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霊長研拾遺物語:チンパンジー・クロエの初産と子育て

要旨:

2000年4月から8月にかけて、京都大学霊長類研究所ではチンパンジーのベビーラッシュが起こった。その際初産を経験したクロエという母親チンパンジーの妊娠、出産、授乳のそれぞれの段階におけるエピソードを紹介する。これらを思い返すと、本当に「お母さんになる」ということの果たす「経験」の役割や「社会」の重要性というものを考えざるを得なくなる。育児というのは、もしかするとある程度は遺伝的にプログラムされているものなのかもしれないが、その「スイッチ」を押すためには、やはり社会からのさまざまな形でのサポートが必要なのだと思う。
今から11年前の西暦2000年。4月から8月にかけて、私の勤務する京都大学霊長類研究所(以下霊長研)では、チンパンジーのベビーラッシュにみんながてんてこ舞いになっていた。これは、私も研究分担者として名を連ねていた、松沢哲郎先生の特別推進研究「認知と行動の霊長類的基盤」によるチンパンジー認知発達研究プロジェクトによって計画されていたものであった。その目的や多大な研究成果についてはこれまでに多くの方々が、研究論文や書籍、講演会や学術集会など、さまざまな形で報告している。しかし、今から振り返ってみると、あの、ある種の興奮状態にあった「どんちゃん騒ぎ」的な日々のエピソードの記録、つまり研究成果からこぼれ落ちた思い出は、ほとんど文字に残されていない。幸いその中でもアイとアユムという1組の母子については、それでもいくつか文章になっており、読むことができる。しかし、他の母子たち(クロエとクレオ、パンとパル)については、ほとんど記録がない。私自身も10年前にちょこっと書いただけだ。そこで、当時のあわただしくも楽しかった日々の記憶が「美化」されないうちに、ここに記録してとどめておくことにしたい。


私が、愛知県犬山市の霊長研に初めて来たのは1988年の5月。今から23年前、クロエが母親になる12年前のことだ。霊長研で初めて行ったチンパンジーでの実験に参加してくれたのがクロエだった。それ以来のくされ縁である。そのクロエは、今回のプロジェクトでは本来であれば三番手として、研究スタートの2年後くらいに妊娠・出産する予定だった。ただ、以前にアイで人工授精からの出産に失敗している経緯もあり、一番手のアイに再度人工授精を施すだけでなく、二番手のパンにも「保険」として人工授精を行い、さらにクロエについては、自然交尾可能なレオとの同居をこれまた「保険」として続けていた。その結果、当時流行っていた「マーフィーの法則」ではないが、うまくいくときにはすべてがうまくいものなのだろうか、3人のチンパンジーすべての妊娠が確認されてしまったのである。さあ、大変。なぜ大変か。実はこの3人、アイを除いては初産(アイは前回は死産だった)であることに加えて、生まれてこのかた、同じコミュニティの中で他のチンパンジーが子育てをしている様子を見たことがなく、もちろんちびっこチンパンジーとの接触経験も皆無だったからだ。

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ぬいぐるみでガラスの向こうのテナガザルの赤ちゃんにちょっかいを出すクロエ
(撮影:京都大学霊長類研究所)


