CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 子ども未来紀行~学際的な研究・レポート・エッセイ~ > 人間関係―生まれもった性的指向を受け入れる

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

人間関係―生まれもった性的指向を受け入れる

要旨:

充実した幸福な人生を送るためには、人は自分自身を受け入れなければならない。これには、人が生まれながらに持つ性的指向を受け入れることも含まれる。社会が普通とみなしているものと違うとして差別するようなことがあれば、彼らは精神的な傷を受ける。子どもたちの保護者あるいは見守る者として、私達は考え方を改めて“ホモフィリア(同性愛)”*1に対する差別をなくすよう取り組むことができる。
English
保護者としての目標

私達は、子どもたちが充実した幸福な人生を送ることができるよう望んでいる。これは自分を尊重すること、つまり身体的・心理的特徴を含めて自分自身を受け入れるとともに、生物学的な性的指向を受け入れることを意味する。性的指向は、人が愛情、愛着、親密さの欲求を満たすために他人と築く人間関係と関連しており、共通の目標、価値観、支援、献身のような性と関係のない結びつきも含まれる。人間の性的指向は、異性愛、両性愛、同性愛、無性愛の4種類に分類される。それぞれの分類の規模について確実なデータを得るのは難しい。

入手できるデータ

同性愛関係はしばしば隠されており、しかも多くの場合、同性愛者は自身を"ホモセクシャル"、"ゲイ"、"レズビアン"、"ホモフィリア"という用語と結び付けて考えていないため(この4者の中の比較では、性行為に限らないもっと広い意味の結びつきを表す言葉としてホモフィリアが好まれている*1)、いかなる地域社会についても同性愛者人口に関する信頼できるデータは入手できない。同性間の行為は人口の2〜10%で行われていると推定される。

同性愛は中東、アフリカ、アジア、カリブ海、南太平洋のいくつかの国で違法とされており、地域によっては懲役刑あるいは禁錮刑に処せられる。サウジアラビア、イラン、モーリタニア、ナイジェリア北部、スーダン、イエメンでは死刑に相当する。

同性愛は、1932年にポーランドで、1933年にデンマークで、1944年にスウェーデンで、1967年にイギリスで、2009年にインドで犯罪とみなされるようなことはなくなった。1973年に米国精神医学会によって『精神障害の診断と統計の手引き(DSM)』から同性愛が削除され、多くの国で雇用、住居、サービスにおける性的指向に基づく差別の禁止が法制化された。現在、米軍の「聞かざる・言わざる」政策の廃止やアルゼンチン、ベルギー、カナダ、デンマーク、アイスランド、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、アメリカの7つの州、特別区、インディアン居留地における同性間の関係や結婚の合法化などからか、自分の性的指向を公にする人が増えている。

原因

性的指向について研究している科学者や専門医は、性的指向は選択できるものではないと考えている。英国王立精神医学会は2007年に次のように述べた。「100年近くにわたって精神分析的および心理学的仮説が立てられてきたが、しつけの質や幼児期の経験が個人の基本的な異性愛または同性愛の指向の形成に影響を及ぼすという説を裏付ける実質的証拠は見出されていない。性的指向は、遺伝的要因と初期の子宮環境との複雑な相互作用によって決定される、生物学的な性質のものと考えられる。したがって、性的指向は選択できるものではない。」米国心理学会、米国精神医学会、全米ソーシャルワーカー協会、米国小児科学会も同様の結論を述べている。Garcia-FalguerasとSwaabは2010年の研究の要旨において次のように述べている。「胎児の脳は、発達中の神経細胞が子宮内でテストステロンに曝されるとのその直接作用を受けて男性化する。一方、このホルモンに大量に曝されることがない場合は女性化する。このように私達の性同一性(男女のどの性別に属するかという性の自己意識)や性的指向は、まだ子宮にいる間に脳構造にプログラムまたは組織化される。生後の社会環境が性同一性や性的指向に影響することを裏付ける証拠はない。」*2

以下は、ホモフィリアに対する差別に人生を左右された人々の話である。

ジェイソン(Jason)

