四層構造とペッキングオーダーの比較
四層構造理論(森田・清永、1986)によれば、いじめの場面は四種類の人間で構成されます。それは、いじめられる人、いじめる人、はやしたてる観衆、無関心な傍観者です。前回の記事で述べた鹿川君のお葬式ごっこも、同じ構造でした。こうしたタイプのいじめは、日本では珍しくないですが、国際的には必ずしも一般的ではありません。
四層構造理論(森田・清永、1986)によれば、いじめの場面は四種類の人間で構成されます。それは、いじめられる人、いじめる人、はやしたてる観衆、無関心な傍観者です。前回の記事で述べた鹿川君のお葬式ごっこも、同じ構造でした。こうしたタイプのいじめは、日本では珍しくないですが、国際的には必ずしも一般的ではありません。
以前、ウィスコンシン大学のミルウォーキー校で、若者と暴力を異文化間で比較する国際シンポジウムがありました。シンポジウムで取り上げられた暴力の種類の中にはいじめも含まれ、日本のいじめについては筆者が発表し、アメリカ、ドイツのいじめについてもそれぞれの国の研究者が発表しました。このシンポジウムの内容は、社会学の専門書のシリーズの一冊としてアメリカで出版されています(Watts, 1998)。そこで、主催者である社会学者メレディス・ワッツ氏の、いじめについて三ヶ国を比較したコメントが興味深いので、紹介します。
まず、日本のいじめの基本的パターンの一つとして四層構造があるのに対して、アメリカやドイツのいじめは力の強いものが弱いものを攻撃するという、ペッキングオーダー(pecking order)で理解できるというのです。ペッキングオーダーとは、直訳すれば、突っつき順位のことです。ニワトリなどがエサを食べるとき、強いものが満腹になるまでエサを占有し、下位のニワトリが食べに来ても、突っついて追い払ってしまうため、上位のニワトリから順にエサを食べることになります。ニワトリやサルなどの群れには、こうしたペッキングオーダーが存在します。
例えばYouTubeで"pecking order"と検索して出てくるもののうち、ある動画では、ニワトリが群れの中で自分の順位を上げる行動が見られます。首の長い茶色いニワトリの攻撃に対して、元の順位が上のニワトリは、最初は反撃しますが、次第に反撃しなくなり、逃げるようになると順位の入れ替わりが確定します。このように、常により強い者が、より弱いものの上に立つ序列がペッキングオーダーです。
ペッキングオーダー型のいじめは、ちょうど『ドラえもん』のジャイアンが行ういじめのように、より力の強いものが弱いものを攻撃するもので、無視や仲間外れといった集団内の人間関係から除外する日本的ないじめとは性質が異なります。そもそもいじめに該当する英語はbullyingであり、雄牛(bull)が猛り狂い攻撃するというイメージです。このことと符号するように、アメリカでいじめの調査をすると、いじめというよりも暴力の調査のような結果が出やすいといいます。ドイツではさらに、男子による男子への暴力が典型的ないじめとして出てきます。先述のYouTubeの動画のタイトルも、"Bully chicken redefines pecking order"(いじめっ子のニワトリが突っつき順位を変える)です。
このようなことから推察されるように、集団内の人間関係からの除外などの関係性攻撃が与える心理的なダメージの度合いには、文化も影響します。アメリカやドイツなどの場合は、基本的な人間関係が相互に独立的であるため、周囲に同調して空気を読んだり、自分を抑えて周囲に妥協することは日本ほど多くはないでしょう。日本に四層構造理論があてはまりやすいのは、こうした集団内の同調のメカニズムがあるからではないかと考えられます。ちなみに、YouTubeで"bullying"と検索して出てくる動画の中には、平和でのんびりしたイメージの、ヤギのいじめ"goat bullies are like students who bully"もあります。こちらはむしろ、いじめられるヤギ、いじめるヤギたち、傍観するヤギ、無関心なヤギと、むしろ四層構造理論が当てはまるように見えます。
タテマエとホンネ
このことは、いじめの場面を見たときに止めに入るか傍観するかという反応の文化差にも現れます。アメリカなどのような多民族・多文化社会の場合は、日本のようにホンネを全体で共有するのが難しく、タテマエのルールで動かないと成り立ちにくい社会でもあるため、「いじめはいけない」というタテマエが通りやすく、いじめを見たときに、止めに入るといじめが止むことも多くあります。それは、いじめはいけないことであるというタテマエが、そのまま共有されているからです。
それに対して、相互協調的な性質をもつ日本社会では、いじめを見たときに、空気を読み、また報復を恐れて、止めに入る子どもが少ない傾向があります。空気とは、必ずしも言葉では明言されないけれども、その場の集団に共有されたホンネだと言えます。いじめを行うことを是とする「空気」がその場にできあがり、いじめをやめさせようとする行為は、その空気を乱す行為として制裁を受けるというパターンを学習しているため、止めに入らない子どもの割合は、年齢に比例して増加します。
それでは、こうしたパターンは、いつ頃に学習されるのでしょうか。私は、次に述べるように、10歳くらいであると考えています。
発達曲線をたどると、思いやり行動(困っている人を助けるなど)は、小学4年生を過ぎたあたりから中学2年生くらいまでの時期に低下する傾向があります。この時期といじめの多発期が一致しているのは、偶然ではないと考えます。
