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続・霊長研拾遺物語:クレオの成長と次世代の繁殖

要旨:

チンパンジー母子の発達を追いかける中で見つけた、論文にはならないけれどもとても興味深いエピソードについて紹介する。一つ目は「自然発生」した道具使用のお話、二つ目はチンパンジーの子どもとの間の「物々交換」のお話、そして最後は、「跳ぶべきか跳ばざるべきか」というお話。ここで紹介したクレオという女の子ももう12歳。今、研究所では次世代の繁殖にむけてのプロジェクトが動き始めている。

前回の霊長研拾遺物語から1年以上も経ってしまった。本当はもう少し早く続編を書くつもりだったのだが、諸事に追われてここまでずれ込んでしまった。前回紹介したクレオやアユム、パルは12歳を超えた。去年(2012年)彼らは年男、年女だった。

この1年の間に、京都大学霊長類研究所も大きく様変わりした。新たに大規模なケージ設備が2棟設置された。ともに13mから16mという高さを誇る。この中でチンパンジーたちは24時間自由に過ごすことができる。金網でおおわれているのは、3.11以降の要請を受けての耐震対策のためだけではなく、この空間をより立体的に活用できるようにするためでもある。

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京都大学霊長類研究所に新しく設置された2棟の大型ケージ設備

チンパンジーたちは、従来の屋外運動場とこの2棟の大型ケージ設備の間を自由に往来できる。そのことによって、これまでは不可能だった、彼ら自身による生活環境の自主的な選択が可能となる。野生のチンパンジーは大きなコミュニティを形成しているが、その時々に応じて少ない個体数のサブグループを自在に形成する。集まっては離れる、離合集散型の社会が彼らの特徴なのだ。しかし、飼育環境ではこのような離合集散を可能にする施設は皆無に等しい。2011年の8月に京都大学に移管された熊本サンクチュアリ(旧チンパンジー・サンクチュアリ・宇土)では、人為的に集団構成を入れ替えるという形で離合集散を実現している。この成功をさらに一歩前に進める形で、犬山の京大霊長研では3つの飼育エリアをつなぐことによってチンパンジーたち自身に自発的に離合集散をしてもらおうと計画中である。

研究のスタイルも大きく変わろうとしている。これまでは、それぞれのチンパンジーの名前を呼んで(呼ぶとやってくる。彼らは自分の「名前」をわかっている。)、そのチンパンジーを居室-廊下及び天井の通路-実験室の順に誘導して、室内の実験ブースでコンピュータ課題に従事してもらってきた。このスタイルは今後も引き続き継続していくだろう。しかし、今後は先の大型ケージ設備に隣接する実験スペースに設置されたコンピュータパネルで、いつでも好きな時に好きな場所で実験できるようにした。来たい時にモニタの前にやってきて課題をこなし、正解すれば少しだがごほうびのリンゴ片ももらえる。ケンカが起こればそこに馳せ参じ、ほとぼりがさめると、今度は別のモニタの前で課題を続ける。どのモニタに誰が来ているかは、ビデオカメラを通して顔を認識し、自動的に顔を識別するシステムによってわかるようになっている。おもしろいことに、個別の実験室での勉強に「ついてこられない」チンパンジーたちが喜んでこの装置を占有している。成績は悪くとも何かをするということが彼らにとってはとても楽しいことなのだろう。このシステムが本格的に稼働し始めると、チンパンジーたちの環境ががらりと変わるだけでなく、研究者側の環境も大きく変わっていくだろう。

※チンパンジーたちの様子は、霊長研HPの「チンパンジー・アイとその仲間たち」でご覧になれます。

さて、現在のお話はこのくらいにして、前回の続きを少し。クレオの成長物語である。新生児期は授乳のトラブルなど前途多難だったクレオ(とお母さんのクロエ)だが、クレオが自分で固形物を食べられるようになってくると、いろいろな紆余曲折はあったが、ようやく母子関係も落ち着いてきた。そこで、研究者である私としては、ルーチンで行っている発達検査や認知実験だけでなく、いろいろとプチ研究をクレオ相手に試みてきた。いずれも主たる対象はクレオだけだったので、事例報告の域を超えないのだが、それぞれに面白い結果だったのでここで簡単に紹介していきたい。

