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26. 赤ちゃんの記憶力について

要旨:

3歳以前の記憶を持ち続けている人はほとんどいないと言われている。このように幼い頃の記憶がない現象を3歳児健忘とか幼児期健忘と呼んでいる。しかし一方で、1歳頃に覚えたパパやママといった単語はほぼ一生に渡って使い続けるので、決して乳幼児に記憶力がないとは考えられない。著者は赤ちゃんが生まれてからのことを全部きちんと覚えていると考えている。今回は、著者のクリニックで経験したこと、6ヶ月頃にはかなりしっかりとした記憶が出来ることを書いた。
三島由紀夫の「仮面の告白」のなかには、自身が産湯につかっている情景を主人公が回想している場面が描かれていますが、もちろんフィクションの世界だけでの情景です。どんな天才でも赤ちゃんの頃のことを大人になって覚えている人はいません。それどころか3歳以前の記憶を持ち続けている人はほとんどいないと言われています。このように幼い頃の記憶がない現象を3歳児健忘とか幼児期健忘と呼んでいます。どうして幼い頃の記憶が無くなってしまうかについては諸説ありまして、記憶を定着させる機能が未熟であるとか、記憶の容量が小さいので、幼児期に作られた記憶が後から別の記憶に上書きされるので消えてしまうとか、さまざまな理由が考えられています。

しかし一方で、2歳前から覚え始める言葉について考えると、1歳頃に覚えたパパやママといった単語はほぼ一生に渡って使い続けます。決して乳幼児に記憶力がないとは考えられません。私は赤ちゃんは生まれてからのことを全部きちんと覚えていると考えています。ただし、現在のところまだ確かめる方法も考えつかない仮説ですので、科学の仲間には入れません。多くの人に夢を与えるただの夢物語の領域です。

さて、小児科医を20年ほど続けていますので、赤ちゃんとは言いませんが、6ヶ月頃にはかなりしっかりとした記憶が出来ることを今日は書こうと思います。私のクリニックでは診察室のあちこちに子どもに人気のキャラクターの絵が飾られています。首がすわって周囲が見渡せるようになると診察時には子どもをお母さん(またはお父さん)の膝の上に抱いてもらって、私と向かい合わせで診察をします。そしてほぼ毎回、赤ちゃんが診察者である私ときちんと視線と視線を合わせることが出来るか、私が喋りながら視線を右か左に向けると、同じ方向に赤ちゃんも視線を向けようとするか、私がニコッと歯を出して笑うと赤ちゃんも微笑み返すか、あるいは口の上についている大頬骨筋をキュッと収縮させているかなどを注意深く観察しています。これは診察を受けている赤ちゃんに視力の問題はないか、脳神経の発育発達に問題はないか、家庭ではストレスを受けずにすくすくと育っているかどうかを判定するために大変重要なことです。そして私と同じ方向を向いてくれたときは、身振り手振りを交えながら、アニメキャラクターの名前を呼んで真似をしたり、ワンワン、ニャンニャンと言葉を話したりしています。そして診察が終わって処方箋を書くと、それをクリアファイルに挟んで赤ちゃんに手渡して受け取るかどうかを確認しています。人間関係と所有概念の発達を診ているのです。

そうすると、次回1週間後の診察の時に、子どもが自分から先にキャラクターの方を眺めて、私に「この前のやつをもう一度やってくれ」と催促するようなポーズを取るのです。これは主観的判断が大いに入っていますので、科学的ではなく例の夢物語の延長になってしまいます。しかし、指さしが出来る月齢になると今度はもう夢物語とは言わせません。早い子どもでは8ヶ月前後で、キャラクターの方を腕または指でさして前回私がやった身振り手振りの一部を演じて見せたり、喃語でそれらしい発声をしたりも出来るのです。つまり、この月齢の子どもは既に1週間前の診察時に教えられたキャラクターの情報を、誰といつどのようにしたかと正確な記憶情報として覚えていたことになります。さらには私が処方箋を書き終わってクリアファイルに入れると、1歳前の乳児でも両手を差し伸べて「それをください」というポーズを取り、それを受け取ると嬉しそうにニッコリ微笑むのです。

このようないつどこで何をしたかの記憶はエピソード記憶と呼ばれて、1歳前の子どもが正確なエピソード記憶を作り、1週間もの間保持する能力があることはまだ殆ど研究されていません。主観的だからと無視せずに、この実験は追試験することが簡単ですので、この連載をご覧になっている発達心理学者の先生方が、追試験をしてくださるようにぜひお願いをしたいと希望しています。

赤ちゃんが生まれた瞬間から長期記憶を作る能力を持つことは、赤ちゃんが母親を他人と区別する能力を大変早く持つことからも推測できます。母親の匂いや声を覚える能力がなければ、赤ちゃんが母親を区別できるわけはありません。ですから赤ちゃんは常に親(養育者)を見つめて全部を記憶しながら発育していることを、私たちは子育ての現場で常に認識するべきだと考えています。

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(画像は本文とは関係がありません)

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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