小学校4年生くらいまでは、親や教師などの大人が提示するルールが絶対的ですが、小学校4年生を過ぎるあたりから、次第に仲間内のホンネを意識するようになり、タテマエ的には望ましい行動でも、「空気」として意識される仲間内のホンネに反すると、望ましい行動を自粛するようになるのです。
一方、アメリカのような多文化社会では、いじめが起きたときに誰が止めに入ってもいじめが止まりやすいといえます。実際に、「いじめを見たら止めに入りますか」という質問に対して、「はい」と答える子どもの割合は日本と異なり年齢に応じて直線的に増える傾向があります。
自己防衛の違い
自己防衛が集団主義的か個人主義的かの違いも、いじめへの反応にも表れていると解釈できます。
1995年ころに、当時の文部省が国際シンポジウムを開催し、1970年代からいじめの研究をしているノルウェーのダン・オルベウス教授らが招かれました。そこでは、もっとも種類が多いのが、悪口やからかいであること、悪口やからかいの内容も、例えば「バイキン(英語ではvirus)」という言葉が使われる場合があるなど、国際的にも共通点が多いことが確認されました。また、いじめを大人の目から隠したり、クラス内でいじめの合意作りをするためには、いじめる子に人気があったり社会的スキルが高かったりする必要もあります。日本でもカナダでもいじめる子の特徴として、クラスでも人気があり社会的スキルも高い、という傾向がいくつかの調査で共通してみられます。
一方で、相違点もあります。相違点が生じる原因には、社会構造の違いや、文化の違いなどが考えられます。それらの違いは、いじめられたときの反応の違いとしても現れると考えられます。この反応の違いの背景には、いじめられたときの受け止め方、つまり、いじめられたら自分が悪いと思うか、いじめた相手が悪いと思うかの文化差があります。後者の、自分をいじめる相手が悪いと考える文化では、いじめへの反応として復讐がテーマになるでしょうが、前者の、いじめられる自分が悪いと思う文化では、いじめで心理的に追い詰められたときに、うつや不登校、引きこもり、自殺などの自己否定的な反応を示しやすいと考えられます。
また、いずれの文化でも自尊心は大切ですが、自尊心の保ち方や性質には違いがあることが示唆されています。前述の例で言えば、後者の文化では、自尊心は自分で保つものであり、いじめのような外部からの攻撃は、自らブロックするものという考え方があります。
そのような文化的背景からすると、日本のようにふだん守り合うべき関係の仲間からの攻撃が、自己の内面深くまで傷つけることは想像に難くないでしょう。このように、仲間と相互に守り合うような、集団主義的な自己防衛のスタイルの文化では、いじめのダメージがより深刻化しやすいと考えられるのです。
次回は、学級での教師のリーダーシップといじめの関係について述べたいと思います。
参考文献
M. W. Watts (1998) Cross-Cultural Perspectives on Youth and Violence. Contemporary Studies in Sociology, Vol.18, JAI Press.
森田洋司・清永賢二 (1986年)『いじめ―教室の病い』、金子書房
まず、日本のいじめの基本的パターンの一つとして四層構造があるのに対して、アメリカやドイツのいじめは力の強いものが弱いものを攻撃するという、ペッキングオーダー(pecking order)で理解できるというのです。ペッキングオーダーとは、直訳すれば、突っつき順位のことです。ニワトリなどがエサを食べるとき、強いものが満腹になるまでエサを占有し、下位のニワトリが食べに来ても、突っついて追い払ってしまうため、上位のニワトリから順にエサを食べることになります。ニワトリやサルなどの群れには、こうしたペッキングオーダーが存在します。
例えばYouTubeで"pecking order"と検索して出てくるもののうち、ある動画では、ニワトリが群れの中で自分の順位を上げる行動が見られます。首の長い茶色いニワトリの攻撃に対して、元の順位が上のニワトリは、最初は反撃しますが、次第に反撃しなくなり、逃げるようになると順位の入れ替わりが確定します。このように、常により強い者が、より弱いものの上に立つ序列がペッキングオーダーです。
ペッキングオーダー型のいじめは、ちょうど『ドラえもん』のジャイアンが行ういじめのように、より力の強いものが弱いものを攻撃するもので、無視や仲間外れといった集団内の人間関係から除外する日本的ないじめとは性質が異なります。そもそもいじめに該当する英語はbullyingであり、雄牛(bull)が猛り狂い攻撃するというイメージです。このことと符号するように、アメリカでいじめの調査をすると、いじめというよりも暴力の調査のような結果が出やすいといいます。ドイツではさらに、男子による男子への暴力が典型的ないじめとして出てきます。先述のYouTubeの動画のタイトルも、"Bully chicken redefines pecking order"(いじめっ子のニワトリが突っつき順位を変える)です。
