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36. 心の成長はシナプスとミエリンの成長

要旨:

今回は胎児期から成人まで脳が発達する概要について解説した。脳の成長は神経細胞の数ではなくその繋がり方、つまりネットワークの精巧さにも依存している。脳神経のネットワークはシナプスの増加と、不必要なシナプスの廃止、そして必要な軸索へのミエリン形成を行うことで作り上げられている。また、フレクシッヒの図版を引用して、胎児期から成人までの脳の髄鞘化の概要についても具体的に説明している。
前節では脳と神経細胞の構造を簡単に説明いたしました。今回は胎児期から成人まで脳が発達する概要について解説いたします。

私たちの脳神経は直径約0.1ミリメートルの卵子と長さ約0.06ミリメートルの精子が受精した後、約3週間後に胎芽の外側がくびれて出来る長さ約2ミリメートルの神経管から発生してきます。神経管の吻側には3つの膨留が形成され、それぞれ前脳・中脳・後脳と呼ばれます。受精後約5週になると神経管の先端に出来ていた膨留部がさらに分化し、前脳から終脳(大脳)と間脳が生まれ、中脳と後脳の間には顕著なくびれが形成され、この部分から将来小脳が発生します。この段階までの脳神経の発生過程は全哺乳類でほとんど差が無く、人の脳だけが特殊であることを示す兆候は何一つ存在しません。

受精後約7週で脊髄の神経細胞がほぼ出そろい、受精後約10週で指先まで伸びて筋肉を動かすことが出来るようになります。このころには胎児の外観もヒトらしい要素を多く備えるようになり、大脳と脊髄の比率も格段高くなってきます。その後胎生17週(妊娠4ヶ月の終わり)頃まで脳細胞は盛んに分裂増殖を繰り返し、大脳での神経細胞の数は約140億個と全生涯で最大の数にまで増加します。胎生20週頃からは脳幹部や脊髄の神経軸索がミエリン化を開始し、高速で安定した神経伝達が行えるようになり、母親は胎動を感じます。

ヒトの赤ちゃんの大脳の重さは出生時にはおよそ350gから400gですが、成人になる頃には1250gから1500gにまで約4倍の重さに成長します。しかし体重との比較では、出生児に3000gの赤ちゃんが成人して60kgになったとすると、20年間で約20倍になることから、脳ばかりが大きくなると言うわけではないのです。次に示したグラフは出生後の脳内の神経細胞(ニューロン)の数とシナプスの数の変化を表しています。グラフからわかることは、ニューロンの皮質内密度は生後半年間で急激に減少し、以後ゆっくりと減少します。頭蓋骨の成長による密度の低下を差し引いても、この期間にニューロン数が激しく減少することが読みとれます。しかし逆にシナプス数は生後1年間で1.5倍以上も増加して、3歳から4歳で人生の最高値を迎えます。それ以後は思春期までは急速に低下してから安定期に入り、60歳以降再び減少に転じていきます。


report_04_49_1.gifこれらの事実から推察できる事は、脳の成長は神経細胞の数ではなくその繋がり方、つまりネットワークの精巧さに依存しているということです。子どもは物覚えが早いと感じられるのは、実際の脳神経の発育にその根拠を見つける事が出来ます。脳神経のネットワークはシナプスの増加と、不必要なシナプスの廃止、そして必要な軸索へのミエリン形成を行うことで作り上げられていきます。脳のミエリン化の進み具合を研究したのはドイツのフレクシッヒ博士で、胎児期から成人までの脳の髄鞘化について報告しています。永江誠司先生は著書の中で繰り返しこのミエリン化プロセスの重要性に注目し、北大路書房刊「教育と脳」のなかに髄鞘化の詳しい順序の描かれた図表を引用しておられますが、ここでは解り易さを優先して、フレクシッヒによって発表された古い方の図版から、その概要だけを著者がまとめて彩色化した図版を提示いたします。

 

report_04_49_2.jpgreport_04_49_3.jpgフレクシッヒの研究の偉大な点は、脳という器官は全体が一律に成長するのではなく、各部分が一定の順序で成長してゆくことを明らかにしている点で、この観点から子どもの発達段階をもう一度見直せば、発達段階という現象は実際に脳内で起きているシナプス形成とミエリン化という生化学的、生理学的な変化に根ざしていることが良く理解できます。フレクシッヒの脳地図を詳細に見ますと、現在私たちが高次脳機能が行われている場所と考えているところは、「出生後から青年期まで長期間かけて髄鞘化が進行する」黄色い区域になっていることに気づきます。私たちの脳には生存を保障するための神経機構は生まれたときから既に備わっており、社会性や高次脳機能に関する神経回路は生後長い時間をかけて成長するように発育の順序が決められているのです。このことは第31回「発達段階という神話」の中で私が持った「本当に子どもの脳と心は階段状に発達するのか」という疑問に対する答えを提供しています。子どもたちの脳には遺伝的に決められた神経発達の順序が存在して、その順序に従って子どもの脳と心が発育していくということなのです。それは「心理学的に」階段状に積み上げられるピラミッド型の発達ではなく、また概念Aに引き続いて概念Bが導かれるという連鎖状の「論理学的」発達でもなく、人類の進化の中で環境によって規定されてきた遺伝子が、おそらく生後の環境との相互作用の中で順序正しく発現しながら、赤ちゃんの脳と神経システムが発達して心が発育していくのです。換言すればヒトの赤ちゃんと子どもの心の成長は、脳の中でのシナプスとミエリンの成長で説明されるとも言えるでしょう。

写真は研究室で脳標本を観察するPaul Flechsig博士(出典:wikipedia public domain)

report_04_49_4.jpgフレクシッヒの新しい方(1896年)の詳細なミエリン化進行モデル
report_04_49_5.jpg図版の提供をしていただきました、(株)集英社インターナショナル、(株)北大路書房の各社に心から謝意を表します。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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