道具使用の出現

定期的に行われていたモノの操作の発達的変化を調べる研究(滋賀県立大の竹下秀子さん、霊長研の林美里さんたちの研究)の合間にクレオの面白い行動を観察した。1歳3か月の頃だ。まだまだ離乳はできていない幼児期、実験室にも母親のクロエと一緒にやってくる(実は12歳になった今でもそうだ)。クレオは用意されていたスポンジをトレイに張られた水に浸してなめるという行動を示したのだ。もしかするとクロエがしていた行動を観察していて自分でもやってみたということかもしれない。しかし、私にとってはいきなり「自発」したとしか思えない行動だった。そこで、今度はカップに水を入れて床に置き、紙タオルをクレオに渡してどうするかを観察してみた。するとクレオは何の躊躇もなく紙タオルを口に入れてくしゃくしゃにしたうえで、水に浸してその水を飲んだのである(写真)。

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カップの中の水に紙タオルを浸すクレオ

これは野生のチンパンジーに見られる「葉のスポンジ」と呼ばれる道具使用に酷似している。葉のスポンジとは、葉っぱを口の中でくしゃくしゃにしてスポンジ状にし、それを用いて木のうろなどにたまった水を飲む道具使用行動だ。チンパンジーの間では比較的広範な地域で見られる行動だ。

チンパンジーの示す多様な道具使用行動の獲得は、母親などの行動をじっくり観察して自分で試行錯誤するという社会的学習を経なくてはならないことがこれまで知られてきた。一方で、ここでクレオが示した行動はモノを別のモノに対応づけるという定位操作の一種でもある。先の林さんたちの研究によると、このあたりの年齢を過ぎるとチンパンジーではこのような定位操作が増加してくる。また、先述のように葉のスポンジは多くの野生チンパンジー集団で見られる行動だ。これらのことを考え合わせると、ある種の道具使用はもしかすると特別な経験がなくともある発達段階に到達すると自然と出現するものもあるのかもしれない。

この観察の延長で、さらに興味深い行動を観察した。上のクレオの行動は、手に持ったモノをカップなどのくぼんだところに入れる行動だ。もしかすると、このようなくぼみはチンパンジーにとって、モノを入れることを「アフォード」しているのかもしれない。アフォード、つまりアフォーダンスとは、環境側が個体にもたらす「意味」のようなものである。そこでまた、おまけのようなテストを行ってみた。カップを上下ひっくり返して置いてみたのである。底が上を向いている。その上にモノをのせてもよさそうなものである。実際、4歳くらいになるとチンパンジーは積み木を積むことができるようになる。しかし、この時クレオは、カップを保持していた私の手をこじ開けるようにして、カップの中にモノを入れようとしたのである。「アフォーダンス」という言葉が頭の中を駆け巡った瞬間だった(すぐに消えたが...)。

物々交換

クレオは、カップの中にモノを入れる。でも、よく観察してみると、その手を離さず、また持ち上げたりする。モノ離れが悪い。だから、私がちょうだいと言って手を差し出してもその手を払いのけるだけだ。人間の子どもだと、2歳前後からお母さんやお父さんとの間でモノを見せたり手渡したりし、そこから複雑なコミュニケーションに発展していく。チンパンジーではそのような行動はほとんどと言っていいほど見られない。そこで、1歳半から2歳のころにかけて、どうにかクレオとの間でモノの受け渡しをしたいと考えて、集中的に実験的な観察を行った。まず、クレオに(食べられない)モノや食物を手渡す。その後、私はただ手のひらを差し出したり、モノや食べ物を見せながら手を差し出したりした。当然、手を差し出しただけでは他の場合にくらべてモノを返してくれる割合は低かったもののそれでも5回に1回は返してくれたのである。モノとの交換の場合は50%、食物との交換は70%の成功率だった。少なくとも、クレオは何らかの価値判断をしながら物々交換をしていたのかもしれない。