ジェイソンは地元のカフェでテーブルを挟んで私に向かい、同性愛者の若者の生き方についての問いに答えてくれた。

ジェイソン:10代の頃、シャツを脱いだ男性を見かけると、眺めていたくなりました。かっこいい筋肉だな!と。自分のこういう興味を変わっているとは思いませんでした。「ゲイ」という言葉は知っていましたが、自分は当てはまらないと思っていました。ところがある日、家族とテレビのダンスショーを見ていたときです。出演者のダンスの上手さや見た目についてコメントし合っていると、誰かが「彼は多分ゲイだな」と言いました。その時、突然分かったのです。それは自分のことだと。すごく嫌な気分になりました。恐怖と不安を覚えました。僕は教会に通っていて、神の教えに従って生きる厳格なクリスチャンになるように育てられていたからです。僕は罪を憎んでいました。同性愛は神によって治癒できる問題だと言われました。僕がこの「問題」に取り組んで異性愛者になるよう努力することを条件に、教会は理解してくれました。これは実現不可能な期待で、まるで脅迫のようでした。僕は宗教にのめり込み、聖書神学校に行って牧師になろうと考えました。

この頃18歳だった僕は、数人の友達に自分のことを打ち明けるようになりました。友達は、僕は変われると言ってくれました。僕が独特の手振りをすると、「ゲイみたいだからやめなよ」と言って止めるのです。僕は自分の一つ一つの動作や喋り方をすごく気にするようになりました。20歳になった時、家族に打ち明けました。母は、同性愛は罪だ、僕には救いが必要だと言い、姉は精神的な支援が必要だと考えました。祖父は、僕は地獄に落ちるだろうと言いました。ホームドクターの診察を受けると、「ショック療法で治癒できる」と言われました。1年半くらいの間、すごく孤独を感じながら過ごしました。それまでとても仲が良かった兄は、僕の身に起きたことを聞こうとしませんでした。もはや誰も僕のことを気にかけてくれなくなりました。自分の一生が苦しい闘いになるように感じられました。母にあなたは一体どうなるのかしらと言われると、「いつかボーイフレンドと結婚して養子をとり、母さんが期待しているような人生を送るよ」と答えました。

遠くに住んでいて、めったに会えない祖母には、告白するのが最後になってしまいました。祖母は「私があなたのどこが好きかわかる?いつも正直なところよ。気をつけなさい、その世界は危険だから」と言ってくれました。僕を気遣ってくれたのです。祖母の受容の言葉こそ、僕が最も必要としていたものでした。21歳の時にボーイフレンドと暮らすために家を出ましたが、肺炎にかかって戻らざるをえませんでした。3、4日で15ポンド(6.8kg)も体重が減りました。天罰だと言われ、最初はとても傷つきましたが、その後怒りがこみあげてきました。僕が同性愛者であることに言いがかりをつけてくる人がいると、罵ってやりました。大学に入って学位を取り、Pride Peel Regionという団体で友達を作りました。3、4年かけて、僕はやっと自分がどんな人間であるかを受け入れることができたのです。今では家族も僕を受け入れてくれるようになり、これまで交際してきたボーイフレンドをみな快く迎えてくれます。母は「気にしないわ。あなたは私の息子であることに変わりないもの」と言っています。

イーディス(Edith)

私の友人イーディスは、彼女のとても魅力的なお嬢さんスー(Sue)のことで悩んでいると打ち明けてくれた。

ガールフレンドと長く一緒に暮らしているスーには、ケン(Ken)という友達がいます。ケンとは、スーと同じ高校に通っていたときから家族ぐるみの付き合いをしています。ケンはいつも、僕はいつかスーと結婚するんだ、と私に言っていました。スーは笑っていましたが、時折、ケンと結婚したらどうなるかしらと疑問を口にすることもありました。私はスーが同性愛者であることに気づいていたので、二人に結婚生活はうまくいかないだろうと言いました。でもある日、スーが電話をかけてきて、ケンと駆け落ちをしたと言うのです。私は信じられず、頭を振りました。二人が一緒に過ごしたのはたった1週間ほどで、その後スーはガールフレンドの元に戻りました。実はスーは妊娠していたのですが、それでも離婚を申し立てました。子どもをめぐって裁判沙汰となり、スーは「母親として不適格である」と言い渡されました。生まれたばかりの娘の親権を失ったスーは、私からの援助が足りなかったせいだと私を責めて、口をきこうとせず立ち寄りもしなくなりました。ケンは私を赤ちゃんに会わせてくれますが、全員が不幸になりました。

