『人間機械論』を提唱する著書には、フランスの哲学者であり医師であった、ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(1709-1751) が1747年37歳の時に亡命先で著した" L'homme-machine" 『人間機械論』(杉捷夫訳 岩波書店刊 1932年)があります。ラ・メトリはその著作で霊魂の存在を明確に否定し、デカルトの動物機械説を人間にも適用して、足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であると、100年近く前にデカルトが唱えていた人間を精神と肉体が結合した存在とみる、生命の二元論よりもはるかに機械論的な生命観を提唱しました。ただ、彼の著作物の表題だけを追って見るならば、翌年の1748年には『喘息論 Un traite de l'Asthme 』『改宗した外科医 Le Chirurgien Converti 』『人間植物論L'Homme-Plante』『機械以上の人間 L'Homme plus que Machine 』『反セネカ論、幸福論 Anti-Seneque ou discours sur le bonheur』と5編の著作があり、医師でもあったラ・メトリが人間=機械と考えていたと、短絡的に結びつけるのにも疑問が残ります。私は個人的には『機械以上の人間 L'Homme plus que Machine 』を読んでみたいのですが、残念ながらフランス語は全く読めないので、翻訳のない現状では読むことが叶いません。
20世紀に生まれた人間機械論は、ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener,1894-1964) が一般知識層向けに書いた"The Human Use of Human Beings"(『人間機械論―サイバネテイックスと社会』池原止戈夫訳 みすず書房刊 1954年) があります。サイバネティックスの父、ノーバート・ウィーナーは、9歳でハイスクールに特別入学し14歳でハーヴァード大学に入学、18歳で数理論理学の論文で学位をとってイギリスに渡り、ケンブリッジ大学でバートランド・ラッセルから数理哲学を学んだ逸才です。帰米して1919 年24歳のときに、マサチューセッツ工科大学(MIT)数学科の講師、34年以後同大学の数学教授となりました。1930年頃から神経生理学者と共同研究し、計算機械も生物における神経系も同じ構造をもつことを考案し、その数学的論理としてサイバネティックスを創始しました。第二次世界大戦中の射撃制御装置に関する研究は、通信理論を総合し、サイバネティックスを定式化することを促しました。戦後、彼はウォーレン・マカロックやウォルター・ピッツらの人工知能、計算機科学、神経心理学の分野における当時最も優れた研究者の幾人かをMITに招き、サイバネティックス、ロボティクスやオートメーションなどの分野で新たな境地を開拓し続けました。彼は幅広い研究において才能を発揮し続け、また彼の理論と発見を他の研究者と自由に共有しました。
この節で人間機械論を取り上げた理由は、現代の脳科学では、脳の中に表象(脳内イメージ) が存在して、表象の操作により人が考えたり行動したりするのだという、脳の認知は神経細胞が「表象」を処理する物理化学的過程に帰依できると考える「表象認知主義」が主流になっているからです。この表象認知論の発展は、コンピューター理論の発展と平行して、人工頭脳の発展の影響を強く受けていると思います。そして人間機械論が最高潮に達するのは、ドイツの脳科学者、G ・ロートが、「私ではなく、脳がそう決断する」と断った上で、「意志の自由は幻想にすぎない」と最新の脳科学の知見に基づき、人間の行動は無意識の脳のプロセスによって決定されていると、意志の自由の存在を否定しているというものです。(意思と意志の差については、この連載中では今のところ明確には区別していませんが、意志は意思に比べてより行為に近い概念であると著者は感じています。)
人間の脳は本当に「電気仕掛けの考える機械」なのでしょうか?認知脳科学については今後の記事の中でまた考えていきましょう。

ロダンの『考える人』は静岡県立美術館に所蔵されています。本稿で使用した画像は、静岡県立美術館のCRNでの使用許可を得て提供を受けました。ここに謝意を表します。
静岡県立美術館ホームページ http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/