で楽をして産んだと言われ、傷つくこともあるというが、お腹の傷跡こそ私と双子達の勲章であると胸を張って言いたい。帝王切開は決して楽なお産ではない。陣痛こそないが自然分娩だった長男の時よりも術後は圧倒的に大変だった。

今回、私は予定帝王切開術により、双子を世に送り出しました。私の場合、経産婦であることと、胎児が2人とも頭を下にした頭位であったため、経膣分娩も可能でしたが、悩んだ末に帝王切開を選択しました。一卵性双生児は胎盤を共有しているため、一人目が生まれた後、二人目が出る前に胎盤が剥がれてしまう危険性や、二人目が順調に出られないと、二人目の胎児の生命リスクが高まるという危険性があったからです。


病院によっては、双子の場合、全例が帝王切開で出産するという方針のところもあるようです。私の場合も、経膣分娩にトライしたとしても、制限時間を決め、それまでに順調に分娩できない場合は、緊急帝王切開に切り替える、ただし、緊急といっても準備に約20分かかるので、その間に何かあった場合のリスクはある、と主治医から説明を受けました。私は、胎児の命を最優先に考え、帝王切開での分娩をお願いしました。

手術前日までに、同意書・緊急時の輸血承諾書にサイン(本人と配偶者)、各種検査、切開する場所の剃毛を済ませ、前日0時より一切の飲食は禁止となりました。睡眠導入剤を飲み、何も考えず寝ました。

私の手術は午前9:00スタートでした。直前に子宮収縮抑制剤の投与を止め、手術用の使い捨て紙製ネグリジェに着替え、病室のベッドに横たわったまま、手術室に運ばれます。朝、仕事と保育園を休んで、夫と息子がやって来ました。6歳の息子は、緊張しているのか、何となくよそよそしい態度でした。手術室には家族は入れません。「行ってきます。」と病室で二人と別れ、二人は、手術室のある階の家族控え室で誕生の知らせを待つことになりました。

report_09_05_1.jpg

いざ出陣。手術用の使い捨てネグリジェに着替える。


日本を代表する総合病院の、まるで未来基地のような広い手術室エリアにある手術室に着き、自分でベッドを降りて手術台に上がりました。そこからは、私は「まな板の上の鯉」そのもので、産科医2人、新生児科医2人、助産師2人、麻酔医2人、手術担当看護師2人による、完全分業体制による手術が始まりました。

1.

麻酔:腰椎麻酔。下半身のみ麻酔がかかり、意識ははっきりしています。背中を曲げ、腰にブスリと注射されました。麻酔が効き始めると、産科医が尿カテーテルを挿入(軽い屈辱感と諦めを感じました)。

2. 麻酔医による、麻酔の効きのチェック。氷を身体の各所に当てられ、冷たく感じるかどうかを質問されました。効いていない部分があると、驚いたことに手術台の角度が変わり、効いていない部分が下がりました。
3. 開腹:主治医が登場し、手術開始。メスが入り、動いていくのは感じますが、痛みはなく、具体的に何がどうなっているのかは自分では全くわかりません。(私の場合は、お腹は横切りで、臍の下10cmのところを横に13cm切開されました。)
4. 長女誕生:「出るよ」という主治医の声に、医師・看護師達に緊張が走るのが分かりました。身体の左側がすっと軽くなり、ほどなくして産声が聞こえ、看護師が誕生の時間を読み上げました。新生児科医が赤ちゃんを抱き、私の顔のそばに近づけてくれました。「1番ちゃん」と呼ばれていた長女、誕生。2,442g。手術台での対面は2、3秒の短い間で、長女は別室に連れて行かれました。
5. 次女誕生:長女誕生から1分後、「出るよ」という主治医の掛け声と共に、今度は身体の右側がすっと軽くなり、主治医が二人目を取り出しました。2,566g。同じように新生児科医が「2番ちゃん」と呼ばれていた次女を連れてきてくれました。二度目で少し要領が分かった私は、次女の手を触り「よく来たね。」と声を掛けました。次女は別室からも聞こえるくらい、大きな声で泣いていました。その後、もう一度、身体が軽くなり、1,000gあった胎盤が取り出されました。二人を育ててくれた大きな胎盤、ありがとう。胎盤とも対面したかったのに、見せてもらえなかったのが今でも残念です。
6. 縫合:産科医2人が子宮や腹筋、腹膜などを順に縫合したようです。終わって身体を拭かれ、手術台からベッドに移され、病棟の部屋に戻って来たのは10時過ぎ。約1時間の手術でした。