私はイーディスの体験談を聞いて思った。どれほど多くの同性愛者が、自分の性的指向を受け入れられない、自分は変われる、異性との結婚生活を社会から求められている、などと考えて異性と結婚し、その結果自身や家族を不幸にするのだろうか。

チャールズ(Charles)

チャールズは、1971年に6歳だった頃から、理由もよく分からずにいじめられていた。先生や彼にとって偉い立場にある人達からもいじめを受けることがあったと言う。10代の頃、サル・ミネオ(Sal Mineo)がプレイトウ(Plato)という役で助演した映画『理由なき反抗』を観た。チャールズは、ミネオのような友達が欲しいと思った。同性愛者であるという言及は映画の中にないものの、ミネオは主演のジェームス・ディーン(James Dean)がガールフレンドを見つめるような眼差しをディーンに向けていると言われていた。ミネオは後に、自分は10代の同性愛者を演じた最初の俳優だと述べている。チャールズは大人になって改めてこの映画を見た時、高校時代に自分がされていたのと同じように、映画の中でミネオが演じる若者が疎外されていることに気づき、それで自分と似た者と友達になりたいと思ったのだと気付いた。両親の離婚が、自分の求める人間関係の種類を決定づけたという。「でも、昔の話です」とチャールズは言った。彼は長年、内縁のパートナーと同居している。

上記のインタビューでは、家族を保護するため、数人の人物の名前を変えている。

父親の話

カナダでは、毎年約500人の若者が自殺している。オタワ市議会議員であるアラン・ハブリー(Allan Hubley)は、2011年に亡くなった息子のジェイミー(Jamie)を忘れて欲しくないという思いから、彼を自殺に追いやった差別を根絶しようとしている。ジェイミーは15歳、10年生でフィギュアスケート選手だった。聖歌隊メンバーで、家族から愛されていたが、学校やインターネットで何年間にもわたって同性愛者であることを中傷され、鬱病に苦しんでいた。7年生の時にはクラスメートがジェイミーの口に乾電池を無理やり詰め込もうとした。彼の遺書には「とても辛いです。ごめんなさい。もう耐えられません。」と書かれていた。*3

研究

「自殺者の数は毎年34,000人を超える。15~24歳の死因の第3位が自殺であり、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルの若者による自殺企図は同年代の異性愛者の4倍にのぼる。」研究*4によると、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の学生は、学校生活に不安を覚えており、うち90%はこの1年以内に嫌がらせや暴行の被害に遭ったと報告している。彼らは退学やドラッグの常用といった状態に陥りやすく、ストレスは癌、心臓病、精神障害、鬱病の引き金にもなる。

結論

保護者は、若者が同性愛者または異性愛者としての自分の性的指向を受け入れられるよう支援することができる。いじめを認識し、阻止することができる。ホモフィリアをテーマに話し合うことで、多くの人々を傷つける差別の根絶を促進できる。


参考文献
筆者プロフィール
Marlene_Ritchie.jpgマレーネ・リッチー(旧姓アーチャー)

アメリカ、日本、中国で教壇に立つ。看護師として働く一方、入院中の子どもたちの医療以外のニーズに応えるEmma N. Plank of the Child Life and Education Programを立ち上げた副設立者。トロントの競売会社Ritchiesの共同設立者でもある。多岐にわたる以上の経験と、オハイオ州の小さな町で育った経験、母としての経験をもとに執筆活動をしている。現在、フリーランスライター兼チューター。カナダ、トロント在住。過去8年間CRNに寄稿。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP