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28. プロトスペシャリストとは

要旨:

前節「赤ちゃんが持って生まれる機能」のなかで「プロトスペシャリスト」という新しい用語が提示された。この節でプロトスペシャリストについてさらに詳しく解説した。プロトスペシャリストとは動物が生まれつき持っている神経回路のシステムで、一定の入力刺激に対して決まった反応を出力するいわば生存の前提条件のような生得的な神経回路のことである。今回はまずプロトスペシャリストについて大体の概念を説明した上で、次にプロトスペシャリストがなぜ場面を選んで機能して行動を決定するのかを紹介した。
前節「赤ちゃんが持って生まれる機能」のなかで「プロトスペシャリスト」という新しい用語を提示しましたので、この節でもう一度詳しく解説しようと思います。プロトスペシャリストとは動物が生まれつき持っている神経回路のシステムで、一定の入力刺激に対して決まった反応を出力するいわば生存の前提条件のような生得的な神経回路のことだと私は理解しています。この回路に含まれる入力と出力のセットは各種の動物で遺伝子レベルで規定されていて、眠る、目覚める、空腹を感じる、餌を探す、食べる、求愛する、巣を営む、生殖する、子育てする、といった自分自身の生存と種の保存に必要な情報が、あらかじめ脳神経回路に適切な時期に作られて実行されるように決められているのです。一般に「動物の本能」と呼ばれているこのような生得的な規定行動はその行動を起こさせる神経メカニズムが存在することを想定しなければ説明が出来ませんし、また生得的な情報が遺伝子内に書き込まれていなければ全ての子孫が同様の行動をとることも説明が出来ません。したがってプロトスペシャリストという用語を使う使わないは別として、このような遺伝的な神経回路が存在することには異論はないと思われます。

「空腹を感じると、泣いて母親を呼んで、乳を飲む」という哺乳類の新生児一般に見られる行動は、生得的なプロトスペシャリストによって規定されている訳です。このときに働く神経回路は一つではなく、空腹を感じるための神経回路、空腹を危機として警報を発する神経回路、警報を受け取ると泣き声を上げる回路、母親を匂いと体温で感じる神経回路、乳の匂いと温かさを感じる回路、乳を吸って飲む回路...その他にも幾つかの回路が共同で働くように、哺乳動物の遺伝子の中に書き込まれていると考えられるのです。上に述べた一つ一つの独立した回路のことをミンスキーは「エージェント」と言う名で呼んでいますが、ここでは単一の情報処理を行い、かつ汎用性のある(いろいろな場面に応じていろいろな情報処理の目的と過程に利用されうる)神経回路のことと解釈して、特別にエージェントとは呼ばないで書き進めます。用語の違いは棚上げして論説を進めますと、動物の脳神経回路は決まった仕事をする神経細胞の集団(モジュールとも呼ぶ)の間で相互に連絡が作られることによって、ある刺激入力に対しては決まった出力が出されるように機能します。そして自己保存と種の保存に重要な機能の一部は遺伝的に規定されていて、このような状態のそれぞれのかたまりをプロトスペシャリストと呼んでいるものと考えます。

プロトスペシャリストについて大体の概念は理解できたと思いますので、次にこのプロトスペシャリストがなぜ場面を選んで機能して行動を決定するのかを考えてみましょう。新生児が自己保存のために乳を飲むことが遺伝子に書き込まれていることは納得できたとしても、成長して成熟した身体になった時に初めて求愛行動や生殖行動を起こす事まで、どうやって生まれる前に規定しておくことが出来るのかという疑問が残ります。この疑問に答えるのはホルモンの働きです。ホルモンの多くは脳細胞の中に入り込んで、DNAのレベルで細胞の作用を強めたり弱めたりする事が出来ます。求愛や生殖に関するプロトスペシャリストは生まれつき脳の中に組み込まれている、あるいは脳の中で作られる準備が整っていて、性ホルモンの刺激が一定レベル以上持続したときに活動を始めるように規定されていると考えれば、このような種の保存に関するプロトスペシャリストが成熟後に発現するメカニズムが理解できると思います。

このようにプロトスペシャリストたちは生得的な神経モジュールをお互いに決まった目的と決まった結果に向かって共同作業させる指揮官的な作用を発揮するのですが、例えば求愛行動一つとってみても、全く同じ「愛してるよ」の一言しか言わないわけではなく、経験から学習してだんだん上達して上手にプロポーズできるようになり最後に良きパートナーと結ばれるように、高等な知能を持つ動物では、プロトスペシャリスト自身も遺伝子に書かれた以上の、より高度で上品な行動をとるように学習して記憶する能力を持っているのです。このことはピアジェの門下から異論を唱えたカミロフ・スミスが「人間発達の認知科学―精神のモジュール性を超えて」(小島康次・小林好和訳 ミネルヴァ書房刊 1997年)(原題 "Beyond Modularity: A Developmental Perspective on Cognitive Science (Learning, Development and Conceptual Change)" 1992)で提唱している、「モジュール理論とピアジェ理論の統合」という考え方にも良く整合しています。

動物が本能的な学習と記憶を発揮し始める時期は、それぞれ最適の開始時期に機能が開始されるように、性ホルモン等でコントロールされているのではないかと私は推測しています。さらに私は哺乳類等の子育て行動の脳神経回路的な基礎に、生得的なプロトスペシャリストが学習して記憶することが存在していると考えているのですが、そのことについては次回また説明いたします。

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(画像は本文とは関係がありません)
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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