手術の間、家族控え室で待っていた夫と息子と、後から駆けつけた私の母は、主治医から無事に手術が済んだことを聞き、一安心したそうです。私の手術、そして二人の妹の兄となった息子の精神的な安定のために、ニ、三日、私の実家に息子をお願いすることになり、夫は二人を実家まで送って行きました。

report_09_05_2.jpg

すやすや眠る、生まれたばかりの二人



辛い術後

本などにはあまり書かれていない、帝王切開の術後の体験記です。一言で言って、手術を甘く見ていました。

両脚には血栓予防の医療用ストッキングを履き、さらに自動でふくらはぎに圧力をかける血栓予防の装置を装着。腕からは点滴で、栄養分と子宮収縮促進剤を投与。手の指には自動で血中の酸素を測定する器具がついています。

看護師が頻繁に現れ、血圧を測定していきます。通常、最高血圧が100前後なのに、術後は150台まで上がってしまい、そのせいか、頻繁に血圧測定が行われました。

私は、仰向けに寝ています。しばらくは、寒くて身体が震え、毛布をかけてもらいました。足の先から少しずつ、麻酔がとけていきました。脚はできるだけ動かすように指示されました。血栓を防止するためだそうです。

上半身は普段と変わらず、すぐに携帯メールで職場や友人に出産が無事済んだ報告をし、安堵の気持ちの中で、うとうとと眠ったり起きたりしていました。

切った部分は徐々に傷みを感じるようになってきていましたが、手術から約6時間後、突如、鋭い痛みが私を襲いました。本当にいきなり、ズキーンと我慢しがたい痛みが押し寄せました。手術後、定期的に看護師が悪露交換や消毒をしてくれるのですが、直接身体に触れていなくても、看護師の手がつくる風(動く気配)が身体に当たっただけで、痛い。一旦痛みを感じると、身体に力が入ってしまい、自分でさらに痛みを呼び起こしてしまいます。6~8時間ごとに、痛み止めの座薬を入れてもらいました。

手術した日の夜、新生児室から双子達を連れてきてもらって対面。夫も病院に戻り、一緒に迎えました。約2,500gの小さな双子達。約9ヶ月、大切にお腹で育んできて、ようやくこの世に生まれ出た命。でも、術後の疲れと傷の痛み、そして、まだ産み終わったお腹を自分で見て触れていないので、どこかまだ、自分が産んだ実感がない私でした。帝王切開で生まれたので、頭の形はきれい、顔もつぶれていなくて整っていました。夫が長女のオムツを替えました。長女の人生初のウンチ(黒い胎便)は、パパがきれいにしてくれました。

手術した日は一晩中、引き続き一切の飲食は禁止。暑くて、喉が渇いて耐え難い。そんな時は、氷水でうがいをします。飲み込みたい衝動にかられながら、恨めしい気持ちで吐き出しました。

手術の次の日、腸が動いたことが確認でき、水分摂取が可能になりました。食事も昼から、重湯とスープで始まりました。さらに午後からは歩行訓練。早期離床した方が、血栓も防げ、傷の回復も促進されるそうです。病棟内のトイレまで歩けたら、尿カテーテルも抜いてもらうことが出来ます。

仰臥の体勢から、まずは起き上がります。自力では起き上がれず、ベッドのリクライニング装置を使ってようやく背を起こします。腕で身体を持ち上げるようにして、身体の角度を変えて、脚を床に着く。ここでまず激痛が貫いてくじけそうになる。立った瞬間、ズンとお腹に体重がかかり、想像以上の激痛に呻きながら、地球には重力があるということを実感しました。点滴台にすがるようにして、すり足でゾロリゾロリと数歩歩きましたが、貧血を起こして断念。2時間後、改めて挑戦し、約20m位先にあるトイレにようやく到着。ベッドに帰還し、尿カテーテルが抜かれました。ほっとした反面、トイレに行くためには、自力でトイレまで歩かなければならないのだと、少しドキドキしました。