飼育下のチンパンジーが子どもを産み育てるには3つのハードルがあるといってよい。まず、ほぼ半数の個体が交尾ができない。よしんば交尾ができ、無事出産にこぎつけても、上記のような貧弱な社会環境で育つと、赤ちゃんを抱くことができない。さらに、抱けたからといって、授乳拒否をする母親もいる。こうなると人工保育するしかない、というのが当時の一般的な認識だった。そのために私たちは、何とかして、「母親」になってもらうべく、いろいろな介助を試みた。大きくは3つだ。まずは、ほぼ同時期に生まれ、不幸なことに人工保育になっていたアジルテナガザルの男の子のラジャ君を見せる。そして、アフリカの野生チンパンジーの母子の動画をみせて、「ビデオ学習」。ビデオ呈示の最大の問題点はすぐに飽きてしまうことだ。アイなんかはビデオ画面を食い入るように見ている写真があるものの、ビデオ記録の次の瞬間では大あくびをしていた。第3の方法は、チンパンジーの赤ちゃんのぬいぐるみを抱かせることだ。今はどこを探しても見つからないが、当時は、実際にチンパンジーの赤ちゃんのぬいぐるみが売っていたのだ。まさに、チンパンジー妊婦のために開発されたかのように。このぬいぐるみに対して、もっとも良い反応を示したのがクロエだった。ぬいぐるみを与えると、ぎゅっと抱きしめて後はもう絶対返してはくれなかった。頭をなでたり、胸に押しつけたり、毛づくろいをしたり。その様子はその後生まれた赤ちゃんのクレオに対するものとほとんど変わりはなかった。しかし、ぬいぐるみの糸がほつれて中の綿が見えるようになると、とたんにそのぬいぐるみはクロエにとってただの「もの」になってしまう。ひとしきり中の綿を抜き取ってしまうと、また胸に抱いて「よしよし」と頭部を軽くたたく。その様子は、まさに人間の子どもが行うフリ遊びそのものだった。

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ぬいぐるみを抱く妊娠中のクロエ (撮影:友永雅己)


クロエが私たちに見せてくれたさらに興味深い行動は、私がひそかに「けんかごっこ」と呼んでいた一連のエピソードである。妊娠中のクロエはいつものようにぬいぐるみの赤ちゃんを抱いて実験室にやってきた。そこに私が別の新しいクマのぬいぐるみを持って入室する。そして、わたしがそのクマを彼女の「赤ちゃん」にそっと近づけて頭に触ったり、なでたりする。すると突然、クロエは唇を突き出した表情をして、やおらクマのぬいぐるみをつかみ、噛みついた上に投げ飛ばしてしまったのである。さらに、別の場面では、クロエ自身にクマのぬいぐるみを与えてみた。すると、クロエはそのクマを自分の「赤ちゃん」にそっと押しつけていく。しばらくそういうことをしていた次の瞬間、やっぱりガッと噛みつき、投げつけ、たたきつける。面白いことに、こういった反応はクッションや長靴に対しては出てこなかった。これら一連のエピソードは、やはり「ふり遊び」にしか見えない。クロエはぬいぐるみを「物」であると同時に「生き物」の表象とみなしていることは明らかなようだ。クロエは、このようにぬいぐるみに対して、非常に強い愛着を形成した。しかしこのことが、私たちには予期できなかった事態を引き起こすことになったのである。


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ぬいぐるみをふみつける?クロエ (撮影:京都大学霊長類研究所)


2000年6月19日11時52分。4月に出産したアイに続いて、クロエも出産のときを迎えた。実は、陣痛が始まってからもクロエはぬいぐるみを抱き続けていたのである。そして、出産直前、陣痛の痛みに耐えかねてようやく居室の床にぬいぐるみを捨てた。その後、出産にいたったのだが、危惧した通り、クロエは生まれてきた赤ちゃんを抱いてくれなかった。一声小さく悲鳴のような声を上げた後、パッと飛びのいたのだ。信じられないことに次の瞬間、クロエは、赤ちゃんではなく、床に打ち捨てられていたぬいぐるみの方にいってしまったのだった。