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リンゴ片とフタを交換するクレオ

跳ぶか跳ばざるか

私なりにアフォーダンスを、「自らの行動・身体・外側の環境の間の複雑な関係」、ととらえてみた。そうすると、身体が成長するにつれて環境への働きかけの仕方も変わっていってもおかしくはないだろう。そこで、モノと食べ物の交換を覚えたクレオを相手に、こんな実験を行ってみた。ホワイトボードなどで使用するカラー磁石と食物の交換を覚えたクレオの目の前で、鉄製の壁の部分にその磁石をはりつけてみた。クレオは少し手を伸ばしてそれを取り、私に差し出してレーズンと交換する。今度は少し高い位置にはってみる。クレオは2足立ちになってそれを取る。さらに高いところにはりつけてみた。今度はジャンプして取ろうとした。クレオは、磁石の高さと自分の体の大きさの関係を勘案しながら、どういう姿勢で磁石を取るかを考え、体勢を切り替えていたように見えた。

そこで、床上30cmから190cmまで5cm刻みで磁石をはりつけ、どんな姿勢で磁石を取るかを記録した。これを2歳から4歳まで半年ごとに調べてみたのだ。そうすると、興味深いことが分かった。それぞれの年齢の時の身体のサイズに応じて、行動を切り替える高さが変化していったのだが、切り替えの高さと身体サイズの比はどの年齢でもほぼ一定だったのだ。たとえば、「座って取る」から「立って取る」の切り替えはその時の座位での最高到達可能点あたりになり、「立って取る」から「ジャンプして取る」の間の移行も立って届くぎりぎりの高さあたりで起こっていたのだ。さらに興味深いことに、2歳の時点では「立って取る」の次は「ジャンプして取る」だったのが、4歳くらいになると、ジャンプするかわりに、壁の横に設置されているはしごに上って取るという行動に置き換わったのだ。もしかすると、背の高さだけでなく体重も考慮に入れてより効率的な行動の選択をクレオは行っていたのかもしれない。

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壁にはられた磁石を立って取るクレオ
(おでこには鏡映像認知テスト用のマークが付けられている)

次世代の繁殖に向けて

冒頭にも書いたが、クレオたちももう12歳。暮らしている環境も大きく変化してきた。そろそろ次の世代の誕生が待たれる時期になった。野生のチンパンジーでは、一人の母親は5-6年おきに子どもを産む。集団全体としては毎年赤ちゃんがいるのが普通だ。しかし、飼育下ではそうはいかない。空間や個体の移動などさまざまな制約がある。霊長研も例外ではない。これまで、偶発的な出産を避けるために経口避妊薬の投与などの処置を行ってきたが、ようやく次世代の繁殖のための環境は整った。現在、自然交配による次世代の誕生に向けての試みを開始している。12年前の感動をもう一度経験するチャンスがもうそこまで来ている。大変ではあったが、新たな視点でもう一度チンパンジーの子育てを間近で見続けていきたい。

筆者プロフィール
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友永 雅己(京都大学霊長類研究所 准教授)

京都大学霊長類研究所思考言語分野准教授
京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ所長(兼任)
1991年 大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了
1991年 日本学術振興会特別研究員(PD)
1991年 京都大学霊長類研究所心理研究部門助手
1996年 同 行動神経研究部門思考言語分野助教授
2007年 同 准教授
2007年 京都大学霊長類研究所 福祉長寿寄附研究部門 准教授(併任)
2008年 京都大学野生動物研究センター 准教授(併任)
2011年 京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ 所長(併任)

1994年 京都大学博士(理学)
2006年 第2回日本学術振興会賞受賞

専門:比較認知科学
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