このようなことから推察されるように、集団内の人間関係からの除外などの関係性攻撃が与える心理的なダメージの度合いには、文化も影響します。アメリカやドイツなどの場合は、基本的な人間関係が相互に独立的であるため、周囲に同調して空気を読んだり、自分を抑えて周囲に妥協することは日本ほど多くはないでしょう。日本に四層構造理論があてはまりやすいのは、こうした集団内の同調のメカニズムがあるからではないかと考えられます。ちなみに、YouTubeで"bullying"と検索して出てくる動画の中には、平和でのんびりしたイメージの、ヤギのいじめ"goat bullies are like students who bully"もあります。こちらはむしろ、いじめられるヤギ、いじめるヤギたち、傍観するヤギ、無関心なヤギと、むしろ四層構造理論が当てはまるように見えます。
タテマエとホンネ
このことは、いじめの場面を見たときに止めに入るか傍観するかという反応の文化差にも現れます。アメリカなどのような多民族・多文化社会の場合は、日本のようにホンネを全体で共有するのが難しく、タテマエのルールで動かないと成り立ちにくい社会でもあるため、「いじめはいけない」というタテマエが通りやすく、いじめを見たときに、止めに入るといじめが止むことも多くあります。それは、いじめはいけないことであるというタテマエが、そのまま共有されているからです。
それに対して、相互協調的な性質をもつ日本社会では、いじめを見たときに、空気を読み、また報復を恐れて、止めに入る子どもが少ない傾向があります。空気とは、必ずしも言葉では明言されないけれども、その場の集団に共有されたホンネだと言えます。いじめを行うことを是とする「空気」がその場にできあがり、いじめをやめさせようとする行為は、その空気を乱す行為として制裁を受けるというパターンを学習しているため、止めに入らない子どもの割合は、年齢に比例して増加します。
それでは、こうしたパターンは、いつ頃に学習されるのでしょうか。私は、次に述べるように、10歳くらいであると考えています。
発達曲線をたどると、思いやり行動(困っている人を助けるなど)は、小学4年生を過ぎたあたりから中学2年生くらいまでの時期に低下する傾向があります。この時期といじめの多発期が一致しているのは、偶然ではないと考えます。
小学校4年生くらいまでは、親や教師などの大人が提示するルールが絶対的ですが、小学校4年生を過ぎるあたりから、次第に仲間内のホンネを意識するようになり、タテマエ的には望ましい行動でも、「空気」として意識される仲間内のホンネに反すると、望ましい行動を自粛するようになるのです。
一方、アメリカのような多文化社会では、いじめが起きたときに誰が止めに入ってもいじめが止まりやすいといえます。実際に、「いじめを見たら止めに入りますか」という質問に対して、「はい」と答える子どもの割合は日本と異なり年齢に応じて直線的に増える傾向があります。
自己防衛の違い
自己防衛が集団主義的か個人主義的かの違いも、いじめへの反応にも表れていると解釈できます。
1995年ころに、当時の文部省が国際シンポジウムを開催し、1970年代からいじめの研究をしているノルウェーのダン・オルベウス教授らが招かれました。そこでは、もっとも種類が多いのが、悪口やからかいであること、悪口やからかいの内容も、例えば「バイキン(英語ではvirus)」という言葉が使われる場合があるなど、国際的にも共通点が多いことが確認されました。また、いじめを大人の目から隠したり、クラス内でいじめの合意作りをするためには、いじめる子に人気があったり社会的スキルが高かったりする必要もあります。日本でもカナダでもいじめる子の特徴として、クラスでも人気があり社会的スキルも高い、という傾向がいくつかの調査で共通してみられます。
一方で、相違点もあります。相違点が生じる原因には、社会構造の違いや、文化の違いなどが考えられます。それらの違いは、いじめられたときの反応の違いとしても現れると考えられます。この反応の違いの背景には、いじめられたときの受け止め方、つまり、いじめられたら自分が悪いと思うか、いじめた相手が悪いと思うかの文化差があります。後者の、自分をいじめる相手が悪いと考える文化では、いじめへの反応として復讐がテーマになるでしょうが、前者の、いじめられる自分が悪いと思う文化では、いじめで心理的に追い詰められたときに、うつや不登校、引きこもり、自殺などの自己否定的な反応を示しやすいと考えられます。
また、いずれの文化でも自尊心は大切ですが、自尊心の保ち方や性質には違いがあることが示唆されています。前述の例で言えば、後者の文化では、自尊心は自分で保つものであり、いじめのような外部からの攻撃は、自らブロックするものという考え方があります。
そのような文化的背景からすると、日本のようにふだん守り合うべき関係の仲間からの攻撃が、自己の内面深くまで傷つけることは想像に難くないでしょう。このように、仲間と相互に守り合うような、集団主義的な自己防衛のスタイルの文化では、いじめのダメージがより深刻化しやすいと考えられるのです。
次回は、学級での教師のリーダーシップといじめの関係について述べたいと思います。
参考文献
M. W. Watts (1998) Cross-Cultural Perspectives on Youth and Violence. Contemporary Studies in Sociology, Vol.18, JAI Press.
森田洋司・清永賢二 (1986年)『いじめ―教室の病い』、金子書房
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