赤ちゃんの健康を第一に考え、その日は、赤ちゃんを母親から分離し、一晩保育器の中で過ごさせた。元気な女の子だ。そして翌日の午後。私たちは、クロエにぬいぐるみではなく赤ちゃんを抱かせるべく一大作戦を決行した。ぬいぐるみはすでにクロエから引き離してある。居室のドアを開け、クロエの待つ部屋の中に、赤ちゃんを抱いた私が入室した。そして、クロエから少し離れて座った。両者のほぼ真ん中あたりにタオルにくるまれた赤ちゃんを置いて様子を見守る。クロエはその赤ちゃんを非常に気にしている様子だった。それでも、まずはわたしの方に寄って来てあいさつの毛づくろいを熱心に行ってくれた。でも床の上の赤ちゃんが気になる。時々、唇を突き出す表情を見せては赤ちゃんを至近距離から観察する。そのうち、赤ちゃんがむずかり始める。巻かれていたタオルもはだけ、手足をじたばたさせている様子が見えてきた。クロエがまた気にしだして、何度目かの接近を試みる。その時赤ちゃんが一声「キャッ」と小さな泣き声を発した。クロエは口をとがらせて覆いかぶさるように接近する。その時、虚空をさまよっていた赤ちゃんの左手がクロエのお腹の毛に触れるとそれをつかんで離さなくなった。ぶら下がるようにひっついてきた赤ちゃんにこわごわ両手を添えて抱き上げたクロエ。2000年6月20日の13時58分。ほぼ1日後に赤ちゃんは無事クロエの手に戻った。そのとき、少し離れた準備室でモニタ越しに観察していた学生やスタッフたちから歓声が沸き起こったのが聞こえてきたのを今でもよく覚えている。


霊長研では、チンパンジーには母親と同じイニシャルの名前をつけることにしている。アイの息子はアユム、クロエの後に出産したパンの娘はパル。そのパンの姉はポポで、母親はプチだ。だから、クロエが生んだ女の子もCで始める名前にしなくてはならない。当初、この子は暫定的にチャオ(Ciao)とよばれていた。しかし、暫定的な名前が独り歩きしてはまずいというお達しが出たので、すぐにみんなでCで始まる名前を考えた。私は「クオーレ(Cuore)」がいいなと思った。イタリア語で「心」を意味するらしい。だが、「クロエとクオレじゃ間違えやすい」と言われ却下された。そして2つの名前が候補に残った。クレオ(Cleo)とクー(Coo)だ。クレオはクレオパトラからきている。クレオパトラの意味は「父(ファラオ)の栄光」。光り輝く未来がこの子に訪れますように。結局、熟慮の末、この子はクレオと名づけられ、その愛称は「クーちゃん」となった。いまだに私は「クレオ」、「クーちゃん」と2種類の名前でこの子を呼んでいる。


無事クロエの腕の中に戻ったクレオだったが、最後の難関でまた引っかかってしまった。うまく授乳できなかったのだ。まず抱き方がおかしい。胸のあたりで抱かずに、下腹部あたりで抱いている。だから当然クレオはクロエの乳首まで到達できない。さあ、介助の出番である。この時にとったのは「しゃがめしゃがめ作戦」とでも言うものである。チンパンジー居室と人側のエリアは格子で仕切られている。格子の前に座ったクロエに対して、私たちは、スプーンで蜂蜜をあげることにした。はじめは普通に口の高さにスプーンを差し出す。次は一段下、さらに下...。これを続けていくとスプーンから蜂蜜をなめるために、クロエはかなりしゃがみこまなくてはならない。そのような姿勢を取ると、当然乳首の位置も下がってくる。あとはクレオの努力に任せた。何度か繰り返していると、クレオは自発的に乳首を探り当て、ようやく初乳にたどり着くことができた。ただし、クロエは、乳首を吸われるのがあまり好きではないようで、途中でクレオを振り払ってしまう。吸っては振り払い、吸っては振り払いの繰り返しがその後続くことになる。


このクロエの、妊娠、出産、授乳のそれぞれの段階における「トラブル」を思い返すと、本当に、「お母さんになる」ということの果たす「経験」の役割や「社会」の重要性というものを考えざるを得なくなる。母親が誰からも教えられることなく無意識的に養育行動ができるとする「直観的育児 (intuitive parenting)」という現象があるように、育児というのは、もしかするとある程度は遺伝的にプログラムされているものなのかもしれない。しかし、その「スイッチ」を押すためには、やはり社会からのさまざまな形でのサポートが必要なのだと思う。


クロエとクレオの物語はここで終わるわけではない。この後も「C家」のチンパンジーと私たちの間にはさまざまなエピソードがある。しかし、字数が尽きてしまった。続編はまた次の機会に。

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筆者との対面場面の様子 (撮影:平田明浩)
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