食事は、夕食はおかゆ。術後2日目の昼から、ようやく通常食に戻りました。


report_09_05_3.jpg

手術後、初めての食事は、重湯と野菜スープから。二日ぶりの食事なのに、あまりにもまずくて、飲み干せなかった。


冷や汗をかき、お腹をかばいながら、それでも術後2日目からは歩いたり、授乳をしたりと通常の生活をします。術後8日目までは、鎮痛剤は常に飲んでいました。鎮痛剤は、術後1日目までは座薬でしたが、2日目からは内服薬に替わりました。

帝王切開の傷は、表面の傷だけでなく、子宮の傷の痛みのダブルの痛みを感じます。経産婦で双子を妊娠していた私は、大きくなった子宮が元に戻る時(後陣痛)に引き起こされる、子宮側の傷の痛みが耐え難く感じました。

術後2日目からは、母親としての仕事が始まります。不思議なことに、傷が痛くても、赤ちゃんを抱っこし、授乳をすると、その痛みを忘れられます。赤ちゃんがおっぱいを吸うと、その刺激で子宮がギューっと収縮し、傷も痛みますが、それすら赤ちゃんがおっぱいを吸えている証拠のようで、嬉しく感じるのです。術後4日目、ようやくシャワー浴が許可され、心身共にすっきりしました。術後5日目、傷の抜こう(傷を留めていたホチキスを抜く)があり、痛みも少しずつ和らいでいきました。(ホチキスは、記念に3個、もらいました。)

これまで入院していたハイリスク妊産婦病棟から、一般産科病棟の個室に移り、本格的に育児開始。双子の一人ずつと交代で母子同室、退院3日前から、いよいよ二人と母子同室を始めました(詳しくは、次回に書きます)。出産後は、マタニティブルーズといって、ホルモンの関係で、精神的に不安定になりやすいといわれます。私も、双子を育てる重圧感が突然胸に迫って動悸が激しくなったり、疲れているのに神経が高ぶって眠れなくなったりして、睡眠導入剤が処方されました。双子達を新生児室に預け、深く眠ると、体力が回復し、精神的にも安定しました。とにかく、「眠る」ことの大切さを実感しました。


傷が癒えるまで

術後9日目で私は退院しました。だからといって、傷が一足飛びによくなるわけではありません。重いもの(布団やゴミ袋など)は持たない、冷たい水には触らないなど、傷をかばって過ごします。雨天や寒い日などは、傷はしくしくと痛みました。悪露も量は少なくなっていきますが、産後3ヶ月くらいは続いていました。産院の医師に確認しましたが、帝王切開の場合、産後3ヶ月程度は続いて問題ないそうです。

産後は目を使ってはいけない、と言われます。私は、産後、テレビ・パソコン・携帯メールが一切使えなくなりました。画面を見ていると汗がどっと出てきて目がかすみ、吐き気がしてくるのです。でも、それも、身体の回復と共によくなってきて、産後3ヶ月ごろからは、少しずつ使えるようになってきました。

帝王切開の傷痕は、術後10ヶ月経った今は、ピンク色のみみずばれのような状態です。下着にこすれて、軽い痒みを感じることもあります。ちなみに、帝王切開の手術後、1年間は、妊娠は禁止と医師から言われました。

帝王切開で出産した人の中には、「自然分娩で産むことができなかった」と劣等感を感じたり、赤ちゃんに対して申し訳なさを感じたりする人がいると聞いたことがあります。帝王切開で、楽をして産んだと言われることもあります。しかし、私は、この傷あとこそは私と双子達の勲章であると胸を張って言いたいです。それに、前述のとおり、帝王切開は楽なお産ではありません。確かに陣痛はありませんが、術後は、自然分娩だった長男の時と比べて、圧倒的に大変でした。

振り返ってみると、突然の入院、夫と息子の奮闘、手術と、激動の40日間でしたが、家族全員で助け合って「戦った」いい思い出になりました。

report_09_05_5.jpg
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP